今代の聖女たち
「栞を、ミラージュだけには渡さないでほしい」
目の前の赤い髪の男は笑いながらそんなことを言った。
「自国だろ?」
「自国だからよく知ってるんだよ。惚れた女を、明らかに異常だと分かっている国に連れて行ってほしいか? 答えは『NO』だ」
赤い髪の男、来島は鋭い目をオレに向けながらそう答える。
「だけど、国の指針には俺たちは逆らえない」
「国の指針だと……?」
思わず、手に力が入った。
もしかして、それは、ずっと分からなかったミラージュの目的……か?
「一年ほど前に、国王陛下から承った命は、『「導きの聖女」を連れ帰り、国中の男で慰み者にせよ』だ。正気じゃねえ」
「――――っ!?」
聞かなきゃ良かったと思った。
だが、聞かなければオレは後悔しただろう。
思わず、栞を見る。
流れるような黒髪を寝具に広げ、穏やかな顔で何も知らずに眠る主人。
一年ほど前と言えば、あの迷いの森の襲撃か?
あの時はソレを知らなかったが、その目的があった上で、栞が狙われていたのだとしたら、少なくともあの場にいた男どもだけでも、生かして返すべきではなかった。
少なくとも、治癒魔法で癒せないほど傷を負わせるべきだったか。
「紅い髪の、ライトってヤツはそれを知ってんのか?」
ヤツは栞に執心している。
当人が「追尾者」を自負してしまうほどに。
「知ってるよ。その命が出た時は、流石にあの方もかなりの迷いを見せた。だが、国王陛下の命令には逆らえない。王子殿下といえども、従うしかなかった」
「なんで逆らえないんだよ」
「流石にそれを教えることはできないかな。俺も命は惜しいからね」
つまり、何らかの形で、これらの会話が筒抜けている可能性もあると言うことか。
ミラ辺りが監視していても、別に驚きはしない。
実際、彼女は見張っていたのだから。
そして「命が惜しい」という言葉をわざわざ使ったと言うからには、それなりの処罰もあるのだろう。
もともと、正気とは思えない命を下すような国王だ。
分かりやすい人質などという生易しいものではなく、当人たちの心臓そのものを握っていてもおかしくはない。
少なくとも、それに近しいものを押さえられているはずだ。
オレたちに施された「絶対命令服従魔法」のようなものによって。
だから、ライトは息子でありながら、国王に逆らうことはできなかったのだろう。
そして、あの時、迷いの森で会話した限りでは、そこまでのやる気を感じなかったのもそのためだったかもしれない。
本気で栞を奪い去り、国へ連れ帰れば、その先には悲劇しかないことが分かっているから。
だが、それなりの手勢を率いての失敗ならば、処罰はあるかもしれんが、栞は護られる。
それはこの男も同様で、だからこそ、栞を「惚れた女」と公言しながらも、その手を離すことを選ぶしかなかったのだ。
「ミラージュの国王はどうして、そこまで……?」
「彼女が、『聖女』だから」
「だが、『聖女』候補は栞だけじゃねえはずだ」
だが、ミラージュ国王とか言う、どこかイカれたヤツは、「導きの聖女」と、栞をある意味、名指ししたのだ。
大神官の話では「聖女の卵」と呼ばれる段階で、周囲は歴代の「聖女」と区別しやすいように「呼び名」を付けるらしい。
それも、当人の許可なく勝手に。
そして、それは誰が最初に言いだしたか分からないほど、ごく自然に広まってしまうと聞いている。
ある種、意図的に流された噂のようなものだ。
迷惑な話である。
実際、同じ「聖女の卵」扱いのストレリチア王子殿下の婚約者は、何故か気付けば周囲の神官たちから「神に愛されし聖女」と呼ばれていた。
恐らくは、あり得ないほどの精霊たちを使役するからだろう。
因みに、その呼び名を本人が聞いた時、羞恥のあまり叫んだという話もあったりする。
同じ年代の人間として、その気持ちは分からなくもない。
「今、この世界に聖女は3人存在する。『導きの聖女』、『神に愛されし聖女』、そして、『暗闇の聖女』」
「盲いた、占術師か」
「まあ、有名な人だから笹さんも知っているか。子持ちで聖女って俺はどうかと思うけど、子ができるずっと前だったらしいからな、聖女認定されたの」
「子持ち!?」
そんな話は知らねえ。
……と言うか、占術師って子供はダメじゃなかったのか?
「まあ、いろいろあって、あの婆、いや、いつまでもお若い姐さんは子が一人いるね。手元にはいないけど……」
何故か、この場にいない人間に対して気を遣う来島。
だが、オレが知っている限り、「盲いた占術師」はもう、何年も表舞台には出てきていないはずだ。
生きてるのか?
そして、何故、この男は知ってるのか?
「ああ、あの人とは無理に会おうと思わない方が良いよ。用があったら、あっちから勝手に出てきて、そして、言いたいことだけ言って去っていくような人だから」
実際、「盲いた占術師」に関する話もそんな感じだ。
特に意味がない日にふらりと現れ、占術結果だけを告げて去っていく。
そして、その言葉はどこか詩的で、意味の解釈も難しいという。
まるで、その地を搔き乱すことが目的のように。
「会ったことがあるのか?」
「一度だけね。そして、余計なことを言って消えたよ」
「何を言われたんだ?」
「……不吉なことほど、饒舌なんだよ。あの婆、いや、お姉さんは」
先ほどから言葉の端々が気になるのは何故だろうか?
そして、わざわざ言い直すあたり、まるで、何者かに見張られているかのようだ。
だが、そこまで言ってしまったのなら、言い直したところで手遅れだと思うのはオレだけだろうか?
「本当にあの女だけはどこから現れるのか予測ができねえ。情報国家を含めて世界各国が様々な手を駆使していると言うのに、捕捉することすら難しいんだ。今、いきなり背後に現れても驚かねえよ」
「いや、そこは普通に驚くだろう」
まるでホラーじゃねえか。
「多分、移動魔法だけでなく、隠蔽魔法とか隠匿魔法、それ以外にも知られていない魔法を持っているんじゃねえかな。単純に予知だけで逃げ切っているとは思えんから」
「情報国家から逃げ切っているのがすげえな」
「しかも、情報国家の目を掻い潜って、イースターカクタス城の国王の寝所に現れたこともあるらしいから、笑えるよな」
「いや、全然笑えん」
自信家で隙のない金の髪を持つ情報国家の国王を思い出す。
どこか自分と栞を試すような国王。
だけど、不思議と嫌ではなかった。
そんなあの方を出し抜けるような存在がいることを、考えるだけでもなんとなく落ち着かない気分になる。
「『盲いた占術師』は生きた伝説だからな。まだ生きてるよな、多分」
出会ったのは最近の話ではないらしい。
法力国家の王女である若宮の話では、その「盲いた占術師」が聖女認定されたのは150年ほど昔だったという。
確かに、魔界人は病気にかからない限り、長生きすることも多いらしいが、それでも、驚異的な生命力だと言えるだろう。
しかし、子供がいたのか。
あまり、その占術師自身の私生活は伝えられていないからな。知らなかった。
でも、その子は幾つぐらいだろう?
その「盲いた占術師」自身の年齢も分からないけれど、150年前の聖女認定の話が本当ならば、子供もそれなりの年齢かもしれない。
「さて、随分、話し込んだな」
来島がふと顔を上げる。
気が付けば、長い夜が明けようとしていた。
「最後に、何か聞きたいことは?」
来島がいつもの笑みを浮かべる。
「会わないで行くつもりか?」
オレは誰に、とは言わなかった。
来島は傍で寝ている栞に目を向けることもなくオレに向かって……。
「言いたいことは全て伝えたつもりだ。これ以上は余計なことだよ」
ヤツの国の事情、それ以外のこと。
全ては語りつくしたと、この男は言った。
「それでも、伝えてくれる気があるなら、一つだけ伝言、頼める?」
「何をだ?」
「栞に『愛してる』って笹さんの口から伝えてくれないか?」
「断る」
オレが即答すると、来島は露骨に顔を歪める。
「ケチくせえな。最後の願いだぞ? 少しぐらい聞いてくれても、せめて、悩む素振りぐらい……」
「ああ、そう言う意味で言ったんじゃねえ。単純に、『首輪』の問題だ」
「首……、ああ、そういうことか。それで……」
自分の首を撫でながら、来島は多くを語らずとも納得してくれた。
「難儀だね、笹さんも」
「お前の立場ほどじゃねえよ」
「いやいや、笹さんも十分、負けてねえな。寧ろ、俺より不憫だ」
そんなことはない。
オレは十分、恵まれている。
「でも、そんな不憫な笹さんも俺は好きだよ。……愛してる」
「言う相手が、違うんじゃねえか?」
「まあね。でも、伝わっただろ?」
「……まあな」
いろいろ複雑だが、伝わった。
「じゃあ、『Good luck!』笹さん」
そんな風に来島が笑うものだから……。
「『Thanks, same to you!』」
そんな定型通りの返事と……。
「いろいろ、ありがとな。本当に助かった、来島」
そんな礼を顔も見ずにそんなことを口にした。
それをどう受け止めたのか、来島は少し噴き出すような音を出す。
そして……。
「本当に頼むぜ、笹さん」
そう言って、笑いながら来島はぎゅっと一瞬だけオレを抱き締めて、そのまま消えたのだった。
「分かってるよ、来島」
そう呟き、そこで眠っている栞に……。
いや……。
「お前も、ちゃんと聞いてたよな、栞」
眠っているふりを続けていた栞に、オレは声を掛けたのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




