ゆめの裏側で
「私がこの手でやりたかったのに……」
思わず、拳を握りながらそう呟いた。
九十九様はあの女によって苦しく苦い思いをさせられた上、結果として、主人への想いを強く自覚することになったのだ。
本当にあの女、余計なことしかしやがらない。
確かに、人間界にいた頃は、九十九様の恋人だった時期もあるかもしれない。
だが、その期間も長いとは言えず、その関係としても、恋人と呼べるかどうかも謎なものだったとも聞いている。
「アホか」
だが、そんな私の無念すら、兄は一言で斬って捨てる。
「元々、これは俺の仕事だった」
「兄様がモタモタしてたからじゃない」
本を正せば、自分がここに来るきっかけとなったのは、この男のせいだった。
わざわざ「俺の仕事」と偉そうに言うくらいなら、巻き込まないで欲しい。
九十九様の姿を見ることができた上に、会話もできたことについては素直に喜びたいが、あの「ゆめ」と出会ってしまったことについては、腹立たしいとしか言いようもなかった。
「とっととカタを付ければ良いのに、いつまでもグダグダと」
それがなければもっと早くいろいろと終わったはずだ。
「人一人の存在を消すのはそれだけ面倒なんだ」
それは兄が無駄に拘るからだろう。
基本は大雑把なのに、妙なところで几帳面な部分が仇になっている気がする。
まあ、余計な仕事を増やすのが趣味だと言うのなら、自分に害が無い限りは放っておくけど。
「それで……? あの女はどうするの? 『ゆめ』としてはもう使い物にならないわよ」
「ミオリーナが所属していた『ゆめ屋』の『ゆめ』はほとんどそんな感じだな。質の悪い薬物投与の頻度と量があまりにも多すぎる」
「あの女から『ゆめ屋』には『お仕置き部屋』があるって聞いたけど」
「…………」
兄が言葉に詰まった。
その反応から、まあ、碌な部屋ではないのだろう。
名前からして「折檻部屋」だと思われる。
大量に薬物投与をされた上、そんな行いを受け、正気でいられる方が奇跡だ。
だから、あの「ゆめ」は我を失って、元の目的を忘れるぐらい、九十九様に縋ったのだろうけど。
「質の悪い『ゆめ屋』に所属したものね、九十九様の元恋人は……」
質が悪いと言うより、運が悪いとしか言いようはないのだけど……。
自分の生まれた国で身体を売る人間になりたくなくて、他大陸に渡る行動力は魔界人としてもかなり凄いと思う。
だが、あの「ゆめ」は、選んだ場所が悪すぎた。
あの「ゆめ」が来る前には、既に腐敗と荒廃が進み、この「ゆめの郷」は整然と管理されていた昔ほどの場所ではなくなっていたのだ。
管理者を名乗る人間たちが教育と称して、「女」も「男」も関係なく乱暴するのは序の口だとは聞いている。
異性はともかく、同性にまでそんな気を起こす管理者もどうかと思うけど。
見た目は、巡回警備が常時見回り、治安はそこまで悪くないように見える。
だが、その実、ここに縛り付けられている「ゆめ」や「ゆな」の扱いは奴隷、いや、物以下となっていた。
確かに労働の対価として一時的に高額の賃金は渡されているらしいが、管理費の名の下に巻き上げられ、借金を返すには至らない。
さらには逃げ出さないように、暴力と薬物で身も心も支配、束縛されているのが現状だ。
夜も眠らないこの「ゆめの郷」は、華やかな街並みの裏側で、一度、堕ちたら二度と戻れない闇が広がっていた。
「珍しい、同情か?」
「そうね。知らない人間じゃなかったから」
九十九様の元恋人……。
あの「ゆめ」のことは、その関係を知る前から知っていた。
「あそこまで堕ちて、いい気味と思えない程度の情は残っていたみたいだわ」
だから、私が手を下したかった。
道を誤ったあの「ゆめ」の始末。
その先に救いはないと知っていても、このまま放置をしたくもなかったのだ。
「あのミオリーナだが、客は確かに初めてだったらしいぞ」
「そう」
それだけが救いか?
いや、そんなもの救いにもならない。
結局、その客は別の人間を深く強く想っていて、あの「ゆめ」を救う意思など一切、なかったのだから。
「もし、事情を伝えていれば、九十九様は何かしらの反応をしたかしら?」
既に起こってしまった現状で、「もしも」の話などしたくもないけど、そんなありもしないことを考えてみる。
だが、あの「ゆめ」に、ある程度の矜持があれば、そんなことを伝えるはずもない。
想い人に再会する前に、既に自分自身が女性として、胸を張れるような状態になかったことなど、その相手への思い入れが深いほど、語れるはずもない。
「さあな」
兄はそっけなく答えた。
「だが、仮に伝えるなら、あの男ではなく、主人に言うべきだな。そうすれば、俺も仕事が楽に済んだ」
あのかなりお人好しとも言える黒髪の女を思い出す。
ああ、確かに、「ゆめ」たちを救いたいと思うなら、同じ女であるあの黒髪の女に言う方が伝わりやすい。
怒りの矛先も分かりやすく、単純なものだったことだろう。
そして、今のあの黒髪の女なら、周囲が止めても、「管理人」たちもろとも、「ゆめ屋」を壊滅させる程度の働きはしてくれる気がした。
ここに張られている結界は、我が国と同じで、負の感情ほど、強く作用するようになっているみたいだから。
「仕事、ねえ……」
今回の兄は完全に、裏方仕事だった。
ここの管理責任者だった人間が、3年ほど前にいなくなり、いきなり、国から押し付けられたのだ。
これまで好き勝手にここを管理していた人間たちより、「もう収拾がつかないから、お前がなんとかしろ」と。
調べてみて兄も愕然としただろう。
少なくとも、私は報告書を何度見直したか分からない。
勝手な男どもの享楽と淫蕩の果てに残されたのは、廃人に近い「ゆめ」や「ゆな」しかいなかったのだから。
「いっそ、アリッサムのように全てを消し去った方が良かったんじゃないの?」
証拠隠滅的な意味も含めて、その方が気分的に楽だった。
「この『ゆめの郷』に関しては、各国が関わっているため、それも容易ではない」
「ああ、そこで繋がるのか」
この「ゆめの郷」は、我が国の資金源の一つであり、同時に、この大陸の全ての国が関わっている国家共同運営の遊郭領域でもある。
「そうなると、カルセオラリアの王子の一人勝ちって話ね」
この「ゆめの郷」が荒れ果てたという話を聞いた時、各国の人間たちがこぞって、問題解決に乗り出したが、管理者たちは巧妙に隠匿したのだ。
まあ、つまり、悪事の尻尾を掴ませなかったのである。
王族やそれに連なる人間が来れば、誰だって警戒する。
当事者自身に自覚は薄いが、体内魔気の質が違うのだ。
隠していても、それと分かってしまう。
ほとんどの国は詳細を知ることを諦め、自国に明確な被害が無い間は黙認するとばかりに手を引いたが、カルセオラリアの第二王子ははっきり言って、しつこかった。
あまりの執拗さに、管理者たちからその命を狙われるほどに。
「王子殿下が連れてきた人間が良かったな。特に、護衛兄と長耳族の働きは、俺も助かった」
「あら、認めるの?」
「欲しかった件の詳細資料をきっちりと揃えた上で、無言のまま自分の机上に置かれてみろ。ありがたく、黙って受け取る以外の選択肢があると思うか?」
「……流石、九十九様のお兄様」
勿論、兄の言葉の端々に、「あの人は何者だ? 」と、いろいろ突っ込みたくなる部分はある。
だが、それ以上の深入りをしてはならない。
明日は我が身となりかねないのだ。
誰だって気に食わなくても、敵に回したくない人間はいる。
私は、そう結論付けたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




