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乙坂絹と薔薇色の脳細胞  作者: 秋月うさぎ
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第二章『黒髪のアリス』四

繋ぎが悪いので、第二章③の最後から三行を重ねました。

以降、こういう事がたまーにあると思います。

「憂介君。ここにいたのか」

 展開が見通せない停滞したような不思議な空気を切り裂くように、二人目の人物が彼を追って現れた。

「探したよ。教室で待っているように言ったじゃないか」

 彼とは対照的に張りのある声だった。

 声の主は校舎の玄関方面からこちらに近づいて来て、寧々子ちゃんの前に立つ絹を追い越し彼の隣に立った。

 僕達は彼女の事を知っていたが、それは間違いなく一方的なものだろう。方楠学園生徒会副会長。次期会長との呼び声が高い、二年生の入交綴いりまじりつづり先輩だ。

 先輩は実に調和の取れた隙の無い容姿をしていた。

 艶のある黒い前髪を眉毛の上でパッツンと、背中に垂らした後ろ髪は肩甲骨の下で水平にバッサリと切り揃えてある。中肉中背の身体にスカートの折り目も正しくぴったりと制服を着付けている。彼女に比べたら学校案内のパンフレットに登場するモデルの方が余程個性的に制服を着こなしていると思えた。

 寧々子ちゃんが絹の袖を手放した。

 大川と名乗った彼が先輩の知り合いだと分かり、ある程度緊張が解けたのだろう。

「僕は一人で帰ると言ったよ」

 彼は不思議と辛そうな表情でつぶやいた。

「そうはいかないよ。君のご両親から宜しく頼まれているし、私は家が隣だという誼み以上に、病み上がりの君を心配しているんだ。家まで送っていくよ」

 入交先輩は断固たる決意で言い切った。

「ところで――」

 先輩が絹と寧々子ちゃんを見据えて続けた。

「――憂介君が女の子と一緒にいるとは珍しいね。友達?」

 なんとなく、言葉の端に穏やかならざるものを感じた。

 男女の面倒にして厄介で犬も喰わない関係に巻き込まれそうなそんな雰囲気の典型で、出来得るならば「失礼します」とでも最低限の義理を果たして彼等の横を通り過ぎてしまうのが、絹の学園生活を平和にするのではないかと思った。

「初めまして。乙坂絹です」

 だが絹は、今度は礼儀正しく名乗った。絹としては何も後ろ暗い所は無く当然の対応で、僕にしてもやむを得ないと思えた。

「叶野、寧々子です」

 仕方なく、とばかりにやや控えめに寧々子ちゃんが続く。

「私は入交綴だ。覚えてないかもしれないが、入学式の後で生徒会長が演壇から挨拶しただろう。あの後ろに私も副会長として並んでいたんだよ」

 堂々とした自己紹介だった。

「いいえ! もちろん覚えてますし知ってますよ。先輩は有名人ですから」

 七年分の部活動の予算と決算を記憶しているとか、五人からの相反する陳情を同時に聞いて仲裁したとか、三人分の事務仕事を一日で片付けるとか、現生徒会長は入交先輩の傀儡だとか、先輩に関する噂は枚挙に暇が無い。その上、学業では学年五位以内を譲ったことが無いと聞く。

 そして、先輩をとりわけ高名にしたのが去年の秋に学園で起きた、とある事件だった。

 学園の男性教諭が先輩の同級生に対して偏狂なつきまといを行っていた。なかなか決定的な証拠の出難いこの行為だが、先輩は八方手を尽くして最終的にはこの教諭を免職にまで追い込んだ。

 それ以来、先輩は弱きを助け強きを挫くその義侠心と実行力で、同性の在校生から圧倒的な思慕を受けていた。

「私に関するどんな噂を聞いているのかは想像出来るが、まあ私は私に出来ることをしているだけだよ」

 入交先輩はなんとも素敵な女性だ、と僕は思った。

 絹や寧々子ちゃん達同級生とたった一年しか違わないというのに、遥かにしっかりと「お姉さん」だった。つい二ヶ月前まで中学生だった絹達と違い、貫禄があるというか女子高校生が板についていた。自信に溢れていた。先輩と較べたら絹達には子供子供した浮つきの様な物がある。

「先輩、一年の女の子達の憧れですよ」

 事実、クラスの子達は先輩を見かけただけできゃあきゃあと大騒ぎである。

「そう?」

 先輩は苦笑しつつ応じた。

「もし君も私のことを良いと思ってくれるなら、生徒会を手伝いに来ないかい? こんな時間に下校するんじゃ部活には入ってないのだろう? 生徒会も人手不足でね。手伝ってくれると嬉しい」

 すかさず勧誘が始まる。

 体育の時といい、この学園の生徒達は課外活動に熱心である。

「うえっ!? ……いやー。あっはっはー……。無理なんです。済みません」

 絹は盛大に驚いた様子を見せ、大いに笑って誤魔化した後、謝罪を添えて辞退した。

 他愛の無い世間話の最中とはいえ、絹とて心にも無く先輩を褒めていたわけでは無い。彼女には生徒会に出入り出来ない理由があるのだ。

 方楠学園は他の多くの私立高校と同様、アルバイトは原則禁止である。そして、決して少数ではない生徒達が学校側に秘密でアルバイトをしているのも同様である。学園のお膝元である同じ街の、しかも方楠生が多く集うシルキーズで働いている自分が生徒会に仲間入りしては、生徒会の風紀を乱してしまうと絹が考えるのは当然だ。

 尤も絹が親族の店を手伝うのだと理由を付けて学園に申請すれば、アルバイトの許可が下りる可能性は充分にある。だからといって、シルキーズに居る絹を見た方楠の関係者全員に、「学園の許可を貰っていますから」と弁解して回る事など不可能なのだ。

 それにもうひとつ、ややこしい事情もある。

 結局のところ、絹は学園に一切の許可申請をしていない。

 何故か。

 必要が無いからだ。

 絹がシルキーズを手伝うのは言葉通りの手伝いであってアルバイト、つまり労使契約では無かった。

 シルキーズは持ち帰り、或いは食べ歩きの客をメインにしており客席は少ない。

 四人掛けのテーブルが一つとカウンター席が五つあるだけだ。ドーナツとドリンクは会計しながら渡してしまうし、コーヒーだってドリップやサイフォンで淹れるわけではない。ボタンひとつでサーバーマシンからじょろじょろと供給されるのだ。食器も客が返却スペースに戻すようになっていて、本来であれば人を増やす必要の無い、妙さんひとりで充分切り回せる規模の店だった。

 妙さんが絹を手伝いに呼んでいるのは、絹の社会勉強の為とそして可愛い姪にお小遣いを渡す口実を得る為だ。実際、妙さんはお店の利益からではなく、個人のポケットマネーからお金を渡すと宣言している。お店の経費から給与として支払えば節税になるであろうに、わざわざ不利な方法を取ってでも妙さん自身で絹に係わろうとしているのは、たった一人の姪を大事に思っているからだ。

 そして絹もそれを承知していて、妙さんの気持ちに応えるべくなかなかに大変な試食会のメンバー探しに取り組んでいる。いかに狭い店内だとはいえ、あそこに寧々子ちゃんだけの試食会とは侘びしいものがある。

「そうか、残念だな」

 そう言うと先輩はあっさり引き下がった。

 きっと断られ慣れているんだろうと思う。

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