哀を語ろうか
「吐き気がするような国だな」
つらつらと並べられた国の法律。
それを聞いただけで胸糞が悪くなってくる。
そんなの国民を守るための法じゃねえだろう。
仮に、本当にそれが法力を宿すための手法だとしても、上の人間たちの都合がの良いように、国民を作り替えるための我が儘でしかないと思える。
しかも、女ばかりが被害に遭うようにされているとか、どれだけ男尊女卑が盛り込まれた悪法なんだ?
「寧ろ、いきなり聞かされてその程度の反応で済んでいる笹さんは意外だよ。もっと、感情が出ると思っていた」
「そこまで感情的じゃねえ。それにお前の国の話だ。無関係な他国のオレが、安全な場所から憤っても、仕方ねえ」
王族であっても、他国の領域は不可侵だ。
口を出しても、手は出せん。
手は貸せても、邪魔はできん。
相手から伸ばした手をとるならともかく、頼まれもしないのに首を突っ込むことなど許されない。
全ての人間を掬う傲慢さなど、選ばれた人間でも容易に抱けるものではない。
「その辺、笹さんはしっかり魔界人だよな」
来島は満足そうに笑う。
すぐ近くで眠っている誰かと比較しているのだろうが、彼女ほど極端な考え方をするのは、人間界でも稀だろう。
「そんなわけで、俺は栞を自分のモノにはできないんだよ」
「……させる気もねえよ」
だが、同時に納得できる部分がいくつかあった。
あのミラージュの紅い髪の男、ライトとか言う名前のヤツは、本気で栞を攫おうとはしていないとずっと思っていた。
どこからか観察しているのだ。
いくらでもその隙はあるだろう。
そして、万一、栞を手に入れることができたとしても、自分の国にだけは連れて行かない気がした。
せっかく手に入れた「聖女」だ。
他の野郎に穢されることは望まない、と思う。
そして、ヤツの妹である「ミラ」との「事情」も、その話を聞いた今なら、少しだけ、理解出来たような気がした。
「その法は公布されてんのか?」
法と言うからには、公布しなければ効力を発揮しないはずだ。
流石に絶対王政であっても、広く周知しなければ、王の独り言にしかならない。
「一応ね。でも、国民のほとんどは字が読めない。学がないから識字率が低いんだ」
「王族は読めるだろ?」
「さあ? 王族……、いや、貴族は自国の文字より、他大陸の文字の方が読める人間の方が多いね。そちらを優先させられる。俺たちの国の文字は、親が教えない限り、独学で勉強するしかない」
「無茶苦茶だな」
確かに貴族でもない人間の識字率が低いことなんてどこの国でもよくある話だ。
国境を含めた辺境の地域では、その国の中心でもある城下のように学ぶ場所が確立されているとは限らない。
だが、自国……、自分の住む大陸言語より他大陸の言語を優先させる理由は分からない。
まるで、自分の国の言葉を知られては都合が悪いようではないか。
「そうだよね。俺も、その異常さにはすぐ気付かなかった。外を知って、初めて中の穢れに気付いたんだ」
分別の付く大人ならともかく、自己判断のできない赤ん坊のうちから洗脳されていれば、その異常さに気付くこともなかっただろう。
この世界では、「発情期」から引き起こされる行為が不幸な事故として、容認までいかなくても許容されている。
それが幅広く、極端化しただけで、同じようなものだ。
だが、外に出れば嫌でも比較対象はある。
自国の異様さに気付いてしまう人間は、知らないままでいる人間とどちらが不幸なのだろうか?
「だが、そこを完全に抜けて生きていくことはできない。俺たちは産まれた時から『呪刻』によって縛られる」
「呪刻?」
「そ。国に隷属、奴隷の証みたいなもんだね。どうやっても消えない刻印が、産まれて数日ほどで、身体のどこかに浮かぶんだ」
オレたちが命呪で縛られているようなものか。
それでは、疑問が浮かんでも逆らうことはできない。
そして、それは良いことを聞いた。
それが、ミラージュの証ってことだな。
「魔法を使う時とか、体温が高い時ぐらいしか出てこないけどね」
「風呂は?」
少なくとも、一度、身体を見た限りでは、そんなものは刻まれていなかった気がする。
「ああ、風呂でも出る。だから、温泉ではちゃんと隠していたよ」
なるほど、隠すことはできるのか。
つまり、それを判断基準としない方が良いらしい。
「俺たちの国は異常だよ。だけど、それをしなければ国として持たなかった」
「国として……?」
「まあ、そんな我が国の事情はどうでも良いか。これ以上、笹さんに話しても、同情ぐらいしか得るものはない」
来島は肩を竦める。
「時間も、あまりないことだからね」
そう言いながら、栞を見た。
阿呆が。
どう見ても、未練タラタラじゃねえか。
だが、言ってやらない。
それは本当に余計なことだから。
「法力については、ここで論じてもそれ以上の証明する手立てはないから、この場で結論は出ないだろ? だから、大神官猊下に真偽を確認してくれ。あの方、基本的に隠し事は巧いけど、嘘は絶対吐かないから」
「それは知っている」
だからこそ、信用しているんだ。
だが、その言葉では、大神官は全て、承知していると言うことか?
「じゃあ、お前は何しに現れた?」
「笹さんに伝え忘れていたことがあって……」
「オレに?」
本当に、オレに用があったのか?
だが、相手はミラージュの人間だ。
ここで警戒心を緩ませるわけにはいかない。
「岩上には気を付けろ」
「深織に?」
意外な人物の名前が出てきて、思わず来島を見た。
冗談を言っているような雰囲気ではない。
オレは次の言葉を待つ。
「『ゆめ』は今いる場所から抜け出すためには何でもする。そこにいる人間を蹴落として、成り代わろうとすることだってあるんだ」
「それは経験談か?」
「いや、これまで『ゆめ』を見てきた男の、取るに足らん感想だ」
オレの言葉にいつものように悪乗りもせず、来島はそう言いきった。
「俺だって、その蹴落とされようとしている人間が栞じゃなきゃ気にもしない」
まあ、オレを使って抜け出そうとするのなら、栞を狙うのは自然だろう。
だが……。
「……栞が蹴落とされるとでも?」
そんなに可愛らしく、容易い相手ならオレも来島も頭を悩ませることなどなかっただろう。
このオレが傍にいて、さらには兄貴や水尾さん、真央さんの目を盗むことはほぼ不可能に近い。
何より、長耳族のリヒトの耳を誤魔化すことは無理だろう。
オレたちだって、厳重に防御しても読まれることがあるのだ。
今は封印しているが、この「ゆめの郷」から出れば、またヤツの耳は使えるようになる。
「思っていない。だが、万一のこともある。ここの『ゆめ』には一般的でない魔法を持っている人間が多いんだ。幻惑、魅了、投影、……それに、洗脳」
「物騒な魔法しかねえな」
しかも、聞いた限り、明らかに精神系ばかりだ。
精神的な油断を誘われるだけで、耐性がなければ簡単にやられる可能性もある。
だが、深織は明らかに風属性が強かった。
同じ風属性が主体の栞やオレの魔気の護りを貫くほどのものは相当の魔力と魔法力を必要とするだろう。
「変わったところでは変化、変換……」
「変換?」
変化は分かる。
変身みたいなものだろう。
だが、変換はよく分からない。
「よくあるのはチェンジだよ。外見そのままで、中身の入れ替えとかな」
「あ?」
なんだ、その漫画みたいな話は……。
「かなり特殊な魔法だから、それを岩上が使えるかは分からんけど、栞と、岩上が入れ替わったら、流石に笹さんでも気付かねえだろ」
「いや、気付く」
「あ?」
「栞がどんな姿になっても、オレには分かるよ」
記憶や魔力を封印されて、人間界へ行っても、オレはすぐに彼女を見つけ出した。
それがどんな理屈によるものか分からない。
だが……。
「この世界のどこにいても、栞の場所だけは絶対に分かる」
それだけは……、昔から変わらないのだ。
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