変わり過ぎた相手
「でも、魔法ってどこで使えば良い?」
魔法国家の王女殿下たちが、改めて魔法が見たいと言っているのに、栞の反応は緊張することもなく、いつも通りに見えた。
「契約の間とか、宿泊先にはないよね?」
住居兼用の施設ならともかく、一般的にはただの宿泊施設にまで、そんな金のかかる設備は作らない。
特に、この場所は本来、連泊するような場所ではないのだ。
魔法の契約や試し撃ちがしたいのなら、もっと別の場所があるだろう。
「あの広場なら大丈夫じゃねえか?」
あの場所なら、かなり大きな魔法を放っても大丈夫なような気がする。
少なくとも、栞が使う魔法をいくつか見たが、そこまで大きなものでもなかった。
勿論、魔法の専門家である魔法国家の王女殿下たちと、結界に詳しい機械国家の王子殿下にも確認する必要はありそうだが。
「ああ、なるほど」
栞はあっさり納得する。
「まあ、それも、お前が平気なら……って話だけど」
だが、あの場所は、彼女にとって嫌な思い出もセットになった場所だ。
精神的な部分は大丈夫だろうか?
「大丈夫だよ」
オレの心を読んだかのような言葉だった。
「わたしは大丈夫だから、九十九は気にしないで」
さらに念を押すように微笑まれては、それ以上、確認できない。
「そうか」
それでもなんとなく、落ち着かなくて、乱暴に腕を動かした時だった。
「「あ……」」
2人の手が少しだけ触れあった。
思わず、互いに手を引っ込める。
「わ、悪い」
オレの爪は当たっていないと思うが、今の反応は、やはり、まだ?
いや、それは無理もない話なのか。
確かに栞は許してくれたが、それでも、身体に残った恐怖心が簡単に消えるはずもないのだ。
「なんで、謝るの?」
だが、栞は、それを咎めた。
「い、いや、なんとなく、嫌かな……と?」
目を合わすことができない。
これまでなかったはずの彼女の緊張と警戒は、オレのせいなのだから。
「いちいち、九十九は気にしすぎ!」
だけど、栞は、強引にオレの手を掴んだ。
「おい!?」
彼女のいきなりの行動に、オレは狼狽したことは分かる。
「あなたから触れられるのが嫌なら、わたしはこんなことはしない。おっけ~?」
「お、おお」
手を握られたことよりも、その黒く強い瞳がオレを見ていることに驚く。
反射的に返事したが、何に対して返答したかは分からない。
そして、困った。
この握られた手を、どのタイミングでこの手を離せば良いのか分からない。
だから、なんとなく、手を繋いだまま歩いている。
いや、栞が掴んだのだから、彼女の意思で外してくれるのだろうけど、その様子もなかった。
何、考えてるんだ?
栞の考えが全く、読めない。
まあ、考えても仕方ねえか。
いつものことだ。
それより、今は、この状況を楽しもう。
惚れている女の方から、手を握ってくるとか。
それだけで、口元がにやけるのを押さえるのが難しい。
柔らかく、温かく、そして、オレよりも小さい手。
あまり強く握ると、うっかり折ってしまいそうだ。
勿論、そんなことはなく、オレが思っている以上に彼女は頑丈なことも既に知っているのだけど、この感触ではそう錯覚してしまう。
それに、男女が2人で歩いているなら、手を繋いだぐらいで怪しむような人間はいないし、この「ゆめの郷」では寧ろ、2人で歩いているのに全く接触がない方が不自然に見える。
こうして見渡すと、「ゆめ」や「ゆな」は積極的に相手の気を引こうとしているのが分かる。
目に見えるものだけではなく、漏れ聞こえる会話、漂う熱や匂い。
なるほど、感情を揺らすという結界の中で、何の心構えもなければ、錯覚を起こしやすいだろう。
生きるために手段を選ばないのは、この世界で生きるためには必要なことだから。
そうなると、この状態は悪くないかもしれん。
栞の男除けにもなるし、オレにとっては女除けにもなる。
よく分からんが、食材を購入しに行くだけで、それと分かる女たちから声を掛けられるのは面倒なのだ。
本気でもないと分かっている相手から、口説かれても嬉しくないし、栞ほどの魅力を感じる女は全然いない。
ふと、下を見ると、その彼女は何やら考え事をしているようだ。
「どうした?」
いつもより、深刻そうな顔だったので、つい気になって、考え事をしている最中だと分かっていながらも、声を掛けてしまった。
「いや、別に?」
一瞬、少し、驚いたような顔を見せたが、いつものように笑みを見せる。
もう少し、追求しようかと思ったが、思案の邪魔をしてしまった手前、これ以上深追いは良くない気はした。
「そ、そう言えば、移動魔法を使わないんだね?」
オレの表情から何かを察したのか、栞は話題の転換をした。
「ああ、今日は使うなって、兄貴が言っていたからな」
オレの夢の中に現れた時、そんなことを言っていた。
その理由は、オレからすれば少しばかり用心が過ぎると思うが、既に他の人間も似たようなことを言っていたため、無視はできない。
「今日は?」
「ああ、今日だけ」
不思議そうな顔をする栞。
その理由を聞かされていないのだから、当然の反応だろう。
オレだって、半信半疑なのだから。
栞の目線が下に動く。
どうも、手を気にしているようだ。
離したいのかそうじゃないのか分からないが、一応、確認してみよう。
「それにしても、手……」
オレは小さく呟いた。
「あ!? は、外す!?」
どうやら、彼女は離したいらしい。
だが、確認された以上、本音を言ってやろう。
「いや、もう少しこのままで良いか?」
「ふおっ!?」
何故、ここでそんな声が出るのか?
そんなにオレの手が嫌だってことか?
だが、これぐらいでめげていては、この女の護衛などできるわけもない。
「必要以上に手を握ることってないからな。少し、安心する」
「あ、安心?」
「ああ、安心する」
昔、頭を撫でられた時にも思ったが、オレはこの女の手も好きらしい。
いや、もう、栞の全部が、好きなんだろうな。
だが、オレの惚れた女は容赦なく、氷のような水をぶっかけてくる。
「あなた、本物?」
「いや、どういう意味だ?」
よもや、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
「九十九はそんなこと言うキャラクターではないから?」
「ひでえっ!!」
本音を口にしただけで、繊細な男心を叩き潰しにきやがった。
「いや、だって、そんな風に『手を握ると安心する』なんて、言ったことないよね?」
確かに言ったことはない。
だが、珍しく人が思い切って言ったというのに、この扱いは予想外過ぎるだろう。
「こんな風に手を握るだけの行為を、あまりしたことがないからな」
「そうだっけ?」
「なんで、オレが意味なく他人の手を握らないといけないんだよ? もともとお前ぐらいだ。いきなり握ってくるのも」
いきなりその手を握りたくなるのも。
許されるなら、ずっと握っていたいほどに。
「でも、安心するの?」
「栞の体温は温かいからな。ホッとする」
温かくて、柔らかい。
そして、それは手だけじゃないことも知っている。
彼女は、その心も温かくて、柔らかくて、包み込んでくれるのだ。
だが、それに対して、栞はさらに妙な顔をして、考え込む。
「どうした?」
何も考えず、いつもの調子で顔を覗き込むと。
「ふおぅっ!?」
なんだ?
この珍妙な小動物。
「いや、どんな叫びだよ?」
「ビックリしたんだよ」
「見りゃ、分かるよ」
だが、オレの内心はビクビクだった。
思っている以上に、栞の心の傷は深いかもしれない。
先ほどから、気を抜いている時に近くに寄ると、奇声を上げられている気がする。
その反応自体は、面白くはあるけど、今はショックの方が強い。
「驚かせるつもりはなかったけど、驚いたなら悪かったよ」
今のオレにはそう言うしかない。
本当はもっといろいろなことを謝りたいけど、それを彼女が望んでいないことは知っている。
謝りたいと思うのは、オレの自己満足にすぎないことも。
「九十九が素直過ぎて、気持ちが悪い」
「さっきから、酷いこと言いすぎてねえか?」
オレだって、傷つくんだぞ?
確かにオレが負わせた傷の方が深いとは分かっていても、こうも続けざまでは割と、辛い。
「九十九が、変わりすぎだからだよ」
さらに、上目遣いで抗議された。
だが、オレが、変わりすぎ?
先ほどからの、奇妙な反応はそのせいか?
「そうか? オレはいつも通りにしているつもりだけど」
言われてみれば、頭の中は、これまで以上に栞のことだけをずっと考え続けている。
いや、それはこの女が可愛いから仕方ねえよな?
これまでずっと無意識だったのが、改めてそれを意識するようになっただけのことだ。
それなら、許される範囲内で、存分に愛でたくもなるのが普通じゃねえか?
「うん、無理だ」
いろいろ考えたけど、出た結論はそれだった。
「な、何が?」
「どうあっても、これまでと同じには戻れん。オレの意識が変わったからな」
心が変わったわけじゃない。
これまで気付いていなかっただけの話。
いや、気付くまいとしていただけのことだ。
「だから、悪いが、今まで通りは無理だ」
これまで無意識にしていた行動が、意識的になったために違和感はあるだろう。
それでも、その根幹は、何も変わっていない。
そんなオレの言葉をどう受け止めたのか。
「頑張って……、慣れるよ」
珍しく、諦めてくれた。
「そうしてくれ」
そして、そのことが妙に嬉しかったのだ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




