苦行に耐えた意味
「この果物のせいで、とんだ辱めを受けた」
「恥ずかしかったのはお前だけだがな。オレは事実しか言っていない」
九十九は涼しい顔で言う。
もしかしなくても、彼は、ソウより性質が悪いかもしれない。
彼はわたしを揶揄う目的でそんなことを言っていたが、九十九はそんな意図がない。
当人が言っているように淡々と真実、事実を口にしているだけだった。
「ここで扱っている果物はそんなものが多かったな。酒とかも、強めが多いのはそのためかもしれん。オレたちの中では、水尾さんぐらいじゃねえか? あそこまで強い酒を、水のようにガバガバ飲めるのって」
「へ?」
水尾先輩……?
「水尾先輩と一緒にお酒、飲んだの?」
「奢らされただけだよ」
「大人の関係ってやつ?」
「オレは、奢らされたと言った気がするが? 大体、あの人がオレなんかを相手にするかよ」
そうかな?
水尾先輩からの九十九の評価って結構、高い気がする。
それに、背も伸びた九十九は、女性としては背が高い水尾先輩と並んで立っても違和感はない。
「わたしは飲めないからな」
「兄貴に頼めば、ノンアルカクテルは作ってもらえるぞ。オレも兄貴ほどじゃなくても、作れるが……」
「ノンアルカクテル?」
それって、なんでしょうか?
魔界の言葉?
「酒精なしのカクテルだな。味は酒に近いが、成分は清涼飲料水と変わらん」
「それって、ジュースを飲めば良いのでは?」
つまりはミックスジュースってことだよね?
「雰囲気を楽しむものだからな」
飲まないわたしにはよく分からない。
「お前が好きそうなのだと、この辺か?」
そう言って、九十九は2本の瓶を取り出して、どこかで見たことがあるような卵型の容器を両手に持って目の前で手早く、混ぜた。
おおっ!?
バーテンダーっぽい!?
「そこは、ちゃんと服も変えようよ!?」
「は?」
「スーツ着用希望!
」
バーテンダーっぽいやつ!
「……嫌だ」
そんなわたしのリクエストを無視して、九十九はグラスに混ぜた物を注ぐ。
「魔界の物なのに、そんなにシェイクして大丈夫なの?」
「シェイクした方が上手いんだよ、これ……」
そう言って、差し出されたのはオレンジ色の飲み物だった。
「混ぜる前は、青い液体と、コーヒーカラーだった気が……?」
「混ぜたから色が変わったんだよ」
どんな法則で?
この世界の法則ですね。
いつものことでした。
「名前はあるの……?」
「……『Safe for children』」
「おいこら?」
今、言語を切り替えたけど、「子供たちに安全な」って言ったよね?
「そこはもうちょっと夢のある名前にしようよ?」
「仕方ねえだろ、ノンアルなんだから。夢や浪漫のある名前はたいてい、酒精入りなんだよ。人間界なら、有名どころで『シンデレラ』とかもあるけどな」
でも、甘くて美味しい。
悔しいけど、好みの味だった。
少しだけ感じる苦味が邪魔だな。
「これ、苦味をなくせない?」
「ノンアルだからな?」
どうやら、この仄かな苦味がアルコールっぽさを醸し出すらしい。
「わたしはジュースで良いよ」
「そうしとけ。お酒は二十歳になってから、だろ?」
そう言って、九十九が笑った。
「ところで、お前に聞きたいことがあったんだが」
「何?」
ノンアルカクテルからジュースに切り替えて、わたしは九十九と昼食をとった。
ちょっと軽食風。
細かく言えば、フレンチトーストみたいなパン。
厚切りのために1枚で十分お腹いっぱいなのだけど、九十九はもう半分を追加しながら、そんなことを言った。
「お前、深織といつ会った?」
「…………」
パンを飲み込む音がやけに大きく聞こえた気がする。
「初めて会ったのは、ここに来た直後だろう。だが、そこまで香りを感じる距離じゃなかっただろう? それなら、それ以降、二度目もあったんじゃないか?」
なるほど。
さっきの香りの話から、それを察したらしい。
「あったよ」
誤魔化すことはできないと感じた。
この黒い瞳は、嘘を暴く瞳だから。
「そうか。そこで、何の話をした?」
「ソフトボールの話を少々?」
「…………」
嘘は吐いてない。
そして、彼もソレは分かっているのか。
そこについては何故か突っ込まなかった。
「深織は、お前と同じ守備位置だったらしいからな」
それは知っていたのか。
いや、「らしい」ってことは後から知ったっぽい気もする。
もしかして、水尾先輩から聞いた?
あの先輩もわたしと同じ守備位置だったから、覚えていても不思議ではない。
「それ以外も聞いただろ?」
それを、話せと?
「聞いたけど……」
九十九は、恐らくあの「ゆめの郷」の規則も知っているのだ。
だけど……。
「内容については話せない」
彼女は仕事でわたしに話したはずだ。
だから、当事者であっても、別の人に漏らすのは機密事項の漏洩とかになるだろう。
そこにどんな嘘が混ざっていても……。
「話さなくて良いよ。ただ……」
九十九は、顔を伏せた。
「聞きたくはなかっただろう? そう言った話は」
「…………」
確かに、聞きたくはなかった。
誰が好き好んで、他人同士の情事や睦言など聞きたいものか。
それも、よく見知った身内のものなんて……。
「仕方ないじゃない。聞くしかなかったんだから」
「拒否権の話は?」
「拒否権?」
ナニソレ?
「やっぱり、そこは聞かされてなかったか」
九十九は大きく溜息を吐いた。
しかも「やっぱり」とは一体……。
「ちょっと待って。アレって、強制的に聞かなければいけない話じゃなかったの?」
そんな話は聞いてない。
「オレも話に聞いた限りだけど。無理して聞かなくても良かったらしいぞ」
「それは、本当?」
「聞いた限りでは……」
九十九が言い淀む。
「なんで教えてくれなかったの?」
「いや、オレもその規定を知ったの、遅かったから」
「つまり、あの苦行に耐えた意味、全くなし!?」
「苦行……?」
「苦行だよ! 何が悲しくて九十九の話をあの人から聞かされなきゃいけないの!?」
「オレだって、聞いて欲しくなんかなかったよ」
それはそうだろう。
自分の体験なんて、わたしが同じ立場でも聞かせたくない。
特に、相手が異性なら。
でも……。
「ちょうどいいや。この機会に聞いておこう」
「あ?」
今を逃せば聞けない気がした。
だから、勇気を出して、思い切って……。
「なんで、わたしの時と違ったの?」
「どういう意味だ?」
わたしの質問の意味を計りかねたのか、九十九は素直に問い返す。
どうやら、はっきり言わないと伝わらないらしい。
「わたしの時はじっくり時間をかけてたのに、なんでミオリさんの時は速攻型だったの!?」
「お前は、なんてことを聞いてくるんだ!?」
流石に九十九も顔を真っ赤にして叫んだ。
「だって、しょうがないじゃない! 気になったんだから」
「そんなの知らん! 『発情期』中のオレに聞け!」
「もう二度と聞けないじゃないか!!」
九十九はもう二度と「発情期」にはならないはずだ。
だから、聞くことはできないし、そもそも、そんな状態の九十九と会話を成立させる自信もなかった。
「速攻型……って、早かったってことか?」
「へ? えっと、あまり余計なことをせず、強引で無理矢理とかなんとか……」
あまり思い出したくないし、本当はもっと露骨な表現だったと思う。
「ああ、そう言う意味か」
どこかほっとしたような九十九。
今ので安堵する理由が分からない。
「オレ、覚えてねえんだよ」
「は?」
「その、えっと……、ヤったこと」
「まさか、『発情期』って、忘れちゃうの!?」
……ということは、わたしとどんなことをしたのかも覚えてない!?
ああ、でも、意識は朦朧となっていた気がする。
わたしの呼びかけにほとんど反応しなかったから。
あれだけ叫んでも、止めてくれなかったから。
「いや、深織の時は、『発情期』もあったけど、ちょっと暗示にかかった状態になっていて」
どこか言いにくそうにそう告げる九十九。
でも、その言葉は聞き逃せなかった。
「暗示って、九十九の意思は?」
「オレがその気になれなかったのが悪いんだけど……」
「ちょっと待って! それって、無理矢理、その気にさせられたってこと?」
そして、「強引で無理矢理」ってそう言うこと!?
どっちが強引で無理矢理なの!?
それに、どんな暗示かは分からないが、九十九に対して有効だったものだ。
それって、相当、高位の魔法の可能性がある。
でも、それ以上に……。
「信じられない!!」
そんな気持ちの方が勝った。
そして、同時に改めて、この場所の闇を知った気がする。
確かにそう言った商売だって分かっていても、そんなやり方はないだろう。
なんだろう。
この不思議な感情は……。
ああ、分かった。
わたしは、あの人のことを、ずっと苦手だと思っていたのだけど、違った。
やり方や言動を含めて「嫌い」なんだ。
わたしの人生、これまでに、苦手だと思った人は結構、いると思う。
どうしても合わない人っているから。
でも、嫌悪の対象になった人はこれまでになかった気がする。
あんな人に、九十九は絶対、渡さない。
彼の魔力だって、これ以上、ほんの一欠片も、渡すものか。
わたしにしては、そんな珍しい感情を抱いたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




