更なる高みへ
「高台だから、もっと一望できると思っていたんだけど……、結構、見えないもんだね」
「夜だからな。昼ならもっと見えてただろ?」
「見えてたと思うけど……、夜は全然、違うんだね」
標高にして20メートルを超える程度だが、昼はこのガードレールの間からも、坂の下にある町並みがよく見える。
だが、今は真っ暗で、木々の間に防犯灯などの街灯の明かりが数える程度しか見えなかった。
そもそも、ここは夜に来るような場所ではないのだ。
「校舎の屋上でも行くか? ここよりは見えるかもしれないぞ?」
九十九が、そう提案する。
わたしたちは、今、通い慣れた中学校の校門に来ていた。
「どうやって? 校舎は不法侵入すると警備の人が来ちゃうよ」
「防犯設備は校門、裏門、玄関各所、職員室、それとPC教室ぐらいみたいだぞ」
わたしの言葉にけろりとした顔で、とんでもない返答する九十九。
「な、なんで分かるの!?」
「見えるから」
「おおう」
見えてしまうのか。
「でも……、この門にも設備があるんだね。玄関とかは知ってたけど」
「入り口に護りを付けるのは基本だろ?」
「で、どうやって屋上まで行くの?」
「こうやって」
そう言いながら、九十九はわたしの手を掴んだ。
それと、同時に周囲の風景が変わる。
「はわっ!?」
驚きのあまり、変な声が口から飛び出た。
「さっきより障害物が減ったせいで、もっと見えるぞ。でも、ほとんど黒にしか見えないな。生活の明かりも消えるような時間だから仕方ないか」
「いやいや! なんで!?」
「移動魔法。そういや、お前が起きている時は初だな」
「起きっ!? ……ああ、うん。本当に瞬間移動なんだな~ってことはよくわかったよ」
しかも無詠唱。
何も言わず、彼は一瞬でわたしを校舎の屋上に運んだのだ。
「屋上なんて、初めて来たよ」
基本的に屋上は生徒の立入禁止だ。火災訓練で救出役の生徒に選ばれない限り、この場所に立つことはないだろう。
わたしは、少し歩いてみる。
ちょっとだけワクワクしながら。
校舎内とは違って、コンクリートの床。そのつなぎ目に少し、草が生えている。
灰皿がある辺り、この場所は先生たちの喫煙所となっていたようだ。
確か、「校舎内全面禁煙」って決まりになっていたはずだけど……、屋上はギリギリ校舎外って扱いだったのだろうか?
学校敷地内とされていなかった理由はそこか?
校舎からの出入り口とは別に、コンクリート製の建物があって、その壁面にはさらに上へ上がる鉄製のはしごがあった。
「はしごなのに、変なところから始まってるね」
普通のはしごって下から登りやすいようになっているのに、このはしごはわたしの背より高い位置に一番下の足場がある。
これって危なくないのかな?
「生徒たちが悪戯目的で簡単に登れなくするためじゃないのか? よく分からんけど」
そう言いながら、九十九は、右手ではしごを掴み、壁を足で踏んで、ひょいっと、登った。
に、忍者?
「これぐらいなら、ほとんどの男は登れるな」
「ま、魔界人だから?」
「関係ない。懸垂ができればいける」
確かにわたしでも、その壁に足をつけて、頑張れば登れなくはないだろうけど……、その労力に見合うかが分からない。
「どうせなら、もっと上に行くか?」
はしごからわたしを見下ろしながら、九十九はそう言った。
暗くて表情はわかりにくいけれど、それでも笑っているのは分かる。
「上ってこの建物を登るの?」
「いや、もっと上」
そう言って、九十九はさらに上を指し示した。
「空、連れてってやるよ」
「そらぁ!?」
思わぬ提案に、わたしはかなり大きな声を出してしまった。
「高所恐怖症ならやめておくが、どうする?」
今を逃したら、もうそんな機会に巡り合うことは二度とないだろう。
「頼んだ!」
わたしが、そう言うと、九十九ははしごから飛び降りる。
「ちょっと我慢しろよ?」
「へ? 我慢?」
「オレの飛翔魔法は、現在、自分にしか効果がない。つまり……」
「つまり?」
「どうやって持ち上げられたい?」
「……は?」
えっと……九十九くん?
おっしゃる意味が……、分かりません。
「うん、決めた」
そう言って、九十九は返事を待たずにひょいっとわたしを肩に担ぎ上げる。
い、いや、これは……、ちょっと待て?
わたしの足が、宙に浮き、足元がなくなった。
さらには、お腹が少し痛い。
「勝手に決めんな!!」
「暴れるなよ。落ちるぞ」
そう言うと、九十九はゆっくりと上空に向かいだした。
「……他の持ち上げ方はなかったの?」
「これが一番、オレが楽なんだよ。おんぶとかもずっとは結構辛いからな。上空に向かってはいても、重量はしっかりかかってくる」
「……じゅぅ……、扱いが酷い」
「文句言うな」
お姫様抱っこをしてくれと贅沢なことを望むわけではないが、この扱いは……、米俵とかのイメージです。
いや、自分が重いのは分かってるけど!
そして、これが一番、楽なのも理解できてるんだけど!!
しかし、自分の足がゆらゆらと揺れているのが目に入り、さらにその靴の先には小さくなっていく校舎。
これは靴が脱げたら探せないだろう。
思わず、身が縮こまり、九十九の服をわしっと掴み、その背中をギュッと握った。
「そうやってしがみついてろ」
ジェットコースターとかは確かに好きだけど、あれは安全ベルトがあるから安心していられるのだ。
こんな文字通りの意味で、九十九の腕だけが頼りの状況ではあまり景色を楽しむどころではない。
「ひ、光が点にしか見えない」
校舎はさすがに大きいけれど、その他の建物はかなり小さくなっているのは影だけでも分かる。
先程より風を感じる。
おでこが全開になり、かなり涼やかだ。
前髪以外の髪の毛も激しく揺れ、その一部が顔に当たっている。
髪の毛を切っていて良かったと心の底から思えた。
こんな状況であの長さだったらつらすぎるじゃないか。
「昼は目立つから飛べないけどな」
「ま、魔法みたいだ」
余裕がなくて、言語表現がいつも以上に乏しくなっている。
「……魔法だからな。でも、長時間は無理だと思う。人間界は大気魔気が薄すぎる」
「た、高さは?」
「航空法に触れない程度だな。測ったことはないけど、100から150メートルの間くらいか?」
時々、九十九は変な知識がある。
しかし、100メートル上空って……、落ちたら水煮トマトの世界ってことかしら?
100メートルぐらいなら気温は1度も差はない。
それでも、風があるのでやはり身体は冷えてしまう。
「少し寒い……」
「寒い? ああ、魔気の護りが無いんだったな。これでも着とけ」
九十九がそう言うと、背中にバサリと音がして、布製の何かが乗っかった。
風があるのに、何故か広がらず、それは、固定化したかのようにわたしの背中に張り付いてくる。
「こ、この状況でどう着ろと?」
少なくともわたしは動けない。
少しでも動いたらバランスが崩れそうだった。
「その状態なら寒くないか?」
「さっきよりはマシ」
「じゃあ、そのままで」
わたしは正直、景色を見る余裕なんてあまりないのだけど、九十九はわたしを抱えながらもしっかりと見ているようだ。
だから、すっごく辛いけど、我慢しよう。
漫画とかで、ヒロインの腰を支えるだけで見事に抱きかかえるヒーローを見たことあるけど、現実には絶対無理だと思う。
瞬間的に引き寄せるぐらいが精一杯だろう。
この状態でも、わたしの腹筋がすっごく頑張らなければ維持できない。
「苦しいか?」
九十九がようやくそれに気付いたようだ。
「うん。腹筋が鍛えられ中だよ」
「ああ、悪い」
そう言うと、一瞬で、わたしと九十九の身体と位置が入れ替わり、目に映る景色がまた変わった。
移動魔法の応用……かな?
「これなら落ち着くか?」
今度はおんぶ。
さっきよりはかなり楽だった。
さっきわたしの背中に乗っかったのはウインドブレーカーだったようだ。
それを落とさないようになんとか着る。
「ふへ~」
思わず、わたしは力を抜いて、九十九の背中に身体を預ける。
「……おい?」
「休憩~。さっきのは本当につらかったあ」
「もっと、早く言えよ」
「扱いが酷いとは言ったじゃないか」
「……悪かったよ」
顔の位置の関係のため、先程までより声が近い。
だから、余計に気が抜けていった。
「あまり力を抜くなよ。重くなるからな」
「ぐっ。それこそ魔法でどうにかできないの?」
「重力軽減魔法はまだ使えないんだよ。使えればかなり楽なんだろうけど」
重力軽減魔法……。
重力を……軽減……。
「……先程からその重さ強調は辞めていただけませんか? 筋力アップで良いじゃないか」
「重いモンを持ち続ける持続系はまだないな」
「重い物って言うな!」
「お前、35キロ超えって人間が持つ重さとしてはあまり軽くねえぞ!?」
……なんですと?
「つ、九十九? もしかして、重さが……分かるとか?」
「おお、前後500グラム程度の誤差はあるかもしれないけどな。具体的な数値を希望するか?」
その言葉で、わたしは血の気が引くという音を生まれて初めて聞いた。
本当にザッて音が聞こえるんだね。
「ちょっ! おろして!!」
「暴れるな」
言葉の割に、わたしが逃げようとするのは予想済みだったのか、九十九はがっしりとわたしの太腿を抱えて逃さない。
……字面だけ見ると凄いことされてる気もするけど、落ちないようにしっかりと支えてくれただけですよ?
「落ち着け! 大体、重さについては今更だ。お前の誕生日に家まで運んでいったのは誰だと思っている?」
「ううっ。でも、こんな辱め、あんまりだあ」
そう嘆くしかない。
「そんなに嫌がることかあ? オレより軽いから良いんじゃねえの?」
「……九十九とは身長差があるじゃないか。それに……、ワカに対しても同じことが言える?」
「若宮に? 身体の重さについて語る? ……? な、なんだ? この得体の知れない寒気は」
ワカはわたし以上に、体重について触れると怒るだろう。
いや、ほとんどの女性は重くても軽くても良い顔はしないと思う。
それだけデリケートな領域なのだ。
「ふっ……っ。流石は魔界人の勘の良さ……だね?」
こらえきれずに笑ってしまったわたしの声を聞いて、機嫌を悪くするかと思ったけど、九十九の頬も少し笑っているように見えたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。