五章-1
「……はは、ここが彼女の実家か」
薄暗い中、僕は二階建ての家に目を向ける。表札には大鳥の名字が刻まれていた。
うん、ここで間違いない。
僕は高鳴る心臓の鼓動を押さえてチャイムを鳴らす。
『はい、どちらさまでしょうか?』
電子音の後、インターフォンからは壮年の男性の声が聞こえる。うん、多分この人があの人の父親なのだろう。
「すみません。僕は砂上登と申します。突然で申し訳ありませんが、こちらは大鳥華音さんのお家で間違いないでしょうか?」
『確かにここは華音の家ですが、あなたは娘とどういう関係ですかな?』
「これは失礼いたしました。僕は彼女に以前怪我をした時に助けられた者でして……本日はそのお礼に参りました」
『……わかりました。どうぞお入りください』
ありがとうございます、と僕は頭を下げて一礼する。
ドアを開け、僕は家の中に入る。玄関先には靴は一組しかなく、彼女がいないことがわかった。少し残念だが仕方がない、これも運が悪かったのだと諦めよう。
「いらっしゃい。砂上くん、だったかな?」
と、気づくとひげを蓄えた五十代くらいの男性がいた。さっきのインターフォン越しの声と同じなのでこの人がお父さんなのだろう。
「はい。娘さんには大変お世話になりまして……あ、こちらはお土産です」
手に持っていた土産物を彼女のお父さんに渡す。本来は本人がいる際に本人に渡すのが礼儀らしいのだが、今回はいないので勘弁してもらおう。
お父さんは少し難しい顔をしながらもお土産を受け取る。うん、これで第一印象は問題ないだろう。
「まぁ、どうぞ奥へ」
「ありがとうございます。では、おじゃまします」
もう一度一礼をして靴を脱ぎ、家に上がる。うん、どきどきするな。
それにしてもなんとなく怖い人だな。いや、しかし娘さんに世話になったという男が突然現れたのだから警戒もするだろう。うん、娘を心配しているのだろう、いいお父さんだ。
それから僕はお父さんの後をおうように歩いていきリビングに案内され、椅子に座るように指示される。僕はそれに従いすぐに座る。その後お父さんから緑茶を出される。
「あ、すいません気を使わせてしまいまして……」
「おきになさらず。で、話をうかがいたいのですが……本当は家の娘が何かをしたのでしょうか?」
「……はい?」
何を言っているんだろうか、この人は。
僕は彼女に怪我をしているところを救われたからお礼を言いにきているというのに、どうして彼女がなにをしたかという前提で話を進めているんだ?
「あの、ちょっと意味が分からないんですけども……え?」
「ですから、家の娘が何かしたのでしょう? いや、気を使ってこんなお土産までもらって……アレには私からキツく言っておきます。ですので何をしたのかを教えていただきたいのです」
「ちょっと、僕は娘さんにお世話になったからここにきたんですよ? なのにどうして娘をそんな最初から疑うような……」
「アレは出来の悪い娘でしてね……昔から虚言を吐くような子でした。それで私たちを振り回したりして……まったく、お恥ずかしい限りです。昔もいじめられたからと言って学校に行かなくなったことがあって病院に連れて行ったりしたのですが、医者が言うにはどこも問題はない、わがまま言ってるだけだと言われまして……それから私は娘を信用していません」
「……それはいかがなものでしょう。少なくとも僕は彼女に救ってもらいましたし、そのおかげで人生を楽しく過ごしていると言っても過言じゃありません」
「ウソをつかなくてもいいんですよ。本当は迷惑なことがあったからきたのでしょう?」
この人、まったく話を聞いていないな。そしてまったく娘のことを、華音さんのことを信じていない。訂正しよう、この男は生きる価値はない。華音さんを、僕の女神を悪く言うなんて万死に値する。
いや、そもそも親なのに娘を信用しないということが許せない。
「失礼ですが、お父さん。アナタは華音さんを信用していないと言いましたが、それならどのような教育をなされていたのですか?」
「おかしなことを聞きますね。親の言うことを聞かない、反抗する子は躾るだけですよ」
「その躾をどうしていたかと聞いているんですよ!」
「どうって、殴ったり説教をしたりですよ。それに反省文を書かせたり……なんならその過程を写しているビデオもありますので見ますか?」
コイツ……自分が何を言っているのかわかっているのか?
異常、そういう言葉が頭の中に浮かぶ。この男は自分の娘に何をしたのか、世間一般から見たらどういう風に映っているのかわかっていないのか?
ふと周りに視線を移す。タンスの上には写真が飾ってある。
写真には幼い頃の華音さんであろう少女が映っている。幼いながらもこの時から今の美しさの片鱗を見せているのがすごいが、その目はひどく淀んでいた。ほっぺたにはれているせいなのかガーゼがあてられていた。恐らくこれがお父さんの言う教育なのだろう。
ざわり、と僕の背中が震えた。
多分、この家には華音さんが虐待を受けていた証拠がいくらでも眠っている。それはこの男の発言からも明らかだ。
許せない。
「アナタは僕の女神に、許されない罪を犯した」
「? 急にどうしました……というか、女神?」
「そうです。彼女は僕の女神です。僕を助けてくれたあの日から、彼女は僕の女神です」
命を失いかけていたあの日、助けられた時から彼女に恩返しをしようと決めていた。今がその第一歩だろう。
「その命、神に返してもらいましょうか」
「なにを……グゥ!?」
近づいて首をつかむ。少し力を入れるだけでミシミシという音を立てて、華音さんの父親は小さな悲鳴を漏らしていく。
「あ……か……や、やめ……」
「やめません。アナタはこの世でもっとも尊い存在に手を出し、あまつさえ心に傷を付けた。加えてそれは親がやってはいけない罪……もう救いようがありません。判決は有罪以外ありえないのです」
だから、もう少しだけ力を加える。
おっと、その前に聞くことがあったんだ。力を入れるのをやめて緩める。
「かは……ゲホッ……」
(お、筋肉の緊張がわずかに解けている。生き残れると思っているのかな?)
そうだとしたらお笑いぐさだ。僕が彼を生かす気はまったくないのだから。
とはいえまだもう少し生きてもらわなければならないのも事実。つかんでいた手を完全に放してわずかな自由を与えた。
「アナタに聞くことがもう一つだけありました。ですのでそれを聞くまで生きることを許します。では、質問です」
「い、生きることは許されないのか……!?」
軽いジャブを顔面に入れる。誰が質問に対しての答以外を許したかな?
「いいから答えてください。それともまだひどい目に遭いますか?」
「いや、結局死ぬなら喋らなくても変わらないような……」
……よくそこに気がつきましたね。この人、天才か。などという古典的なギャグは置いておこう。とりあえずもう一度ジャブを入れる。
「とりあえず死んだ方がマシと思うくらいの苦痛を味あわせます」
「ぐ、ぶ……」
鼻から血を流しながらコクコクとうなずく父親。
うん、これで大丈夫だ。僕の無知さが現れたがそこはしょうがない。今後に活かすとしよう。少なくとも他に見ている人はいないのだからコレがばれることはない。
「じゃ、答えてください。彼女はどこですか?」
「き、鬼柳病院だ……」
「場所は? あいにく僕はスマイルフォンとか持ってないのでゴーグル先生とかは使えないんですよね」
「わ、私も病院の名前しか知らないんだ! 本当だ! この病院の名前も最近ようやく聞き出したばかりで……」
「聞き出した? どうやってですか?」
「電話で……命の恩人が重傷だから世話をするって……」
「ほう」
彼女の命の恩人、か。それはお礼を言わねばならないな。どんな人だろうか、彼女を救ってくれたというだけですばらしい人だと言うのはわかる。ふふ、思わず顔の筋肉が緩むのがわかる。病院に行けばその人にも会えるだろう。
? 父親はなぜだか震えている。死の恐怖がすぐそこまできているからだろうか? いや、違う。この震え方は僕に対しての直接的な恐怖。
死ではなく僕に対して。
「おやおや、どうしたんですか? 僕が怖いんですか?」
「ああ、怖い。君の笑顔は……歪んでいる」
「歪んでいるなんて……失礼ですね。僕は嬉しくて笑っているだけなのに」
「な、ならなおさら……人をいたぶって笑うとは……人間として」
と、言いかけた時に僕は再び父親の首をつかむ。ふぅ、やれやれだ。またもや好き勝手に喋らせてしまった。こういうのがいけないんだな。
それにしても失礼な人だ。僕が人間じゃない? 何を言っているんだか……
「僕が人間じゃないなんて、ならアナタはなんですか? 娘を虐待するなんてそれこそ鬼悪魔の所行ですよ。あ、それなら僕は悪魔から女神を救う、天使といったところですね。なるほど、そういうことでしたか」
ハハッと笑いながら僕は父親……いや悪魔の喉を潰し、首を放す。
「!? ……っ! ……ぁ!?」
ばたばたと転がり悪魔はもがき苦しむ。必死に手を伸ばして空をかきむしる。そして少しすると口から血を吐き出す。へぇ、悪魔でも血の色は赤いのか。
いやぁそれにしても、悪魔が苦痛の表情でもがき苦しむ様は見ていて実に気持ちいい。彼女を惑わす悪魔は、全て僕が滅そう。それこそが彼女の天使たる僕の役目だ。
さて、と。そろそろ悪魔を死なせてあげよう。このままだとかわいそうだ……いや、しかし華音さんを苦しめた罰を味あわせるにはもっと苦痛を味あわせた方が、いや。そんなことをしてこれ以上苦しませても優しい彼女はきっと喜ばないだろう。さくっと殺して、楽にしてあげようか。
「さぁ、終わらせてあげます」
這いつくばる悪魔を蹴り跳ばし、転がす。
そして仰向けになった状態の悪魔の首をつかむ。
苦しまぬよう、一瞬で。全力で力を入れる。
ボキリ、と嫌な音が聞こえ手には骨を折った感触だけが残った。
もがこうとしていた腕はパタリ、と力なく地面に落ちた。
「悪魔も死ぬ時はあっさりとしてるんですね。もっと呪いとかあると思いましたけど……さすがにそれは迷信だったか」
とはいえこれで華音さんを苦しめるものは一つこの世から減った。喜ばしいことだ。
さてしかし、鬼柳病院に行くにはどうしたらいいだろうか。問題はそこだ。
あ、それに華音さんに会うならお土産も買わなきゃ……さすがにこの悪魔に渡したものと同じじゃ失礼だろうし、うん。しかし悩むのも楽しい。彼女の笑顔を想像するだけで、胸が高鳴る。
そして考えること数分。僕はいいアイディアを思いついた。これなら彼女も喜んでくれるに違いない。
「そうと決まったら準備しなきゃ! さぁ楽しくなってきたぞぉ!」
ふふ、はは!