隠れ潜む必要性
その後、ネールはテレビを見に広場へ行き、レイドとツムギは人の少ないリーン村を見て周った。
▽
救世歴3987年10月17日第2光曜日。この世界の暦でちょうど一週間経った頃。レイド達の住む家に来訪者がいた。
コンコンと扉を叩く音。時刻は2時30分。レイドは隣村に狩った獲物や茸などを卸に出かけていてまだ帰ってきていない。
急な来訪者にツムギとエリスは顔を見合わせる。
「えっと、僕はそこのクローゼットに隠れますね」
「え、ええ」
(行動が早い……)
行動が早いということは、自分がすぐ隠れるべきだと知っているということ。
エリスは行動が早かったツムギを見て、手がかからないからホッとする反面、隠れないといけない事実をツムギが知っていることを悲しく思った。
悲観に暮れている場合ではない。とエリスは少し大きくなり始めたお腹の膨らみと伴に玄関にいく。
誰がいるのだろう、不安と伴に玄関についたエリスが扉を開ける。そこには3つの人影があった。
「あ、エリス。久しぶり」
一つ目の人影は気安く手を上げそう話す。ふっくらとした印象の体格に赤い髪。エリスの昔からの知り合い、ネールだ。
「わー久しぶりねっ!」
二つ目の人影は元気に笑いながらそう話す。溌剌とした印象。子供を生んだとは思えないスレンダーな体格。金色の髪。ネールが魔法陣を勉強していたときに出会い、リーン村に嫁入りしてきたネールの妻のフィリスだ。
「こんにちは!」
三つ目の人影はハキハキとした声でそう話す。ニッコリと笑い挨拶をするようすは元気な子供らしい印象で、ネール譲りの赤い髪を持っている。ネールとフィリスの娘のリーネ。歳は7だ。
「……ええ、久しぶり。こんにちは」
レイドからネールと和解? したと話は聞いていたが、突然の来訪に驚くエリス。
「レイドから話は聞いてるだろう? 今回は謝罪とちょっとした菓子折りを持ってくるだけのつもりだったんだけど……」
「この人がまた無自覚に、デリカシーのない発言をしないか監視するためにきましたー!」
「パパがちゃんと、ごめんなさい出来るか見に来ました!」
「そうなの。でもせっかく来たのだから、家に上がっていく?」
事情を理解したエリスは、三人を家に上がることを提案した。
「いや、そんな悪ーー「「お邪魔しまーす」」い……お邪魔します……」
悪いよーーと、一度は家に上がることを辞退仕掛けたネールだったが、嫁と娘の勢いに押され、一緒に入ることとなった。
「ネールは尻に敷かれているのね……」
どこの世界でも、尻に敷く嫁あらば尻に敷かれる夫ありーーだ。
この家はリーン村の中でも、3LDKの比較的大きい部類になっている。
収納スペースも豊富で、貯蔵庫の魔道具を入れてなお、あまりがあるくらいだ。
最近は全く客は来ないが、客間は一応あることはあったので、エリスは三人をその部屋に案内した。
長方形のテーブルの長い面に、二人がけのソファーが一つ。側面には一人がけのソファーが二つある。
二人がけのソファーに、真っ先にフィリスとリーネは座って、ネールはワタワタしたあと一人がけソファーに座った。
「お茶くらいしか入れられないけど、よかったら飲んでいってね」
「お構いなくー」
そう言いながらフィリスは手を振る。
エリスは三人にお茶を淹れるためにキッチンへ向かった。
「……ちょっとフィリス! 謝罪に来たのに寛ぎ好きだよ!」
ネールはエリスに聞こえないように配慮した小声で、フィリスに注意を諭した。しかし、フィリスはいけしゃあしゃあとしたまま反論する。
「謝罪に来たのはパパだけで、リーネとママは違うからねー」
「……いや、確かにそうだよ。そうだけど、ーー」
「パパはあたし達より、ごめんなさいをいうことに集中しなよ」
「ーーーっ! …………はい」
娘にまでそこまで言われてしまったネールは、肩身を狭くしながら項垂れた。
そんなところに、お茶が淹れ終わったようでエリスが戻ってきた。三人の前にお茶を置いてから、貯蔵庫の魔道具の中にツムギとエリスの二人で作ったクッキーがあるので、それもお茶請けとして出す。
クッキーは生地にほうれん草や人参が練り込まれてあるものや、森の果実のジャムが乗っているものもある。貯蔵庫の魔道具のお蔭で食べものは賞味期限知らずだ。
「これ、食べて見てね」
「うわー! 美味しそう! 頂きます!」
お菓子が好きなリーネは大変喜び、頂きますといってオレンジがかったクッキーを食べた。
「んー、しょっぱい? 美味しい!」
リーネが食べたものは人参が練りこまれているもので、甘さが控えめで塩が効いている。
クッキーといえば甘いものだったリーネにとっては、少し衝撃的であった。
「あ、いいなー! エリスさん、私も食べてみていい?」
「ええ」
「よし、それじゃ、頂きまーす」
サクッと音を立ててクッキーを咀嚼するフィリス。そして、お茶を一口飲んだ。
「うーん……! 美味しい! お茶にも合うねー」
「ありがとう。これ、アルドー……息子と一緒に作ったものなのよ」
「へー、そうなの? 今度レシピ教えてー」
ええ、分かったわーーエリスは約束をした。
▽
「アルドー君のことで酷いことを言ってすまなかった……」
話が途切れ静寂が訪れたとき、それを引き裂いたのはネールの謝罪だった。
椅子から立ち上がり、腰を90度に曲げ頭を下げる。リーネに言われて自分の過ちに気付いた、といっていたネールだったがフィリスにも、『そんなこといっていたの』と怒られていた。
『もしも、リーネを捨てろってレイドさんに言われたら、あなたは素直に捨てる!?』
リーネが学習塾に行ってからフィリスに言われた言葉。ネールの答えは考えるまでもなく拒否するの一択だった。
彼にとって娘の存在は、考えるまでもなく大切で、危害を加えるものから護ることは当たり前だ。友人に捨てろといわれるなら、その友人とは縁を切るだろう。
想像は容易かった。
『あなたのやっていることは、そういうことでしょう!?』
強く憤るフィリスにネールは反論した。
『それは少し違うんじゃないか? レイド達は本当の親子じゃない』
その点リーネは俺達の娘だ。……ネールのいっていたことは事実だった。紛れもない本当のこと。けれど、そこには見落としがあることも事実。
『娘が大好きだと自称している夫様の目から見て、レイドさんやエリスさんはその子をどう思っていると、推測なされますか……?』
丁寧になったフィリスの語気に、夫のネールは震え上がったものだ。彼女は怒りを強く心に抱いたとき、不自然に丁寧な言葉遣いになる。
改めてレイド達の態度を思い浮かべてみたら、答えは案外明白だった。
大切にしているとは知っていたが、自分の子供を想う気持ちには敵わない。ネールはそう考えていた自分に気が付くことができた。レイド達は本当の子供のように、捨てられてた子供を愛しいと思っていたというのに。
「全く、この人ったら、すぐ家にまで謝罪に行けっていっても、変な理屈で塗り固めて、意固地になって行かなかったし、仲直り出来たのもたまたまレイドさん達とあったときだっていうし、しかも、その仲直りも捨てろと言われてたアルドー君が気を使ったからみたいだし……、エリスちゃん私からもごめんなさい。夫の悪行に気付けなくて、私からもごめんなさい」
さっきは、謝罪に来たのはパパだけだっていっていたのにーー、ネールは一緒に謝ってくれるフィリスの存在をありがたいと思った。
頭を下げる父親と母親をキョロキョロみてからリーネも空気を読んで頭を下げた。
「頭を上げていいわ」
ーーそれよりここにアルドーを連れてきていいかしら?
お茶を汲むときにエリスは、クローゼットの中からツムギを出した。『隠れなくても大丈夫よ』ネールとお母さんの友達だから、と彼にいったのだが、『何を話していいのか分からない』という理由を付けて客前には出なかった。
散歩のときネールと話せたのは、あちらから話題を振っているし、考える暇がなかったから話せたのだろう。
今のツムギは、緊張感という名の爆弾を抱えていた。
彼に少しずつ人付き合いの機会が迫っていた。