一章-4 誘拐
誤字脱字などがありましたらぜひご報告ください。また、感想も待っています。
暗い夜道に家に戻る。すでに慣れたものだ。
ボク、大鳥華音はそう思いながら帰路を辿っていた。
ボクは可能な限り毎日学校が終わるとあの病院に行っているのだが、今日は思いのほか面白いことにであったのは収穫だろう。
数日前、ボクが夜遅くに散歩に出かけていたら奇妙な物音が聞こえて病院の方に行ったのだが、そこであのアギト・ファングさんと出会ったのだ。明らかに日本人の見た目をしているのにその名前はおかしいのではないか? と思うが、ひどい出血だったのは目に見えていたので肩をかして病院内に入った。……今更だけど名前は間違ってないはずだ。一度しか言われなかった上にすぐに気絶したから確認の取りようがなかった。
しかし記憶を失っているというのにあのアギトさんは面白い人だった。子どものように無邪気で、けれども鋭いなにかを秘めている。それにあの人のおかげで数学の宿題が面白いように簡単にできた。ボクはそこまで頭がよくないのでひじょうに助かった。どうやらとても頭のいい人のようだ。
それにしても入院しているのに「家まで送っていく」という発言は驚かされた。そこまで言っていただけるのはありがたいとは思ったけど、仮にも入院患者なのだから無茶をするのはやめてほしいものだ。でも、優しい人だな。
「また明日も病院に行こう……いや、いっそのこと病院に泊まり込んでみるのも面白そうかな」
正直な話、家にはいたくない。これだけ長い時間外に出ているのも家に帰りたくないからであり、最初は正直時間をつぶせるのならどこでもよかった。あの病院に通うようになってからはそんな思いも消えて楽しい時間を過ごせるようになった。
将来は勉強してあの病院の看護士になるのもいいかもしれない。常に人手不足だとも行っていたし、相談にも乗ってくれるかもしれない。
そうと決まれば病院に戻ろうか、そう考えるがやめておく。このまま家に帰らなければあの父親の機嫌は悪くなるだろう。そうなれば……
無意識に腹部を押さえる。いけない、こんなことを考えているとますます悪い方に物事が運んでいってしまう。
「……帰ろう」
病院にはいつでも行ける。それでいいではないか。
しかし、帰路を辿る足取りは重くなる。
「お嬢さん、こんな夜道を歩いて危険ではありませんか?」
突如後ろから声が聞こえてくる。
ふりむけば見知らぬ男性が立っていた。背はボクよりも十センチほど高めで暗闇で顔はよく見えないが顎髭をたくわえている。一体ボクになんのようだろうか。
ボクは当たり障りなく「慣れているので大丈夫です」と返事をする。
「いやいや、お嬢さん。いくら慣れているとはいえこの夜道は危険ですよ。送っていきましょう」
「けっこうです。見知らぬ人に心配される筋合いはありませんので」
キツい言い方をするようだが本心から思うことだ。そもそもこんな夜道で話しかけられるのは不自然だ。
すると男性は「そうですか。まぁそうですよね」と不気味に笑う。
次の瞬間、背筋に悪寒が走った。
まずい、早くこの場から逃げなければ。幸い病院はまだこの位置からでもだいぶ近い。全力疾走をすれば病院まで十分とかからない。
次の瞬間、ボクは脇目も振らずに走り出す。するとあっさり男性の横を通り抜けることができた。よし、これなら逃げ切れる。
「おいおい、逃げるなんてひどいなぁ」
だが、そんなボクの予想を裏切り男は一瞬でボクの前に立ちふさがった。
あれ? おかしいぞ。これでも運動神経には自信があるのに一瞬で抜かれてしまった。しかも抜かれた気配すらも感じさせられなかった。
「おや、前に立たれているのに不信感を感じているみたいだね。まぁしかたないだろうさ」
「……一体、何者なんですか」
「何者、と言われれば悪魔憑きと名乗るしかないね」
「悪魔憑き……!?」
悪魔憑き、それはパンドラカラミティを機に確認された超能力者たちの総称である。能力は多種多様であり、その副産物として身体能力も常人の比ではないと聞く。それがこんな田舎になんで?
「なぁに、ちょっとしたビジネスさ。君みたいなかわいい子を主役にしたサイトの、ね」
ジュルリ、と効果音がつきそうな舌なめずり。
気持ち悪い。心底そう思う。こんな奴の思い通りにはなりたくないし、やらせない。
通学鞄から一本のシャーペンを取り出し立ち向かう。
「……え? まさかそれだけで立ち向かうつもり?」
男はきょとんとした様子だったがこちらの知ったことではない。シャーペンだって人を殺す凶器になりえるのだ。侮られては困る。
とはいえ、それが悪魔憑きに通用するかどうかはまた別問題である。
男は愉快そうに下衆じみた笑いをこぼしながらボクに近づいてくる。ボクはそれにあわせてシャーペンを前へ突き出した。
だが、その攻撃は簡単にいなされ逆に腕を掴まれる。
まったく別人の手によって。
「なっ……!」
「大人しく寝てな」
何が起こったのかを理解する前に腹部に一撃をいれられ、そのまま意識を失った。
*
「やっぱり眠れないんで、散歩に行っていいですか?」
夜中の十時。まどろむにはまどろんだが、結局眠りきるにはいたらなかった。なので、気分転換のために散歩をしたくなり、恭二医師のいる宿直室に向かった次第だ。
恭二医師は苦笑いを浮かべながら読んでいた本から俺に視線を移した。
「わざわざ尋ねてくるからどうしたかと思えば……まぁウチはお固い病院じゃないから構いませんけど、アナタは仮にも重傷者で入ってきたわけですから無茶は禁物ですよ?」
その表情から俺を心配してくれているということがよくわかる。入院して数日の患者をここまで心配してくれるのはこの恭二医師の人柄なのだろう。吉田さんや他の患者さんにもきっとこのように接し、信頼を得ているのだろうということもわかる。
心配してくれていることに感謝をしながら俺は礼をいい、ライトを借りて宿直室から出ていった。
ライトをつけてゆっくりと病院の廊下に視線を移す。現在は非常灯以外の電気はほとんど消えきっており、ライトがなければ視界を確保するのも難しい。しかし病院がこうまで暗いとよくある幽霊が出るという話があるのもうなずける。
少し身震いをしながらもライトをともして前方に光を当てる。暗い廊下に一筋の光が差し視界の確保に一役買う。それから俺は歩を進めた。
宿直室のある二階から一階に、そこからなるべく周りを見ないようにしながら病院の玄関から外へ出ていく。
外へ出ていけばキレイな三日月が浮かんでいた。その三日月から出る月明かりによっていくらか夜道も照らされている。それにいい空気だ。この病院の周りは小さい森林に囲まれているのだがそのおかげだろうか。
少し童心に気持ちが帰ったのだろう、こういう夜道を歩くと考えるとわくわくしてきた。
それから十分ほど夜道を歩いていくと、ここで一つ不可思議なものを見つけた。走って
近づき落ちているものを確認すると通学鞄だった。しかもこれは見覚えがある。今日であったばかりの少女、華音のものだった。
一瞬どうしたものだと考えるがすぐに結論は出た。普通、こんな場所に鞄を落とす人間はいない。なにかの事件に巻き込まれたと考えるのが妥当だろう。理由もだいたい想像はつく。彼女は美少女に分類される女性だ。なにかしらやましい理由で何者から連れ去られてもおかしくはない。
視線とライトの位置を下に降ろす。俺が寝ていた数日間の間に雨が降っていたのかまだ少し地面は濡れていた。そこには足跡がいくつか確認できる。一つは小さめの足跡で女性のものだとわかる。これが華音のものだろう。そしてもう一つの足跡、大きさは二十七センチ程度。よほどのことがない限り男性のものだとわかる。
チクリ、と頭が痛む。
早く彼女を助けに行けと本能がささやき、また俺自身もそうするべきだとなんとなくだがわかっていた。病院に戻って報告する暇はない。事態は一刻を争うものとなっている。
足跡を追うように俺は駆け出した。
それから足跡を辿り十分も経った頃、足跡は海沿いの方にまででていた。残念なことに足跡はそこで切れている。海沿いの場所にでたということもあってか倉庫が多数並んでいる。ここからしらみつぶしに探せっていうのか。冗談だろ?
ここで一度病院に戻らなかったことを後悔する。こういう場合には人手が必要だったというのに俺はその考えを真っ先に否定した。呼びにいくのを無駄な時間と考えたからだ。足跡がそのまま続いていたなら正しい考えだったが、生憎結果は違った。
結果論といえばそれまでだが、今の状況でそんなことを言っている場合ではない。
だが、そんな時だった。
本当にかすかな声だが、彼女の声が聞こえた。
俺は迷わずその声が聞こえた方に走り出す。
かすかに聞こえる声は走っていくにしたがいどんどん大きくなっていく。
そして一つの倉庫に辿り着いた。
『威勢のいいお嬢さんだねぇ。両手両足縛られているのに……』
やれやれといった様子の男性の声が聞こえる。今の発言からも誰かを捕らえているということは間違いない。そのまま俺は突入を試みようと入口を開けようとするが鍵がかかっていた。舌打ちをし、強行突破することに変更。
一度大きく深呼吸をし、全力で入口を蹴り飛ばした。
*
冷たい地面で目を覚ますと知らない光景が広がっていた。
ホコリっぽいコンクリートの床、大きいコンテナ。視界を移せばクレーンなどもあり、どこかの倉庫だという予想がついた。
「おや、ようやく目覚めたかい」
「……気分は最悪だけどね」
「よく眠っていたよ。といっても二時間半ほどだがね」
二時間、病院を出たのは八時近くだったからおおよそ十時すぎというところか。手足を動かそうとするけども、両手両足は縛られているために動けない。普通の女子高生であるボクにはほどけそうにはない。
そんなボクの様子を見て男はこちらが不快になる笑みを浮かべる。
「さて、眠りから覚めたようだし準備をさせてもらうよ」
「準備……?」
「ああ。言っただろう? 君のようなかわいい子を主役にしたサイトを、ってね」
男はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてビデオカメラを手にする。パンドラカラミティの影響でそういう電子機器は過去よりも高いというのによく手に入れているものだ。それだけボクらがお金になるという意味でもあるのだろうが、気に食わない。
とはいえ今のボクにはなにもできないのでただ相手を睨みつける程度のことしかできない。悔しい限りだ。
「おや、こんな状況なのにそんな目をするんだ。いいねぇ、そういうのは好みだよ」
「変態。ボクみたいな弱者をいたぶって何が楽しいのさ? このクズ野郎」
「ほとんど表情を変えずにツッコミをいれられると、さすがの俺でもクるものがあるな。まぁでも、答えは簡単だな。単純に金のなる木がそこにいる上、自分も楽しめる」
「最低だね」
「かもね。さらに言えば俺は弱者をいたぶるのが大好きなんだ。泣き、わめき、叫ぶ。しかし誰も助けにはこない……そんな中で最後にはその命の欠片を奪う。これ以上の愉悦は存在しないんじゃないかな。君はどう思う?」
心底楽しそうな顔で男はボクに問うてくる。
「どうもこうも、アナタが悪い人だということがなおさらハッキリしたということ以外は興味がないです」
「ほぉう、そうかい。しかし君は中々肝が据わっているな。それとも助けでもくると思っているのか? ならそんな期待はしないほうがいい。なぜなら、この倉庫には鍵がかかっている上、周りには似たような倉庫が多量にある。すくなくとも俺が楽しむ時間分はあるというわけだ」
ハハハ、と心底嬉しそうに笑いながら男は手慣れた手つきでカメラを起動させていく。さっきの話から察するにボクは用がすんだら殺されてしまうのだろう。そして、既にその凶刃にかかった人は何人もいるということ。
許せないと思うと同時に恐怖の念が思考に混じってくる。
気がつけば身体は震えていた。言うことを聞かせようとしても意思に反して身体の動きは止まらない。
(でも、それでも——)
決してボクの心は折れたりしない。折れて、やるもんか。
ボクを見ていた男は少しだけ不快な表情をあらわにした。
「……確かに反抗的な目つきは好みなんだが、ここまで話を聞いても目が死なないということには納得がいかないな」
そういうわけで、と男は近づきボクの腹部を蹴り上げた。
すさまじい衝撃が襲い、胃の中身が気道を通っていき吐き出される。これが悪魔憑きの蹴り、身体能力が強化されているとは聞いていたけどここまで衝撃が大きいなんて……
衝撃の余波で咳き込む。ボクの身体も健康とはいえ人間の身体だ。悪魔憑きのそれを受けきるのには不都合しかなかった。
「おーおー、人間は脆いねぇ。これだけで吐いちゃうかぁ。全力の十分の一も出してないっていうのに」
これで全力の十分の一未満、ならば全力で蹴られた場合はボクの命はなかっただろう。
男は下品に笑う。弱者をいたぶる愉悦に浸っているのだろう。そんなことができるほど男は今優位にいるのは間違いない。だけどボクはそれがどうしても、
「……! この、クズがっ!」
許せなかった。
「弱者をいたぶることしかできないなんて、クズの極みだ! それで一体今まで何人の人を手にかけてきた? ボクは許さない、幽霊になってでもアンタを許さない!」
「優麗になっても、ねぇ。俺は非科学的なことは信じないことにしてるんだ。しかし、まぁ」
男は座りこみボクの制服を掴んで、思い切り引き裂いた。
制服の下からは愛用している白いブラがあらわになり、羞恥の感情で身体が熱くなっていくことを感じていく。
だけど、視線は男から外さなかった。
「威勢のいいお嬢さんだねぇ。両手両足縛られているのに……」
やれやれと言った表情の男。
「だけどそろそろ時間だ。さぁ、その表情を恐怖と絶望で歪めてくれよ」
カメラを起動し、いやらしい動きをする。
ここまでか——
心まで負ける気はないが、人体的な意味ではもう詰みと言っても過言ではない。
そう考えた時だった。バキン、と盛大に何かが壊れる音がしたのは。
『グッド、イィブニィング……』
「……何者だ?」
男はカメラ地面に起きながら、音のした方向に目を向ける。
だけど、ボクは知っている。この声は聞き覚えのある声だ。
「何者だと? そりゃこっちの台詞だ……」
「あ——」
その人は、来てくれた。こんな絶体絶命のピンチにボクを、救いに来てくれた。
「アギトさん!」
「よう華音ちゃん。助けにきたぜ」
アギト・ファングさんが。