プロローグ3
不穏な風が嵐のように吹き込む。空気が重量を持っているように重いなか、黒髪のガタイのいい男がお重箱をドカッと置いた。彼の名前は黒瀬陽大。コミュ障だ。彼は一番量のある昼食を取りながら一番早く食べ終わる。
彼はコミュ障であるが、同時に物凄くマイペースで食べるときは食べることに集中し、部活で練習するときは練習の事しか考えられず、話しかけられても話しかけられたことにも気付かない。表情筋も固まっているのかというくらい固く、ニコリと笑うのも苦手でガタイがよく目つきも鋭いので彼には友達が出来ず、いつの間にかクールといったキャラに思われてしまった。
しかし、友達というものが欲しくない訳でもなく、話しかける努力もするのだがその結果は惨敗。
5年前に行方不明となった兄には、おかしな友人達がいたのだが、陽大には友達と言える者があまりいない。強いて言えば雅人くらいだ。
雅人は"能力が高い者は能力の高い者と共にいるべきだ"と思っていて、陽大は顔がよく高校生になってから入った柔道部では、初心者ながら先輩や先生達に目をかけられていたので、雅人のお眼鏡に叶った訳だ。
雅人が一緒にいることを嫌がらないので、現在はこのグループに居るに至る。ちなみに雅人とも一日にそれほど話さない。
そんな彼が視線を弁当箱から離して前を見ると、黒い髪を持つ小柄な少年が一人。即ち紡だ。
(昼食を食べ終わった。目の前には話したことのクラスメイト。確か彼は…えーと……なんて名前だっけ…。なんかの動物の名前が名前か苗字に入っていた気がする…。…確か、ぞう…。いや違う…。猪…も違う。サイ…そうサイだ。サイ。サイに北?あ、東だった気がする。さい、とう。斉藤。そうだった。斎藤だ。話しかければ友達に成れるかな?話しかける前に逃げられないかな?)
黒瀬陽大が友達が出来ない理由。中でも一番厄介なのが、相手の名前を思い出そうとするときに出来る、チンピラも逃げ出すような鋭い目だ。彼がそんなことを考えている内に不穏な嵐がさっていったが彼は全然気づいていなかった。
紡は後悔をしていた。少し前の黙り込んでしまったことを。葵を傷付けてしまったことを。何よりそんなことがあったのに話しかけてくる葵に強い申し訳なさを感じていた。
「昨日の体育で驚きましたよ!紡君は相変わらず運動神経がいいですね!」
「…そう…?ありがとう…」
葵に申し訳なさを感じている紡だが、葵本人の心象は、
(せっかく紡君と一緒に昼食を取れるのに落ち込んでいるのはもったいないです!もっと仲良くなって昔のような気安い関係に戻りたいです!)
というものなのでいちいち申し訳なさを感じる方が気安い関係に戻りたがっている葵的には困ることだ。
「そうね。確かに陸上部のみんなと比べても遜色ないくらい速かったわね」
話の話題は昨日の体育で行った短距離走の話だ。紡はそのもさもさした見た目からして運動が苦手だと思われることが多いがそんなことはなく、どちらかというと運動は卒なくこなす方だ。
「腕の振り方や姿勢もしっかりしていたし、中学校のとき陸上部に入っていたの?」
陸上関係の話題だからか、珍しく紡に話しかける薫。
(さっきはどうなるかと思ったけれど、葵がいつも通りに戻ってくれて助かったわ。…陸上の話題だけれど、本当に陸上部入って来ないのがもったいないくらい綺麗なフォームだったわね…)
「…いや、入ってないよ」
「え?それじゃ誰かに走るのを教わったとか?」
薫は疑問に思った。あんなに綺麗なフォームは誰かに教わらないと出来ないはずだと。
「…えーと…陸上部の人の走り方を自分なりに意識したんだ…だから、陸上部の人に教わった…かな…?」
紡は陸上部の人の走り方をみてそれを真似たが、実際に同じ動きをしたわけではない。同じ動きをしても紡の筋力の方がないので遅くなってしまう。なので、完全には同じ動きをせずに自分にあったフォームを短時間で模索し、自分の動きにしてしまったのだ。
(…今の言い方だとクラスの陸上部の走り方を意識して走ったということなのかしら…?意識しただけで普通あんなに走れる?それに、むしろ走り方の姿勢が陸上部の誰より綺麗だったわ。…羨ましい)
薫は誰にも教わらずに綺麗に走ることをしていた紡の才能を羨ましいと思った。薫は自分は才能がないことを知っている。
小学2年生から始めた陸上。部活では一番足が遅くて誰かの背中を見ながら走った。進級して人数が増えても同学年で一番遅かった。それでも一生懸命に取り組み地区でもうすぐ県大会に行けるという肝心なところで転んでそれを逃した。
中学生になると周りのレベルも上がり、さらに競技の全体人数も増えた。そんな中いい結果が出なくて伸び悩んだりした。
しかし、それでも練習して部の中で一番速くなり部長になったが、結局全国規模の大会には出場出来ずに高校に進学し、いい結果が欲しいと焦り過ぎて足を痛め、結局遠回りをすることになった。
だから羨ましいと嫉妬した。
「へぇ、すごいわね!」
薫は顔には絶対に嫉妬を出すものかと笑顔で会話する。
「…そうか?そんなにすごいとは思わないが…」
そう声をかけたのはやはり雅人だ。紡が褒められることが面白くないのだろう。強い対抗心を燃やしている様子である。ちなみに体育のときに測ったタイムは紡より雅人の方が速い。
「現に俺の方が速かっただろう?」
「雅人が速いことは知ってるわ。それこそ陸上部の人でも勝てる人を探す方が難しいくらい」
薫は小学校の頃から一緒にいた雅人には、一度も走りで勝ったことはない。運動会や学校の行事であったマラソン大会でも雅人は常に一番だった。
「でも、走り方自体は斉藤君の方が綺麗なのよ」
紡の走り方は無駄がない。ただ前に進むことに力を使っていて、速いのに軽く走っているような印象が強い。たいして雅人は身体能力が他の人より桁違いで高く、それをゴリ押しして走っているような感じだ。
「綺麗でなくとも速い方がいいに決まっているだろう?それに意識すれば俺にもあれくらい出来る」
雅人は自信満々にそういった。雅人からすれば結果が全てで、綺麗さを競う競技でもない短距離走で自分より遅い紡が称えられるのは気にいらなかったのだ。もっというならば葵に称賛される紡が気に入らないのだ。
「本当にそうかしら…?難しいと思うわ」
(それでも絶対に出来ないと言い切れないのが、雅人の恐ろしいとこなのよね…)
(なんか前からくる視線が…さっきから痛い)
紡はだいぶ食べ終わってきたパンを一口口に運びながらそう思った。前の席は陽大なのだが話しかける機会を待っている陽大は、まるで肉食獣が獲物を見つけ、虎視眈々と狙っているような目付きをしていた。なんとなく紡は居心地が悪い。
(なんでこんなに見つめられているんだろう。…話しかけて確かめてみるかな…?でも話しかけたら迷惑かな…?)
「紡君!紡君!今日の七時からテレビでやる動物特集見ますか!」
「えっあっ、いや…見ないよ?」
紡は帰る時間を遅くして、帰ったとしても与えられた部屋へ直行して、夕飯を食べるときも部屋で食べるようにしているので基本テレビは見ない。
紡の住むマンションで紡と暮らしているのは、本当の家族ではなく父方の親戚だ。なので、紡は極力彼らの邪魔をせずに暮らそうと思ってテレビのあるリビングには顔を出さないようにしている。
「むむっ!そうなんですね…!私は楽しみにしているんですよ!特におもしろホームムービーって企画があるんですけど、そこで紹介されるわんちゃんとかネコちゃんとか可愛いんですよね〜♪ありきたりな日常の中の一コマって感じで見ているとほんわかしてくるんです!よかったら今度見てみてください!」
「…うん。機会があったら見るよ」
紡は見る機会はないだろうと思いながらも、興味を抱く。紡はそういった動物番組を見ることは好きであるし、実際に見てみたいと思った。しかし、どちらにしても今日の午後はバイトがあるので、見れないだろう。
「そういえば紡君はわんちゃん派ですか?ネコちゃん派ですか?」
葵が定番の質問をする。
「猫派だよ」
即答だった。紡はこれまで少し俯きながらよく言えば落ち着きのある、悪く言えば元気のないような声だったが、今は明るくハキハキとした声でこころなしか表情も明るかった。前髪が長くて目元が完全に見えないが緩んでいる口元からそれが伺える。しかも今日初めて人の方向を見て話した。
「ネコちゃん派ですか!いいですね!私は両方、同じくらい好きなんですけどね!」
(なんだか思っていた以上に紡君が反応しました。…嬉しいんですけど、この質問一つで今までのどんな会話より反応を返されると少し複雑な気持ちです…。嬉しいことは変わりないんですけどね)
葵は紡と仲良くなるためにいろんな質問をこの一ヶ月と少ししてきたのだが、ここまで反応がいいのは初めてだった。
(でもこの話題で久しぶりに紡君と盛り上がれそうです!)
「紡君はネコちゃんのどこが好きなんですか?」
その質問は失敗だった。確かにこの質問で紡は盛り上がった。けれど盛り上がりすぎたのだ。
「好きなところ?好きなところはねまず一つ反応が可愛いんだ猫って音に敏感でなにか大きな音がなると目をまんまるにして音のなった方を見るんだそれでね恐る恐るその音のなった方に近付いているときビクビクとなっていると守らなきゃと庇護欲を誘う仕草をして可愛いあとね寂しいとすりよってきたり甘えるように鳴いたりして可愛いんだそれになでたとき手触りが良くて温かくて心地がいいんだそれにねヒゲが長くて可愛くてあくびをするのも可愛くて毛づくろいをしてる仕草も可愛くて歩いている姿も可愛くて尻尾を揺らしているところも可愛くてご飯を食べているときも可愛いそれにねそれにね悲しい時は宥めてくれたり一緒にいてくれたりしてそんなところもグッときてーーー………「あっあの〜紡君…?」それとね僕が来たら自然と近付いて来てくれたり眠いときの表情なんかも可愛くて白い毛並みは綺麗で神秘的な美しさがあって可愛くてーーー………「ね、ねえ斉藤君ってこんなスラスラ話す人なの…?」左右の目の色が違っているところも人間にはあまり見ない特徴で美しくてどっちの目も宝石の輝きが霞んで見える程綺麗でピンク色の肉球は可愛くて最高の感触を誇っていてーーー………「おい!君その話はもういいだr」とにかく可愛くて綺麗で神秘的で美しくてこの世の生き物とは思えないくらい素晴らしい完璧な存在だと思うんだ!」
ここまで一息で紡は語る。しかし予想以上にヒートアップした紡を見て葵は密かに(前にもこんなことがありましたね)と苦笑いしながら、それでも元気な紡を見てそんなところも素敵だと思った。
薫は紡の勢いに若干引き気味になり、雅人もなんだコイツみたいな視線を紡に投げかけている。陽大は斉藤、あんなに話せて凄いなぁと尊敬した。
(?今の紡君の話、最初の方はネコちゃん全般に言えることでしたが、後半は特定のネコちゃんのことを話してた…?)
葵はそのことに気付き首を傾げた。