傷ついたのは?
目の前にいる金髪の女性はこの「ゆめの郷」の「管理者」を名乗った。
その言葉が意味するものは……。
そして、同時に、今更ながら、自分の置かれている状況を理解する。
両手首には紐が、いや、手首だけではなく両足首と、首、胴にも紐が巻かれていて身動きが取れない状態にあったのだ。
『随分、頭も鈍っているようね。そんな状態だと言うのに、気付くのがあまりにも遅すぎるわ』
何か言っているけど、その声は聞こえない。
このままでは、私は、また……。
金髪の女性が歪み、視界が上から黒くなっていく。
『でも、悪いけど、気絶はさせないわよ。精々、苦しみ足掻いて見せなさい』
そう言いながら、彼女は、私の意識を無理矢理覚醒させる。
何故、このまま、楽にしてくれないのか?
『この状態では、ここに私が連れてきたことも覚えてないようだし……』
そう言いながら、面倒くさそうに、私に目線を合わせる。
『私が見える? 声が聞こえる?』
その指示に対して頷こうとするが、首にまで紐が巻かれているため、下手に動かせなかった。
少し考えて、彼女は質問を変える。
『先ほどのように、声は出る?』
「で、出る」
だけど、私の口から出てきた声は酷くしわがれており、まるで老婆のようだった。
薬が切れてしまったようだ。
『これは……』
明らかに怪訝な顔。
私だって、好きでこんな身体になったわけではない。
ここで、生きるためには仕方なかったのだ。
『思っていた以上に、厄介な状況ね。これも、立派に管理不行き届きな案件だわ』
苦々しそうに彼女は歯噛みをした。
『悔しいけど、兄様の勘が当たってたってわけか。レオーネが離れた3年で随分、この場所も荒れたもんだわ』
何やらぶつぶつと言っているけど、よく聞き取れない。
『でも、罪は罪だから、それを償わせるところから始めないといけないわね』
ほとんどの言葉は聞き取れなくても、妙にはっきりと聞き取れてしまった言葉がある。
彼女は「償わせる」と言った。
それは、つまり……。
「ま、また、お仕置き、部屋行き、ですか?」
ただでさえしわがれている声が、恐怖で途切れがちになってしまう。
『お仕置き部屋?』
だが、何故か彼女はきょとんとする。
この方は、管理者なのに、「お仕置き部屋」を知らないのか?
『なるほどね』
だが、すぐに表情を戻す。
やはり、知っているようだ。
『そんな所には入れないわ。意味がないもの』
意味ならある。
私たち「ゆめ」や「ゆな」はそうやって管理されているのだ。
聞き分けがなかったり、規則を破ったりするような、「ゆめ」や「ゆな」は「お仕置き部屋」と呼ばれる部屋に閉じ込められ、そこでまともに食事を与えられず、いつもと違う薬を投与された上で、長時間に亘る罰を受けることになる。
男である「ゆな」がどんな罰を受けているかは分からないけれど、女である「ゆめ」は、特に外見が良いほど、「管理者」と呼ばれる人たちから凄惨な目に遭わされると聞いている。
それなのに、気が狂うことも、死を選ぶことも許されない。
だから、私たち「ゆめ」は従順に振舞いつつも、どんな手を使ってでも、この場所から逃げ出したいのだ。
一番、真っ当なのは、借金を完済すること。
だが、普通にやっていては、生活費の消費でさらなる借金を抱えることもある。
次に、客から借金の肩代わりをしてもらうこと。
この「ゆめの郷」では、このケースが一番、多い。
この場所が、各国の協力と補助があるためか、それなりにお金を持った人たちが多く集まってくれるのだ。
だから、気に入られれば、借金を完済できる上、妾として可愛がってもらえる可能性はある。
人間界の遊郭のように身請け時に、華々しい宴を催さず、「ゆめ」や「ゆな」の借金以上に支払わせない分、良心的ではある。
他には、借金を返さずに逃げ出すこと。
これは成功率がかなり低く、さらには、捕まれば、そのまま「お仕置き部屋」に行くこととなる。
そして、死なない程度に長時間虐げられ、さらには借金が増額されると聞いていた。
そして、「ゆめ」たちが一発逆転を狙うのは、「妊娠」である。
孕んでいる間の「ゆめ」に、価値はほとんどない。
そして、孕ませた相手に責任を取ってもらう意味で、無理矢理、借金を支払わせるという荒業だ。
人間界では分からない父親も、この世界なら、体内魔気で判別が可能だからできることである。
だから、ほとんどの「ゆめ」たちは避妊をしない。
この世界にはその避妊の正しい知識がほとんどないから、「ゆめ」の嘘に騙される男も多いのだ。
私もそれを狙ったが、無理だった。
彼の魔気は少しの間だけ、私の中に留まっていたが、残念ながら、たった数日で完全に消えてしまったのだ。
妊娠可能な時期でなかったこともあるだろう。
だが、この世界の人間なら、中に留まる時間が長いこともあるらしい。
その可能性に賭けたのだ。
それでも、駄目だったから、私は、あの主人に会いに行ったのだけど。
『ところで、貴女は自分が何の罪で囚われているかは理解している?』
「『管理者』の意思に逆らったことです」
『「管理者」の意思とは具体的に?』
「『お客様』を満足させられませんでした」
『……そう』
なんだろう?
空気が冷えた気がする。
でも、それ以外に心当たりはない。
私は規則内で動いていたはずなのに……。
『貴女、ここに来て何年?』
「もうすぐ3年です」
『そう。運が悪かったわね』
運が悪い?
確かに、その自覚はあるけど、なんで、この人は今更、そんなことを言うのだろう。
『貴女の罪はいろいろあるけど、分かりやすい罪は、客を意図的に傷つけようとしたことね』
「『お客様』を、傷つけた?」
彼のことを傷つけた覚えはない。
それに、傷ついたのは、私の方なのに?
『自分の相手ではなくても、ここの住人以外は皆、客だということは理解しているかしら?』
「そんなことは……。『お客様』はご指名をしてくれた人のことでしょう?」
『そこの知識がないから、そんなに阿呆なのね』
何故か、溜息を吐かれた。
私が間違っている?
でも、管理をしている人はそう言っていた。
「ここに来て、金を落とす人間以外は、冷やかしだから、ないがしろにして良いと聞いています」
『ないがしろ』
何故か、金髪の女性は考え込む。
『貴女は、人間界にいたことがあるわよね?』
「何故、それを……?」
そのことは、国の人間くらいしか知らないし、国の人間はここを利用しない。
シルヴァーレン大陸、ユーチャリスにもセントポーリアにも、ここほど大規模ではなくても、「ゆめの郷」はあるのだから。
『貴女が暮らしていた人間界では、お金を出して施設を利用する人を「お客様」とは言わなかった? ホテルでも、レストランでも、スーパーでも』
「それは……」
確かに金銭を支払えば、それは「客」と呼ばれる存在だ。
でも……。
『「ゆめの郷」の「客」とはここにいる「利用者」の全て。ましてや、九十九様やそのお連れ様も金払いも剛毅な「上客」なの。どんなに忌々しくてもね』
先ほどから時折、漏れ聞こえてくる言葉は、どう考えても彼の主人に好意的ではないのに、何故か、この女性はどこかであの主人のことを認めている気もする。
「貴女は一体……?」
そんな疑問が口を衝く。
『「管理者」の一人だって言ってるでしょう? いずれにしても、貴女の置かれた境遇に同情はしても、犯した罪の数々は看過できない』
「お、『お仕置き部屋』行きですか!?」
それだけは嫌だ。
あんな……。
『そんな生温い罰を与えると思って? 大体、九十九様に手を出した時点で万死に値すると言うのに!!』
何故か、金髪の女性は激高した。
『落ち着け、ミラ』
だが、別の所から声が聞こえる。
『はあ!? 今、出てくんじゃないわよ!! お呼びじゃないっての!!』
『お前に任せた俺が馬鹿だったことが分かった』
熱くなっている金髪の女性に対して、どこか冷えた声。
『後始末に手間取った俺が悪いが、ここから先は、俺の領分だ』
そう言いながら、現れたのは鮮やかな紅い髪の、凍り付くような薄紫色の瞳をした死神……だった。
『もう良い夢を見られると思うなよ、ミオリーナ=ガジル=シズイセン』
紅い髪の死神は、誰も知らないはずの私の魔名を口にする。
そして、私は、死ぬことも許されない苦痛しかない闇へ囚われる。
ああ、今までいた場所がずっと地獄だと思っていたのだけど、それでも夢を見ることができただけ幸せだったのだと、私は思い知ることになったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




