鬼の子
日曜日は実に平穏だった。接朗は食料と生活用品を買い、携帯を買った。しかし接朗は前の携帯を無くした(本当は少女たちに渡した)事を言わず、新たな番号を取る。もしかしたら仁理香の事で彼女たちに連絡を取ることがあるかもしれないという気がしたからだ。それからすぐに仁理香にメールで電話番号を知らせる。……仁理香からの大量のメールが送られてくるかもしれないと一応覚悟はしていたが、それは杞憂だった。仁理香からはただ一通、
『わかった』
という返事が来ただけで、それ以後、そして翌日の月曜日もメールは全く来なかった。接郎は拍子抜けする。
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仁理香は自分たちが誘拐されかかった事を警察に言うなんてこれっぽっちも考えていないだろう。お母さんにも何も言っていないんじゃないか。……そして接朗も警察には言ってない。誘拐犯に重症を負わせて、その車を奪ってパラグライダーをやりに行ったのだから。そしてその車は、まだ家の前に置いてあるし・・・。
接朗は警察に言うべきかどうか悩んだあげく、その夜、沙紀をスカイプでコールした。誘拐されそうになった事を説明し、仁理香が五秒で犯人を撃退した事、その様子を詳しく説明する。接朗は、沙紀の事だから当然警察に言うように勧めるだろうと思い、そう言って欲しくてコールしたのだ。しかし彼女の答えは意に反してそうではなく、そして接朗の理解の範囲を超えるものだった。
「その誘拐犯にもう一度会ってから、警察に言うかどうか決めたら?」
「はあ?どうやって探すんだよ?…………っていうか、何で?」
「もしも仁理香さんがその人たちを殺しちゃったら、面倒でしょ。警察に言った後だったらさ」
「何で仁理香があの男たちを殺すんだ?」
「『殺すのは小僧の方だろ』って言ってたんでしょ?なんで?」
「……さあ?」
「その人たちの仲間がいたらまだ接見を消そうとするかもしれないよね。それに接見に顔を見られてるから、向こうも切羽詰って何するかわからないじゃない」
「…………そうかなあ」
「そういう風に仁理香さんが思ったら、先に犯人たちを殺しに行くんじゃないかな」
「はあ?自分でどうやって探すんだよ?それなら警察に言った方がいいだろ?」
「警察なんてあてにならない。だって相手は鬼たちだよ」
「はあ?バカじゃないお前。ははは」
「鼻骨陥没骨折なのにすごい速さで走って逃げたんでしょ?それって人間?」
「……」
「それに何で接見を殺すのが目的なの?『目的は小僧を殺す事』なんでしょ?接見が何かやった?そっちで」
「いや別に何にも。引っ越してまだ一週間だし……てか僕がそんな殺されるほど恨まれるような事、するわけないだろ?」
「だからやったんだよ」
「いや、やってない」
「へへへ、やったんだよ」
「やるわけないだろ…………あっ」
「そうそう。それだよ」
「もしかして仁理香を助けた事?」
「ピンポーン。だから鬼の子なんだよ。仁理香さんは」
「まーたその話か。じゃあ、犯人たちも鬼で、鬼同士の戦いって事?」
「完全に巻き込まれてるね。ははは」
「じゃあ、仁理香は『鬼たちを瞬殺した』っていう事なのかよ?」
「すごいねえ。きっと何か特別な鬼なんだよ。ははは」
「おい、ちゃんと説明してくれよ。……もしかしてかなり危険な状況だろ?僕はそっちに帰ろうかなって、そこまで検討してもいいような状況じゃないのか?これは……」
「接見は『仁理香さんを守る』って言ったんでしょ?」
「そう……だけど。じゃあ僕の事は誰が守るんだよ?」
「ははは。接見を守るのは私でしょ?昔っから」
「新幹線で二時間もかかる所で何言ってるんだよ」
「ははは」
「……で、鬼たちに会ってどうする?」
「二つに一つ。最初のパターンは仁理香さんが鬼たちを殺す」
「……で?二つ目のパターンは?」
「話をつけてくれば?接見に手を出さないって」
「はあ?だめだろ。そんなの話がまとまるかよ。やっぱり警察に」
「だっからさあー、よく考えなよ。接見が警察に言っても、仁理香さんは勝手に犯人たちを殺しに行くよ。それで殺人事件になって大騒ぎになるのを防ぐのが仁理香さんを守るって事なんじゃないの?そういう覚悟なんでしょ?接見は」
「……お前、いつも思うんだけど、お前の言ってる事は分からない。で、なんでそこまで僕の事も仁理香の事も理解してると思うんだよ?」
「まあ、熱くならないで。だからそれが仁理香さんの性と接見の宿命なんだよ」
それから接朗は仁理香にメールした。夜中だったが。
『仁理香、悪いんだけど、ちょっと相談したい事があるんで明日の放課後に会えないかな?』
返信はすぐに来た。
『いいよ。じゃあ校門の所で待ってる』
『学校はまずいよ。どこかで待ち合わせしよう』
『じゃあ、家に行く』
『悪いね、遠いのに来てもらって』
『だいじょうぶ』
『学校、行ってる?絶対に行けよ』
『わかった』
# #
「『もう来るな』ってこの前言ってたのに、また呼んでくれたんだ」
「……いたずらするなよ」
「うれしいなあ」
「絶対、いたずらするなよ」
「しないよ」
「本当だな?」
「ほんと」
「仁理香さあ、誘拐されそうになった事、お母さんに言った?」
「言ってないよ」
「何で?」
「だってお母さんはもう死んじゃったから」
「え?えええ?」
「……」
「いつ?」
「ちょっと前。桜が咲いていた時」
「へ?お前、じゃあ今一人で住んでるの?」
「そう」
「お前、大丈夫かよ?生活出来てる?」
「だいじょうぶ」
「お母さんのご遺体は?」
「……」
「仁理香?」
「…………」
仁理香が急に下を向いてしまったので、接郎は仁理香が泣いているのかと思って焦った。しかし仁理香の顔をのぞき込むと、その顔は悲しみに耐える顔ではなく、血の気が引いて恐怖に引きつっている顔だった。
「おい、大丈夫か?仁理香」
「……骨は山に埋めた。そうしろって言われたから」
仁理香の声が震えている。
「親戚の人は?誰かいるの?仁理香の面倒を見てくれる人?」
「……」
「……仁理香、大丈夫か?学校行った?」
「月曜日だけ」
「……昨日は?」
「ごめんなさい」
「う~ん。お前、昼間さあ、あの時の誘拐犯探しに行ってるだろ?」
「…………なんで分かったの?」
仁理香が涙ぐむ。
「え?本当?」
「違うの?昨日と今日はあの犯人を探しに行ったんだ。入院しているんじゃないかと思ったから、病院を回って。見つからなかったんだけど。それが接朗に分かったのかと思った」
「え?何で犯人を探しに行ったんだ?」
「だって、接朗を殺しに来るんじゃないかと思って……」
「何であいつらが僕を殺しにくると思うんだ?」
「もうお友達だから接朗って呼んでいいんだよね?」
「ああ。っていうか、何であいつらが僕を殺しに来ると思うんだ?どうやって?」
「なんとなく」
「あいつら何者?何で僕を殺そうとしたんだ?」
「……分からないけど」
「本当に?なんで前にJKたちに捕まってたの?……なあ、仁理香、本当の事を言えよ。友達だろ?」
「う~ん……」
「何か隠してるだろ」
「……」
「いいか、僕は何言われても驚かない」
「ほんと?でも、これ言ったら友達でいるの嫌だって言うと思うよ」
「絶対にそんな事は無い」
「ほんと?」
「ああ」
「……接朗には言おうかな」
「言ってくれ。何言われても、何があっても僕は仁理香の友達だ」
「私、何か変?他の人に比べて」
「いや、別に」
「お母さんが言ったんだよ。私が小学校の時に……」
「……何て?」
「私は……鬼の子だって……」
「……」
「驚いた?」
「いや、別に」
「どうして驚かないの?もう分かってた?」
「いや、なんかそんな気がしていた」
「どうして?私、何か変?」
「いや、別に」
「お母さんから聞いた時は、私一晩中、泣いたんだよ。何でお母さんはそんな事言うんだろうって」
「……」
「でも、私には友達が一人もできなかったら。みんな他の子はすぐに友達ができるのに、私とは誰も友達になってくれなかった。だから、やっぱり私が鬼の子だからなのかなって」
「……」
「だから、接朗が友達になってくれて、本当に嬉しいよ」
「僕も嬉しいよ。仁理香と友達になれて」
「でも、もう遅いんだよ」
「え?何が?」
「……」
「……何で?」
「私はだんだん鬼になっていくんだ。……もう少し早く接郎に会っていればなあ。ほんとうに」
「どういう事?」
「……」
「いいか仁理香、何でもう遅いのか分からないけど、仁理香がどうなったって、僕は仁理香の友達だよ」
「……うん。ありがとう」
「で?鬼の子が鬼になるとどうなるんだ?」
「私の場合、戦う時に身体が鉄のように硬くなるんだよ。例えばこの前みたいに拳で相手を打つときとか」
「まあ、それは人間でも空手とかやってるとそうなるかも。それに戦う時だけなんだろ?」
「ナイフで刺されそうになったでしょ?あんなので私を傷つける事なんかできない。ははは」
「拳銃で撃たれたら?」
「わからないけど」
「……」
「ねえ、驚いた?」
「いや、驚かない」
「本当?」
「それからさ、せっかくメアド教えたんだ。遠慮しないでメールくれていいんだぞ。僕はあんまり自分からはメールは出さない方なんだけど」
「……やっぱり接朗はいいなあ。他の子は私には絶対メール送ってくるなって言ったんだ」
しかしそういいながらも仁理香は悲しそうな表情を浮かべた。