一章-5 突入
少し短めです。
突入成功。鍵が壊れていたのだろう、予想以上にあっさりと開いてくれた。これで相手にも多少なりとも警戒心を抱かせることはできるだろう。
「さて、そこのお嬢さんを放してもらおうか。知らない奴」
指を男に向ける。男の年齢は三十代半ばといったところだろうか、くたびれた髪にヒゲが見た目以上に老けさせている印象を与えていた。身長はこの距離からだとわかりづらいが百七十四センチといったところ。俺よりかは幾分か小さい。
「そう言われて放す奴はいないな。それと俺にも名前はあるぞ」
男はまるで演劇の役者のようにハキハキと喋る。
どうやら突然現れた俺に対しての動揺は最初だけだったようで、もう平静を取り戻している。仲間がいる気配はない。つまり自信を裏付ける何かがこの男にはあるのだ。
「俺は影山直人。君はこのお嬢さんの何かな? ただの正義漢ならここで身を引いた方がいいぞ。俺は男には容赦しない」
「これはご丁寧にどうも。だけど下がる気はないぞ」
「そうか。それじゃしかたないなー。死んでもらうしかないな」
そう言うや否や影山と名乗った男は跳んだ。
ゆうに背丈の二倍はあろう高さを跳び上がり向かって来た。
「って、ウソだろ!」
咄嗟に横に跳んで向こうの落下位置からズレて奇襲を回避。な、なんだ今の跳躍力は……人間業じゃないぞ。
「アギトさん! 向こうは悪魔憑きだよ!」
「悪魔憑きだと……?」
これは思った以上に厄介な事態になってるみたいだな。つまり今の跳躍力、つまるところ身体能力は本来ある能力の副産物のようなもの。となると能力を発揮させるまでが勝負というところか。
問題は俺が生身だということだ。どうやって向こうと対等に渡り合うか……周りを見て武器になりそうなものを探すが、特に武器になりそうなものはなかった。おお、神よ。慈悲はないのか。
「はは、あわてたところで無駄さ。例え武器を持ったところで一般人が悪魔憑きに勝てるはずがないだろう」
余裕を持った声で影山は近づいてくる。歩いてくるのも余裕の現れだろう、腹ただしいことだ。残念ながらその余裕を持っていられるのはこちらの力不足の現れなのだが。作戦はどうやって勝つかではなく、どうやって華音ちゃんを逃がすかに考えた方が……
(って、ん? どういうことだ?)
今、俺はほんの僅かな間だがまるで勝てる算段を持っているかのように思考を進めた。それは俺がこの男相手に勝てるということを身体がわかっているような……
やってみる価値はあるか。
ファイティングポーズを取り影山の方を向く。影山は一瞬ぽかんとした様子だったがすぐに意味を理解して笑い始めた。
「おいおい、本気か? たかだか一般人が悪魔憑きの俺に勝てるとでも?」
「……やればわかるんじゃないか。それともなんだ……」
指を向けてクイッと挑発するように向ける。
「お前は同族相手だったら喧嘩しないタイプの弱者か?」
「……言うじゃないか。だったらその減らず口をたたけないように、死なせてやるよ!」
俺の挑発に簡単に乗り、突進してくる。
あの程度の挑発に乗る辺り、煽りには耐性がないと見た。そしてそれはこちらにとっては非常に好都合なものである。まぁあの程度の挑発しかできない辺り俺もたかが知れているようだが。
動きは確かに素早い。普通の人間ならば目で追えるものではないだろう。
だが、不思議と俺には影山の動きが見えた。
そして近づき、油断を仕切っている影山の顔面に右ストレートを思い切り打ち込んだ。
影山はそのまま後ろへ吹き飛び、何度か転がって立ち上がった。やっぱりあの程度じゃ気絶もしてくれないか。
ただ、向こうの精神的にはだいぶ動揺を与えられたことだろう。華音ちゃんの方も見ているとポカンとしている様子だった。そして、それは攻撃を打ち込んだ相手である影山も一緒だった。
「なん、だと……」
「容赦はしないんじゃなかったのか? それとも、単純にアンタが一般人以下の悪魔憑きだったのかな?」
「キサ、キサマァ……! たかが一般人がまぐれで一撃をいれたくらいで調子に乗るなよ!」
「でも現実は変わらんぜ? 影山、アンタはたかだか一般人の拳をまともに打ち込まれた残念な悪魔憑きだ」
「だったら見せてやる! 俺の能力を!」
影山は拳を下に打ちつける。
同時に背後から背中をがっしりと掴まれた。振り向けば黒い人形のなにかが俺の背中を抑えており、そのまま俺を蹴りとばす。
転んで衝撃を和らげるが、一体あの黒いのはなんなんだろうか。すぐに立ち上がり体勢を整え、影山の方へ向かう。こういうのは本体を倒せばどうにかなるものだろう。
だが、影山の近くにはもう一体の黒い何かが立っており俺の行く手を阻む。俺はそれを屈んで回避、そのままもう一度影山の鼻面に拳を打ち込んだ。ドロリ、と影山の鼻から血が流れる。そして俺は黒い何かに捕まらないよう距離をとって様子を見る。
影山はさっきのように激昂はせずにむしろ血が抜けたせいかいくらか落ち着いた様子に戻っていた。これはそろそろさっきまで使っていた挑発は使えそうにないか。
「一度ならまぐれですませたが、なるほど二度目なら必然ということか……」
鼻血を見ながら影山は不気味に笑い俺を見る。
その目はひどく淀んでおり、俺に何か報復をしたそうな目をしていた。
あの手の目をする奴はたいてい危険な考えを持っていると相場が決まっている、そう本能が告げていた。
影山が指を鳴らすと同時に黒い何かは二体揃って俺に向かってくる。早さは影山と同等。一体ならともかく影山も含めて三人掛かりとなると流石に骨か。
拳を向かってきた黒い何かに打ち込む。奇妙な感覚だった。手応えはあるのだが、まったくないようにも感じる。なんだコレ。
そんな奇妙な感覚を確かめる間もなく黒い何かは俺に襲いかかる。
と、ここでさらに黒い影が唐突にもう一体増える。しかも出没地点は華音ちゃんの付近からだった。
これは、本当に手間かもしれない。ある程度の質と量を兼ね備えている敵というのは何分厄介なものである。せめて統制がとれてなければよかったのだが、動きを見ているかぎりそんなことは期待できそうにない。
まぁだけども、それだけである。
まず近づいてきた一体の放った拳を受け流し足を引っかけて転倒させ、わずかに静止させることに成功。続けて近くにいた黒い何かの一体の顔と思わしき場所に肘打ちを叩き込む。そして三体目はたっぷりとひねりを加えたローリングソバットを鳩尾に打ち込んだ。
それぞれの黒い何かは倒れこんだ。
今のは身体が自然に動いた。どうやらこういう荒事は身体が覚えているらしい。一体どんな過去が俺に眠っていることやら……思い出したいような思い出したくないような、不安なかぎりである。案外、思い出さない方が身のためなような気がしてきた。
そんなことを考えている間に黒い何かは立ち上がってくる。転倒させた奴はともかくとして他の二体は的確に急所を打ちこんだはずなんだが。悪魔憑きの能力で作った物体だからダメージは関係ないのか。
そうだとしたらどれだけ倒しても無意味ということになる。
どうしたものか、と足下を見ると奇妙なことに気づく。
俺の影が消えていた。
いや、厳密には違う。影は明りに反して非常に薄くなっている。まるで何かに色だけ奪われたかのような……と、ここまで考えたところで黒い何かに目がいく。
「……ああ、そういうことか」
「流石に気づいたか」
にやりと影山は笑う。
「この黒いの、俺たちの影から作り出された物体。これがお前の能力か」
「その通り、俺の能力“影の騎士団”だ。人形の影から九割の影を奪い、実体化させて戦わせることができる。そして……」
「一対多数向きの能力だな。そこにいる人数分の影だけというのが制限ってところか。一対一なら自分と自分の影含め三人で襲いかかることができる。ま、今お前は指揮者のポジションってところかな。四人でむかってこないのか」
「……俺の台詞をとりやがった」
「あ、ごめん」
もうちょっと要約した方がよかったな。
「ちげえよ! ていうかお前本当に一般人か!? どう考えてもその戦闘力は一般人じゃないだろ!」
「そこに関しては俺もまだよくわかってない。今ので荒事には慣れてるってことがわかった。記憶喪失は辛いな」
自分が何者かよけいわからなくなってきた。一体何をどうしたらこんな戦闘力が身に付くんだろうか。
「記憶喪失とかうそくせぇ……」
影山は呟くがところがどっこい現実である。俺だって嘘くさいとは思うが悲しいことに現実とは非情なものである。
まぁそれよりだ、この調子ならどうにかなりそうだ。
どういうわけかは知らないが数以外では引けを取っていない。それどころか優位に立っているといっても過言ではない。
……そろそろ終わらせるのが吉かな。
向こうも長期戦では価値がないと覚悟したのだろう、影たちを一斉に俺に向けて突撃させてくる。それを俺は先ほどまでと同じように迎撃するように拳を握り、影たちと相対する。その視界の端で影山が全力で走っている姿が見える。
まさかアイツの狙いは……!
急停止、そこから影山の方へ向かおうとするが影たちが立ちはだかる。迎撃していくもわずかにタイムラグが発生していき、その時間は致命的なものとなった。クソ、油断した!
影山は華音ちゃんを持ち上げ、その喉元を絞めるように腕を首にかけていた。
「このお嬢さんの命が惜しかったら動くなよ……!」
そして定番であるこの台詞。どうも俺とやり合うと勝機がないと踏んだのだろう、人質を取ってこちらの動きを制限することにシフトしたようだ。
「……やってくれるじゃねぇか」
後ろから影が二体俺の両腕を掴んでくるが、それに抵抗することなく組み伏せられる。その様子を見ながら影山は低く笑う。
「悔しいことにこうしないと勝てそうにないからな。だけど、効果は絶大だな」
「あ、アギトさんゴメン……」
謝ることはない。彼女の両手両足の拘束を解除していたとしても、さっきの俺の油断があった限りこの事態になることは明白であった。
「それじゃ、ショウタイムだ」
空いている右腕を己の首もとにやり、横に引いた。