回りくどくて面倒くさい
「いててて……」
全身が痛い。
特に痛いのは頭だった。
情け容赦なく叩きつけられたらしい。
だが、床ならともかく勢いよく天井に叩きつけられるとは、しかも耐性の高い風属性の魔気で。
『一体、何を考えたの? うっかり止める間もなく、「魔気の護り」が発動しちゃったじゃないか』
聞きなれた声。
そして、身体を起こして長椅子に座って笑う黒髪の女。
でも、そこにある確かな違和感。
「『分身体』の方か……」
『当たり。よく分かるね。身体は当然ながら、顔も口調も同じなのに』
「外見と喋り方が一緒でも、気配が違うんだよ」
『気配か~。こればかりは自分じゃ分からないから、仕方ないね』
そう言って、「分身体」は笑った。
確かに自分の体内魔気の知覚は案外難しい。
自分の体内を魔力が動く感覚はよく分かるのに、自身の体外にどれだけの魔気が放出されているのかは知らない人間の方が多いだろう。
別の所にある自分の所有物に印付けされた気配はよく分かるんだけどな。
「今度は何の用だ?」
『ん~、そろそろ、お別れの時かなと思ってご挨拶をしに出てきた』
「お別れ?」
意外な言葉に聞き返す。
『ワタシが表に出てくるのって、なんか条件があるみたいなんだよね』
「条件?」
やはり何らかの条件があるのか。
しかし、この様子では、当人もはっきりと掴みかねているようだ。
『うん。多分、栞の精神状態が不安定なことが一番の条件っぽい』
確かに、「分身体」が栞の身体を使う時は、かなり魔気が揺らぎ、当人自身も落ち着いていなかった時、のような気はしていた。
『だから、栞が安定した今、ワタシは出てこれなくなるんじゃないかな』
「今、出てきてるじゃねえか」
言っている意味が分からない。
栞の精神も体内魔気も、分かりやすく安定した。
「分身体」の言葉が本当なら、この時点で出てくることは出来ないはずではないか?
『これは栞の意識がないからだね』
「意識がない? 寝ているからってことか?」
『違う違う。眠ったように見えるけど、これは意識が極度の疲労で吹っ飛んでる状態』
「極度の……疲労……?」
どういうことだ?
『「人間」の身体に、魔法の行使は難しいってことだよ。それでも、元が規格外だから普段は気付かれないだろうけどね。だけど、普段、気を張っている分、安心する場所だと、肉体が休息をとりたがるの』
「魔法の行使は、栞の身体に負担になるのか?」
それなら、あまり使わせない方が良いのか?
『いいや。栞の場合、単にまだ慣れてないだけだと思うよ。幼女の頃にアレだけツクモを吹っ飛ばしているような女が、本当に負担があると思う?』
「思わん」
何も考えずに言葉が出ていた。
そして、自分の幼い頃を「幼女」と言うのはどうかと思う。
『身体に負担っていうより、肉体も精神も魔法の使い方を忘れている状態だから、まだうまくできない、緊張している部分はあるんじゃないかな。シオリと栞では使い方が明らかに違うから』
「違う?」
同じ、人間なのに?
『シオリは間違いなく魔界人の使い方だよ。無駄な出力を含めてね。でも、栞の使い方は何だろう? 何か、変?』
「変?」
栞の魔法が、魔界人と違うことは誰の目にも分かる。
だけど、その使い方が「変」とは一体……?
『でも、感覚的なものだから、自分でもよく分からないのだけど……』
「そうか」
魔法国家の王女たちなら、何か分かるのだろうか?
『どんな状況でも、気が抜けた時に電池切れのように意識が飛んでいる気がするんだよ。それを栞がどう思っているかは分からない』
ああ、それはオレも何度か見たことがある。
糸が切れるかのようにプツリと身体が崩れ落ちるのだ。
『でも、この「ゆめの郷」に来てから、その時に、頭の中に黒い穴のようなものが視えるようになって、それに向かって、手を伸ばしたら表に出て来れる、ような?』
首を捻りながら、「分身体」はそう言った。
自分でも、理屈も理由が分からないことらしい。
しかし、頭の中に穴が視える?
オレに分かりやすく伝えるための表現だとは思うけど、何かの病気みたいであまりいい気分はしないな。
でも、「ゆめの郷」に来てからってことは、例の精神を揺さぶる結界も作用しているのか?
これだけの情報ではよく分からんな。
「寝ている時は?」
『これまでに視えたことはなかったよ。ワタシも眠いし』
確かにこの「分身体」の本来の姿が「身体の記憶」と言うのなら、栞本体が眠れば、身体も眠るだろう。
「でも、この『ゆめの郷』に来て、精神的に不安定だったことが多いせいか、眠っている時にも穴が現れていた気はする』
「悪かったよ」
その精神的に不安定となってしまった原因の大半はオレだからな。
オレが謝ると、「分身体」は苦笑する。
『いや、おかげでいろいろ楽しかったよ。ワタシが表に出られるとは思ってもいなかったからね。知らなかった経験もいっぱいできた。ずっと、テレビを見ているような風景に触れることができて、そして……』
「分身体」はそう言いながら、オレに手を伸ばす。
そして、オレの右手を自分の左頬に当てながら……。
『こんな風に、画面越しでは分からなかった、ツクモの温かさを知ることもできた』
そう言いながら、「分身体」は微笑む。
その言葉と表情に思わず息を呑んでしまった。
中身が違っても、好きな女の身体と声、さらに同じ表情をしている相手に少しも揺らがない男がいるか?
「また会えるさ」
だから、思わずそんなことを口にしていた。
『会うことは出来るんだよ。でも、こんな風に触れることはもう……』
そう言いながら、名残惜しそうに頬を擦り付ける。
「じゃあ、もっと堪能しとけ」
『うわっ!?』
そう言って、オレは「分身体」を抱き締める。
『出血大サービスってやつだね』
「いや、出血すんなよ」
大体、どこから血を流す気だ?
『いや、かっこいい男の子から抱き締められたら、初心な女の子は鼻血が出てしまうものらしいよ?』
「どこの世界の話だ?」
いろいろ突っ込みどころが多すぎる。
『栞の読んだ少女漫画にあった』
「お前も影響され過ぎだ」
なんだかんだ言っても、結局、この「分身体」は「高田栞」の一部なんだな。
『ああ、これが「名残惜しい」という感情なのか』
オレの腕の中で、「分身体」がそう呟いた。
『ツクモは、ワタシと栞なら、迷わず栞を選ぶよね?』
「当然だな」
『そこは少しぐらい迷ってよ』
顔を見なくても、その口調で、頬を膨らませている気がした。
「仕方ねえだろ。オレは栞だから、誓ったんだ」
『ああ、「護魂の宣誓」だね』
「知っていやがったか」
『栞と違って、ワタシは、魔界の知識もあるからね』
オレが誓ったのは、「魂までも護る」だった。
この宣誓は、数ある「護りの誓い」の中でも最も重いものだ。
『どうせなら、『結魂の宣誓』にしておけば良かったのに』
「それは、婚儀の時にする宣誓じゃなかったか?」
そして、それはオレに誓えない。
『いやいや、「月が綺麗」って回りくどいことを言って、誤魔化すよりは確実に伝わると思うけど?』
「ぐっ!?」
ちょっと待て?
この「分身体」がそれを知っているってことは……。
「まさか、栞もその逸話を知っているのか?」
『こう見えて、雑学好きなのよ? わたし。でも、そっか~、ツクモは知った上であの言葉を言ったのか』
「その割に、滅茶苦茶普通だったが?」
だから、知らないと思っていたのだが……。
『ああ、そうだね。普通、うん、普通の反応だったね』
何故か「分身体」はニヤニヤと意味深な笑いを浮かべた。
「なんだよ?」
それって脈無しってことか?
まあ、今更、脈があるなんて思ってもいなかったけど。
『人間って本当に回りくどくて面倒くさいと思ってね』
「悪かったな」
妙に良い笑顔でそう返された。
『でも、そこが退屈しない』
そう言いながら、「分身体」が顔を上げる気配がしたから、なんとなく見た。
黒く大きな瞳と桜色の唇が目に入る。
『ツクモ……』
可愛らしい唇がゆっくり動いて……。
『ワタシに名前をくれてありがとう』
顎にキスされた。
だが……。
『届かなかった……』
どこか不満そうに呟く声。
「いや、どこにする気だったんだ?」
顎に柔らかい感触が残っている。
『唇だね』
「お前、栞の身体でなんてことを……」
その顎に触れたいような、そのままにしておきたいようなそんな不思議な気分だった。
『え~、嬉しくない?』
「正直言うと、嬉しい。でも、これは違う気がする」
『仕方ないよ。身体は同じだから。完全分離は今の栞では、かなり難しいみたいだからね』
そう言って、顔を引き寄せられ、改めて唇を重ねられる。
『だから、許して』
そう言って、「分身体」は笑った。
それが最後。
そのまま、栞は崩れ落ち、オレは抱き止める。
「……またな」
それでも、これで終わりとは思えなかった。
いつか、どこかで、また会える……。
そんな気がしたのだ。
そのオレの勘は、遠い未来で当たることになる。
それも、かなり絶望的な状況で。
暗い闇の中で、オレは、彼女に再会させられることになるのだった。
この話で、58章は終わります。
次話から第59章「この手に残ったもの」。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




