二章-5
「た、隊長?」
突然俺に飛びついてきたわりと美人な女性は唐突に俺のことを隊長と呼んでいた。一体誰だろうか、この女性。いや、きれいな女性に抱きつかれることは男としては嬉しいことなのだが、周りの視線が痛いことこの上ない。後から入ってきた華音ちゃんの視線が特に痛い。
いや、俺は悪くないはずなんだけどね。
とりあえず気恥ずかしいので丁重に離して別れる。その際に向こうは少し名残惜しそうにしていたが、なぜなのだろうか。
「すみませんが、貴女は一体どちらさまでしょうか?」
「え? 私ですよ。貴方の腹心の部下の愛野心ですよ」
女性、愛野心というようだが彼女はきょとんとした様子で俺に言う。しかし俺の記憶に彼女はいない。なにせ今の俺は半端な知識を持っただけの記憶喪失者にすぎないのだから。
しかし女性の顔を曇らせてしまうのは男としていかがなものだろうか。ここは正直に話しておくとしようか。
「すいません、実は自分記憶喪失なんですよ」
「き、記憶喪失……?」
なんということだ、と愛野さんは頭を押さえて顔を下に向ける。あいにくながら俺にはどうしようもない事案である。ただ俺にできたのは真実を伝えること。それがこのような結果をもたらしたのは不幸と言わざるを得ない。
「アギトさん」
と、ここで華音ちゃんが近づいてきて話しかける。少々不機嫌そうだが問題はないだろう。そこで名前を聞いた時に愛野さんが驚いた表情で華音ちゃんを見た。
「あ、アギト? 貴女どうしてその名前を知ってるの?」
「どうしても何も……アギトさんから直接お聞きした名前ですし」
「……なんか二重にショックを受けたわ。私がその名前聞くのにどれだけかかったことか」
トホホ、と愛野さんはうなだれる。しかしその言い方だとまるで……
「待ってください。その話を聞く限り、アギトさんにはもう一つ名前があるような言い方ですね」
俺が言おうと想ったことを華音ちゃんが先に言う。彼女も俺と同じ違和感を感じたのだろう。これはもしかしてだが、彼女は俺の以前の記憶を知っているんじゃないだろうか?
だが、ことを急いではいい結果を得ることができない。ここは慎重に聞くにこしたことはなかった。
「愛野さん、だったね。よかったら君が知っている俺についてのことを教えてもらえないだろうか?」
「……わかりました。ですがここでは場所が場所ですのでどこか隔離された場所にお願いします」
わかった、と俺はうなずき部屋へ向かうことにした。
二分後、病室につき俺と愛野さん、そして華音ちゃんの三人が部屋に集う。
「って、ちょっと待ってください。なぜ部外者の彼女も呼ぶんですか?」
「いや、だって命の恩人だし。詳しい事情を聞きたいのは彼女も一緒なんだよ」
「だからといって……」
「安心してください。他言無用ということ自体はわかっていますから」
「なら、席を外してほしいんだけど……」
悪いがそれは諦めてほしい。彼女は悪魔憑き相手にでも怯まなかったほどの豪傑だ。俺たちが言ったくらいじゃ諦めてくれないだろう。まぁ何が彼女をそこまで動かすのかはわからないんだけど。
「それ、本気で言ってます?」
「口から思ったこと出てますよ」
「そんな古典的失敗を!?」
なんということだ……俺は阿呆に違いない。
「まぁ、それじゃ仕方ないから話を聞く権利はあげるけど……口外したら命の保証はできないからね。それは肝に銘じて」
「はい。管理局、それも単独捜査できるほどの人が探してた人なんですから、それくらいのことは予想はできてます」
「……えらく肝が据わってますね、この子」
違いない。普通なら自身の生命に気概が加わる可能性があるというなら、それで逃げ出してもおかしくはない。ん、しかしちょっと待て。今華音ちゃん、管理局と言ったか?
「な、なんで管理局の人間が俺に用があるんだよ?」
「……呼び方で気づいてくださいよ。私は隊長って呼んでるんですよ?」
「……つまり、俺も管理局の人間っていうことか?」
イグザクトリー、と愛野さんはニッコリとした笑顔でうなずく。しかしそれに間違いがないなら俺は人を指示する立場の人間であったということになる。こういってはなんだが、俺にとてもそんな重要なポジションに立てるような人物とは思えない。
「そんな信じられないって顔をしないでくださいよ。私たちは隊長に命預けてたんですから。そんな顔をされたらショックですよ」
「あ、いやスマン。でもそれが事実として何で俺はそんな重傷を負うはめに……」
「東京の本部から山口に副隊長と行ったのは私も知ってるんですけど……それ以上のことは知らないですね」
申し訳ないです、と彼女は謝る。
俺は「そんなに気にしないでほしい」と言っておく。事実、それで困ることはたいしてない。少なくとも身元がわかったというだけでも大きな進展である。
「じゃあ、管理局での俺の身分を教えてもらっていいかな? 記憶喪失の身だからそういうのがわかるだけでもだいぶ違うんだ」
「あ、はい。わかりました。では……
アナタの管理局で使用してた名前は八神朗人。対悪魔憑き特殊部隊カニバリズム部隊の隊長という役職に立っていました」
「カニバリズム部隊? なんじゃそりゃ」
「カニバリズム部隊っていうのは悪魔憑きを狩る悪魔憑き部隊のことですね。この名前も朗人さん、アナタがつけたんですよ」
ふむ、カニバリズム……つまりは和訳すると共食い部隊っていうことか。
しかしそんな部隊を指揮するってことは俺、とんでもない奴だな。悪魔憑きって時点でとんでもないけど。
「隊長はすっごく強い人でしたよ。それこそ能力なんて使用せずとも隊員の私たちを生身で圧倒してましたし」
「どうりで強いと……影山を倒したときとか凄かったですもんね」
「え? もしかしてあの豚野郎……もとい影山に襲われた被害者って華音ちゃんなの?」
「はい。でもアギトさんが助けてくれて……おかげで命拾いしました」
「流石は隊長。記憶喪失でもやることはやってるんですね」
「なにも特別なことはやってないよ。ただ大恩ある女の子を助ける、そんな当たり前の行動をやっただけだよ」
きっとこの結論は間違っていないだろうし、その結果華音ちゃんを助けることができた。間違いだなんて誰にも言わせない。
そんな俺を見て愛野さんは微笑んで「やっぱり凄いですね、隊長」と言った。
「アナタがやったことは、誰にでもできることではありません。それが記憶喪失者ならなおさらです。自分をわかってすらいないのに、他人を助けようとは思いません」
そう言われると、なんだか照れる。
だが、次に言われた言葉は俺の照れの感情を軽く吹き飛ばすものだった。
「まぁでも、それだけやったんなら隊長はもうここにいる理由はないでしょう。手続きは私がやっておきますので、ここを出ましょうか隊長」