序章『巻髪』二
恵維は県道沿いのコンビニに辿り着き、入り口で中年の男とすれ違った。男が片手に提げいるビニール袋にはお弁当が入っているようだ。ビニールの色が茶色だったからそれと判ったわけだが、なら何故お弁当だけ色違いのビニールを使うのか、恵維は知らない。
店内に入り雑誌コーナーで立ち読みして、少し余分に時間を潰した。
特段の理由も無く、たまたま手に取った週刊の総合情報誌だったが意外にも読み入ってしまった。巻頭は行楽シーズンに合わせたアウトドアの特集で、無骨なテントや折りたたみ椅子の後に、可愛らしいプリントの弁当箱や洗って繰り返し使えるシリコン製のカップの写真が誌面を飾っていた。
雑誌の鮮やかな色彩に頭の中を染められて恵維は心が浮き立つような幸せを感じたが、次の瞬間にはこんなにも取るに足らない事柄に幸せを感じてしまう自分の境遇に思いを致して一層沈んだし、泣きたくなった。
晴れない気持ちのままに雑誌を戻し、冷蔵ケースまで行って炭酸飲料を取る。歩いたから余計に喉が渇いた。
レジまで持っていく時に棚の下の方にこっそりと陳列してある避妊具が目に入った。数瞬の間、買うべきかと逡巡したが止めておいた。こういう準備をする事でそういう心配が現実になってしまいそうな気がしたからだ。
恵維はレジのカウンターに黙って炭酸飲料を置いた。
声質から店員に年齢を推測させないようにする為だ。午後九時過ぎ。住宅街のど真ん中ならいざ知らず、こんな郊外のコンビニに恵維のような年頃の少女が一人で居るというのはちょっとした違和感のある時間帯だった。
店員に「見た目通り若い」と思われたくなかった。
(何か咎められたら駐車場の車の中に親が待っていることにしよう)
恵維は嘘を吐く覚悟を決めたが、店員は一瞬じろりと恵維をねめつけたものの、いたって平静に会計を済ませてくれた。
恵維はそそくさとコンビニを後にして、再び県道を歩き始めた。
少し風が出てきて肌寒い。
また十分も歩けばあの製材所に着いてしまう。
「あそこに今すぐ隕石でも落ちてしまえばいいのに」
馬鹿げた事を口にして気を紛らわせる。
あと一、二時間我慢すれば集まりもお開きになり家へ帰れると、努めて前向きに考えながら夜道を歩いた。
明日は月曜日だ。恵維には意外な事だったが、あんな彼達でも仕事は大切にしていると短い付き合いの中で知った。だから今日は早めに終えて明日に備えるはずだと予想できた。
(考えてみれば当然よね。ドライブにはガソリン代がかかる。でも、どんなに無法者を気取っていても、出かける度にガソリンを略奪するわけにはいかないのだから)
ふと恵維は上空で大きな物体が大気を切り裂く振動を感じた。
(飛行機? こんな時間に?)
騒音を撒き散らす傍迷惑な飛行物体に文句をつけ、鬱憤を晴らそうかと振り仰いで耳を澄ます。
「んー……。後ろかな?」
振り向いて目を凝らし、夜空を探っても正体は判明しなかった。
「あの、森の……、向こうかしら……」
製材所へ向かって、つまり後ろ向きになりながら歩いたのがいけなかった。
――パッパーーッ!
突然、耳のすぐ傍で威圧的な高音が鳴った。咄嗟に竦んだ身体の隣を大きな影が通り過ぎ、恵維は吸い込まれるようにアスファルトへ尻餅をついた。
倒れた衝撃で頭が痺れる。
霞む目に猛スピードで離れていく赤いテールランプが映り、恵維は自分があれに轢かれそうになったのだと分かった。
心臓が早鐘を打つ。
(ああぁぁ、嫌だ……)
意識が拒否しても封印した記憶がフラッシュバックし、静かに確実に押し寄せてくる。
二ヶ月程前、何回目かで集まりに呼び出された時の事。
恵維の乗せられたワゴン車が冷たい雨のカーテンをヘッドライトで切り裂いていた。
カーステレオから大御所ロックスターの歌声が流れている。
二列目の座席の窓には目隠しのシールが張られていて、暗い外の景色は見えない。
車は住宅街を進んでいるらしい。
交差点に差し掛かって度々一時停止。
街角を九十度旋回。
そして急発進。
身体が揺すられて気分が悪い。
少しだけ車を止めて貰えないか。
声を掛けようと、運転席と助手席の間から顔を出した。
刹那。
ハンドルが急に切られる。
軋むタイヤ。
倒れ掛かる恵維の視線の先。
窓の外。
ライトに照らされた顔。
男の子の。
驚いて。
歪んで。
音。
衝撃!