魔法を覚えよう1
始めて村を歩いた日の翌日。
「じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃい。レイド」
「いってらっさ…しゃい」
玄関でレイドを送り出したツムギとエリス。洗濯や掃除など家事を済ませてからエリスは昨日話し合ったことを決行する。
「アルドー。今日は魔法を覚えましょう」
「魔法でしぅ…すか?」
「ええ」
エリスは誕生日にレイドが絵本を出した本棚の一番上の段にある本を取り出す。絵本よりは重くて厚いがそれほど大きくない。黒革で出来た魔法の書かれた初心者向けの本だ。初心者向けなので魔法の危険性や注意点も書いてあり、魔法のそれぞれの属性や系統についての説明もある。
今日から魔法の基礎知識を増やさせながら、無属性魔法<魔力壁>を覚えさせることにしたのだ。
「この本に書かれてることを読むからここに来て」
そういってエリスが窓際の日当たりのいい場所にある椅子に座り、ポンポンと二回ほど自分の膝を叩いた。
ツムギは言われるがままに移動しおっかなびっくりな様子でエリスの膝に座る。
こうして、エリスの魔法講座が始まった。
「初めに……魔法とは今や我々の生活に根付く、なくてはならないものとなっている。古今東西様々な魔法が今日も出来ていることであろう。
魔法とは何か……? それは子供から老人まで、奴隷から王族まで、はたまた獣から人間まで、命あるもの全てに宿るものーー魂。そこから生成される一部の要素に魔力が含まれる。魔法とはその魂から生成される魔力を操り事象に変換することを言うのだ。
ここで注意点。魔法を使いすぎると疲れてしまうこと。それを【魔力切れ】と一般的に呼ぶ。【魔力切れ】魂から生成された魔力が少なくなることで起こる症状で、軽く見ているものもいるかもしれない。だが、上でも書いたように魔力は魂から生成される。【魔力切れ】の状態で無理に魔法を行使すると魂を消耗させ具合が悪くさせるのだ。最悪の場合死亡してしまう。低級魔法使いの死因の1/3が【魔力切れ】による死亡だと言われている。なので、【魔力切れ】になったら体を休ませることをしよう」
……だから<念動>の魔法を使ったとき二人は心配していたのか。理解を深めツムギは頷いた。
「ーー我々、生命体の魂により生成される魔力にはそれぞれ性質がある。火、水、地、風、光、闇、いずれかの属性を人々は魔力に宿している。それは人によって異なるものだ。また、その中でも攻撃系統が使いやすい魔力か補助系統が使いやすい魔力か分かれる。※稀に両系統ともに同じくらい使えるという人もいる。 さあ、貴方の魔力は何属性か次のページで調べましょう」
魔法の本のページを捲る音。次のページには三角形を二つ交差させた六芒星が描かれており、天辺の角から時計周りに赤、青、オレンジ、黄緑、黄色、黒の色順にそれぞれ違った文字があった。
エリスは一つ一つに指をさしながら説明した。
「この赤い文字で書かれたところは火。青は水、オレンジ色は地、黄緑色は風、黄色は光、黒は闇を表しているわ。ここのページの中心に手を置いて、魔力を流してみると……」
エリスは目を閉じ魔力を本に流す。すると、本は意思を持ったかのように光った。眩しいな……と目を閉じ、再び目を開くツムギ。眩い光が消えるとそこには、黄緑色に光る文字があった。光ったところは風という文字。またその文字と接触する六芒星の小さな三角形も、文字に近いところから徐々に光っていき、中心に向かって伸びる。カタツムリの歩くスピードで伸びた光もやがて染まりきって止まった。
「と、このように自分の魔力の属性のところが光るの。お母さんは風属性の適性を持っているから風のところがひかったの。この小さな三角形にある光はどのくらい魔力の色が濃いか、光る速度で判別出来るわ。初めの内は染まりきらないこともあるからアルドーはあまりきにしなくともいいわね……。アルドー、魔力の流し方は分かる? この前<念動>を使ったときの感覚を思い出してみるといいわよ」
「……はい!」
エリスが本から手を離すと黄緑色の光が消えていく。綺麗な光だったので消えることが少し残念に思ったツムギだったが、今度は自分もエリスの真似をして本に右手を当て集中した。
心の奥底にある力の流れ。これが魔力……。しかし、やはりその大きな魔力の流れは使えなくて、その流れから漏れ出た小さな力を掻き集めるしかなさそうだ。
ツムギは魔力をかき集めながら不意に渦巻く力の激流の中に毛色の違う力があるのに気が付いた。以前は全然分からなかったのに今はその力が主張するかのように蠢動していた。
(何だろう……?)
『殺せ』『ァァァァ憎い』『苦しい……』『あっははははははははは! 壊せ殺せ命を奪え!』『殺して……やる』『なんで……幸せになるなんて狡い』『痛めつけて殺したいなぁ』『ーー痛いっ!』『くひっ!ァァァァーーーー壊したい!』『やめろやめろ……なんで俺なんだ』『悲しいねぇ辛かったねぇもっと苦しんで欲しいなぁ』『……お腹空いたな』『助けて……助けられないならあなたも死んで!』
『ーーあ~あ。大切な人が出来たんだ。……ならもうすぐ殺せるようになるかなぁ……?』
ーー瞬間、ツムギの中に脈略のない感情が流れ込んでくる。それは一様に悪意や憎悪、絶望や怒り、悲しみなど分け隔てなく「負の感情」が流れてくる。そこには、希望という言葉すらない黒く塗りつぶされた感情の嵐。堪えていても簡単に呑み込まれてしまいそうな力があった。
(やめて……!やめてよ……!気付いてない……!大切な人なんて出来てない……!だから出てこないで……。出てこないで……!)
ツムギは呑まれそうな悪意の渦に堪えるように歯を食いしばってたえる。それでも一度感じてしまった"何か"の言葉は中々消えてはくれなかった。
そして、ツムギの意識は禍々しい"何か"に呑み込まれてーー
「……ー……。ルドー……?アルドー!!」
「ハァ……は……い……ハァ……ハァ」
肩を揺らされた衝撃と大きな声にツムギの意識が戻ってきた。
今のは何だったのか……? 言葉にしようとしても、不安ばかりが募り、言い表すことが出来ない。ただ、今、感じた力の塊が、いいものではないことは分かる。
ツムギは荒くなっていた、息を整え、目に浮かんだ涙や、じんわりと出た汗を、本に手をかざしていない、左手で拭った。それから口元を何でもないかのように歪ませ、目元を細める。そして、振り返りエリスの顔を見て呟いた。
「すみましぇ……せん。日当たりがよくてつい、うとうとしていまった……した」
「……本当にそうなの? 唸っていたのよ……?」
「……悪い夢を見たからでし……です」
エリスは、実際に唸って、何事かを呟いているツムギを見ていたので、疑いの目を向ける。唸って呟かれた言葉は、小さすぎて分からなかったが、それでも、ただ事ではない様子だったからだ。また、呼びかけても返事をせず、揺さぶって名前を呼んでやっと気が付いた様子は、目覚めのいいツムギらしからぬことに感じられた。
しかし、悪夢を見たというツムギの様子は、からっとしていて、逆にその様子が怪しく、壊れそうな雰囲気を醸し出している。どんなに辛いことがあっても、この子はきっと笑顔で我慢してしまう、我慢出来てしまう。
エリスはそう考え、なんとなく片手でツムギの髪を梳かすように撫でた。
「辛いことがあったら、すぐにいうのよ。解決は出来ないかも知れないけれど、一人で抱え込んでたら、一緒に考えることも出来ないもの」
「あぃ……はい」
もしかしたら、何かをエリスに見透かされているかも知れない。隠さなくてはいけないものも、見られるかも知れない。自分をよく見てくれてるという、漠然と感じる嬉しい不安を、ツムギは気付かぬふりをして返答した。
気を取り直して、再びツムギは集中して、小さな力を精一杯、本に注ぐ。すると、エリスのときのように、本は眩い光を放った後消える。しかし、本の中にある六芒星の頂点の文字は、輝きを忘れ光らなかった。
「……?」
ツムギはなぜ光らないのか分からなくて、本に向けていた視線をエリスに向ける。
「どういうこと……?」
だが、エリスも分からないようで首を捻る。
「属性が……ない?」
少し考えた後、エリスは自身なさげに呟く。それはおかしなことだからだ。人間だけでなく、生物全般は魔力を持っていて、その魔力は必ず何かしらの属性の色を有する。属性が無くなるとすれば、魔法を顕現した後の、効果が無くなったあとのみのはずだ。
その魔法が無くなった後でさえ、完全に属性が無くなる訳ではなく、主に放った魔法の属性は、薄く残るのだ。
なのに、ツムギは属性がない。普通ならばおかしいことだ。
(他の人にはあるはずの属性。ありえない特異性……黒い髪に黒い瞳。これだとアルドーがさらに、酷い目を向けられる原因になる……!)
その可能性に思い当たりエリスは頭を悩ませる。もしかしたら、想像以上に今、自衛のための魔法が必要なのかもしれないと、そう思った。