悪戯
その週は接朗にとって緊張の連続だった。人生で最初の転校。しかも、両親が亡くなっているので接朗はなにもかも自分でやらなければならなかった。幸いにもクラスの生徒は接朗に優しかった。しかし一方、接朗が秘密にしておきたかった事が初日からバレてしまう。接朗の本名、つまり戸籍上の名前の話だ。
「神田君、君の本名は『せつみ』って読むのかな?接続の『接』に『見る』っていう字。それとも『せっけん』?」
「ははは」
「『せつみ』です。でも先生、それ秘密にしておいてくださいって事務の人に頼んだんですけど」
「はははは」
「ははは」
接朗は両親が大好きだったが、この名前をつけた事だけはどうしても赦せなかった。小学校の時はずいぶんと苛められた。それで中学に入る時に自分で勝手に接朗に名前を変える。それでも中学・高校と男子生徒からは「せつみちゃん」と呼ばれ、女子からは「せっけん」言われ続けていたのだ。今回の引越・転校でやっとその名前から解放されると思ったのに。
# #
翌日、最後の授業が終った時に生徒たちが騒ぎだした。校門の前に激マブなJKが立っているという。接朗はこの時にある事に気が付いた。昨日の女子たちが着ていた制服はこの学校の物ではない。
接朗は校門に向って歩きながら、そこに立っているのが昨日助けた子なのかどうかをできるだけ遠くから確認しようとした。そしてそれは簡単だった。あの子だ。腰まで伸びた漆黒の髪が風に揺れ、白い肌にぱっちりとした眼。そして手足は痩せているがすらっと伸びていて、遠めには確かに美少女に見えるのかもしれない。接朗はとっさに目を合わせるのを避けるとパッと反転して、裏門から帰った。
# #
夜になって接朗は心配になった。また彼女が訪ねて来たらどうしよう、と。恐ろしいほどの静寂の中、接朗は怖さを紛らわすためにスカイプで友人をコールした。幼馴染の白石沙紀。何でも話せる数少ない友人だ。それともう一つ、沙紀の家は代々神主をやっているせいなのか、沙紀の話には含蓄がある。接朗は落ち込んだ時、悩める時にいつも彼女の話からヒントをもらって自分を立て直していた。
「沙紀、今話せる?」
「ああ、接見。どう、そっち?元気?」
「接見って言うな」
「ははは。接朗の方が変な名前だよ」
接朗は沙紀にここ数日に起こった事を説明した。そして、助けた少女に対して接朗が抱いている違和感を訴える。沙紀の返事はこうだ。
「接見、偉いね。その子を助けて。接見はもう一歩を踏み出しているよ。だから接見がその子ともっと話したいと思えば話せばいいんだよ」
「まあ、そうなんだけどさ」
それから沙紀はとんでもない事を言った。
「性格がそんなに素直で見た目も綺麗だったら、普通はいじめられないよ。それが殺されそうになるって、鬼の子なんじゃない?」
「はあ?お前、冗談言うなよ。ただでさえまた彼女が訪ねてくるんじゃないかって怖くてお前と話したのに。こっちはすげー静かなんだよ。一人で住むってこんなに怖い事だったんだ……」
「接見は鬼の子を助けるんだ。そういう宿命なんだ」
「はあ?」
「まあ、その子と話してみなよ。で、また私に教えて。その子の写メも送ってよ」
「だから携帯は上げちゃったんだって。ばかな事したなって思ったけど」
「それそれ。自分でも何でだかわからないけど、その子の事、マジで助けちゃったんでしょ?それ宿命が発動してるんだよ」
「はあ?お前の言ってる事、わからない」
「ははは。じゃあね。また」
接朗は不安と混乱がうずまく中、眠りについた。
# #
翌日、クラスでは男も女も、昨日門の前に立っていたJKの話で持ちきりだった。十キロほど離れた隣町の中高一貫校。その高校の制服だそうだ。その子は夕方暗くなるまで立っていて、七時になって先生が声をかけたところ、何も答えずに走り去ってしまったという。
放課後になると接朗はすぐに下校した。今日は誰も校門の前に立っていなかったから、彼女が来る前に学校を抜け出そうと思ったのだ。しかし……門柱の影に隠れるように、その子は立っていた。最悪なのは男子生徒と話している事だ。なぜ最悪か?彼女は「神田君を探している」と言うに違いない。家に来た時に表札を見ているのだから。変な噂が広がるか、彼女が何かトラブルを起こす前になんとかこの場から連れ去りたい。そこでしかたなく、本当にしかたなく接朗はその子の方に振り向いた。彼女は接郎を見るとなぜかにやにやする。そして接郎を指差しながら男子に向かってこう言った。
「来ました。この人です。この人が私の水着を持ってっちゃって返してくれないんです」
接朗は唖然とし、焦りまくる。
「お前、冗談言うなよ」
「へへへ」
「……おい。嘘だって言え」
「なら一緒に帰ってよ」
それから接朗は男子の方を向いて
「あの、従兄弟なんです」というどうしようもなく間抜けな言葉を投げかけると、走ってその場を離れた。もちろん彼女はその男をいきなり無視して接朗に駆け寄ってくる。
「ねえ、やっと会えたね」
「お前さあ、変な冗談やめろよ。信じられやすいんだよ。そういう話って。助けてやったのにさあ」
「……昼間、家に行ったらいなかったから。学校かなって」
「昨日も来ただろ?」
「うん」
「学校は?」
「……」
「お前、学校に行ってる?」
「……行ってない」
「セーラー服着て昼間歩いていると何か言われるだろ?」
「春に買ってもらったんだ」
「学校に行かないとまずいでしょ。親には何も言われないの?」
「お父さんは子供の頃に死んじゃった」
「……ごめん」
接朗は歩きながら話をしていて、もう覚悟を決めた。今日はこの子と話をしてみよう、と。しかし彼女の方が唐突に言い始めた。
「ねえ、私とお友達になって」
「え?何で僕なの?他にお友達いるでしょ?」
「いないよ」
「そう?学校のお友達は?」
「誰もいないよ。ねえ神田接郎、お友達になってよ」
「やっぱり僕の名前知ってるんだ?」
「だって家に書いてあったから」
「そうだよね」
「ははは」
「……君の名前は?」
「金井仁理香」
「にりか?」
「そう」
「何年生?」
「中学三年」
「はあぁ?高校生じゃないの?」
「違うよ」
「それ高校の制服でしょ?」
「そうだけど、お母さんが買ってくれたんだ。早いけど今のうちに準備するからって。まだ大きいんだけどねー」
「……ねえ中学ならなおさらだよ。義務教育だから。学校に行きなよ。行ってれば友達もできるよ」
「ねえ、お友達になってよ」
「…………」
「じゃあさ、今から家に行っていい?」
「う~ん、今日はちょっとやる事があるから。また今度」
「じゃあさ、土曜日にパラグライダーやりに行こうよ」
「へ?パラグライダー?」
「そう」
「……ごめん土曜日はちょっと用事があって。僕、引っ越してきたばっかりなんだ、この前の土曜日に。だからちょっと土曜日は。ほら、携帯も新しいの買いに行かなきゃ」
「携帯買ったら番号教えて」
「…………うん」
「じゃあ、日曜日」
「うっ……うん考えとく」
家までもう少しの所で接朗は立ち止まって言う。
「悪いけど今日はここで。家にはまた今度」
「わかった」
「それからさあ、学校に来ないで」
「どうして?」
「だってみんなびっくりするから」
「……」
少女は立ち止まり、大粒の涙がその頬をつたわる。接朗が慌てて取り繕う。
「あの、仁理香は可愛いから噂になるだろ?僕を待っていたって」
「……」
仁理香は接朗の顔をじっと見ている。仁理香は「接朗は仁理香と知り合いだという事を人に知られたくないのだ」と思ったようだ。そこで接朗はしかたなくさらに言葉を加えた。
「仁理香に他の男としゃべって欲しくないから。今日みたいに」
「ははは。やきもち?」
急に仁理香は笑顔を取り戻し、くるっと振り返って元来た道を帰って行った。隣町の高校の制服を着た中学生。彼女の家もここから十キロ離れているのだろうか。
# #
放課後、校門の周りに仁理香はいなかった。昨日言った事に素直に従ったのだとは思ったが、それはそれで接朗は漠然とした不安にかられる。しかし家の前に着くとその不安は具体的な恐怖に変わった。家の前に仁理香が立っていたからだ。
「仁理香、ずっと待っていたの?学校に行けって言っただろ?」
「ねえ、お友達になってよ」
「う~ん、じゃあパラグライダーやったらね」
それを聞いて仁理香の顔がパッと明るくなる。
「そ、そうだね私たちまだ何も一緒にやってないもんね。何か一緒にやるのが友達だよね」
「でさあ、僕これから出かけるんだ。しばらく忙しい。引っ越して来たばかりだから。明日も忙しい。悪いけど」
「どこに行くの?」
「買い物だよ。僕一人で住んでるから。洋服なんかも少し買いたいし、食糧も無くなってきたから」
「私も一緒に行く」
「だからだめだって」
「絶対ついてく」
「……しょうがないなあ。じゃあさあ、家に上がっていいよ。少し話そう」
「えっ?ほんと?」
「そのかわり、買い物にはついてくるな。だって下着とかも買いたいし……」
「ははは。パンツとか」
仁理香はリビングに入るときょろきょろとあたりを見回した。
「私、他の人の家に入ったのって初めてなんだ」
「へえ……親戚の家とかお友達の家とか行った事、無いの?」
「無いよ。親戚もお友達もいないもん」
「本当?」
「ほんと」
接郎は仁理香をL字型に配置されたソファに座らせる。小さなプレハブとはいえ、一人で暮らすには十分以上の広さがとれる。そしてリビングの家具は東京の自分の家から運んできた物。正直言って一人暮らしの寂しさを助長するような立派過ぎる『家族向け』のリビングになってしまっていた。その中で、少し奇妙な雰囲気のある仁理香とはいえ、リビングに座ってくれる人がいる事に、接郎は実は嬉しさを感じていた。
「コーヒー飲む?今いれてくるから椅子に座って待ってて」
まだきょろきょろとしている仁理香が部屋の中を物色しないように祈りながら、接郎はキッチンに行く。
ドリップでコーヒーをいれて持ってくると仁理香は今度はやけにきちんとソファに座ってにこにこしている。体育館で睨まれた時は眼がぎょろついて怖いと思ったが、こうして穏やかな表情をしている時は、たしかに目鼻立ちの整った美少女だと思った。しかも意思の強そうな眼と、まるで何も食べないのではないかと思えるような薄く小さい口が対照的で、何か人間離れした不思議な雰囲気をかもし出している。仁理香は斜め前のソファを指差した。
「ねえ、ここに座ってよ」
「……」
接郎はコーヒーをガラスのロー・テーブルに置くとソファに腰掛けた。
すると、途端に接郎の両腿の裏側に激痛が走る。針が刺さったというか電気が走ったような激痛だ。
「ぎゃあー」
何が起こったか分からずに、しかも脚に力が入らずにパニックになる接郎。
「ははは」
仁理香が膝を叩いて笑う。接郎の腿の裏側に針が刺さったようだ。ソファーに針が仕込まれている。しかしそれだけではない。針に電気が流れているのだ。
「……」接郎は痛みで声も出ず、電気が流れた脚に力が入らずに立ち上がる事もできない。
「はははは。びっくりした?」
「おい、手を……」
接郎が手を伸ばすと仁理香がそれをグイっと引っ張って接郎を立たせた。
「おい、何するんだよ」
「ソファーに針を入れてスタンドの電気のコードを繋げたんだ」
「おまえなあ、バカじゃない?だから友達いないんだろ。もう家に上げないぞ。大体、助けてやったのに」
「……ありがとう」
「ありがとうじゃない。学校で僕が水着借りて返さない、って言ったのもさあ……何考えてるんだよ。」
「だって昼間、家に行ったのにいなかったし」
「そんなの当たり前だろ。平日は学校だ」
「でも学校の門の前でずっと待ってたのに。出て来なかったじゃない」
「それは……。もうお前、帰れ」
「ごめんなさい」
「いいから帰れ」
「じゃあさあ、一緒にお風呂に入ろうよ」
「はあ?」
「お風呂沸かして先に入ってよ。私が後から入るから」
「……」
「ねえ、いいでしょ?」
「嫌だ」
「私と一緒にお風呂入りたくない?」
「お前なあ、もうひっかからないぞ」
「へ?何が?」
「見え透いているんだよ。僕が入ったらお前は、その電気のコード伸ばして持ってきて、湯船に入れるんだろ。そうしたら面白いんじゃないかって、今、思いついたんだろ?」
「へ?どうして分かったの?すごい」
「お前、小学生かよ」
「中学生だよ」
「だから小学生レベルなんだよ。考えることが」
「う~ん、じゃあ今度は……」
「いいからもう帰れよ。明日も来るなよ」
「……わかった」
仁理香は少し涙ぐんでいたようだったが、素直に家を出るとてくてくと歩いて帰っていった。周りに何もない一軒屋に一人暮らし。ストーカーかつ幼稚な悪戯マニアの少女から執拗なアタックに、接朗は今後の生活を憂いた。