どんなに求められても
「深織……、立てるか?」
オレは、座り込んだままの深織に向かって、声をかける。
「そう思うなら、手を貸していただけない? その物騒なご主人様から離れて……」
「断る。ここで彼女を離したら、その隙にお前が何をするか分からない」
何よりも、手を貸す理由も分からない。
深織が座り込んだのは、栞に気圧されただけだ。
特に怪我をした様子もないし、今も彼女に対して敵意を隠そうとしない相手を助ける理由はなかった。
「どこまでも、主人に甘いのね、九十九は……」
「そう躾けられたからな」
オレは兄貴を見て育った。
だから、オレが甘いと言うのなら、兄貴に文句を言ってくれ。
「そんなにも縛られて、可哀想に……」
あ?
何、言ってんだ?
縛られていることは認めるが、「可哀想」と言うのは激しく否定するぞ。
オレたち兄弟は、望んで縛られることを選んだんだからな。
思わず、腕に力がこもった。
そして、同時に、柔らかくて温かい感触が伝わる。
「……ん?」
よく考えれば、栞を腕に収めたままだった。
心地よくて手放すタイミングを逃した……というか、離れがたかった。
いや、本当に落ち着くんだよ、この状態。
相手が話を聞かないような女なら、オレ自身は癒されるものを傍に置いて、精神の安定を計りたい。
栞も嫌がっていなければ……、ああ、それで顔を真っ赤にして、固まったままなのか。
「嫌か?」
「こ?」
まだニワトリから、脱却できないようだ。
ちょっと面白い。
「悪いな。ちょっと、相手の状態が普通じゃないから、この状態で護らせてくれ」
何をしでかすか分からない狂気を感じるような人間を前に、離れるのは悪手だ。
「つまり、火に油を注ぐ気?」
ああ、なるほど。
そう言う方向にも使えるのか。
「そうだな。冷静さを欠いた相手は御しやすい」
当人たちの感情は置いておいて、傍目には、ただのいちゃついている状態にしか見えないだろう。
……当人たちの本心は置いておいて。
「九十九を解放して、この毒婦!」
おいこら。
確かにこの女は猛毒に等しいが、お前の使い方とは違う。
「毒婦なんて初めて言われたよ」
「日常的に使う言葉ではないからな」
こんな毒婦なら、オレは大歓迎だけどな。
「深織」
「何? やっぱり、私が良い?」
そんなわけあるか。
「どんなに求められても、オレはお前に応えられない」
そう言いきった。
「どうして!?」
どうしても何も……。
「オレ、一度だって、お前のことを好きだって言ったことがあったか?」
そんな根本的なことを口にすると……。
「「え!? 」」
何故か、深織だけではなく、オレの腕の中にいる栞まで驚いた。
いや、驚くことじゃないよな?
「『付き合ってくれ』って言ったのは、深織の方だったし、それ以降も、オレ、一度も言っていないはずだが?」
そもそも、オレ自身は深織のことを好きだったことがない。
いや、確かに「可愛い」ぐらいは思ったことはあったかもしれん。
好みのタイプではあったのだから。
だが、先ほどの栞との会話を聞いてしまった後では、そんな感情すら消え失せたけどな。
「九十九……」
「なんだよ?」
腕の中の栞が顔を伏せたまま、オレに声を掛ける。
「本当に、ミオリさんに一度も『好き』って言ったことがなかったの?」
「ないな」
「付き合っていたのに?」
「さっきも言ったが、向こうからの申し出をオレは受け入れただけだからな」
「『最低』って言っても良い?」
「なんでだよ?」
そこまで胸に突き刺さる言葉を、栞からいただく理由なんかないぞ?
確かに、人間界で深織と付き合っている時は、ただの「可愛い」が「好き」になるかもと思ったことはあった。
向こうからキスしてきた時は、驚いたが、決して、嫌ではなかったことも認める。
だが、その時はまだ深織のことをただの人間だと思っていたし、何より、その時点で、オレの心を占める存在は既にいたのだ。
横から、誰も入り込むことができないぐらいに。
その存在は、今、オレの腕の中で、何故か怒っている。
「前々から思っていたけど、九十九はその辺、すっごく感覚がおかしい! 女心が分かっていない!!」
それを言うなら、「お前の方こそ男心を学びやがれ! 」と心の底から言いたい。
「付き合ってほしいと言って、おっけ~されたら、普通は自分のことを好きだって思うでしょう?」
「なんで?」
「好きでもないのに付き合うっておかしいから」
なんだ?
その理論。
「お前、それを兄貴の前でも言えるか?」
「言える」
それは凄い。
オレには言えない。
兄貴は必要とあれば、そこに心がなくても、付き合う以上のことができる人間だと言うことをオレは知っている。
「だが、今はそこが問題ではないよな?」
そう言うと、栞は黙った。
オレは、深織に目を向ける。
その深織は、呆然と、信じられないものを見るような目で、オレを見ていた。
そんな顔をされても困る。
オレはもともと、深織から好きだと告げられた時、言ったはずだ。
『オレと付き合っても良いことはねえぞ』
だが、あの時、深織はそれでも良いと言ったのだ。
いや、もしかしたら、深織も思っていたのかもしれない。
いずれ、「好き」に変わってくれると。
栞との会話を聞いた限りでもそんな感じだったな。
自分に都合の良い方向にしか物事を見ていないし、考えられない女だったみたいだから。
「九十九は、私のこと、好きじゃ、なかったの?」
震える声で確認する。
だが、その弱弱しい声と違って、オレに向けるその瞳は何故かギラギラしていた。
その強さは嫌いじゃない。
隙あらば、喉元に食らいつこうとする肉食獣のようで。
だから、目を逸らさずに……。
「好きだなんて、一度も言ってねえ」
真実だけを口にした。
「そんな……」
深織はそのまま泣き崩れる。
先ほどまでの癇癪では、絶叫するかと思ったが、静かだった。
「つ、九十九……」
だが、何故かそれを見ていた栞までショックを受けている気がするのは気のせいではないだろう。
見ていろと言ったが、これは逆に見せない方が良かったか?
だが、中途半端に期待を持たせるような返事をする方がずっと残酷じゃねえか?
「どうして、私じゃ駄目なの」
それはオレに言ったわけではないだろう。
地に向かって、呟くような独り言だった。
深織が駄目だったわけじゃない。
オレが、応えられなかっただけ。
この両腕で護れるのはたった一人だった。
いや、違う。
護りたいのはたった一人だけなのに、その女を護るには、自分が持つこの二本の腕でも足りないほどの女だったのだ。
ただの女なら何も問題なかった。
どこにでもいるような平凡な女なら何も苦労はなかったのだ。
だが、オレが護りたいと思ったのは、王族の血を引き、神から執着を受け、聖女の素質を持ち、周囲の人間を惹きつけ、多くの運命を巻き込んでいくような女だったのだ。
「九十九……」
腕の中に収まったままの栞がオレに声を掛ける。
「なんだよ?」
どうせ、また「最低」とか言うんだろ?
その自覚はあるんだ。
中学生の時のオレは、今よりずっと考え無しだった。
自分の言動が他人に与える影響なんて、深く考えてこなかった。
だけど、そのままでは、護れない。
そう思ったのは、いつだったか?
「ミオリさんの様子が、変」
「あ?」
深織の様子が変なのは今に始まったことではないが、震える声の栞に言われて、視点を変える。
体内魔気はずっと乱れたままだったので気付かなかったのだが、その身体は震え、目が血走っていた。
両肩に血が滲むほど両手の指の爪を食いこませ、明らかに正気とは思えなかった。
これは……。
「私のモノにならないのなら……」
深織はギラリとした瞳をこちらに向け……。
「こうするしかないわ!!」
そんな叫びとともに、周囲に紅く鮮やかに飛び散ったものがあった。
正気を失った深織の手には、いつの間に光る刃が握られていたが、今はもう赤く染まって光らない。
「いや……」
栞の口から、小さな悲鳴が零れ出るまで、オレはその場から動けなくなってしまったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




