【第60章― 手を伸ばせば届く距離 ―】それ以外の理由
この話から60章です。
よろしくお願いいたします。
予定よりかなり長くなってしまったが、いよいよ、この「ゆめの郷」を発つことが決まった。
だけど、そのためにいろいろな手続きが必要なため、これまでのようにすぐに出発することは難しいそうだ。
出発までの間、皆は、あの高級宿泊施設にそのまま泊まるみたいだけど、様々な事情から、わたしと九十九だけは、別の場所で過ごすことになった。
例の、九十九と二人で過ごした宿だ。
既に、連泊手続きをしていたため、部屋の確保や手配も面倒ではないらしい。
九十九の調査や報告により、これまで泊まっていた奇妙な設備が多いあの高級宿泊施設については、普通の場所ではないと結論付けられている。
何でも、様々な感情が激しく揺さぶられるそうだ。
それは正の感情、負の感情に関係ないらしい。
宿泊料金は高いし、「高級」と謳っていた割に酷い話もあったものだと思うのだけど、確かにサービスは良かったことは間違いないので、何も言えない。
確かに必要以上に感情が揺さぶられる場所ではあったのだけれど、ちゃんと対策をとれば大丈夫だとか。
それならば、やや不便な施設よりは、便利な施設が多い宿泊場所の方がずっと良いと思うのも別におかしな話ではない。
宿泊費はこれまでと同じように、九十九のポケットマネーから出てくることに変わりはないのだし。
わたしの連れは、ああ見えても、長耳族であるリヒトを除いて、全員、中心国の王族なのだから、確かに心配はないのだろう。
トルクスタン王子はスカルウォーク大陸の中心国カルセオラリアの第二王子殿下だし、水尾先輩と真央先輩はフレイミアム大陸の中心国だったアリッサムの第二王女殿下と第三王女殿下だ。
そして、雄也さんは非公式ながら、ライファス大陸中心国イースターカクタス国王の兄の息子らしい。
まあ、弟である九十九もそうなのだけど……。
唯一、王族とは関係ないのがリヒトではあるのだが、彼の身体に流れている血の半分は長耳族と言われる精霊族だ。
だから、大気魔気による影響の受け方も普通の人間と違うということが分かっている。
わたしにも一応、王族の血は流れている。
それはあのセントポーリア城で過ごした数日間だけでも、嫌というほど実感することになった。
あのセントポーリア国王陛下に、自分と似たものを感じていたことも。
だから、雄也さんに頼めば、あのどこか奇妙な空気を感じていた宿でも、快適に過ごす方法も教えてもらえたかもしれない。
だけど、それが分かっていても、わたしはあの宿には戻りたくなかったのだ。
あの宿に漂っていた空気だけではなく、あの場所自体がわたしにとって嫌な思い出が多すぎた。
あの宿は、あの広場での出来事よりも、心の奥深い部分にしっかりと大きな傷を残してくれた。
もうこれ以上、嫌なことを思い出したくない。
そのために、今回、別行動をとるに当たって、いくつか約束事……、条件のようなものが付けられた。
その条件と言うのが少し、特殊ではあったのだけど、わたしにとっては、ギリギリ許容範囲のものであった。
だから、正面から反対されなくて良かったとも思っている。
いや、普通は恋人でもない未婚の男女が二人だけで同じ場所に宿泊なんて、自分でも破廉恥だと思わなくもない。
でも、緊急事態だったとはいえ、既に一度、宿泊をしているのだ。
だから、どこかで何かが麻痺をしてしまった感はあるだろう。
確かに危険はある。
だけど、あれだけの護衛がいてくれるのだ。
わたしの身の回りの世話もできる上、強い!
だから、備えに関しては万全だとも言いきれる。
だが、その強い護衛は、今、部屋の隅で何やら頭を抱えていたのだった。
「どうしたの?」
「いろいろと複雑なんだよ」
「護衛だけではなく、執事の真似事をすることが?」
わたしも以前よりは、自分の身の周りのことはできなくもない。
但し、料理だけは別だ。
どうあっても、彼に勝てる気はしない。
そうなると、必然的に、彼からお世話をしてもらうことになるのだが、それが嫌なのだろうか?
まあ、人間界の漫画では、戦う女中や執事は珍しくなかったけど。
「そっちじゃねえ」
「ああ、条件の話?」
「そうだ。お前は何故、承諾した?」
「出立まで宿から出ない……って言うのは確かに退屈かもしれないけれど、なんとかなるかなと思って」
条件、その1。
別の宿に泊まることは良いが、この「ゆめの郷」から離れる日まで、わたしは一歩も外に出ないこと。
これについては、仕方ない。
わたしたちはちょっとこの場所で目立ちすぎたため、落ち着くまでに少し時間を要するらしい。
わたしは多少、魔法の真似事ができるようになっても、まだまだ実戦で使えるレベルにない以上、1人で行動することは避けた方が良いと言うことになった。
今回のゴタゴタで、わたしたちに逆恨みをする人間がいないとも言えないらしい。
そこまで何かをしでかした覚えはないのだけど、「ゆめ」を1人、使えない状態に追い込んだのは事実だ。
その原因は、確かに「ゆめ」の自業自得であっても、その雇い主にとっては高級な商売道具の一つを潰されたようなものに当たるとか。
なんだかいろいろとモヤモヤする理論だが、こちら側の主張と相手の持論が同じではないことなんてよくある話だ。
相手の領域にいる以上、ある程度、穏便に済ませる必要はあるだろう。
「そっちじゃないのは分かっているだろ?」
九十九がなんとも言えない顔でわたしを見る。
「同室、同じ布団の方?」
「そうだ」
条件、その2。
別の宿に泊まるなら、常に九十九の傍にいること。
それは、寝る時も含む。
これを言い出したのは、水尾先輩だった。
この「ゆめの郷」では特殊な魔法を契約している人間が多い。
物体転送魔法、物体送達魔法などを使われた時、わたし一人ではどうしようもないのだ。
だが、それらの魔法は対象が触れているモノ全てに有効なものが多い。
九十九が触れる距離にいれば、万一、わたしだけに使われても、一緒にどこかに輸送されるということだ。
「わたしがまだまだだから、仕方なくない?」
「仕方ないのだけど!」
「水尾先輩も真央先輩もあの宿が良いのだから仕方ないじゃないか」
あの宿から出たいと思っているのはわたしだけなのだ。
そんな我が儘を通すのだから、彼女たちを無理に付き合わせることなどできない。
何より、かなり良い笑顔で断られたし。
「お前は良いのか?」
「『同じ布団』って、だけでしょう? 九十九が『発情期』にならなければ大丈夫」
「お前な~」
「それに、いざとなれば、九十九を眠らせる!」
わたしは拳を握り締めた。
「ほう?」
おや?
九十九の表情が……?
「お前が、オレを眠らせる? 魔法でか?」
どこか挑発的な九十九。
確かに油断していない時の彼を眠らせるのは難しい。
だが……。
「『命呪』って知ってる?」
わたしが最終兵器の名を口にすると、九十九は目を見開いた。
そして……。
「……それが、頭にあるなら良い。いざとなれば、迷わず使え」
彼は大きな溜息を吐く。
「分かってるよ」
そう答えはしたが、勿論、使う気などない。
今のはただの牽制のようなものだ。
それにそんなものはなくても、わたしは九十九を信じている。
あれだけの誓いをしてくれる護衛を信じられないはずはないのだ。
「そう言えば、九十九にも条件は出されたでしょう? そっちは大丈夫だった?」
わたしとは別に、雄也さんだけでなく、水尾先輩と真央先輩から何度か念を押されていたのは見たけど、その内容については、全く聞いていないのだ。
「問題ない」
彼は素っ気なく答える。
雄也さんはいつものように。
水尾先輩はやや凄むかのように。
真央先輩は満面の笑みで、それぞれ九十九に対して何かを言っていたように見えたのだけど、特に大きな問題がないのなら良かった。
九十九がわたしの護衛を断ると困るのだ。
その1の条件は自分自身の問題だが、その2の条件については、同じ布団に入る護衛が雄也さんだとかなり困る。
流石に緊張して眠れる気がしない。
でも、九十九なら大丈夫。
そう思うのは、既に何度か一緒に寝ているせいだろう。
確かに一度、襲われはしたものの、あれは例外だ。
普段の九十九にその印象は全くない。
まあ、それ以外の理由も、もしかしたら少しぐらいあるのかもしれないけれど、今はまだ分からない。
そう言うことにしておこうか。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




