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「私がこの手でやりたかったのに……」
拳を握りながらそう呟く妹の姿に呆れてしまう。
「アホか。元々、これは俺の仕事だった」
自分から勝手に首を突っ込んだ上、嫌な思いをするぐらいなら、始めから関わらなければ良かったのだ。
それを……。
「兄様がモタモタしてたからじゃない。とっととカタを付ければ良いのに、いつまでもグダグダと……」
そう文句を言われても、物事には順序というものがある。
「人一人の存在を消すのはそれだけ面倒なんだ」
面倒ごとにしたくなければ、その順番は守らなければならない。
単純な死体処理をするだけで済むのなら苦労はないが、今回は存在が大きすぎた。
「それで? あの女はどうするの? 『ゆめ』としてはもう使い物にならないわよ」
妹は、こちらの反応を窺いながら尋ねる。
確かにあの女は「ゆめ」としてはもう使えないだろう。
「ミオリーナが所属していた『ゆめ屋』の『ゆめ』はほとんどそんな感じだな。質の悪い薬物投与の頻度と量があまりにも多すぎる」
それでも、薬漬けの廃人一歩手前が多かったのは救いだったと言うべきか。
いや、命を落とさなかっただけで、人としてのいろいろなものは失くしてしまっている者が多すぎる。
逆に救わない方が良かったかもしれないと迷うぐらいには……。
「あの女から『ゆめ屋』には『お仕置き部屋』があるって聞いたけど……」
さらに妹が口にした言葉に……。
「…………」
思わず、言葉に詰まった。
あの場所は、我が国で言う「教育施設」だ。
同じ国の人間が管理している以上、発想が似てくるのは当然の仕様だろう。
ただ、我が国の場合は、「懲罰」以外の意味があって、この「ゆめの郷」の「お仕置き部屋」というのは、「懲罰」という名の下に、管理者たちのイカれた趣味嗜好を満たすためのものでしかないのだが。
「質の悪い『ゆめ屋』に所属したものね、九十九様の元恋人は……」
表向きはともかく、「ゆめ」にとって、質の良い「ゆめ屋」など、聞いたこともない。
この場所に限らず、「ゆめの郷」と呼ばれる領域は、結局のところ、客にとって都合が良い夢を見る場所でしかないのだから。
「珍しい、同情か?」
「そうね。知らない人間じゃなかったから」
そう呟いているこの妹が、複雑な心境でいる理由はよく分かる。
面識がなければ、流せたことも、知っている人間が対象ならば、多少、憐憫の情ぐらいは湧くだろう。
「あそこまで堕ちて、いい気味と思えない程度の情は残っていたみたいだわ」
嫌いな相手なら、「いい気味」だと思えたことだろう。
だが、そう思うには、妹はあの「ゆめ」に接点を持ちすぎていた。
それでも、まさか、こんな形で再会するなど、あの頃は、誰も思ってはいなかったはずだが。
「あのミオリーナだが、客は確かに初めてだったらしいぞ」
記録を見た限りでは、そうだった。
黒髪で小柄で、年相応に見えない女を好む男は少ないのだろう。
どうせ、同じ金額を出すのなら、初心者は、肉感的で抱き心地の良い女を選ぶ男の方が多いようだ。
尤も、その気持ちは分からなくはない。
抱くだけの存在に、中身は必要ないのだ。
「そう」
妹はどこかホッとしたように、短く答えた。
尤も、客をとったのが初めてであっても……。
「もし、事情を伝えていれば、九十九様は何かしらの反応をしたかしら?」
「さあな」
いろいろ複雑になったことだけは確かだ。
経験の少ない男はどうしても、女の過去を気にしてしまう。
少しでも好意を持ったことがある相手に、自分が踏み込む以前に別の手垢が付いていることを全く気にしないでいることは難しい。
「だが、仮に伝えるなら、あの男ではなく、主人に言うべきだな。そうすれば、俺も仕事が楽に済んだ」
あのどこまでも、お人好しな黒髪の女を思い出す。
あの女は、相手の都合など考えない。
「ゆめ」に堕ちた人間のほとんどが、自活できず、借金に塗れた結果だと分かっていても、それと関係ないと思われる理不尽な暴力に対しては、怒りをまき散らす。
その対象が苦手な女であっても。
憎々しく思うような相手でも。
自分の大事なものを奪おうとするようなヤツでも。
それでも、怒りたい時は遠慮なく怒る本当に勝手な女なのだ。
「仕事、ねえ」
妹はどこか嘲笑うような声で呟く。
女として、許せないことを多々見せられたからだろう。
だが、あの国では珍しくもない話だ。
「いっそ、アリッサムのように全てを消し去った方が良かったんじゃないの?」
そんな言葉に、この場所に対する怒りが集約されているような気がした。
「この『ゆめの郷』に関しては、各国が関わっているため、それも容易ではない」
この「ゆめの郷」は我が国の資金源の一つに過ぎないが、表向きは、この大陸の全ての国が関わっている国家共同運営の遊郭領域でもある。
面倒だからと消し去る理由はない。
自浄作用がないからこそ、浄化の意味はあるのだ。
「ああ、そこで繋がるのか」
妹は呟く。
「そうなると、カルセオラリアの王子の一人勝ちって話ね」
どこまでも諦めの悪い国の王子を思い出す。
自国のことは国王に全て任せて、気にすることもないくせに、他国との連携を気にかける不思議な王子。
確かに、あの男は一国の王子としては頼りないが、問題解決のために周囲の助けを借りることに躊躇はない。
「連れてきた人間が良かったな」
傍から見れば、ついでにしか見えない話。
だが、本来、「ゆめの郷」を集団で長居する理由はあまりない。
ましてや、連れに異性がいるのだ。
普通なら、目的だったことをヤり終わったのだから、立ち去るべき状況なのにも関わらず、あの男たちはすぐに離れようとしなかった。
高級な宿泊施設に連泊するような、金払いの良い客を追い出すようなヤツは商売人ではない。
そこには、明確な意図が隠されている。
「特に、護衛兄と長耳族の働きは、俺も助かった」
「あら、認めるの?」
「欲しかった件の詳細資料をきっちりと揃えた上で、無言のまま自分の机上に置かれてみろ。ありがたく受け取る以外の選択肢があると思うか?」
寧ろ、ゾッとした。
まるで、自分の全てを読まれた感がして、その書類を一度は放り投げたくなったぐらいに。
いや、恐らくは読まれたのだろう。
確かにあの長耳族に対して、「俺の目的の邪魔をするな」と言いはしたが、まさか、逆に協力するとは思ってもいなかった。
「……流石、九十九様のお兄様」
妹のその言葉はどういう意味で言ったのかは分からない。
だが、弟と主人との間にあったゴタゴタを完全に無視した上で、行動したことはどう評価すべきか。
そして、相手にも利があった以上、素直に「借り一つ」とは言い難いから、判断に迷うところだった。
「ああ。『ソウ』の後始末も終わったぞ」
正直、それが一番手間取った。
「兄様は、それで良かったの?」
「不要だからな。生かしておけば、あの男は必ず、邪魔になる」
少なくとも、この先の俺の道には邪魔にしかならない。
今以上に大きな存在になる前に始末する必要はあったのだ。
だが、思いの外、未練が大きかったのだろう。
そのために、予想以上の抵抗があったことは否定しない。
「『ソウ』を消したこと。いつの日か兄様は後悔するでしょうね」
この妹は、毎度、俺に対して、嫌な予言をしやがる。
だが、並び立ち、共存できない時点で、そのままでいるのは無理がある話だった。
その上、あの黒髪の女の心を少しでも揺らしやがったことが許せない。
我ながら狭量だとは思うが、そんな存在をいつまでも生かしておく理由はなかった。
「後悔はない」
そう自分に言い聞かせている時点で無駄なことだと分かってはいる。
そして、それは妹にも伝わっているのだろう。
何も言わず、嫌な笑みを浮かべて俺を見ているのだった。
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