(47) 後悔と懺悔
※この回で最終話とする予定でしたが、普段の倍の文字数になってしまったので、やむを得ず2話に分けました。
※連続して、すぐに最終話を投稿する予定ですので、よろしくお願いします。
・・・
その少し傾いた十字架には、小柄で華奢なPCが縛り付けられている。
そして…
その小柄なPCは、泣いていた…。
いや?…鳴いていた?…いいや、違うな。
えっと…啼く…か?…いや。やっぱ…言い直そう。
その小柄な女性PCは、吠え…たり、喚き…まくっていた…
「ロトくんを出せぇ~!!何処に隠したぁ~!今すぐ出さないと…×××を○○○して□□に▽▽してやるからね!!!…この!…放せよぅ!…がるるる!」
そんな、いつものように元気なイシュタ・ルーを、椅子の背もたれに抱きつくような形で逆向きに座っているクリエイターが、気が抜けきった日和った顔で眺めている。
「はぁ…。平和だね。今日も。…だが、本当に私の選択は…正しかったと言えるのだろうか…。はぁ…」
・・・
ここへ来て、何度目になるか分からない同じ台詞を言ってため息をつくクリエイター。
「良くないに決まってんだろ!…早くこの縄を解け!!…さもなくば、ロトくんを目の前につれてこい!!…このロクデナシ!甲斐性なし!後家ごろし!!」
「………?…ゴケゴロシ?」
ほとんど意味なく続くイシュタ・ルーの罵詈雑言。
クリエイターは完全に意識の外に追い出して、聞かないようにしていたのだが、さすがに突然、若い娘の口からは出にくい罵声を浴びて、思わず反応する。
「…おそらく、穀潰し…と言いたかったんだと思いますよ。ね。イシュタ・ルーさ…わぁあぁあぁぁあ!!!…痛てててて…噛まれた!?」
「馬鹿だな。迂闊に近づいたりするからだ…そうか、甲斐性なしの穀潰しか…確かに言われても仕方ないな。私の失策で…取り返しのつかないほど沢山の…大切なものが…失われてしまった」
「…済んだことですよ。そんなに落ち込まないでください。私だって、実際のところ普段システム側のPCだ何だと偉そうにしていたのに、今回は彼らに助けられっぱなしで…良いところなんか一つもなかったんですから…」
ジウのその思いやりある言葉に、クリエイターは無言でマジマジとその部下の顔をみる。
そして、たっぷり10秒ほど沈黙した後…
「…こんなマヌケ面の奴に、同じレベルで思い悩んでいると思われるとは…あぁ鬱だ」
・・・
そう言って頭を抱えるクリエイター。
ジウは、やれやれ…といった顔をして腰に手を当てて訊く。
「んもぅっ…何なんですか!…いったい。くよくよ悩むのなんて、アナタの流儀じゃないでしょう?…クリエイター。一体、どんな選択が他にあったっていうんですか!?」
「…やっぱりさ。人間は、眠いと駄目になるんだよ…」
「はい?」
「あの…現象の中心部に残った…穴…みたいな奴…あれ、消せたんだってさ」
「はぁ?」
「あの段階で、あの場所に大勢のPCを連れてって、皆で『こんな穴だか何だか良く分からないものが、ここにあるなんて見間違いだよね?』的な、否定的な思念を大量にぶつけてやれば、【集合的思念による事象の平滑化効果】って奴で、あの穴が存在しない…っていう常識にあの空間は【上書き】され空間的に治癒できたんだとさ」
ジウは、聞いたこともない難しい用語を突然聞かされて、口をパクパクさせる。
「…しゅ、しゅご?…へいかつ…こうか?…何ですか?それ?…っていうか、誰が教えてくれたんですか?…クリエイターでも分からなかった、そんなこと」
「ん。…栗木栄太郎さんっていう天才の人。たっぷり睡眠をとった…ね」
「ほぅ…かの有名な………って、アナタの事じゃないですか!!…また、私の事をからかいましたね!?」
「…だからさ。あの時の私は『取りあえず眠ろう…』なんていう無責任な判断をしてしまっただろ?…万全な状態の私なら、あんな不審なものを放置したりはしなかった…」
・・・
まぁ…、確かにそうだろう。
クリエイターに限らず、あの場所に、一人でも平常時の思考を保っているものがいたならば、あの「穴」が沿岸部のタウンで一般PCに犠牲者を出した「粗描空間」であると知っていながら、何ら対処をせずに放置して…全員揃ってグウグウと爆睡するなどという豪快な真似をさせるワケが無いのだ。
「いや。だから、クリエイターのせいじゃ無いですって。だって、我が社には、他にも大勢の技術スタッフがいて…あの時、アナタご自身は確かに…それはもう気持ちよさそうに爆睡しちゃってましたけど…眠る直前には、他のスタッフに「穴」の監視を指示して、非常時に備えるよう指示してたじゃありませんか!…それだけでも立派ですよ」
「…はぁ…。それがさ。その指示のせいで、あの「穴」は…もう消せなくなっちゃったんだよ。どうせなら、誰にも監視させずに放置しておけば良かったんだ…」
必死に慰めるジウ。それなのに、クリエイターはますます落ち込んでいく。
危険な「穴」=「粗描空間」を監視するのは至極当然の指示で、何も悪いコトなどないように思うのだが…どういうことだろうか?
「あの『穴』の存在を認めた上で、さらに具体的な危機として監視なんかし続けちゃったから…【観測者の効果】が働いて…まだ不確定だったあの『穴』の位置情報が…あの座標上に確定してしまったんだな…これが」
「…あ。…ああぁあ…そ、そういう…ことに…なっちゃうんですか…」
「そ。『無関心は猫を殺す』っていう古い諺があるけど…あんな『穴』なんか…無視して、ブブ君のタウンに日常を取り戻し普通に生活していれば…それで解決だったんだ」
・・・
「そ、それなら、今からでも…そうしたらどうですか?…こんな所で、後ろ向きなこと言ってないで、システム側としての補償の問題だってあるんですから、この際、優先的にブブさんのタウンを復興させて…」
クリエイターが、「駄目、駄目」…とでも言うように、首を大きく横に振っているので、ジウの発言は途中から尻つぼみになる。
「…?…どうして駄目なんです?」
「だから、言っただろ。もう【観測者の効果】で、あの『穴』の座標は固定されてしまったんだ…消せやしないのさ。仮に、アレを無理やりに消し去ることが出来たとしても…その時は、今度こそ本当にあの場所に空間的な穴が空いて…この世界は崩壊するだろうよ。あの『穴』は、もう完全にルリミナルの描き出す世界に癒着してしまったのさ」
お手上げだね…という吹き出しが頭上に浮いていそうな仕草をして、クリエイターは目を閉じて鼻から息を吐く。
「…そ、それじゃぁ…さっき『本当に私の選択は…正しかったと言えるのだろうか』…とか、哲学的な悩みっぽい溜め息をついてましたけど…。もう、答えは出てるじゃないですか?…敢えてハッキリいいますけど…『大間違い』だったってことですよね?」
ズバリと指を差しながら、慰めるのが面倒臭くなったジウが答えを突きつける。
しかし、またしてもクリエイターは、「はぁ。頭の出来が残念な奴は、単純でいいよなぁ…」などと、哀れむような目でジウを見つめる。
・・・
「何でですか!?…だって、アナタがそう言ったんでしょう?…『穴』を消すにはそれが正解だった…って!」
「うん。『穴を消すには』…ね。でもな…あの『穴』って…消しちゃっても本当に良いものなんだろうか…ね?」
「…え?…全然、消して…問題ないでしょ?…あんな物騒な『穴』…消さずにおいて、いったいどうするつもりですか?」
「いや。そうじゃなくって…」
チラッ…と、クリエイターは十字架に縛られたままのイシュタ・ルーを見る。
つられてジウも、そちらへと目をやる。
イシュタ・ルーは、アスタロトがCOOの一派によって幽閉用隔離サーバへと拉致されてしまって以降、ずっと狂戦士モードに入っている。
放っておくと「はじまりの町」の庁舎が崩壊しかねないので、ジウやクリエイターが様子を見に来るまでずっと、慈雨が…不眠不休でそれを一人で防いでいたのだ。
クリエイターとジウで、やっとのことで取り押さえたのがつい先ほどのこと。
それまで、ほぼ3昼夜…慈雨とイシュタ・ルーのバトルは続いていたのだった。
慈雨は、先ほど倒れるように眠りについたので、別室に寝かせてある。
同じように3日3晩暴れ通しのイシュタ・ルーも、そろそろ睡眠不足と過労で倒れてもおかしくないのだが…ご覧のとおり、未だにあの調子だ。
衣服のあちらこちらが、引き裂かれたように縦に千切れており、その隙間から…毎度のごとく、見えてはいけない…あの白い布や、ピンク色の柔肌が…チラリズム万歳~と、自己主張をしている。それを盗み見て鼻の穴を広げるアスタロトはいないけれど…
・・・
あ…。
その思考を切っ掛けに、やっとジウは、クリエイターの言わんとする事を理解した。
イシュタ・ルーが依然として狂戦士モードを継続させている…ということは、説明するまでもなく、未だにアスタロトが不在だということだ。
つまり、3日前に幽閉用隔離サーバに閉じ込められて以降、彼の消息は不明のまま。
「…じゃぁ…クリエイターは、あの『穴』の中?…に、アスタロトさんが囚われているって…言うんですか?」
「さぁ…な?…私は…そんなコト、言ったか?」
「いや。…だって、イシュタ・ルーさんの方を見るから…」
「うむ。なかなか…良い眺めだな…と思って…って、嘘だよ、嘘。覚えたての電撃とか放ってくるんじゃないよ、ルー君!!…はぁ、地味に痛い…」
「…クリエイターが変態なのは、良く承知していますが…ユミルリリアンさん一筋の変態だって思ってました。…ガッカリです」
「馬鹿、だから冗談だって言ってるだろ?…エロい目で見るのが目的なら、もっと…派手にやるさ。堂々とな」
「…ふぅ。で?…じゃぁ、何なんですか?…いったい」
「そもそも、アスタロト君、一人を…例の空間へ行かせて、良かったのか…とかな」
「アレは…COOの一派の残党が…」
「…容認した時点で同罪だよ。しかも…現象を消滅させた後で、彼の安否も確認せずに…皆で鼻提灯をふくらませて…大いびきで爆睡したんだからな」
・・・
「むぐ。…そ、それを言われると…私も…罪悪感が…」
「即座に対応をしなかったために、COO一派の奴らに証拠隠滅の時間をたっぷりと与えてしまった。今からじゃ、処罰どころか…追求したって、関与した事実自体を絶対に認めないだろう…」
「ええ。…そのとおりですね。それどころか、そのような危険なサーバが存在することを問題視して…。クリエイター…アナタの処分をCEOに訴えているようです」
アスタロトの話題になったためか、イシュタ・ルーが静かになり、聞き耳を立てる。
ギシッ…と椅子をきしませて立ち上がったクリエイターは、会議室の窓際へと歩いて行き、窓を開けて風にあたりつつ、夕暮れに染まる「はじまりの町」の街並みを見る。
それから、部屋の中へと振り返り、窓の桟に背中をあずけ、もたれかかった。
「…処分するというなら、あえて受けるさ…。確かに、私の責任によるところは…大きいからな…」
「でも…」
「あぁ…。今は、そんなことを言っている場合じゃない。今回の件で、不幸にも【死】の判定に至り…ログアウトしてしまった連中には、申し訳ないと思いながらも…まぁ…そういう仕様だから諦めてくれ…という感じだが…」
「そ、そこはシビアなんですね…」
「だが、アスタロト君やマックス君…それから粗描領域に飲み込まれて行方不明となったPCたちが、無事に…というのも変だが、現実世界へログアウトできているかどうか。未だに状況が明らかになってない者たちについては、その安否が確認できるまで…しっかりとサポートしなければならないと思っている」
・・・
背にした夕明かりとのコントラストで、クリエイターの顔には暗く陰がさしたようで、その表情は窺い知れない。
ジウは、クリエイターに替わって、開いた椅子に腰掛けて膝を組む。
「…あの。今からでも、幽閉用隔離サーバに…捜索を出したらどうでしょう?…何なら…私が、行っても良いですが」
「有り難い申し出だが…どうやってあのサーバの中に入るつもりだ?」
「え?…だって、協議会のときのように、クリエイターが…」
「あの時は、あのサーバは私の管理下だったからな。…ところが、さっきも言ったように、我々が眠っている間にたっぷり時間があったからな。奴ら、色々と細工をしてくれたのさ。私が、手を出せないようにな」
「それって…かなり、マズイ状態なんじゃないですか?…彼らはアスタロトさんが邪魔で仕方ないんですから、最悪の場合、サーバを強制的にシャットダウンしてしまったりしないでしょうね!?」
「さぁな。…だが、しないだろう。別に、しても問題ないがな」
「え?…何を言ってるんですか!?…アスタロトさんが閉じ込められたまま、シャットダウンしちゃったら…か、彼はいったいどうなるんですか!?」
クリエイターは、右手で後頭部をボリボリと掻き毟って、面倒臭そうに言葉を吐く。
「お前はさ。…何か勘違いしてないか?…本当に一人の人間の存在全てがサーバの中に情報体として変換されて入っているとでも思ってるのか?」
「え?…ち、違うんですか?…だって、幽閉用隔離サーバって名前だし…」
・・・
「お前のその理屈だとさ、およそこの世に存在する全てのシムタブ型MMORPG…いや、それだけじゃなく、旧型のフルダイブ型VRMMORPGも含めて…全部が、潜在的には全て【デスゲーム】だってことになるぞ?」
幽閉用隔離サーバは、偶々その目的が「幽閉用」で、メインのサーバから「隔離」されたストレージ空間にある、別のサーバ…ということであって、規模やスペックの違いはあれど基本的にはメインのサーバとハードウェアの基本構成は同じだ。
つまり、幽閉用隔離サーバの強制シャットダウンの事を心配して大騒ぎするなら、そもそもメイン・サーバの不測のトラブルによるシャットダウンの方も、常にビクビクと怯えていなければならない…ということになる。
しかし、このデスシムは「これはデスゲームではありません」という注意書きをわざわざ補記しているほどなのだから、不測のサーバダウンなんかでプレイヤーの命に関わるようなことになったら詐欺である。
いや。詐欺…では済まされないか?
「…あ。そうか。えっと、じゃぁ…そうなった場合の安全措置が組み込まれているってことですか?…例えば、歴史資料館に展示されている航空力学的な力を利用して磁気読み取りヘッドを制御していたHDD…とかいうレガシー・ストレージが、急に電源断した時に…ヘッドをシッピングゾーンに自動でリトラクトする…みたいな?」
「………お前…古いこと良く知ってるなぁ。まぁ…そういう機構も確かに備わっているが、その有無によらず、サーバが突然ダウンしたら…『はわっ!』…とか呻きながらメディカル・プールでお目覚めさ。…ま、悪夢から覚めて良かったね…って感じかな」
・・・
「あ。ぁ…そうか。そうですね。私たちの現実の肉体がサーバの中に閉じ込められているワケではありませんもんね。………いや。でも、ちょっと待ってください。【心】はどうなるんです?…ショック・アブソーバとかの安全機構が働く間もなくシステムダウンしたら、肉体は無事でも【心】がその急激な変化についていけず…」
ちっちっちっ…と、人差し指を立てた右手をメトロノームのように振って、クリエイターはジウの話を中断させる。
「あのなぁ。お前は、良い夢見てる最中に、誰かに突然揺すり起こされたら【心】に致命的な傷が残ったりするのか?…そいつぁ~難儀だな?…って、ならねぇよ!…せいぜい心拍数が急激に上昇して…いわゆるドキドキムネムネする…って程度だよ」
「…あぁ…確かに、酷い嫌な寝汗はかいてたりしますけど…死にはしませんね」
「ショック・アブソーバは、本当に死んだと思い込んでしまうほどの仮想の死に対する心理的ショックを、本当に死んだり…精神に傷を残さないようにするための機構だ」
「…そうですか。それは良かった…」
【だんっ!ぐぐぐ…】
急に足を踏みならし、何かを引き抜こうとするような音が響く。
「…なら…ロトくんは…?…もう、ここには戻ってこない…の?」
イシュタ・ルーが、美しい顔を悲しそうに歪ませて、瞳を揺らしながら問う。
・・・
本当はクリエイターの方へと詰め寄ろうとしたのだろう。足を踏ん張り、体を戒める十字架を床から引き抜こうとしている。
しかし、どういう仕組みで床に刺さっているのか、簡素に見えてその十字架は全く抜けそうもない。
「なら…ロトくんと、もう一緒に遊べないの?」
幼なじみが突然引っ越したときのような、幼児がする可愛らしい問いのようだが、あまりにもイシュタ・ルーの表情が痛々しくて、そんな微笑ましい喩えは似合わない。
似合わないどころか…彼女の体に、青い光の龍が何匹もまとわりついている。
アスタロトと競うように練習していた覚え立ての魔法…雷撃系のそれが、イシュタ・ルーの悲しみと怒りにより喚起されて、自然と放出されているのだ。
「…や、やや…そ、そうと決まったわけじゃないぞ?…ジウの奴が、最悪のケースについて話題を振るから、安心させようと思って言っただけで…」
「そ、そうですよ、ルーさん!…帰ってきますって!絶対、アスタロトさんは、ここに戻ってきますから」
再び狂戦士モードをトップギアにシフトしたイシュタ・ルーが大暴れするのを、クリエイターとジウは必死でなだめた。
イシュタ・ルーはアスタロトより何倍も魔法の才能があるらしく、十字架に戒められていながらも、確実に破壊を撒き散らしてくるので、システム側に属する2人が揃っていながら、なかなか手に負えない。慈雨が如何に苦労したかは、想像に難くない。
・・・
実際、この数日の度重なるイシュタ・ルーとの乱闘で、慈雨の実レベルは目覚ましく向上しているのだが、おそらく本人も気づいてはいまい。何故なら、理不尽にも…そのレベルアップした慈雨と渡り合うことで、暴れる側のイシュタ・ルーも同じように実レベルを上げているからだ。
まぁ…色々な意味で、二人は良きライバルと言えるのかもしれない。
だが…。
やっとのことでイシュタ・ルーを鎮圧したクリエイターとジウ。
鎮圧…といったが、暴れ疲れてさすがに眠くなってきたイシュタ・ルーに、隙を見て眠りの暗示をかけることに成功しただけなのだが…
しゃがみ込み、疲れ果てた顔を上げて、クリエイターは呟く。
「はぁ…。ルー君のこの状態一つをとっても…やはり、私の選択は…果たして正しかったのだろうか…と思わずにはいられないよ」
「…痛ててててて…。え?…何ですって?…ルーさんの…選択って?…クリエイター、イシュタ・ルーさんの件にも関与してたんですか?」
「あぁ。アスタロト君のGOTOSになるように仕向けたのは、実は私だ」
「えぇぇえぇぇえええ!!??…そ、そうなんですか!?」
「石田さんに頼まれてな。カオルちゃんの心因性無動症のリハビリに協力するってことになり…彼女の症状を改善させるには…アスタ君…アスタロト君と行動を共にさせるのが、一番だろう…ってことでGOTOSになるよう仕向けたんだが…」
クリエイターは、スヤスヤとあどけない寝顔を見せるイシュタ・ルーの顔を見上げる。
・・・
ジウは、あんぐり…と口を開けて、クリエイターとジウを交互に見遣る。
…ということは、つまり、アスタロトはデスシムにログインする以前から、その人となりをクリエイターに把握されていた…ということになる。
そうでなければ、サインイン直後のチュートリアルの段階で、アスタロトがイシュタ・ルーのGOTOSに相応しいなどとは、判断できるハズがない。
だが、今の説明を聞けば、これまでの不自然なまでのアスタロトへの特別扱いが、全て納得のいくように思われる。
アスタロトは、本人は全然気づいていなかったようだが、他のシムタブ型MMORPGでも、多くのプレイヤーの間で結構な有名人だったらしい。
…とは言っても…
「…そんなタイミングよく、アスタロトさんがサインインしてくるなんて…偶然にしては…出来過ぎな気がしますが…」
「偶然なワケ無いだろ。…アスタロト君に限らず、TOP19のうち何人かは、システム側が意図的に招き入れたらしい。…私も全てを知らされているわけでは無いがね」
ジウは鳥肌が立つのを感じた。
彼自身…システム側の担当者であり、しかもCEOの右腕、クリエイターの直属の部下として…デスシムの裏の裏の、さらに裏側にまで関わってしまっている…そう自負していたジウだが…自分の知らされていたことなど…氷山のほんの一角に過ぎないのではないか…そんな気がしてくる。
・・・
「…はん。お前、その感じじゃぁ…ユリカゴス・プロジェクトの話も…知らないよな。まぁ…知らない方が幸せだけどな」
「ユリカゴス…って、ソーシャル・チルドレンたちを育成する…あれですよね?」
「いや。まぁ…そうなんだが。悪いが、この話は…無しだ。暗闇の淵を覗くような話だからな。知ってしまったら…もう後戻りはできない。知らないでいられるなら、知るべきではないんだ。うっかり口走ってしまった私が言うのも…なんだが…聞かなかったことにしてくれ…」
クリエイターは、気まずそうにジウから視線を外し、先ほどよりも随分と明るさを減じ、その赤みを濃くした夕空へと目を向ける。
しゃがんでいる体勢がつらくなったのか、腰を叩きながら立ち上がり、再び窓の方へと歩いていく。
そして、窓から身を乗り出すようにして、小さな声で告げる。
「…ルー君の話に戻るが、私はね、彼女を別の誰かのGOTOSに変えようかと思うんだ。アスタロト君の安否に関わらず…ね。未だにアスタロト君の不在で、このような酷い錯乱状態になる…ということは、彼女のリハビリは期待したほどに進んでいない…ということだ」
「え?…え?…え?…いや。そんな…ルーさんの意思も確認せずに…そんなこと勝手に決めちゃ駄目じゃありませんか?」
「いや。決めた。今のままじゃ、アスタロト君に強度の依存をしているだけで、彼女の症状は良くならない。…そうだな。ちょうど、ブブ君がビュート君を失ってしまったところだし…彼のGOTOSにしよう」
・・・
クリエイターは、眠っているイシュタ・ルーの耳元で、何かを囁くように唱える。
そして、それが済むと、今度は両眼を瞑って、額の裏側に呼び出したコンソール上で、何らかの手続きをおこなう。
ジウの止める間もなく、呆気なく…とても大事な何かが変更されてしまった。
「ぐっすりと眠っているから、かなり深い暗示をかけることが出来たハズだ」
「…な、何てコトを…」
「これで、次に目が覚めた時には、もう、ルー君はブブ君のGOTOSだ。少し変わったカップルだが、ああ見えてブブ君はとても紳士的だし優しい男だ。それに責任感も強い。きっと、ルー君の症状をしっかりと癒してくれるだろう」
「く、クリエイター。アナタは…ひ、ひとの心を…何だと思ってるんです!?」
学者として「心」の研究をしているクリエイターこと栗木栄太郎。
やはり、学者というものは、研究対象を血の通った暖かみのある存在としては認識できないのだろうか?…ジウは、あまりにも横暴なクリエイターの行為に食ってかかる。
「…馬鹿野郎。お前の何倍も…俺は…いや…私はルーくんの事を思っているよ。お前は、もしもこのまま、アスタロト君が戻らなかったら…ルー君がどうなるか…分かった上で私を非難しているんだろうな?」
「ぐっ…。しかし、まだ、アスタロトさんが、戻って来ないと決まったわけでは…」
「あぁ。彼は帰ってくるかもしれない。いや。是非、帰ってきて欲しい。私だって、心からそう願っているよ。だけどな、私は石田さんからカオルちゃんの治療を依頼されているんだ。万が一の場合も考えざるを得ない」
・・・
ジウは、クリエイターのその言葉に唇を噛むが、反論の言葉は出ない。
文句は言ったものの、ジウはイシュタ・ルーの抱える病状というものを詳しく知っているわけではない。知らなければ、責任のある判断など正しくできはしないのだ。
だから、真剣な表情でクリエイターに見つめられたら、うわべの同情心などで反論をし続けることは…ジウには出来なかった。
「…それに、アスタロト君には…彼自身も気づいていないようだったが…困難な状況に進んで身を投じようとする、破滅的な性質があるようだ。それが、今回の件でもハッキリと分かった。ルー君の症状を思えば、そんな、いつ何時に破滅して帰らぬ人となるか分からない彼に、今後も彼女を任せるなどという判断は…できないだろう?」
「それは…そう…かもしれません…が…。いや。そうなんでしょうね…たぶん」
「それとな。コレは、お前の…いや、慈雨のためでもあるんだ。不測の事態である瀕死の重傷を癒すためには、アスタロト君と慈雨を出会わせる必要はあったが、そのために、イシュタ・ルー君とのポジションは…恋人同士のそれ…とは少し違ってしまった。慈雨にとっても、この三角関係のような状態がずっと続くのは…酷だろう?」
…それでもう、ジウは本当に何も言えなくなってしまう。
ジウと慈雨の間に、何らかの繋がりがあることは、当然、クリエイターも知っている。
確かに、慈雨のためには…ルーを別のPCのGOTOSにした方が良いのだろう。
「…さて。アスタロト君は、本当のところ…どうなっているのかな。さっきは、ああ言ったが…まさか【死】の判定をうけて…現実へとログアウトしてしまった…とは考えたくないが…」
・・・
「現象が消えてから…もう丸2日以上は経過していますからね。現実世界でも30分程度は経過しているはずです。ですが…現実世界側の担当スタッフが、消息不明の全PCのリアルを確認するには…まだまだ時間がかかるでしょうね」
GOTOSである慈雨のところへ、アスタロトの死亡を告げるショートメッセージが自動配信されて来ていないということは、少なくともデスシムのシステム上は、彼はまだ生存しているものとして扱われているということだ。
だが、今回に限っては、あのデスシム世界とは異なる粗描領域に絡んだ問題であるため、システム判定が正常にされているかの保証がない。
あの粗描領域の出現が、幽閉用隔離サーバの異常に端を発するとすれば、あのサーバは、ルリミナルが支配するデスシム世界とは異なる、文字通り「異世界」となってしまっていると考えるべきだろう。
もし、「異世界」でアスタロトやマックスが命を落としたとしても、メイン・サーバ側のシステムはその事実を知りようがないのだ。
唯一の確実な確認方法は、誰かが現実世界でのアスタロトの状況を確認してくればよいのだが、時間の流れが違うため、その確認もなかなかままならない。
「いっそ…仮想対実時間レートを引き下げようか?…という誘惑に刈られるが…それはアスタロト君の望む所じゃないし…本物の方のヴィア君の寿命を…現実と仮想の両方の意味で…無駄にすることになるからな…」
・・・
「…そうですね。ヴィアさん自身が、そのことに気づいていないのが…なんだか切ないです。アスタロトさんに感謝したって良さそうなものなのに、レートを引き上げした時の頭痛や体調不良で、さんざんアスタロトさんの悪口を言ってましたから…」
「悪を気取るのが…ヴィア君のアイデンティティだし、生きる活力に繋がってるんだ…。アスタロト君が知ったとしても…笑って受け入れるだろうさ。ま、どちらにも、そんな事情は永遠に知られることはないがね」
「…ところで、あの…もう一人のヴィアさんの件ですが…」
「うん。あの【破壊の意志】こと自称、破壊の意志を持つ者の願いを叶えし者…って長ぇ名前だな…アレこそが…今回の想定外の事件の象徴のような存在だ」
「彼は…いや。PCなのか…NPCなのかも不明ですが…あれは…何なのですか?…その言いぶりでは、クリエイターが関与しているイベントじゃないみたいですけど」
「…何でもかんでも、全部が全部、私が関与できてるわけじゃないぞ。神を僭称しておきならが…全く情けない話だがな。………だが、」
「だが?」
「アレは、私の追い求めていた…答え…かもしれない」
「クリエイターの…答え?」
「私の研究テーマは知っているだろ?…【心】の構造と、その発生原理…つまり、【心】がいかにして生まれるか…ということなんだが…」
「まさか…!?…では、アレは…ひょっとして…」
「その可能性は…結構高い…と思っている。だからさ。アイツが目の前に現れた時、ブブ君とフー君の安全を守ることを優先してしまったけど…。あの時、私は何としてでも奴を捕獲するべきだったのかもしれない」
「それが、もう一つの選択のミス…では?…と思っているんですね?」
・・・
クリエイターは悔しそうに頷いて、自分の右の手のひらを見る。
左手で、その右手の掌を揉みながら、伏せ目がちに再び後悔の念を述べる。
「やっぱり、寝てないと頭は働かないよな。あの時は、最良の判断を行えていると信じて行動していたが、今から思うと、何か他にもっとやりようがあったんじゃないか…全てについて、そう思えてしかたないよ」
「あの『穴』は…どこへ繋がっているのでしょうか?」
「…さあな。『ここではないどこか』…と言うとロマンティックに聞こえるが、最も可能性として高いのは…やはり…幽閉用隔離サーバ…かな?」
マックスが行方不明となり、そして、危機的現象を解決するためにアスタロトが向かった場所。実際に、そこで何が行われたのかは想像すらできないが、アスタロトが姿を消してから程なくして、あの危機的現象の影響範囲が大きく変動を見せたのだから、あの現象と幽閉用隔離サーバには、何らかの因果関係があると考えてよいだろう。
「あの破壊の意思…は、間違いなく、あの『穴』へと消えていきましたよね?」
「…そう見えた…な」
「ということは…私たちも…あの『穴』に入れば…」
よほどジウはアスタロトを救出に行きたいのだろう。
アレが本当に内部空間を持つ『穴』であるという保証はない。ひょっとしたら触れた瞬間に【無】へと呑み込まれ、存在定義を失うかもしれない恐ろしいモノかもしれないのだ。
そんな正体不明のものへ入るなど…勇気がある…どころか…無謀な提案をしてくる。
・・・
「…お前…勇気あるなぁ…。それって…やっぱり…『愛』の為せる業…か?」
「茶化さないで下さい。クリエイターだって、あれ程今までアスタロトさんに期待を寄せていたのに…今回は、何故、そんな風に日和っちゃってるんですか?…ルーさんのGOTOS役を解任したら…もう、彼は用無しですか?」
ジウの激しい剣幕に、クリエイターは複雑な表情になり、目を閉じる。
胸の中で何か思い悩んでいるかのような間の後、再び目を開けて口を開く。
「正直に言おう。私は怖いんだ」
「え?」
「試練などと称して、TOP19たちを送り込んでおきながら言うのもなんだが…幽閉用隔離サーバの中の…あの無のような世界では、本当に『心』の力が強い者だけしか自我を保っていられない。アレは…本当に恐ろしいモノなんだ。ジウ。お前や私でも、あの中で存在を失わずにいられるかどうか…」
「何を言ってるんですか!?…システム側の筆頭者であるアナタと、次席の私が…TOP19たちに与えた試練を、乗り越えられない…だなんて…」
「我々のアドバンテージは、卑怯なまでに高い…この仮想の肉体の持つスペックと、デスシムの仕様に関する圧倒的な知識量のお陰だよ。…この仮想の世界で生き続ける理由。事情。意志。生い立ち…そういった彼らの『心』の強さの源に相当するものに関しては、残念ながら我々は彼らの足下にも…及ばない…と思っている」
実際は、クリエイターにもジウにも…彼らに負けない特殊な事情はあるのだが、その事情を『心』の強さとする以前に、システム側という優位な立場に甘えてしまっていた。
・・・
「そんな…私はともかく、クリエイターは自分が最強だって…いつも言ってるじゃないですか!…そんなの…そんな言い訳…卑怯ですよ!」
「…どんな誹りも甘んじて受けよう。だが、私やお前を始めとするシステム側のPCが本当に最強だ…なんていう、そんな単純なものなら、このプロジェクトはそもそも存在する意義が無いんだ。TOP19何て言う未熟な若者たちを集める必要もなく、我々と同じスペックのPCを量産し、そのデータを集積して…フィジカル・シム・タブレットのDNAモデリングとして利用すればいいのだから…」
「………っ」
確かにそうかもしれない。その思いが脳裏を過ぎり、ジウは反論ができなくなる。
アスタロトと共に行った不審なPC騒ぎの調査の際、フーに不意打ちで襲われたジウは、為す術もなく失神してしまっている。
あの時は、ジウの失神により、その体の支配権をアスタロトが掌握して【死】を回避してくれたが…そんな自分の精神がTOP19たちに遠く及ばない…かもしれない…と認めざるを得ない事実だった。
「情けない上司ですまないな。だが、今、別の部署で、あの『穴』についての解析作業は進めているらしい。その結果を受けて、ある程度の安全マージンが確保できれば、その時には真っ先にアスタロト君を捜そう。約束する。だから…今は、耐えてくれ…」
クリエイターがジウに向かって深々と頭を下げる。
ジウは、自分の無力を噛みしめながら、クリエイターの背中をただ見下ろしていた。
・・・
次回、第2巻最終話「終結のための集結」へ続く。