魔法を覚えよう3
「 "魔りぉくの壁よ" <魔力壁> 」
ツムギは噛みながらも詠唱句を言い切った。しかし、なにも起きなかった。やはり詠唱句を噛んでしまったら発動出来ないのだろうか? もしもそうなら、魔法を使って戦う人達は、早口言葉の達人ってことになるだろう。
「詠しょー句を噛んだら、魔ほーは発動されないんですか」
「そんなことはないわ。 "壁よ"<魔力壁> ……省略しても、発動することは出来るもの。けれど、魔力の操作が一気に難しくなって、お母さんみたいに未熟だと、魔法の制御が甘くなるし、失敗して魔法の反動が帰ってくる可能性も増えるから、ちゃんと詠唱出来るときはした方がいいわ」
もう一度生成された<魔力壁>は、確かに薄い場所があったり濃い場所があったり、さっきよりそれが顕著に現れていた。
「魔法を生業としている、『魔術師』と呼ばれる人達の最高位『魔導師』の方達は、詠唱をしなくても難しい魔法を発動出来るみたい。だから詠唱というより、"自分の魔力を操る"ことの方を意識することが大切なの」
「……そぅなんでしぅか」
あの呑み込まれるような感覚を思い出し、ツムギは身震いしそうになる。なので、力に呑まれ、溺れるかも知れない恐怖を、顔に出さないように意識する。
(大丈夫。自分から覗こうとしなければ。……今はまだ、大丈夫)
ツムギは地球の、日本にいた頃の"何か"に呑み込まれたことを思い出してしまったが、頭から切り離す。
もう一度、<魔力壁>の魔法に挑戦する。さっきは心の奥底に、禍々しく溜る力の塊が怖くて、魔力を操作することに意識を向けていなかった。
今度こそは、と禍々しい"何か"を留めるように渦巻く力の流れから、常に漏れ出る力の粒子に意識をして、もう一度呟いた。
「 "魔力の壁よ" <魔りぉく壁>」
すると、魔力は何者かに補助されているように、魔力の動きがアシストされ、ツムギの前に板状に収束され変換された。しかし、それは視覚で確認出来なかった。
詠唱句は噛まなかったが、魔法の名称を噛んだから発動しなかったのだろうか? とそう思ったツムギだったが、未だに一応魔力を自分の中から目の前に送っているので、分からなくて首を傾げた。
「……少し立ってもらっていい?」
後ろからどこか、唖然とした声が聞こえたので、ツムギは素直に椅子を立ち上がった。
立ち上がってツムギは少し避けた。ツムギが避けるとエリスは、ノロリと立ち上がり、おもむろに手を伸ばした。
伸ばされた腕は、しかし、完全に伸びきることはなかった。
そこに、たしかに作られた"壁"が邪魔をしたのだ。
「……嘘……。成功したの……?」
手のひらでエリスが壁を叩いて見ると、コンッ!と小気味のいい音がなる。
この音でツムギにも、壁が作られいることに気が付くことが出来た。
魔力の色は属性によって変わるものだ。
エリスの<魔力壁>は壁が黄緑色なので"壁がある"と実感出来るが、ツムギの魔力は属性がない。魔力に色がないから、魔力で壁を作ったところで目立たない。使用前のガラス窓のように。
「アルドー、強めに叩いてみるわね……」
右腕を後ろに引いたエリスは、そのまま透明なガラスで出来ているようなツムギの<魔力壁>に向けて、拳を放った。
ーーパリンッ!
音を立てる<魔力壁>は罅が入っている。それは広い範囲に線が走り、その罅によって作られた線が、壁の大きさを教えた。
大きさは約2×1メートル。大きめの姿見くらいだろうか。
壁は、完全には壊されなかったが、次に攻撃が入れば確実に壊れる。ツムギの感覚として、それは確信。
(……魔力で強化した攻撃を受けて、この壊れ方……。強度は飛んでくる石には耐えられそう。けれど、攻撃系統魔法を受けると考えたら、初級だったら2発くらいなら耐えられる……くらいね。範囲ももっと大きくしないと全身を、カバー出来ないかも……。)
考え事が始まるエリスの横で、ツムギは<魔力壁>の修繕を始める。壁が割られた後も、魔力を注ぎ続けていて罅はもうすでに無くなっていた。
ツムギは、今度は使える精一杯の魔力を流し込んでみることにした。
(でも、初めて<魔力壁>を作ろうとして、もうこれだけのものを完成させている。少し脆くとも初めて使った魔法にしては、出来すぎと言ってもいいくらい……。
私は、補助系統魔法に限ってはそれなりに上手い方だと思っていたけど、<魔力壁>を習得したのは8歳になってから……。魔法に触れてからは3年、練習してからだと1年は使えなかった。けれど、アルドーは一回の魔法の失敗だけで、習得してしまった。
レイド。この子は天才よ。【魔神の加護】を授けられてもいないのに、魔法を手足のように使っている。
私が<魔力壁>をある程度の応用も含めて、自由に使えるようになったのは、9歳になってからだった。この子は、いつ自由自在に使えるようになるのだろうーー?)
思考に没頭しているエリスの袖を、ツムギはクイッと引っ張った。
「あの……もう一度、この魔ほー……魔法を叩いて貰っていいですか?」
顔を上げているツムギの黒い瞳が、エリスの黄緑色の瞳と噛み合った。まっすぐな視線を受けたエリスは、暫し言葉の意味を考え、目を大きく見開いた。
ーーずっと……ずっと、魔法を維持していたの……!?
小さな衝撃でも魔法は影響を受け、魔法を使うとき必要な集中力が途切れる要因にもなる。しかし、ツムギはそんなこと関係なしにケロリとした、何でもないような顔をして、やってのけてしまう。
腕を引いて、魔力で纏い、身体強化。そのまま拳が放たれた。
ーーガッ!!……………パリン………
透明な姿見のようなガラスは、水族館のアクリルガラスみたいに固くなり、エリスの拳を受けても、"あまり"割れなかった。
割れた箇所は、攻撃を受けた所ではなく、そこから離れたところだった。
「……周りはもー少し、魔力で強化した方がいーみたい……次からあ、気をつける……」
顎に指を当て、左腕は右腕の肘を持つ。ツムギは考える仕草をして、誰にも聞こえないような小さな声で、魔法の反省点をボソボソと呟き、うんっ! と頷いた。
そしてツムギは、小さく入った罅を、直すために魔力を動かした。小さなものなので、一つも瞬きする暇もない速度で修繕される。<魔力壁>の罅がなくなり、またもや魔法は存在感を消した。
「……?」
いつも、なにかしらの反応をくれるエリスが、さっきから黙っている。
(どうしたんだろう……?)
ツムギは、不思議に思いエリスの方を見た。彼女は自分の右の手を見つめ、握っては開く動作をしている。
「どぉしーー?……」
「アルドー! 今の魔法は……!」
どうしたのか、と話しかけようと、ツムギが声を上げると、エリスはハッ!と顔を上げ、同時に声も上がり、ツムギの言葉はそれに遮られた。
だが、今の魔法は……と聞かれても、ただ<魔力壁>を生成しただけなので、ツムギは応えようがなく、首を傾げた。
「<魔力壁>……です……?」
「ええ、それは分かるの! さっきの<魔力壁>より強度が上がってて、魔法としての完成度が上がっているのも分かる! けれど……けれど、今! 攻撃をして当たった瞬間。<魔力壁>が衝撃を逃がすように、前後に震えていたでしょう!? あれはどうやったの!?」
<魔力壁>は普通。完全に設置したその場に固定される。
強い衝撃を受けたとしても、壁が震えることはありえない。衝撃を逃がすことはないのだ。なので、本来なら衝撃はすべて、余すことなく<魔力壁>に伝わってしまう。
「あの……えと、ただの魔りぉく壁なら、壁が壊れると思ったので、変えました……? ……何かまずかったでしぅか……?」
「っ! ごめんなさい。興奮しちゃって……。まずかったことはないわ。むしろ逆なの。アルドーの魔法が凄いから、驚いちゃったの」
興奮を抑えるようにエリスは心を落ち着かせるため、大きく息を吸って、吐いた。
ツムギは、何かまずいことをしたわけではないと聞いて、ホッとひと安心。
(……今の魔法は、紛れもなく魔法の応用だった。しかも、私よりずっと、ずっと、上手い……。
普通は衝撃を受けたところで、振動して衝撃を逃がすことのない魔法。それが、衝撃を逃した。
ありえない。魔法に触れてから1ヶ月も経っていないのに、魔法の応用まで可能にした。
……いいえ、あんなに……<魔力壁>の根底を、覆すような変化をしたのなら、『応用』という言葉では表しきれない。
あれは、<魔力壁>から進化した『新たな魔法』といった方が、正しいのかも知れないわ……)
ーーこの子に、本当に私は魔法を教えられるの……?
エリスの胸の内は、魔法をすぐに覚えるツムギを見て、『自分が魔法を教えられるのか?』という疑念から、『自分程度では、この子の才能を潰してしまうのでは?』という葛藤に変わりつつあった。
(魔法を詠唱すると、魔力の動かし方が分かる。次からは、詠唱しなくても<魔力壁>と<念動>は発動できそうだな……)
エリスの胸の内を知らないツムギは、そんな考えごとをしていた。