不器用な言葉
「他に行きたいところはあるか?」
わたしを校舎の屋上に下ろした後、彼はそんなことを聞いてきた。
先程まで空中でおんぶされていたこともあって、地に足がつくという普通のことにすっごく安心できる。
ああ、なんて幸せなのだろう、と。
「若宮や高瀬、あの双子の家ぐらいなら一瞬で連れていけるぞ」
九十九はごく普通のことのように言うけれど……、それらの距離を一瞬ってどんな世界ですか?
……ああ、魔法の世界だった。
既に瞬間移動も体験し、さらに空も飛んだというのに、まだ慣れない感覚だ。
「そんなに魔法連発して大丈夫? MPとか尽きるんじゃない?」
ゲームにだって瞬間的に移動する魔法とかはあるけど、MPという回数制限がある。
マジックパワーとかマジックポイントとかゲームによって名称は異なるが、使用回数が限られるという意味では同じだろう。
わたしがそう言うと、九十九は一瞬、不思議そうな顔をした後、眉を顰め……。
「MP……魔法力のことだよな? これぐらいで尽きるかよ」
そう言って、わたしの手首を掴んで、次々と移動魔法を使った。
えっと、現実の魔法ってゲームより制限がないのかな?
ワカの家の前、高瀬の家の前、そして、富良野先輩たちの家の前……、と九十九の魔法で移動していく。
ありえない速度での長距離移動。
歩けば何十分とかかるはずのその距離を、次々と飛ぶように移動した。
そして……、結果として、どこに移動しても、何故か人の気配が感じられなかった。
残念ながら、皆さん、お留守だったようだ。
元々、誰にも会うつもりではなかったからホッとした反面、少しだけ寂しい気持ちもあった。
顔を合わせることは無理だから、せめて、家の外からだけでも別れの挨拶ぐらいしておきたいって気持ちがあったのかもしれない。
「誰もいないみたいだったね」
「そうだな」
「まあ、挨拶するつもりがあったわけじゃないから良いかあ」
「軽いな」
重くしたくないなら軽くするしかないのだ。
「で、他に行きたいところはもうないのか?」
九十九が再度、わたしに確認してくれる。
「他かあ……」
改めて考えてみる。
一番行きたかった学校には歩いて行った。
校門前で高台を見下ろし、夜の街を一望できるだけで満足だったのに、普通では入ることができない屋上まで上がった上、さらに高い場所まで連れて行ってもらえた。
さらに親しかった友人たちの家の前にも身体を運ぶことになった。
ここまでしてもらったのに、これ以上、わたしが望むこと?
頭の中に、誰かの影が少しだけちらついたけど……、それは気のせいということにしておこう。
少なくとも、彼の手を借りて行くようなところじゃないよね。
それでも強いて、行きたい思い出の地を考えるなら……。
「もう一回、中学校に行きたい。今度は運動場が良いな」
「分かった」
そう言って、九十九はわたしの手を掴んだ。
最初こそ驚いたけれど、何度も握られれば麻痺もする。
それに、米俵のように肩に担がれて、高度100メートル以上の世界に連れて行かれるよりはずっと良い。
気がつくと、邪魔するのは何もない、広い世界があった。
「運動場、ひっろ~い!! 野球部やサッカー部と練習場所の取り合いしているのが信じられないくらい広い!」
運動場は暗くてもよく分かるほど広く感じる。
こんなにもこの場所は広いと言うのに、いつも、どうして場所取り合戦になっちゃうんだろうね?
そう思いながら、両腕を思い切り広げてみる。
掴みきれないほど広い空間がそこにあった。
「なんで、運動場なんだ?」
「ここで過ごした時間が長くて、濃かったから」
それは本当に鮮烈で、濃密な日々。
あの時の自分なりに全力を尽くしたはずなのに、最後までもっとやれたかもと後悔もした。
「ああ、部活か」
九十九も気付いてくれたらしい。
そのことが少し嬉しかった。
「うん。楽しかったんだよ」
あの時間があるから、今のわたしもある。
富良野先輩たちと出会ったのも、この場所だった。
「懐かしいな~」
全ては遠い日の思い出。
もう戻らない日々の数々。
大人になれば忘れてしまうような時間だったのかもしれないけれど、あの頃はあの時間が自分の全てだったのだ。
「ところで、わたしの思い出の場所ばかり巡っているけど、九十九は良いの?」
わたしは九十九を振り返った。
考えてみれば、ずっと彼を付き合わせてしまっている気がする。
人間界に10年もいて、離れるのは九十九も同じなのに。
「オレは十分だ。ずっと離れる場所だと思っていたからな」
彼は既に心の整理はできているとも言った。
でも、そんな単純に割り切れるものなのだろうか?
「でも、お前は違うだろ? ああ、今度は小学校でも行くか?」
さらに彼はそんな提案をしてくる。
「いや……、わたしも十分だよ。もう、これ以上は……」
これ以上は、思い出に潰されてしまう。
そんな気がした。
これまでは、夜と言ういつもと違う空間だからある程度、珍しさもあって耐えられたのだと思う。
でも、それもあまりに積み重ね過ぎたら……。
そんなわたしの迷いを見抜いたのか。
九十九が凄い怖い顔をして近付いて……。
「ふっ!?」
わたしの後頭部を掴んで、いきなり自分の肩に押し付けた。
額が鎖骨と思われる場所に当たる。
「痛っ!?」
「まだ十分じゃねえだろ」
おでこの痛みに思わず、顔を上げて抗議をしようとしたけど、それは後頭部に当てられた九十九の手と、彼自身の鋭い声に止められる。
「いつまで見え見えのやせ我慢してんだ」
「え……?」
やせ……、我慢?
「我慢してるから余計に辛いんだよ。ちゃんとぶち撒けろ! 喚き散らして全部、一緒に流しちまえ!!」
九十九が何を言いたいのかは分かった。
でも……。
「む、ムリだよ……」
そんなことができるわけないじゃないか。
わたしは、九十九の固い肩におでこをぶつけながらその言葉を飲み込む。
「言っとくけど、オレに優しい言葉を期待すんなよ。こんな風に顔を見ないようにしてやるしかできねえからな。甘い言葉とか柄じゃねえ」
「ぷっ」
その言い方があまりにも九十九らしくて、思わず笑いが出る。
「おいこら。ここは笑う所か?」
「いや……、確かに、慰めのために甘い言葉を言う九十九って、らしくないね」
「そう言ったものが欲しければ、兄貴に頼め。あっちはプロだ」
なんか変な言葉を聞いた気がする。
「プ……? そんなプロなんてあるの?」
「ある」
「どんな感じで言うのがプロ?」
「あ? そりゃ~……、『好きなだけ泣いて良いよ。全部受け止めてあげるから』とか?」
少し考えて出てきたのは感情どころか抑揚もない言葉。
「ぼ、棒読みすぎる」
演劇部だったワカが聞いたらあまりの酷さに激高して、彼女が納得できるまで脚本読みをさせられるだろう。
それぐらい酷かった。
「良いから泣け!」
なんとかしてわたしを泣かせようとする九十九が凄く可笑しくて、逆につい笑ってしまう。
「……何故、笑う?」
それは可笑しくて、嬉しいから。
「なんで泣かせようとする?」
わたしは九十九の問いかけには答えず、逆に質問を返す。
「我慢してるのが丸分かりなんだよ。ずっと泣きそうな顔して見てられん。それに……、この状況はオレたちのせいでもあるからな」
顔が上げられないため、彼がどんな表情でその言葉を口にしているかなんて分からない。
でも、この状況はわたし自身が決めたことだ。
彼のせいではないのだから、九十九が責任を感じる必要なんてどこにも無いのに。
「じゃあ、このまま、肩を借りちゃうかな。九十九は全部受け止めてくれるんだよね?」
「…………おお」
少し間が空いた九十九の返答。
その彼の不器用さが面白くて、たまらなく可笑しくて。
わたしは……、彼の肩に張り付いたままという少しだけ不格好な姿勢で、存分に咽び泣かせていただいたのだった。
魔界人にも、魔法力の回数制限はあります。
魔法使用は当然ながら無限ではありません。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




