第三章 b
戦慄した。
あの時の女の子。
直感の様なもので間違いなくとは言えないが、面影がある。
あの時、母親を求め泣いていた少女が大きくなったらこんな感じだろうと、きっとそうだと閃助は確信した。
その確信は閃助の手を震えさせる。
逃げたのだ、あの時確かに俺は逃げたのだ。
言い訳の出来ないあの時の後悔と行動がフラッシュバックする。
息苦しいあの空気に包まれているような錯覚に落ちる。
「あのっ!」
その声に正気を取り戻し、少女の、千穂の顔を見る。
「もしかして、だけど、昔にビル火事の現場に居なかった?」
ああ、逃げられない。
ここに来たのは逃げる為ではなかった。
ただ、あの時の様に何もしないで逃げて後悔しない様にと心に決めて一歩踏み出した。
足の先から指の先まで内側から刺されるような痛みが閃助を襲う。
覚悟を決めなくては。
「確かに、昔、子供の頃にビル火事の現場に居た」
「やっぱり、じゃあ貴方、あの時にあたしを止めてくれた人?」
「いや、俺は止められなかった。あの炎の中に消えて行く背中を止められなかった。だから」
声が震える、目の焦点が合わない。
ここに来たことは後悔していない、ただ、昔の自分の仕出かした過ちに心の奥底から後悔していた。
千穂の顔が見れない、視線を逸らす事しかできなかった。
逸らした視線の先の、千穂の手が震えていた。
この年になってここまで泣きたくなるような事があっただろうか、下唇を噛み締めて耐える事しかできない。
「やっと……見つけた……」
千穂は閃助に近づく。
顔を上げて、閃助は千穂の目を見る。
どのような言葉を投げつけられようと、俺は、それを受け止めなくてはならない、閃助はそう決めた。
千穂は両手を広げて、閃助に抱きついた。
「……はい?」
完全に思考外の行動に戸惑いを隠せない。
「見つけた、ずっと、ずっと、探してたんだから」
「何の……ために?」
少しだけ離れて、千穂は閃助の目を見る。
「だって、あたしを助けてくれようとしたでしょ?逃げてないよ、だってあたしは確かにここに居るもの」
言葉にならない感覚だった、背中に背負っていた物を下ろしたようなそんな感覚。
「あれ、どうしたの。なんでそんな顔してるの」
「いや、ごめん、俺ずっとなんて言っていいからわからなくて、怖くて、震えが止まらなかった。だから、もうどうしていいかわからなくて」
閃助が胸の内を漏らすと千穂は閃助の手をとる。
「じゃあ、これでこの話はおしまいね」
千穂は深く息を吸って吐く。
「あの時はありがと、嬉しかったよ」
この時、閃助は救われたと同時に心の楔が取れある意味で、人生の目的を失った。
千穂は握った手をそのままに駆け出す。
「行こっ!」
急に走り出すものだから閃助は足をもつれさせたが、何とかついていく。
「どこへ?」
「お城だよ、今お父さんが獅子王おじ様に話をつけてくれてるはずだから!」
屈託のない笑みを浮かべる千穂を見て思わず閃助も笑みを浮かべる。
善は急げと言わんばかりに走る千穂、閃助は心底明るい子になってくれていた事に感謝した。
校門を抜けるとブリットが箱馬車を引いて待っていた。
「お疲れ様です閃助様。おや、千穂様ではないですか、どうなされたのですか?」
「あっ、ブリットひっさしぶりー、ちょうどいいから乗せてってよ」
「それは構いませんが」
「と言うか、忘れたけど、ねぇねぇ」
立ち止まって閃助の方を向く。
「名前教えて欲しいな」
閃助がふと考えると、千穂の名前を聞いた記憶はあったが名乗った記憶が無かった。
「そう言えば名乗ってなかったね、雨鳴閃助、よろしく千穂ちゃん」
「閃助? あれ、今、閃助様って言ったよね?」
「ええ、閃助様は獅子王様の養子として迎え入れられたのです」
「あっ、そうなんだ、じゃあ話が早いや」
何の迷いも無く箱馬車に乗り込む千穂。
「ほーら、閃助も早く」
伸ばされたその手をとり箱馬車に乗り込む。
「行こうか、ブリット」
「はい」
ブリットは前足を上げ、気合を入れて走り出す。
「まさか、閃助が噂の獅子王おじ様の養子だったなんて、もうこれは運命だね」
それが運命と言うのであれば閃助は救われるために此処に来たのだろうか。
そう考えずにはいられなかった、もしそれがそうだとするのであれば、あまりにも速い終わりだった。
もし、閃助がここに呼ばれた理由が他にあるのなら、いったい何が閃助をここに呼び寄せたのか。
閃助自身がその答えを見つけられずに居る。
きっと、それを見つけて次に進む事が、今の閃助に必要な事なのだ。
だが、今はこの言葉にできない幸福感に身をゆだねていたい、そう思った。
城に付くまでの間に千穂は色々な事を閃助に話した、ビルの中に入って気が付いたらこっちに居た事や千穂が父と呼ぶ、光龍との旅の話。
千穂は閃助に自分の事を知ってほしかった、きっと閃助は後悔しているだろうと思っていたから、会ってお礼が言いたかった、元気に生きていると伝えたかった。
長年募らせた思いは言葉にすると陳腐で青臭く、ちっぽけな物になってしまう。
だから、千穂は口にしない。
ただ、自分は元気に生きて幸せだとだけ、伝えたい。
「あっ、ほらほら、もう着いたよ」
窓の外に城が見えた、千穂からすると数年ぶりでまたどこか変わったのではないかと楽しみであった。
「そうだね、そろそろ降りる頃かな」
そう言うと城壁内に入り、出入り口の前で箱馬車は止まる。
「到着しました、閃助様」
中から閃助と千穂が出てきて礼を言ってブリットと別れる。




