雨降って地固まる
「マオ、今、高田が何をしたのか分かったか?」
目の前で起きたことが理解できなくて、私は思わず、すぐ傍にいたマオに確認した。
「これまで私が見てきた高田の魔法の中では一番、効率的だったね。一切の無駄がない」
マオは私と違って、動揺を見せることもなく、涼しい顔で答える。
そうだ。
今のは、間違いなく魔法だった。
自分の身体を巡る体内魔気と大気中を廻る大気魔気を利用して想像力と創造力を具現化させるもの。
だが、想像から創造の過程がほとんど感じられなかったのだ。
高田の体内魔気、身体の中を巡っている魔力が、無駄なく集まり、その形を最短の時間で形成したように思えた。
「呪文詠唱魔法に見えるけど、性質は無詠唱魔法に近いかな」
「無詠唱……」
確かに、早さはそれに近い。
だが、無詠唱魔法も明確なイメージが必要な点は変わりない。
何も言わないと言うことは、長い文章を口にする契約詠唱や単語や短い熟語を発する呪文詠唱のように、言葉を口にして魔法を創造するよりもずっと難しいのだ。
「高田の魔法の検証も良いけど、もっと気にすべきことがあるでしょう?」
「気にすべきこと……?」
マオの言葉に、私は高田を見た。
そこには九十九に支えられて、頭を押さえる高田の姿がある。
その顔面は蒼白で、いつもは桃色の唇も色が変わって、やや青紫っぽく見えた。
高田は、その全身をガタガタと震わせていて、まるでそこだけ気温が下がっているかのような錯覚を覚える。
そして、何より、高田の中で風が荒れ狂っていたのだ。
「あの状態、単純な体内魔気の乱れというよりも、なんとなく、精神的な部分から来ているっぽいけど、心当たりある?」
「心当たり、さっきの不思議な魔法ぐらいだ」
だが、ちょっと変わった魔法を使ったぐらいで、あそこまで変化するとは思えない。
それにあの状態は……。
「高田が犬に会った時に、似ている?」
それでも、あそこまで酷くはなかったとは思う。
彼女が犬に遭遇した時は、涙目になりながらも悲鳴を飲み込み、必死でその両足を踏ん張り、なんとか逃げたい気持ちを抑え込んでいたのだ。
表情だって似ても似つかない。
だけど、なんとなく、あの頃の高田と重なった。
「高田、犬嫌いだっけ?」
「重度の犬嫌いだ」
「ふ~ん。重度。それって、原因がある系?」
「原因……?」
言われて、高田の犬嫌いの原因を思い出す。
「水鏡」を通して見た高田の昔の記憶。
あれは確か……。
「黒い魔獣、魔犬が首だけになっても高田に向かって襲い掛かってきて……」
「凄い状況だね」
「それを高田が破裂させた」
「はれ……?」
私の言葉に真央が一瞬、「わけがわからない」と言う顔をした。
あの状況をどう説明すれば良いのか?
ジギタリスの王子と、後に大神官となる少年との出会い。
そこに割り込むかのような魔獣の出現。
そして、高田の暴走……。
「ミオでも、破裂させるような魔法はあまり多くないよね?」
「生物ならね。でも、私は死体を粉砕させる趣味はない」
「そんな趣味があれば、ドン引きだよ」
生物はその力の差はあるが、体内魔気と呼ばれるものがある。
特に「魔獣」と呼ばれるような生物ならば、人間以上に体内魔気が巡っていることが多く、元の形を遺さないほどの魔法はかなり限られてくるのだ。
だが、生命が尽きた時、その身体から魂が抜け、体内魔気が巡らなくなれば、魔獣の護りは一気に減る。
ジギタリスの王子や他国に行けるほどの将来性を見込まれた神官の少年が、二人掛かりでも手古摺ったような魔獣相手に、高田が瞬間的に破壊できたのはそんな理由からだろう。
「でも、高田はそのことを覚えていないはずだ。周囲の人間によって、記憶を封印されたらしい」
「やけに詳しいね」
「当事者たちから聞いたからな」
まさか精霊の能力で、彼女の過去を覗いたことがあるとは言いにくい。
マオのことだ。
今からでもジギタリスの王子に会いに行くとか言いかねない。
「まあ、つまり、九十九くんの幻影を掻き消した時に、その場面と重なっちゃったんだろうね」
「ああ、そういうことか」
先ほどの幻影の消え方は、確かに「水鏡」で見た過去の状況に見えなくもなかった。
内側から膨らみ、弾け飛ぶ。
そう考えると、あの魔獣の頭も、大量の空気を送り込まれて内側から破裂させられたのだろう。
考えなくても、かなりグロい。
あの過去の映像を思い出し、思わず、私も頭が痛くなった。
「それよりも、ミオ。彼に状況説明しないといけなくない?」
「ああ、そうだな」
いきなり、この場に現れたということは、主人の変調に気付いたからだろう。
相変わらず、献身的を通り越して、執着を感じるほどの反応の良さである。
しかも……。
「『栞』って呼んだよな?」
私はそこが気になってはいた。
「呼んでたね」
マオも妙に嬉しそうに反応する。
これまであの青年は、あの主人のことをずっと「高田」と呼び続けていたのに。
「何か、あった?」
「前よりずっと仲良くなったのは間違いないね。私は、魔法より、そっちが気になるな」
「相変わらず、恋バナ好きだな」
私は溜息を吐いた。
双子の姉であるマオは他人の恋愛ごとに対して、興味、関心が自分より遥かに高いのだ。
「姉には関係なかったし、妹は縁遠かったからね」
「お互い様だ」
「違いないね」
それでも、婚約者がいたことがあるマオと、本当にそんな物から離れている自分とでは、かなり違うのだろうけど。
「でも、まあ、九十九くんが明らかに自覚したみたいだね」
「これまで自覚がなかったことに本当に驚きだけどな」
あれだけ周囲には露骨で分かりやすい感情だったのに、当の本人は、本気で全く気付いていなかったのだから。
「無意識に想いを封印するのは、主従では珍しくないからね。ラスブールのような阿呆はそういないよ」
不意にマオの口から吐き出された聖騎士団長の名。
確かに、あの男は私の目から見ても、阿呆でしかなかった。
あの聖騎士団長は、魔法国家の第一王女を気に入った途端、公言し、周囲を牽制し、さらには邁進、いや爆進した。
文字通り、周囲を爆発させて進んでいったのだ。
当時の聖騎士団長ごと。
そして、それは、巻き込まれた私にとっても、マオにとっても、悪夢でしかない出来事であった。
「姉貴は、無事かな?」
「流石にもう食われているとは思うよ。我慢できる男なら、あんな苦労はしなくて済んだはずだから」
その言葉では、マオが知っていた時点ではまだ食われていなかったと思われる。
「王配候補じゃなければとっくに去勢したんだがな」
「ホントにね。溢れる才能の無駄遣い、いや、ある意味有効活用?」
確かに、結果として、魔法国家の第一王女の婚約者にまでなったのだから、見事な才能ではあったのだろう。
周囲を巻き込まなければ、尊敬もできたと思うが、私からすれば、ただの加害者でしかないのだ。
だから……。
「高田が、九十九のアレを許せて、さらに傍に置き続けるって凄いよな」
「まあ、もともと、憎からず思っていただろうからね。人間界で言う、雨降って地固まるってやつじゃないの? ラスブールと違って、彼には血の雨も降らなかったようだし」
その「血の雨」の直接的な原因となった人間は悪びれもなくけろりとした声で言った。
いや、うん。
あれはあれで、心に傷を負ってもおかしくはない出来事ではあったのだが。
「でも、ミオはそれで良いの?」
「何が?」
「可愛い後輩を取られちゃうよ?」
そう言って、マオは笑う。
どこまで本気で言っているのか分からないけれど、楽しまれているのはよく分かった。
「可愛い後輩だから良いんだよ」
私は素直にそう言うのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




