同情の余地はない
「ところで、兄様」
一通り、後処理を含めた仕事をした後で、妹が俺を向いた。
「あの『ゆめ』はこれから、どうなるの?」
それは、ずっと気になっていたことだったのだろう。
いつもはあまり俺と目を合わせようとしないのに、まっすぐこちらに目を向けていた。
それは、この妹にしては本当に珍しい行動だった。
あの日以来、俺たちの間には暗くて深い溝しかなかったのだから。
「あの『ゆめ』に限らず、全ての『ゆめ』から薬を抜く。恐らくは、その苦痛に耐えられない者もでてくるだろう。その結果、自死を選べば、それまでだな」
この世界の人間たちは薬物耐性は高くない。
その上、頼みの綱となるはずの「解毒魔法」や「中和魔法」などは、今回のように長期間に亘る薬物投与にはほとんど効果が見込めないのだ。
だから、人間界で言う「薬物依存症更正施設」のようなものに入れるしかないのだが、医学的な専門知識がないこの世界では、単純に縛り付けて隔離することぐらいしかできない。
まあ、聖堂にある懲罰房、もとい、「悔恨の間」も似たようなものだが。
薬物を投与された量や期間を考えれば、多少頑丈な紐で身動きできないぐらいに縛り付けたところで簡単に乗り越えられるものではないだろう。
依存性の強い薬を抜く過程で、魔力を暴走させて肉体ごと自壊したり、これまでのことを省みて精神を壊したりする者の方が多い可能性もある。
だが、薬を乗り越えて生きる方が平均的に寿命は長くなる。
それならば、今後の使い道もあるだろう。
それでも、一度、生きたまま地獄を知った人間が、光のある世界に復帰できるかは分からないというのが正直なところだった。
何より、この2,3年ほど、あの「ゆめ屋」を管理していたのは、俺の国でも高位の位置にいる救いようのない「変態野郎」が中心だったと記録されている。
しかもその変態は、厄介なことにある時期から黒髪で魔力が強い細身の人間に固執していたことを俺は知っている。
完全にあの男の好みに一致していなくても、その条件に近しい人間を見れば、多少なりとも、食指を動かされた可能性は高い。
ただでさえ「お仕置き部屋」と呼ばれる悪趣味な場所が存在していた「ゆめ屋」に、僅かでも救いがあったとは到底思えなかった。
だが、その点において、気の毒だと憐れみはするが、逆に言えば、それぐらいの感情しか湧かない。
救いの手を差し伸べるほどの情は俺にないし、何より、あの「ゆめ」も、それなりの手を汚して生きていることは知っていた。
この世界から抜け出すためにあらゆる手を尽くすと言えば、確かに聞こえは良いかもしれない。
だが、それが関係のない他者を踏み躙り、騙し、陥れ、脅し、挙句に殺すとなれば、話は別だろう。
特に己の欲望のためだけに手を汚す方法をとることを嫌う人種には、反吐が出るほどの存在に違いない。
もともと、あの黒髪の護衛には、別の「ゆめ」が宛がわれる予定だったのだ。
だが、それを知ったあの「ゆめ」が無理矢理、割り込んできたらしい。
どんな事情があっても、自分の客になる男を横取りされることを「ゆめ」は喜ばないし、当然ながら、承知もしない。
その分、自分の稼ぎが減るのだから。
だから、本来、相手となる予定だった「ゆめ」は毅然と断ったのだ。
だが、あの男に執着していた「ゆめ」がそこで納得するはずもない。
その「ゆめ」に選手交代を拒否された後は、迷いもなく自ら手を汚す。
そして、いかにも自分を指名したと言わんばかりに成り代わって、あの男への元へ乗り込んだそうだ。
その一連の行動は、あまりにも手慣れ過ぎて、初犯かどうか疑わしくもあったが、過去の経歴にそんなものはなかった。
少なくとも、この「ゆめの郷」に来てからは、客からの指名はなく、ほぼ「お茶挽き」の状態だったと報告にはあった。
自分の願望のために、他者を手にかけることも迷わない女。
その時点で同情の余地があるはずもない。
寧ろ、その下種っぷりには、蹴落としたくなるぐらいだった。
だから、そこまでした想い人を相手に、一度目は拒否されたのも、「様を見ろ」としか言葉もない。
そして、さらに二度目のご指名割り込みまで、気付かなかった俺も悪いとは思う。
だが、全ての事情を把握するまでに時間がかかってしまったのだ。
俺が気にすべき人間はあの「ゆめ」だけではない。
さらに、俺には、管理人を名乗っている人間たちに気付かれないように陰で動くという面倒な縛りもあったのだ。
だから、1人の「ゆめ」がいなくなったことなど、すぐには気付けなかった。
それだけ「ゆめ」同士がその身を賭けた見苦しい諍いなど、ここでは珍しくもないことでもあったのだ。
そして、お互いに隠したいことも多かった「ゆめ」たちは、誤魔化し合い、庇い合い続けていたことも、すぐに露見しなかった要因ではあるのだが、それはただの言い訳でしかない。
近くにヒントがありながら、気付けなかった事実に変わりはないのだから。
つくづく、この「ゆめの郷」は救えない場所だった。
それぞれが呆れるぐらい自分のことしか考えていない世界。
いや、それが魔界の縮図といえば、間違ってもいないのだが。
妹は、「ゆめの郷」の闇は理解しているだろうが、そこで働く「ゆめ」たちの後ろ暗い部分までは知らない。
できるだけ隠して、遠ざけたかったというのはある。
だから、俺があの「ゆめ」にどこか厳しいのも、別の理由からだと思っているだろう。
そして、その点においても否定する気はない。
あの「ゆめ」は、俺の「お気に入りたち」に手を出しやがった。
それだけでも、許しがたい。
ただの借金苦の分際で、自分にとって都合が良いだけの夢を見たまでなら許せたが、その夢を叶えるための行動に出るなら容赦する必要も感じなかった。
出自や境遇?
そんなこと知るか。
そこに至るまでに、自分で考えて生きてこなかった結果でしかない。
少なくとも、一度も前向きな選択肢がなかったとは言わせない。
生まれがそれなりに恵まれていたあの「ゆめ」は、あのまま、人間界で生きるという言う道もあったし、迷いもなく国を捨てた時点で、「ゆめ」になる以外の職業選択の自由だってあったはずだ。
人間界で多少の知識を得たはずだ。
だから、手に職を持つこと自体はできなくはなかったことだろう。
何よりも、魔力が強ければ、それなりに他者との交渉の余地はあるのだ。
末端とは言え、ユーチャリスの王族にあった。
確かに早々と父親は死に、母親も呆れるぐらい多額の借金を抱えた上で死んでしまったが、その身に流れる血は確かなものだった。
だから、婚約破棄をされた後なら、母と同じように貴族の妾となることも問題なくできたことだろう。
だが、それを選ばなかった。
そこにどんな理由があったのかまでは、俺は知らないし、知りたくもない。
そして、その結果が、この様だった。
人間界という異世界を知る機会があっても、この世界では世間知らずの女が、苦界にあって、周囲に騙されずに生きていくことなど、簡単にできるはずもない。
「この『ゆめの郷』は変わるかしら」
一度、堕ちたモノが這い上がるためには並の努力では足りない。
今まで、何も考えずに生きていた分、その反動はかなり大きいことだろう。
自分のために他者を犠牲にすることに迷いがないのは、上に立つ人間としては大事な素養ではあるが、自分を犠牲にして他者を救う生き方の方が周囲には圧倒的に好まれるし、繋がりも深まる。
そこにあるのは考え方の違い。
そして、その生き方をずっと観察し続けたはずの女は、この世界にあって、その根本を忘れてしまった。
いや、もともと、表面上しか見ていなかったのだろう。
その根元を理解しようとはしなかったのだ。
自分が犠牲になってもいつもと変わらず笑う少女。
あんな人間はそう多くない。
そして、あんな人間になろうとしても、真っ当な神経の人間には耐えられないだろう。
だから……。
「岩上先輩……」
そんな消え入りそうな声の妹の呟きは、何も聞こえなかったことにしたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




