我想ふ君よ、死にたまへ
それは遠い遠い未来の話。
王と剣と冒険。それにちょっぴり眼鏡と狼と猫を添えて隠し味に魔と鎚を加えた物語の後日譚。
世界を突如覆い尽くした地獄の争乱のほんの一幕。
舞台は大きな湖の上。
時は月の昇った真夜中。
役者は魔天狼の騎士と聖花の姫。
演目は、殺し愛―――……。
いざ、開演 。
「やぁやぁ、今宵も月が綺麗だね。」
「そう、死ぬには良い夜だわ。」
「詩的だね。」
朗らかに笑みを転がす青年はアロハカニス合金に腰を下ろした。
手振りで隣を勧めた子女にはすげなく無視されてしまったが、別段気にした様子もない彼は髪を揺らす風の香りを味わいながら深く息を吸っている。
じっと注がれる視線に流し目で応えた彼はなおも無言の子女にかける言葉を考えたが、特にはなかった。
必然無言の時間が過ぎていく。
5分。
10分。
ただ過ぎた。
「魔天狼の騎士。」
「うん?」
「否定、しないのね。」
「しないねぇ。それとも聖花の姫としては言葉遊びに興じたかったのかい?」
「死ね。」
取り付く島のない姫に肩を竦めた騎士はコートの襟を緩めて小さく気を抜いた。
また無為な時間が過ぎるところで、姫が透き通った鈴の音を鳴らす。
「だまくらかして擦り寄り、何を得ていったのかしら? 私の醜態? 穢らしい優越感?」
「うーん。手酷いなぁ。確かに君のあられもない姿や優越感も得たけど、僕らの愛は本物だったじゃあないか。」
「戯言を。滅ぼし合う国の騎士と姫に真実の愛など芽生えないわ。」
ずっと左手に握っていたタクトを持ち替えた姫は首に掛けたチェーンを引きちぎった。
銀色の柔らかい金細工に通された指輪ごと横に放り投げられたそれは小さな悲鳴を上げて大地に落ちる。
騎士が最後に贈った品だった。
俸給半年分の逸品だが、その最後は何とも無様なものである。
「それじゃあ何かい? 後ろの連中は出歯亀ではなく、君んとこの騎士だったりするのか。いやぁ、道理で数だけは多い。」
「魔天狼の騎士。煩わしい軽口を閉じて武器を持ちなさい。」
その軽口に君も頬を染めてたけれど、と嘯いた騎士は腕輪に刻んだ魔法陣から銃を呼び出した。
彼が騎士になる前から命を預けている唯一つの武器。
「――――、魔天狼の騎士。」
「――――、聖花の姫。」
「かかれッ!! この男を討てば戦争の勝敗は決まったも同然よ!」
『おおおおおぉぉぉぉっ!!!!』
「おーおー、気合だけは入ってらっしゃる。」
数えることすら困難な騎機が空を埋め尽くし、膨れ上がった魔力が騎士の肌を刺激した。
騎馬を模したスタンダードな量産騎機が展開しつつある術式の照準を騎士に合わせている。
一度放たれればあらゆるものを破壊し尽くす暴力となって襲い来るだろう。
姫のタクトが月に向かって掲げられた。
「滅せよ。《緋百合の棘》」
「全く、無為なことだ。」
「……たった1人で300の騎士を。本当に人間?」
王族の騎機を失い、傷を追って湖畔に横たわる姫は無数の亡骸を積み上げた騎士を見やった。
ぼんやり晒されている背を刺す力すらない姫はただ返り血の汚れだけを帯びた彼の息遣いに耳を済ませる。
彼女は自らの死を悟っていた。
騎士の弾丸が真横から腹を裂いていったのだ。服の中には内臓が溢れ出しているだろう。
「楽に、してくれるというわけ……。」
死を前にして、不思議と姫は恐怖を感じていなかった。愛した銃口だ。当然かも知れない。
薄れ行く視界を何とかはっきりさせて騎士の目と目を合わせたが、意味はなかった。
彼には迷いも悔いもないからだ。
「魔天狼の騎士……私は――。」
そして、末期の言葉も残せない内に、姫の額を弾丸が撃ち抜いた。
背中から倒れた姫の、血に濡れて束になった髪には一輪の花が挿されていた。
初めて姫に会った時、騎士がプレゼントした花。花弁の形や茎の形まで同じそれは魔法で丁寧に防枯してある。
何を思って挿して来たのか、既に知る術はない。
騎士は姫の隣に座り込んで煙草に火を着けた。臭いがつくことを嫌がった姫の前で吸うのは初めてだ。
紫煙が被った月が妖しく光っている。
「月が綺麗だなぁ。」
握った姫の手はまだ暖かった。