ご褒美
完璧な敗北だった。
自分の攻撃は防がれた上、さらに同じような魔法を返されたのだ。
これ以上、見事な負けっぷりなどありえない。
それも、それをやったのが、本来、自分が護るべき主人で、さらに、自身が惚れている女だったわけだ。
普通なら、男として、いや、人間として打ちのめされるところなのだろうけど……。
「なんだ? このご褒美」
目が覚めた時、オレは思わずそう口にしていた。
今まで、彼女の寝顔を間近で見た経験は何度もある。
基本的にこの女は、オレを寝具と勘違いしているような女だ。
目の前で呑気に寝息を立てられることは珍しくない。
だが、今日の寝具っぷりは一味違った。
彼女は、オレの左腕に頭を載せていたのだ。
俗に言う腕枕というやつである。
さらに胸元に顔を埋めるように張り付いている。
状況から考えて、オレの意識を吹っ飛ばした直後に、自分の意識も飛んでしまったのだろう。
部屋の照明も明々と付いたままだった。
だからこそすぐ、状況に気付けたわけだが……。
いや、始めは夢だと思った。
普通に考えれば、主人が護衛に自分からくっつくなんてありえないのだ。
この女は基本的に相手に応えない。
だが、意識を飛ばす直前に、確かにオレの胸に張り付いてきた気はした。
そして、目が覚めた時……。
本当に夢だとしか思えなかった。
腕にあった重量感を意識するよりも先に、まず、目に入ったのは彼女の頭だった。
黒い髪の毛があって、本気で驚いたのだ。
まるで、覚えてもいない夢の続きだと……。
だが、この温もりと感触、気配、そして……匂いが、これは現実だと告げている。
困った。
何より、動けない。
下手に動くと、起こしてしまう。
時間は何時ぐらいだ?
周りが暗いから、そんなに時間は経っていないだろう。
えっと……?
オレは護衛として、どうするのが正解なんだ?
恐らく、今、一番、彼女にとって危険なのは間違いなくオレだぞ?
じゃあ、動けるかと言われたら、動きたくない。
彼女を起こさずに動く方法はあるが、もっと堪能したかった。
いや、この状態って、至福だぞ?
思わず何も考えず、このまま抱き締めたい衝動にかられる。
だが、我慢だ!
この状況はただの罠だ。
うっかり抱き締めでもしたら、その瞬間に目が覚めてしまうとかそんなやつだ!!
だけど、ちょっとぐらい……、と思わなくもない。
他の女が欲しいとはあまり思わなくても、この女は別格の存在だぞ?
それ以上に、どう考えても、年頃の飢えた男が、極上の餌を前に、手を伸ばさずに我慢できるものか?
もっと別のことに気を散らせって言うけど、できるか!!
こんなにも柔らかいんだぞ?
温かいんだぞ?
可愛いんだぞ?
良い匂いなんだぞ?
自分の五感全てに、これだけ訴えかけるような存在を無視して、他のことなんか考えられるか!!
一通り、混乱した所で、ようやく思考は落ち着いて、一つの結論を叩き出す。
即ち、ある程度は開き直って良いんじゃねえか? ってことだ。
そもそも、「発情期」中のオレを知っていても、こんな無防備なままなんだ。
つまり、多少、言ったぐらいじゃ毛の先ほども伝わらない。
でも、それなら、どこまでする?
今の腕枕状態で、割と満足しているような安い男だ。
抱き締めたいとは思うけど、それ以上のことがしたいかと言えば、そこまででもなかった。
全くの未経験者なら違ったかもしれない。
だが、既に彼女に触れた記憶はある。
そして、それに対する反応も知った。
それでも、この状態で、あの時のような反応は多分、ない。
なんとなく右腕を動かして、軽く抱き締める。
柔らかくて温かい。
これだけでも、かなり幸せだと思う。
昨日までは、今後、二度と触れることもできないと覚悟していたぐらいだったから。
年頃の男として、これだけで満たされてしまうのはどうかと思わなくもないが、こればかりは仕方ないだろう。
そして、同時に……、腹が立つ気配にも気付いてしまったわけだが……。
「あの野郎……」
なんとなく、そんな気配はあった。
それとなく言われてもいたし。
「なるほど、それでタートルネックなんか着ていたのか」
栞の首元辺りに、彼女と別の気配が淀んで、いや、紛れていたのだ。
こうして、接しなければ分からないほど微弱な火属性の気配。
だが、彼女の押さえていても強力な体内魔気に混ざっても、自己主張を続けることができるというのは、彼女を越える魔力所持者が触れ続けるか、意図的に魔力を込めた接触を行うかのどちらかだ。
つまり、自然現象ではありえない。
前者は圧倒的に数が少ないだめ、後者だろう。
本来は、自分の所有物だと周囲に知らしめる「印付け」行為。
この場合は、同性に対する牽制の意図もある。
即ち「この異性に手を出すな」。
オレも同じことをしたのは認めよう。
先に栞を自分の所有物扱いした。
彼女の意思とは無関係に、オレの証をその身体に刻み込んだ。
その効果はたった数日程度。
だが、それだけで、彼女に手を出そうと考える男は確実に減る……はずだった。
そんな小さな独占欲は、元から彼女を想う人間にはその火を燃え上がらせるだけだ。
人間界にいた時に、温泉で、あの男がやったように。
「……ん?」
つまり……?
オレは、人間界にいた時から、既にこの女が好きだったのか?
いやいやいや?
そんな馬鹿な?
確かに前々から可愛いとは思っていたし、自分の好みに近いなとは気付いていた。
だけど、その頃にそんな感情は、なかった、はず?
少なくとも、ここまでの感情ではなかった。
あの時、彼女に触れたいとは思った。
一度、触れたら、もっと触れたいと願って、抱き締めた。
それだけで、十分な思考と行動じゃねえか。
少なくとも、その時点で芽生えていたものはあったのだ。
ただ、気付かないふりをしただけ。
気付いてしまえば、あの頃のオレは耐えられなかったとは思う。
自覚してしまえば、口にしたくなっただろう。
だから、想いに蓋をして厳重に封印した。
その上で、「この女だけはあり得ない」と、そう自分の意思を捻じ曲げた。
それがどうだ?
しっかり閉じ込めて育ったものは、「この女しかありえない」だ。
いくら何でも、極端すぎるだろう。
しかし、起きねえな、この女。
これ以上のことをする気はないが、それでもここまで鈍いと腹も立つ。
しっかり腕の中に包み込んでいるのに。
重くねえのか?
それに、彼女の首元にあるいくつもの「印付け」を、上書きしたくなる程度の感情はあるのだ。
それ以外の部分に、微かに自分の気配が残っているから、我慢できなくはないが。
我ながら、しっかり付けたもんだ。
それに、あの日から数日経っているというのに、これだけの量がまだ残っているのだから侮れない。
それだけ、あちこちに想いを込めたってことか。
二度目はないと分かっていたからな。
最初で最後の男女の触れあい。
そして、あんな彼女を見ることは二度とないだろう。
あの時の栞は、可愛いだけじゃなくて…………。
これ以上、考えないようにしよう。
いろいろマズい。
しかも、今、実物が腕の中にあるのだ。
その状況で、オレも起動するのはあらゆる意味でまずい。
流石に、起こそう。
これ以上は、オレが無理だ。
「栞」
彼女の頭に向かって声をかける。
しかし、彼女は寝起きが悪いのだ。
「ん~?」
寝惚けた声で、胸元でもぞもぞと動く。
いろいろなものが刺激されて、かなり困る。
「おい、こら。起きろ」
「ん~?」
まだ起きる気はないらしい。
「起きろって……」
「やだ~」
完全に寝惚けているらしい。
状況も分かっていないだろう。
「お前、状況を見ろ!」
「ん~? あったかい?」
「ぐっ!?」
うっかり腕に力がこもった。
あの時も、同じようなことを言われたのだ。
「おいこら!!」
「眠いから、寝かせて……」
「このドあほおおおおおおおおおおっ!!」
そんなオレの心からの叫びにも彼女は目を覚ますことなく、暫くはこんな問答を繰り返すのであった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




