準神官と王女殿下
「ああ、そうか」
長い沈黙の後、来島は呟いた。
「あの時、飲み込まれたのは、黒髪の少年だったって聞いた」
その言葉に肩が震えたのが自分でも分かる。
こいつは、「巻き込まれた」ではなく、「飲み込まれた」と口にした。
その存在が、セントポーリア城に現れた時、その場にいたのはオレではなく兄貴だったはずだ。
つまり、こいつは、オレの兄貴が「翼が生えた大蛇」と呼ばれる生き物に飲み込まれたことがあるのを知っているらしい。
「それって、実は笹さんだった?」
「……違う」
「……だよね~。笹さんは、その身を挺して、あのバ……いや、愚殿下を庇うほど忠誠心が高いとは思えないから」
「あ?」
なんか、今、変な言葉を聞いたような気がする。
いや、それ以上に……。
「兄貴が、王子殿下を庇った……だと?」
そっちは初耳だった。
オレが聞いていたのは、兄貴が「翼が生えた大蛇」と呼ばれる生き物に飲み込まれたという話だけだ。
いつもなら、日曜の夜までには戻って来る兄貴が珍しく、月曜の朝に戻った。
だから、何気なくその理由を聞いたら、そう返ってきたのだ。
伝説上の生き物に呑まれ、伝説の剣に救われた、と。
「ああ、なるほど。なんで、当事者でもない笹さんが知っていたのかと思えば、その黒髪の少年は雄也さんだったのか。あの王子殿下にしては献身的な部下を持っていたと感心したが、あの人なら、それぐらいの『芝居』をしても不思議じゃないか」
「芝居で蛇に呑まれるって熱演にもほどがあると思うのだが……」
だが、あの兄貴なら、それぐらいのことはやりかねないとも思う。
そこにそれだけの価値があると思えば、どんな屈辱にも笑顔で応じるような男だから。
「その結果、次期国王と目される王子殿下は疑わない。まさか、我が身を庇う忠臣が裏切るとは思ってもいないだろうね。尤も、あの王子殿下は、そんな思惑すら簡単に裏切ってくれるけどさ」
「どういうことだ?」
来島の意味深な口ぶりに、思わず問い返した。
「雄也さんが話していないことを、俺が話すと思う? 聞いてみなよ。貴国の王子殿下のクズっぷりを知ることになるだけだからさ」
「王子殿下がクズなのは昔っから知ってんだよ」
例え、その忠臣を盾にしたとしても驚かないし、爆弾抱えて特攻させるような自爆攻撃を命じたとしても納得する。
あの王子は、外面はそれなりにまともな男を演じているが、その裏では、人を蹴落とすことしか考えていない男だ。
自分が上にのし上がるより、上にいる人間を引きずり落そうとするタイプ。
そうでなければ、あの頃のシオリがあんなに泣くこともなかった。
声こそ出してはいないが、出会った頃のシオリは本当によく泣いていたのだ。
シオリは魔力を押さえ、オレたちもそれに倣っていたが、それでも、その魔力がそれなりにあったというだけで、オレや兄貴に対しても、あの王子は目の敵にした。
だから、初めて会った時のシオリが流していた大粒の涙も、あの王子のせいだと思っている。
昨日の涙はこの男のせいだがな。
「『翼が生えた大蛇』については、セントポーリアのバ……、いや、救いようがない王子殿下殿に贈ったものだ」
「ストレリチアの王女殿下の代わりに、か?」
そっちもオレは気になっていたのだ。
若宮が贈ったはずの魔獣と、兄貴を襲った生き物は、似ているけど全然違ったのだから。
だが、時期は一致するのだ。
だから、無関係とは思っていない。
「ああ、そこまで知ってるのか。そうだよ。そして、そっちは俺がやったやつだ」
「お前が?」
「あの馬鹿王子、ストレリチアの王女殿下にとんでもないものを送りつけたから、彼女も反撃に出たんだ。その生き物を『翼が生えた大蛇』に変えたんだよ」
それは、どこか感情的な言葉だった。
「若……、いや、王女殿下の話では送り付けようとしたのは、『大蛇』だったはずだ。そっちはどうした?」
「聞きたい?」
来島の口元が妖しく光る。
「いや、別に……」
嫌な予感がしたため、そう断りを入れかけたが……。
「あの頃の俺は、大聖堂に立ち入ることが許された『灰色』だったんだ」
来島は遮るように続けた。
オレの反応に関係なく、話しかったらしい。
灰色……。
見習神官の上で、髪を下ろすことが許された準神官か。
だが、入れると言ってもほぼ雑務だったはずだ。
そして、命令以外、自らの意思で入ることはできない。
「そこで、何故か俺は………………、とても可愛らしい……、容姿の………………、王女殿下に遭遇した」
そのかなりの不自然な間に、ヤツの葛藤を感じる。
今となっては認めたくないが、本当に当時は可愛らしかったのだろう。
いや、黙っていれば、若宮、もとい、ストレリチアの王女殿下は、綺麗と言える顔立ちをしている。
あの中身を知らなければ騙される男も多いだろう。
傍にいる大神官や、兄であるグラナディーン王子殿下の容姿が整いすぎていて、そこまで目立たないだけだ。
中身を知った後では、あの王女殿下は「毒のある植物」系の花にしか見えなくなるのだが。
「それは、災難だったな」
その前の言葉と、その間でそう察することしかできない。
「おお、アレで、俺の人生変わったぜ」
人生を変えられちまったのか。
それはお気の毒としか言いようがない。
「王女殿下の方はもう覚えていないと思うけど、歳が近かったせいか。妙に呼び付けられるようになった」
その時点で嫌な予感しかねえ。
金髪に翡翠の瞳を持った王女殿下が、扇を持って高笑いをしている妙な図が思い浮かんだ。
「まあ、大人を使うよりはガキの方が扱いやすいよな。しかも、見習神官よりも大聖堂は入りやすい。そして、周囲も反対できん。相手は5歳年上の兄王子殿下より魔力の強い王女殿下だったからな」
ああ、そんな話を聞いたことがある。
オレたちもそれに、半分、巻き込まれたようなものだった。
「……と言っても、頼まれることの大半はお使いを始めとした雑務だったな。神務の片手間にできる程度しか言われなかった。あっちからすれば、暇つぶし程度だったんだと思う」
オレはなんとなく、すぐ近くで眠る女を見た。
栞も、もとはと言えば、あの王女殿下の暇つぶしでストレリチア城に呼びつけられた。
そして、紆余曲折の果てに、「聖女の卵」となったのだ。
「……で、ある日。どこぞの王子殿下より送り付けられた品にとんでもない魔獣が入っていたんだ」
「魔獣?」
そう言えば、大蛇を送ったのは返礼だったはずだ。
その前に送り付けられた魔獣については何も聞いていなかった。
「リスみたいな……齧歯類、『毒を持つ小動物』だ」
「なっ!?」
あの馬鹿王子、なんてモノを他国の王女に送っていやがるんだ。
この男が言った「毒を持つ小動物」は、森に棲む小動物の一種で、見た目は黒目がちでかなり愛らしく、性格は温厚で穏やかだが、その皮膚に麻痺性の神経毒、さらにその体内には致死性の猛毒を持っているため、大量発生する春に討伐対象となってしまうような魔獣だ。
解毒魔法もある程度、魔力が強くなければ効果が出ず、嫌がらせの度合いを越えていると言えるだろう。
「幸い、王女殿下は、開封時に近くにいた準神官が解毒魔法を使えたため、その場ですぐ、命は取り留めた。それに、外へ露見することも避けられた」
「お前が、助けたのか?」
会話の流れから、そう思った。
外に露見していない話をこの男が知っている理由がそれだろう、と。
「俺、基本的に、惚れた女に甘いんだよ」
「惚れてたのか」
「おお。外見はともかく、中身がちょっと初恋の女に似ている気がしてな。気のせい、いや、気の迷いだったが」
まあ、外見が悪くない女で、その内面に初恋の女を見たのなら、好意を持つのはおかしくもないか。
特に、神官は世界が狭い。
悪女に騙されることも多いだろう。
「けど、初恋って、まさか、栞じゃねえだろうな?」
「おいおい? 笹さんと一緒にするなよ。俺の初恋は、栞や王女殿下に会う前。自国にいる幼馴染だ」
「幼馴染……」
なんだろう?
この既視感。
オレはなんとなく、自分の胸を撫でたのだった。
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