第三章『告白は蒼白、覚醒は紅蓮』二
――放課後。
寧々子ちゃんはHRが終わると早速帰ってしまった。お母さんと出掛けるそうで、学園の隣まで車での迎えが来ていたのだ。
寧々子ちゃんに置いて行かれた絹は、非実在アイドル研究会を見学した。漫画、アニメ、ゲーム等でアイドル属性を与えられたキャラクターの歴史と現在を記録し将来の展望を示して、以て当該アイドルの社会的役割について研究するという触れ込みの同好会だったが、どうも創立メンバーが一定の研究成果を上げてしまっていて、現在は資料を収集しながらほとんどアニメ研究会と変わり映えのしない活動を行なっているだけだった。
残念ながら絹は入会しなかった。
「あれ?」
学校の玄関で下駄箱の扉を開けた絹が声を上げた。
下駄箱の中で踵をこちらに向けている革靴に、カードが一枚差し込んである。
『放課後、屋上で待っています。大川』
これは、呼び出しだ……どう考えても。用件は、まだ、分からない。
しかし、この手紙の内容を認識した僕は、どうにも……。
目の眩むような。
足元の底が抜けて吸い込まれていくかのような。
胸のつまるような。
手先が痺れるような。
そんな錯覚があって、まぎれもなく、僕は、動揺していた。
これはひょっとして高確率で告白なんじゃないだろうか。
ついに来たのか?
落ち着け、僕。いつか、こんな日が来ると思っていただろう。
いや。この期に及んでまだ自分を誤魔化している。こんな日が来ることを、そう遠くない未来だと確信していた。
だけど、考えることを先送りにして、問題を放置していた。
落ち着け、僕。繰り返し自分に言い聞かせる。
年頃になった絹が誰かに好意を持たれる、或いは絹の方から誰かに憧れる。当然じゃないか。その結果、お互いを想い合う関係になることも、全く不思議ではない。
…………筈なんだ、普通は。
問題は僕だ。
僕がいることによって絹が普通の人間関係を築けないのではないか、ということを僕は常に恐れていた。僕は絹に普通の生活を送って欲しいのに。
「他の人に下駄箱開けられるなんて、恥ずかしいね。靴、綺麗にしといてよかったよ」
動転している僕に気付かない訳もない絹が、脳天気な感想をつぶやいた。
数瞬考えた後に呼び出しに応じる事にしたようで、一旦クラスへ鞄を置きに戻った。
放課後の校内には部活動の喧騒が満ちており、吹奏楽部が管楽器を鳴らしたり、テニス部がラリーを続ける小気味良い打球音等が聞こえてくる。
この喧騒を作り出している数百人の学生達は、既に恋を知っている。
高校時代というのは普通はそういう時期だ。
手すりを指先で撫でながら階段を昇る絹の足取りは軽ろやかだった。
四階の所で三人の先輩達とすれ違った。彼女達が先輩だと思ったのはそもそも四階は主に三年生が使っているフロアだったから、そして彼女達の制服の着くずし方や、学園に馴染んだその立ち居振る舞いからだった。
三人共が絹を目で追い、絹と入れ違いに三階へと降りていく。
すると小さな声が聞こえてきた。
「今の娘、見たぁ!? お人形みたいに綺麗!」
「脚ほっそ! 髪なっが!」
「見かけない顔だったから、一年かな」
「妬ましいー! 私もあんなんに生まれたかった!」
「あはは、無駄だって。どんな風に生まれたって、どうせアンタは日サロで真っ黒にするじゃん!」
「するよ! 日サロは私の癒しなんだよ! カレシだって黒ギャル好きって言うしね」
「「結局のろけかよ!」」
盛り上がりながら徐々に音量を上げ、次第に遠ざかっていった。
自分の容姿についての噂を聞いた絹は、ひとつ溜息を吐いて屋上の階段室がある搭屋へと昇る。
目の前の鉄扉を抜ければ大川君が待っている筈だが、絹はここでふと足を止め、振り返ると扉に背中を預けてから僕に質問してきた。
「ね。告白、されちゃうのかな? 告白だったらどうする?」
「どうするって……」
僕は言い淀む。
「……彼と、話すようになってまだ一週間、じゃないか。お互いを良く理解して決めたほうがいいんじゃないかな。彼には理性的な印象を受けるから無茶はしない、と思うけどね。……それに。間違いなく入交先輩は彼のことを好きなんだと思うよ。恋愛より義理や友情を取れとは言わないけど、決める前に声をかけておく方がいい」
努めて平静を装った、しかし、いつもより大分饒舌で不自然な助言になった。
欺瞞だ。
絹が聞いたのは「私、どうしたらいい?」という事だったのか?
否。「私が告白されたら、廉太郎くんはどうするの?」という事だった筈だ。
でも僕はそれに気付かない振りをする。
僕には何も言えない。絹の人生だから。
絹の重荷になりたくない。居候しているだけで十分な負担だから。
「ふーん。ま、そうだよね」
絹は照れたように微笑んだ。
「告白って決まってるわけじゃないけどね。でもイメトレは大事だよね。ここぞって時に落ち着けないと失敗しちゃうもん。さ、行くよ」




