二章-3 早朝
目が覚める。
視線は天井に向いており、いくつかのシミを見つける。昨日は見えなかったのに今日は見えるということはそれだけ精神が落ち着いているということかもしれない。
「ん……」
隣から小さく声が漏れる。ふと横を振り向けば紫がかった髪の少女、華音ちゃんがそこにはいた。幼さの残るその寝顔は男性として興奮する物を覚えるがそこは理性でじっとおさえておく。基本、男性は紳士としていなければいけない。
彼女を起こさないようにゆっくりとベッドから降りて時間を確かめにいく。
廊下の時計を見ると時間は午前六時を回ったところだった。早く起きすぎたかな、と思いながら廊下の窓を開ける。さわやかな風が青々しい空気を運んできてなんとも気分がいい。早起きは三文の得というが、昔の人はこういうことをささやかな幸せとしていたのだろう。多分、きっと、おそらく、メイビー。
「あれ? 美人の兄ちゃんじゃないか」
後ろから声をかけられる。この声は吉田さんか。
「おはようございます、吉田さん。あと美人の、はいりませんよ」
「まぁいいじゃないか。実際絵になってたよ? 本当に男だって言うのが信じられないよ」
「あいにくながら男です。だから本当にやめてもらえますか?」
「そこまで嫌か……しかしそうしたらなんて呼べばいい?」
「アギトで構いませんよ」
「じゃあそれで。ところでアギトくんよ、華音ちゃん寝た感じどうだった?」
「特にどうも。なんだかんだで疲れていたので二人ともすぐに寝ちゃいましたし」
「なんだ。別においしいイベントとかなかったのか?」
おいしいイベントって、この親父は何を言っているのだろうか。未成年の彼女に手を出せとでも言っているのか? だがあいにく俺は紳士。そのようなことはしないと決めている。
そう言うと吉田さんは「多分文句言わないと思うよ」と笑いながら言う。
「絶対あの子君に惚れてるからね。むしろ喜ぶんじゃないか?」
「またそういう話ですか……恭二医師からも言われましたけど、ないと思いますよ」
「へぇ、そりゃまた何で?」
「恭二医師にも言いましたけど吊り橋効果ってやつでしょ。ただその場の空気で恋と勘違いしちゃうんですよ……って、なんですかその顔?」
吉田さんの表情から「本気で言ってんのかコイツ」という気配がありありと見える。なんだ? 俺はおかしなことを言った気は全くないぞ。そんな俺の心を察したのか吉田さんはやれやれと言った表情で口を開いた。
「おじさんさぁ、これでも人生経験だけは長いからそういうのの機微はわかるんだよ。女性の勘には負けるけどね」
「女の勘はカオス理論を超えるらしいですからね」
「カオス理論は知らんが、まぁ自信はあるな」
ふんす、とドヤ顔で吉田さんは胸を張る。おじさんのそんな光景見てもなんのアドバンテージもないので遠慮願いたい。
それから吉田さんは「それじゃあ」と言ってその場を去っていった。一体あのおじさんは何を思って俺に絡んでくるのだろうか。昨日華音ちゃんと一緒に寝る理由になったのもあのおじさんが原因だし。どうも憎めないが、困ったおじさんだ。
まぁ、それはそれとしてと。もう一度窓の外に顔をだして先ほどの夢のことを考える。
あの夢に出た青年はもしかしたら俺が知っている人物なのかもしれない。そうなると俺の目標はこの人物を見つけ出すと言ったところだろうか。いや、それは確実ではない。どんなにリアリティがあったとしてもしょせん夢であり確実性はない。むしろ夢想であることに違いない。
どうしたものだろうか、そんなことを考えながら俺は窓を閉じた。
空気も楽しんだので部屋へ戻ると、すでに華音ちゃんは起きていた。ただどうも少し不満そうな顔をしている。表情はそこまで変わってないのだが雰囲気でわかる。あれは不満を持っている人間のソレである雰囲気を醸し出している。
とりあえず「おはよう」と挨拶をしておく。それに華音ちゃんも少し間を置いた後で「おはようございます」と返事をする。
「どうしたの、少し不満そうだけど」
「そうですね。起きたら隣にアギトさんがいなかったので少々不満です」
思いのほかストレートに物を言われ少し戸惑う。
「はは、そりゃゴメン。でも俺がいなくても日常は変わらないと思うよ」
「変わりますよ。昨日の一件でボクにとってアギトさんはなくてはならない存在になりました」
「はは、告白みたいだね」
「そうとって頂いても構いませんよ?」
少し嬉しそうな表情で彼女は言う。
「おいおい、冗談で男の人相手にそんなこと言っちゃいけないぞ?」
「冗談なんかじゃないんですが……まぁアギトさんは朴念仁っぽそうなので今は我慢しておきます」
「誰が朴念仁か」
「アギトさん以外に誰かいるんですか?」
真面目な顔で返事をされた。何? 俺はどう反応したらいいの?
「どうもこうも、自分で考えてください。若いと言っても見た感じいい歳してるんですから、わかりますよね?」
つまるところ自分で考えてくださいと彼女は言いたいようだ。なにか言い返したいところだが、どうも彼女には言い返そうとも思えない。どうしてだろうか。
そんなことを考えながら時間は過ぎていった。