序章『巻髪』一
夜気がようやく温んできたゴールデンウィークの最終日。
片田舎の県道に霞のかかった半月からとろりとした光が注いでいる。茂部恵維は街灯がぽつりぽつりと照らす沿道を、とぼとぼ歩いていた。
「あぁぁ……。どうしてこんなことになっちゃってるんだろう」
独りになると、どうしてもぼやきが洩れる。
発端は数ヶ月前の放課後、挨拶程度にしか話したことがなかったクラスメート、美衣から声を掛けられたことだった。
――今夜、中学の時の先輩とドライブに行くの。一緒に行かない?――
軽率だった。十七歳になったばかりの自分の周りでは運転免許を持つ友人は居なかった。年上の人はどんな遊びをするのか、つい気になって首を縦に振ってしまった。今ではあの時の自分を毎日毎日呪っている。
待ち合わせ場所に来た車を見て言葉を失った。
けばけばしい紫のワンボックスカー。車内の様子が見えない真っ黒なガラス。車体の屋根には角のような、翼のような突起が付いていた。
(良くない人達の集まりだ。係わってはいけない)
家に帰ろうと思ったが咄嗟に上手い言い訳が思いつかず、有耶無耶の内に車に連れ込まれてしまった。
彼等は男七人、女四人のグループだった。
リーダー格は男で、自分を含めて五人になった女達は彼の運転する紫の車に乗り込んだ。その後合流した男達は皆、オートバイ――単車と呼んでいたが誰も意味を知らなかった――に乗っていて、これらもおよそ流体力学に反抗したフォルムをしていた。恵維にはこの形が、ハンドルやシャフト、マフラーの管状の部分と相俟って、まるで威嚇する昆虫のように感じられた。
以来、週末といえばこの集まりに連れ出されているのだ。
他人に悩みを打ち明ければ、出かけるのを断ればいいと言われるだろう。
恵維にしても当然にその位は考えた。だが問題がある。美衣は恵維の自宅を知っているのだ。下手に刺激してしまって、この人達に家の周りをうろうろされては家族や近所に迷惑を掛けてしまう。学校もクラスメイトだからって住所録を配るのは、個人情報的にどうなのかと思うが、今更どうしようも無い。
(好奇心猫を殺すというけれど、それなら私は生殺しにされているのだわ)
リーダーは絶妙に不愉快な距離感で恵維に接してくる。未だ何かを強要された事は無いのだが、恵維の方が離れようとすると「ほら、遠慮するなよ」とか「俺達、仲間じゃん?」等と馴れ馴れしく、調子の良いこと言って逃がすまいとする。
恵維がどんなに熱弁を奮って訴えても、のらりくらりと同じような説得が繰り返され、結局恵維の方で根負けして引き下がるしかないのだった。
(そう、きっと私が諦めるのを待っているんだ)
リーダーは恵維を毎週のこの集まりに嫌々ながらも参加させ、抵抗に疲れて自分達に染まっていくのを待っているのだと思う。
美衣はと言えばひたすらリーダーに媚を売っていて、集まりでも学校でも恵維のことを顧みていない。清清しいまでに「わたし、あなたに興味無いの」といった様子である。
実際、美衣にとって恵維は頭数でしかないのだろう。
他のメンバーの会話を漏れ聞いたところによると、最近グループ内での恋愛の末に一人が妊娠して集まりに出て来れなくなったという事だった。ただ恵維はその穴埋めに、そして美衣のリーダーに対する点数稼ぎに使われただけなのだ。
(このままでは貞操の危機だわ)
彼等がたまり場にしているのは、廃業した製材所だった。倉庫の土間の所にドラム缶を持ち込み、会社を清算したときに処分仕切れなかったと見える端材を燃料にして火を焚いている。そして三々五々に酒を呑んだり、音楽をかけて踊ったり、ガラスの破れた事務所に入り込んで男女の何事かに及んだりしている。
その日も恵維は火の傍に独り座って、この嵐のような時間が過ぎ去るのをただただじっと待っていた。
左耳に四つも五つもピアスをはめた男が恵維に近寄り、軽薄な調子で、
「恵維ちゃんもこっちで呑もーーーよぉ」
と声を掛けてくる。
彼の名前を知らない。確か仲間内からは「テツ」とか呼ばれていた。
未成年である自分に飲酒を勧めるとは何事か。恵維は居たたまれなくなり「炭酸、買ってくる」と言い置いて抜け出して来たのだ。これでコンビニまでの往復、約三十分間を安穏と過ごすことができる。
と、思ったのに。
「ホントに。どうしてこんなことになっちゃってるんだろう」
頭に浮かぶのはこのところの苦境の事ばかりだった。独り歩いていると考えることを止められない。思考が渦巻き、逆巻いて落ち着かなかった。
恵維の横を一陣の風が吹きぬけ雑木林を揺らした。ざあざあとざらついた葉擦れの音は恵維の困惑に拍車をかけるようだった。




