最も危険だったのは
ことの発端は、カルセオラリア城の崩壊直後だった。
カルセオラリア城だけでなく、その城下までも半壊し、あんな状況に陥ったと言うのに、何故か自分とその家族が住む屋敷の復興作業もそこそこのまま、この「ゆめの郷」に通い続けた貴族がいたらしい。
機械国家の城下に屋敷を持つほどの人間としては、それ自体がおかしなことである。
伝統に守られていた自分の屋敷を、遠慮なく好き勝手に改造できるまたとない機会だったと言うのに……。
いや、普通に考えれば、あんな状況だったからこそ、その心に「救い」と「癒し」を求めたかったという気持ちは分からなくはない。
それが男性だったならば……。
だが、夫と子供のいる女性ならば、その事情も変わってくるだろう。
配偶者のある身で、堂々とこう言った遊里に足を運ぶのは、この世界でも圧倒的に男性の方が多いのだ。
いや、確かに誰かに癒しを求める女性もいるとは思う。
その気持ちを否定したいわけではない。
でも、個人的な感覚として、城や城下が落ち着いていない状況で、自分の夫や子供を置いてでもわざわざ「ゆめの郷」に行きたい気持ちと言うのはよく分からなかった。
苦しい状況を不安に思っているのは、傍にいる夫や子供も一緒だと言うのに。
そして、そのことを疑問に思ったのは私だけではなかったらしい。
そこで、現状確認のために「ゆめの郷」に派遣された十数名の兵士たちの過半数が、何故か先の貴族と同じように、「ゆめの郷」に依存するようになってしまったのだ。
そうなれば、流石にカルセオラリア一国だけでは限度がある。
同じ大陸にある諸国にも伝達し、それぞれが調査をした結果、厄介なことに「ゆめの郷」に通い詰める人間は増えたが、それに反して、原因は何も分からないままだった。
各国も手駒、もとい、外に出せる人間には、限りがある。
いくら共同運営の領域と言っても、高いリスクがある上、その原因が分からないまま。
さらに、自国に属さず、独自の規則を作り、特殊な文化を築いているような場所だ。
そんなところにいつまでも構っていられない。
だが、トルクは諦めなかった。
自国の民の精神が蝕まれ、食い散らかされることを放置、容認できるような人間なら、他国のお荷物でしかない私やミオのことなどとっくに見捨てていただろう。
粘り強くカルセオラリア国王陛下に働きかけ、許可を得た上で、何度もこの「ゆめの郷」へと足繁く通うことになる。
色里へ頻繁に通うなど、自身の評判低下にもつながる行為だと言うのに。
偽名を使ったところで、自国の人間は彼の顔を知っているのだ。
やがて、その僅かに垂らされた糸口を掴みかけ、その緒だけ掴まされ、逃げられたそうだ。
トルクは金払いも良く、上客ではあったと思う。
だから、「ゆめ」の方からの接近も少ない数ではなかったらしい。
その点については、当人の外見と性格もあるのだろうけど。
商売と言っても、やはり、見た目も中身も平均より上の人間がいるなら、そちらの方が良いという気持ちは分かる。
だが、「ゆめの郷」には、その内も外も深く探られては困る人間も少なくはなかったのだろう。
いつの間にか、彼は、かなり警戒をされるようになったらしい。
そうなるともう、二進も三進もいかない状態が続くようになる。
トルクは、幸いにしてその場所に取り込まれるようなことはなかったのだけど、その禁域に踏み込むこともできなかった。
やがて、彼自身が、打つ手にも困った時、転機が訪れることになる。
私たちが後輩の一行に加わることになり、その際に、この「ゆめの郷」に立ち寄ることになったのだ。
そのこと自体は良かったのか。
それとも、悪かったのか。
ある程度、その結果が出た今でもよく分からない。
この「ゆめの郷」にとって、後輩一行はかなりの上客だった。
それも、集団で高級宿の連泊することに対して、全く躊躇を見せないほどだというのは、実は、王族であるトルク自身も度肝を抜かれたらしい。
しかも、彼らは宿泊している施設だけではなく、他の施設にも立ち寄り、その都度、それなりにお金を落とすほどの客だった。
俗に言う「太客」……というやつである。
だから、トルクという、この場所を嗅ぎまわっていたような人間が混ざっていることは知りつつも、大きな魚ごと逃がそうとはしなかったようだ。
幸いにして、一行の財布を握り、金を支払う人間は純朴そうな青年。
そして、その青年がここを利用する理由も、異性の主人を守り続けるために、「発情期」の治療と酷く分かりやすいものだった。
それに、手練手管に長ける「ゆめの郷」としては、異性に不慣れな人種ほど、扱いやすい獲物はいない。
そうなれば、「ゆめの郷」として警戒するのはトルクだけ。
だから、その受け入れも滞りなく進み、大した問題もないように思えた。
だが、「ゆめの郷」は知らなかった。
一行の中で、最も危険だったのは、カルセオラリアの王族であるトルクではなく、その影に潜み、暗躍や策謀を得意とする人間だということを。
それは、無害そうな笑みを浮かべ、卑屈なまでに自分を殺し、異性に不慣れな演技をすることも可能な存在。
その人物は、気付けばこの「ゆめの郷」に解け込み、浸透していく。
それはまるで、この場所をゆっくりと侵食していった甘い薬のように。
そして、内部に膿が溜まっていれば、それを奥底から掻き出したくなる人間も当然ながらいた。
この「ゆめの郷」も全ての人間が中央に同調し、従っていたわけではなく、その大きな組織の中に反乱分子は密やかに動き出していたらしい。
そして、偶然にも、その時機が一致することで、互いに協力し合う形となり、一気に事態は進むこととなる。
だけど、そこに何の犠牲がなかったわけでもない。
既に、中枢まで蝕まれていたこの「ゆめの郷」は、管理者を含め、多くの「ゆめ」や「ゆな」たちも、多くの人間たちが、今後、社会復帰することも難しい状態となったと聞いている。
その中に……。
「あの赤い髪の青年は……?」
あの後輩の知り合いがいたらしい。
だから、当然ながら、そのことも気になったのだ。
トルクは無言で首を振った。
身元引受人を名乗る女性が、物を言えなくなったあの青年の身体を引き取ったとは聞いている。
そのことについては、私は直接の関係者でもないので、詳細は分からない。
直接の面識はない。
だが、互いにその存在は知っていた。
私たちは、同じ場所にいた時期があるのだから。
あの頃から分かりやすく、後輩に想いを寄せていたあの青年は、その恋が破れることも承知で、彼女に協力と言う名の保護をし続けてくれた。
だけど、あの男子中学生だった青年は、成長して後輩と再会を果たした後、それでも、彼女から離れることを選んだ。
そして、その上で自分の意思を貫き、結果を出したのだ。
そこには勿論、私の知らない思惑もいろいろとあったことだろう。
だけど、あの後輩に向けられていた視線に嘘はなかった。
長い髪を靡かせて、楽しそうにソフトボールをプレイしていた後輩を、眩しそうに見つめていた他校の制服を着た少年。
あの姿を思い出して、溜息が出る。
随分、その外見は変わっちゃったように見えたけれど、その本質は全く変わっていなかった。
後輩が大事にしている護衛と、どこか似ているところが見え隠れしていた、見た目に反してかなり不器用な青年。
「マオ、お前が気にすることでは……」
私の沈黙を、落ち込んでいると勘違いしたのか、トルクはそんな声を掛けてくる。
「私より、高田が気にしているだろうね」
そして、あの後輩よりはもう少しだけ事情を知っている先輩としては、あえて何も言うまい。
あの赤い髪の青年は、後輩に何も告げなかった。
それなら、第三者が余計な口出しをするわけにもいかない。
何よりも、個人的な思いもあった。
私としては、かっこつけて立ち去る男よりは、かっこ悪くても傍にいてくれる努力をする男の方こそ応援したいとも思っているのだ。
女に生まれた以上、そう思うのは自然でしょう?
この話で、59章は終わります。
次話から、第60章「手を伸ばせば届く距離」です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




