幼かった神官
「あの王女殿下は、自分の命を狙われて、その報復に選んだのはただの大蛇だった。確かにでかかったけど、それだけの存在だったんだ」
来島は、続ける。
オレの知らない過去の話。
自分の兄が何故、そんなものに巻き込まれたのかは分からないけれど、裏にはいろいろと面倒な背景があったらしい。
「確か、狂化したと聞いていたが……」
そのことはあの王女殿下自身がそう言っていた気がする。
だが、それはおかしいのだ。
法力国家の王女殿下は、補助魔法や守護魔法は使えるが、そんな精神系魔法を使える話は聞いたこともなかった。
だが、その疑問はすぐに解ける。
「ああ、それを提案したのが俺」
「おい、こら?」
そこで、何故、問題を大きくしようとした?
「王女殿下は毒で死にかけたんだ。笹さんなら、何も報復しないか?」
「馬鹿にするな」
そんなことは聞くまでもない話だろう。
身分に関係なく、惚れた女の命が狙われたのだ。
「オレならきっちり殺る」
「それはそれで問題だ」
来島は苦笑するが、オレは冗談で言っているつもりはない。
仕事として考えても、主人が死にかけたなら、護衛として、きっちり落とし前を付けるべきだろう。
そのことで、自分の身がどうなっても、主人に繋がるモノさえなければ問題ない。
主人さえ守られれば良いのだ。
「そこまで問題を大きくしなくても良いけど、流石に悪さをした相手に何もせず何も伝えないまま許すなってな。上に立つ者が自ら、問題を創り出すのは論外だが、他国に侮られるのは自国の誇りに傷が付くだろ? 良いようにやられっぱなしで満足か? と」
ああ、なるほど。
その言い方をされたら、オレの知る王女殿下は受けて立つよな。
あの女は、どこまでも誇り高い王女様だから。
「万一、あっちが死んでも、先にやらかしたのは相手だ。こちらにも言い分はある。それが露見した際のために証拠も残してあった。傷を負うならお互い様、いや、先に仕掛けたあっちだろ? 他国の王族の命を狙ったんだ。当事者の命だけで足りるものか」
確かに、栞が聞いても激怒しそうな話だ。
自分と出会う前に友人の若宮が死んでいたかもしれないのだからな。
だが、それでも栞も、相手の命を奪うような報復を選ばないだろう。
どこまでも甘い主人だから。
「だけど、まさか、狂化したら翼が生えたのは俺も予想外だった」
「は?」
今、オレも予想外のことを聞いた気がしたぞ?
「翼が、生えたのか」
「生えたよ。もしかしたら、数百年後に進化する予定だったかもね」
蛇って、そんな進化をするのか?
いや、狂化魔法で突然変異を起こした可能性もある。
そして、魔獣の生態は研究者も少ないため、詳細が分からないことも多いのだ。
「で、そのまま、送りつけた。そして、王子とは違う別の少年を飲み込んだ。そこまでは報告で聞いた」
「なんで、その報告が入ってんだよ?」
中心国の王城に魔獣を侵入させたうえ、それが王族を襲ったのだ。
つまり、近衛兵、親衛兵、守護兵、所属に関係なく大きな不祥事となる。
だから、兄貴が飲み込まれた件については、その内容的に口封じが働いていたはずだ。
それを、遠く離れたストレリチアにいたはずのこいつが知っていたと言うことは、機密が漏れることと同義だ。
「どこにでも。口の軽い兵はいるんだよ。ああ、自白魔法に弱い兵もね」
さらりと言いきった。
口の軽い兵はどうかと思うが、王妃や王子の私兵の練度や忠誠心などそんなものだろう。
そして、魔法国家の王女殿下たち曰く、セントポーリアは平和ボケしすぎていて、魔法の鍛錬を怠っている印象が強いらしい。
それなら、自白魔法系はよく効くと考えられる。
魔法に対する抵抗がないのだから。
やっぱり、あの国、いろいろと大丈夫か?
「俺はもともと、王女殿下の使いで内密に聖運門を使うことは許されていた身だ。主に、王女殿下の使いっぱしりだったけどな」
「パシリかよ」
「惚れた女に尽くすのは当然だろ? しかも当時、7歳だ。自分で言うのもアレだが、俺は今より、ずっと単純でアホなお子様だった」
そう言って、来島は少し、目を伏せた。
そして、口元を結び、頬はやや紅い。
ああ、これはこの男にとって、埋め戻したい過去の一種なんだろうな。
「大聖堂にある聖運門からなら、他国の城にある転移門には繋がる。後は運んで、城に置くだけで、向こうの使いが運んでくれていた。その後は、笹さんが聞いている通り、かな」
それが、兄貴の話に繋がるわけか。
だけど、その裏でこんなことが起きていたのは、兄貴も知っていただろうか?
いや、転移門を通れば、城の王族たちにはその気配が伝わるはずだ。
それでも、それらが露見していなかったということは……、王族たちは揃ってその不祥事を隠したと考えるべきだろう。
この話を信じるなら、発端は自国のク……、王子殿下なんだからな。
「あの王女殿下は、俺の予想より遥かに聡明だった。魔獣を狂化させてセントポーリア城に送り付けた後、すぐにその姿を晦ました。まさか、人間界に行っていたとは、俺も思わなかったけどな」
再会した時はお互いに驚いたことだろう。
昔の悪事を互いに思い出したかもしれん。
「人間界で、俺はすぐ気付いたけど、あっちは多分、気付いてなかったと思う。王女殿下の体内魔気は王族ってだけあって、特徴的で分かりやすかったが、俺の体内魔気は分かりにくいらしいね。それに、従順で愛らしい性格していた俺は遠い昔のモノだったから」
人間界で魔界人と似たような人間を見かけることは珍しくない。
相手の体内魔気で判断できない限り、無視されたり、知らないふりをされたら、当人と分かることはないだろう。
もしくは、どこかの王族のように記憶と魔力を完全に封印されていたら、普通は手の打ちようもないのだ。
その反動で、若宮は来島に強く当たっていたのか?
いや、若宮はそんな女じゃない。
恐らく、さらに2人の間に何かがあったのだろう。
だが、そこについて、オレが聞いても良い話ではない。
……と言うか、正直、これ以上、深入りしたくねえし、させたくねえ。
ただでさえ、法力国家の王族事情と、自国の王族がやらかした悪事が絡んだ話を聞かされたんだ。
だから、それ以上、地雷を掘り起こして、どちらにも関わりたくない。
兄貴が関わった大蛇の出所を知りたいと思っただけだったのに、結果、余計な話まで聞かされることになるとは、本当にいらん好奇心を出してしまったものだ。
「ここ数年のうち、この世界で起きた理解不能な出来事の大半は、お前たちの国の仕業って結論で良いか?」
「雑な結論だな。それに、『翼が生えた大蛇』の件は、王族間の争いに幼気な準神官が巻き込まれた結果だぞ?」
「……幼気な神官は、普通、『狂化魔法』の提言を王族にしない」
明確な反撃は、相手国に対しての敵対行為だ。
手段を選ばない辺り、ある意味幼くはあるが、やり方はえぐい。
「ま、その自覚はある。神官とは言え、もともと異常な国で生まれた人間だ。真っ当な方法を知っていたはずもないよね」
そう言った意味では、オレはかなり恵まれていたのだろう。
己の出自も知らず、両親は何も告げずに死んでいった。
一部からは身分の卑しい孤児として扱われ、城でも蔑みの視線は少なからずあったと思っている。
それでも、最低限の良識は教えられ、さらに、良い主人や師に巡り合えたのだ。
それらの出来事は、オレたち兄弟にとって、一生分の運を使い果たしたほどのものだったことだろう。
それに、多少、セントポーリアという国もおかしな面はあるのだが、目の前の男の生まれ育った場所よりはマシだと言える。
何より、異常なのは国、と言うよりも、王妃と王子、そして、それに付き従う者たちで、ほんの一部でしかない。
国全体が狂気に満ちているミラージュとは全く違うと言いきれるだろう。
そこだけは、救いだった。
やはり、産まれた場所はどこか特別なのだ。
それは多分、ここで眠っている栞にとっても……。
「それで、笹さんに頼みがあるんだけど」
「頼み?」
聞き返すと、赤い髪の男はにやりと笑って言った。
「栞を、ミラージュだけには渡さないでほしい」
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