恐れられる理由
「アルドー、おいで」
こっちに来てと、エリスは手招きした。ここはリビング。顔を動かせばキッチンが見える。
おいでといっているけど、まだネールさん達に帰った様子はない。挨拶をしてということかな……。とツムギは納得する。
聞き分けのいい子を演じているから、行かないという選択はない。それだけではなく、手は出来るだけかけたくないのでエリスの元にツムギは歩を進めた。
リビングを出て客間のある部屋へ移動している。なんてことないような顔をしている男の子の手は、緊張で震えている。
ここは民間療法を使おう。思い立ったが即実行、手のひらに人と書いては飲み込み、飲み込んでは人と書く。
三回繰り返すとエリスに不審がられないようにと緊張感も伴っていたからか、いつもより効果があった気がした。
後は人の顔をじゃがいもだと思えば大丈夫。そう考えるツムギの手の震えはいつの間にかなくなっていた。
客間の前に着くとエリスは「入るわ」と一言喋る。
エリスの後についてツムギも客間に入ると、三個の人面じゃがいもに視線を向けられた。じろり。
(じゃがいもと思うなんて無理だよ。人の顔にしか見えないし……)
よくよく考えれば、人の体をした顔だけじゃがいもの人間がいたら怖い。じゃがいもと話すか、人間と話すか、どっちの方がいいと聞かれたら、ツムギは迷いなく人間と話す方を選ぶだろう。
じゃがいもか話し出したら、何を話していいのか分からなくなってしまう。
「こんにちは……」
頭を軽く下げ言葉を囀る。硬くない笑顔を心がけて。
考えごとで緊張感を紛らわせながら、ツムギは取り敢えず挨拶をした。髪が黒くさらりと頭を下げた動きに連れ添い揺れる。
「ああ、アルドー君こんにちは」
ネールは親戚の叔父さんが甥っ子に挨拶をするような気安さだった。その気安さは、緊張をしている今の状態なら好ましいものだ。ツムギは自分が敬語を止める気はないが、相手に堅苦しい態度を取られると無駄に緊張してしまうから。
大丈夫。自分は話せる……。と表情は変えずにツムギはホッとした。
「あらー! 礼儀正しいわね! こんにちはー!」
本当に見事なまでに、黒い髪と目だ。フィリスは話には聞いていたが、ツムギと合うのは初めてだ。
「か、かわいい……」
赤髪の幼い少女は小さな声で呟き、フラッと立って椅子から離れた。そして突然近づいて来た少女に、ツムギはどういう反応をすれば……と目を瞬かせながら硬直する。
「初めまして! あたし、リーネって言うの。リーネお姉ちゃんって呼んでね!」
ツムギの前に立って、自己紹介をしながらリーネは手を差し出した。
ツムギはおずおずとその手に合わせて手を伸ばし、その手を握った。
「は、初めまして……」
「ね、ね、アルドーって名前は呼びにくいから、アルちゃんって呼んでいい?」
ちゃん付けって女の子みたいだと思ったツムギだが気にしないことにした。
「え、あ、はい。好きなように呼んでいいですよ」
「じゃあ、今度はアルちゃんがあたしのこと呼んで!」
ニッコリとリーネは笑う。
「リーネ……お姉ちゃん……」
「うん♪」
「わっ!」
ツムギが言いようのない気恥ずかしさを纏い呟く言葉に、リーネは頷きツムギを抱き締めた。ツムギは、突然抱きしめられて驚きの声を漏らした。
お姉ちゃん……。初めて誰かに向けて呟いた名詞。自分がそう呼んだだけでなんだかとっても嬉しそうだ。
ツムギは、兄弟や姉妹はいない。誰かをお姉ちゃんなんて呼んだことはなかった。"お姉ちゃん"と一言呟くだけで、喜ばれる。ツムギは誰かに自分がいい感情を与えられたことに嬉しくなった。
(気を付けないと)
同時に、人を好きになりたくないと建前で呟く自分が『この人も危険だ』と、警告を鳴らしていた。
アルドーを演じなければ……。笑顔を演じなければ……。人のことを自由に嫌えば、こんなことで悩まなくて済むのに……。
いってもしょうがないことを淡々とツムギは考える。
「あたし、アルちゃんと遊びたい……! いい、ママ?」
小さな少年を抱きしめたまま、リーネはそう聞いた。
リーネは妹か弟が欲しかった。自分を姉だと慕うそんな存在が。ツムギを見たときリーネは決めた。
"絶対にお姉ちゃんと言わせてやる"と。
動くだけでフワフワと揺れる黒い髪、ふっくら赤い頬、黒く大きい瞳を抱える瞼は長いまつ毛が飾られている。
リーネは精密に作られた愛らしい人形のような、ツムギの容姿に魅了されていた。どこまでも黒い髪も瞳もなんか不気味で不吉だと思ったが、そんな不気味さも含めて美しいと感じた。息をするのも忘れそうな、そんな恐ろしい魅力。
その彼から、何か悲しいものを幼いリーネは無意識に見た。
「いい? エリスさん」
フィリスは娘の問いかけに又聞きする。自分の意見では問題ないが聞こうとおもったのだ。
「いいわ」
エリスは一言そう呟いた。
▽
リーネとツムギを、ネールに見て貰うようにフィリスは言って、彼らを遠ざける。エリスに聞きたいことがフィリスにはあった。
「ねねっ、エリスさん。もしかして妊娠してる?」
「……ええ、気がついたの?」
「もちろんよー。経験したことあるし」
潜めた声で聞いたそれは、ズバリ妊娠の確認だった。もちろん、とはいったもののフィリスは外れていたら『太った?』と言外にそう捉えられてしまうから、内心カンが当たったー! と安心していた。
妊娠してなかったら気まずい空気になっただろう。そう考えて、ネール達を遠ざけたのだ。
「それにしても、遂にって感じよねー。 おめでとう!」
「結婚してから10年になって、ようやくなの……。だから、大切に育って欲しいわ」
「……今思ったんだけど、その妊娠って知ってる人どれくらいいるの?」
「……レイドとアルドーだけよ」
「!」
フィリスは驚くが、考えてみれば当たり前のこと。
頼れる人がいなかった。……いや、正確にはいても頼れる状況じゃなかったのか。
(アルドー君を拾い育てた弊害は、確実にあるのね……!)
「私、出来るだけ協力するわ!」
なら、自分が頼れる人になればいい。
エリスの手をフィリスは取った。
フィリスの出した結論は分かりやすく、単純明快だった。
「…………ありがとう。とても心強いわ」
エリスはその手が心強くて、少しだけ目が潤った。
初めての妊娠で怖かった。お腹の中に命があると思うだけで恐ろしかった。
妊娠は嬉しかったエリスだったが、それ以上に恐怖を感じた。
自分の体は自分のものだけではない。
比喩表現ではなく実感。確かに膨らんでくるお腹。育っていく様子が分かれば分かるほど、"殺してしまったらどうしよう" ……そんな不安が膨れ上がった。
安定期に入ってきたとはいえ、安心とは程遠く、レイドの期待も怖かった。
だから、フィリスの握る手は嘘偽りなく救いの手。言いようのない孤独感から救った手だった。
▽
それから少し時間が経過した。
「なんというかアルドー君は大人っぽいけど、普通の子供よねー」
娘とトランプに興じている、黒髪黒眼の子供を見てフィリスは呟く。
「ええ。他の子と何も変わらないわ」
それにエリスは頷く。
「……エリスさん、ごめんねー……。私もアルドー君のこと、怖かったけど誤解だわ……。でも、黒髪黒眼なんて珍し過ぎるもの……」
フィリスが親交のあったエリスの家に行かなかったのも、ツムギを怖いと思っていたからだ。
フィリスの言葉を聞いて、エリスは不吉な存在とかそんな話だろうと高を括った。
「黒髪黒眼の人は災厄を齎す。とか、有名だもの。仕方のないことだわ……」
「そんな話もあるのね」
「えっ? 知らないの……? ならフィリスさんはどうしてアルドーが怖いと思ったの?」
黒はその色から不吉なことが連想されたりする。けれど、この世界のツムギの扱いは、それを考慮しても異常といえた。
「んー、それはね……」
黒髪黒眼は災厄を起こすという言い伝え。
「黒髪黒眼は…」
それは曲解されていても、確かに元になる事実はあった。
「ーー討伐ランクSS級の大量虐殺犯と同じ特徴だからよ」
だから、ツムギは恐れられていたのだ。
そろそろ話を動かしたい……。 次の更新は明後日を予定してます……はい。