(44) 深層の真相
※終章へ入ります
・・・
ジュピテルは、立ち上がったまま動けずにいた。
危機的現象の侵攻方向が逸れたため、取りあえず自分の領土への当面の危機は去ったと安堵していたのだが、今、配下の親衛隊たちから報告された情報では、急激に拡大した現象の影響範囲に、ついにジュピテルの領土の一部が呑み込まれたというのだ。
親衛隊たちは、ジュピテルの手を煩わせまいと必死に防御魔法を展開しているようだが、報告をひっきりなしに入れてくるということは…彼らの手に負える状況では無い…ということを意味している。
現象の中心から南南東に位置するジュピテルの領土には、熱的な脅威よりも先に、吹き荒れる暴風雨が気象災害として襲いかかっている。
ある意味それは、熱的な脅威よりも対処の難しい危機だ。
熱的な脅威には、高熱系や冷却系の攻撃魔法をぶつけて効果を相殺するという手が使えるが、荒れ狂う暴風雨に対して、どのような防御が有効なのか…少なくともジュピテル親衛隊の者たちには、為す術が無かった。
となれば…必然的に期待の目がジュピテルに注がれることになる。
デスシムのサービス開始当初。「伝説の古代神」モードと呼ばれる特殊な現象を利用して神の如く超絶な奇跡を操って見せたジュピテル。
その奇跡の力を、使う時は今をおいて他にあるだろうか。皆がそう思い、期待した。
・・・
だが。
多くのプレイヤーがサインインし、一人の強烈な思念よりも、不特定多数の常識の方が影響力を持つに至った今にとなっては、既に「伝説の古代神」モードなどという反則技は使えない。
領主として、領土を襲う未曾有の危機に対処しないわけにはいかない。
しかし、あの危機的現象の規模は、自分にすらどうこう出来るレベルを超えている。
行かなければ信頼と恐怖による支配は終わりを迎え、彼は領土を失うだろう。
しかし、行けば…直接的な危険が彼に【死】をもたらすかもしれない。
行くも地獄。行かぬも地獄。
さて、いずれの地獄へと堕ちようか…。
そんな芝居じみた台詞が、ジュピテルの頭の中で無意味にループ再生されている。
さっきから、薄く開かれた扉の隙間に、パラスの片方の瞳が覗いているのには気づいている。自分のGOTOSでありながら、彼女が自分に対して恐怖以外の感情を向けているのは初めてではないか?…複雑な気持ちでパラスの視線をその背に受ける。
あの視線は…やはり期待なのだろうな。俺の力で…世界を救えと…。
ジュピテルは、プレッシャーを感じながら、それでも一歩を踏み出せずにいる。
あと、一押し。現象に立ち向かうべきだ…という心の傾きを決定づけるには、あともう一押し、背中を押すものが必要だった。
・・・
「その背中を…私が押して差し上げましょう」
部屋の片隅に、突然、誰かの気配が現れる。
今、そこに忽然と現れたようにも思えるが、ずっとそこに潜んでいたのかもしれない。
とにかく、消し炭のように煤けた男性PCが壁の隅に立っていた。
「…なんだ。そこで、ずっと隠れているつもりなのかと思っていたが…」
ジュピテルは、驚いた風もなく消し炭を一瞥する。
「?…まるで私がずっとここにいた…とでもいうような言い草ですね」
「自惚れるなよ…ベリアル。完璧に気配を消して、忽然と現れたように錯覚させようとする腹かもしれんがな。お前の必死の思念が、気配として滲み出ていやがるぜ?」
「必死…?」
「あぁ。自分でも気づいてないのか?…ふん。お前は、ハイディング技術は高いようだが、どうやら暗殺とかには向いていないようだ。遊びで忍び込んで脅かすだけなら、騙されるかもしれないが…相手をどうこうしようという強い思念…例えば殺意の類はなかなか…隠せないもんだよ…」
「くっ…」
「ふん。図星か。俺の背中を押して、あの危機的現象の前…つまり死地へと送り出そうという魂胆だろう?…それも、自分が助かるために…か?…なるほど必死な思いが溢れ出てしまうわけだな。…そういえば、前に騒ぎになった…不審なPC…って、お前のことなんだろう?」
・・・
ベリアルは、侮っていた。
上位TOP19の実力を。いや。自分以外の全てのPCを侮っていたのだ。
しかし、ジュピテルは、それを上回るほどに、ベリアルを下に見ている。
「…何の事でしょう?…あの不審なPC…ジウの偽者と私では、体型が違う…」
「はん。そんな事、お前の選んだ潜在的資質の能力なら…何とでもなるだろ?…ん?…手足どころか…あらゆる関節を自由自在に伸縮可能な…お前ならな」
「…どうして…それを…」
「俺の親衛隊による情報収集能力を侮るなよ」
どうやら、以前にジウの偽物として現れた時にも、ジュピテルはその正体がベリアルであると見破っていたらしい。
しかし、単に悪ふざけをしているだけのベリアルに、微塵の脅威も感じなかったジュピテルは、それをまったく相手にせず、協議会の席で話題になったときにも、敢えて知らぬフリをしていた…ということなのだろう。
ある意味、ベリアルの方が、泳がされていた…ようだ。
「おそらく、俺より上位の…左端やブブは、お前の暗躍に気づいていたと思うぞ?…ま、遊びでやっているお前の行動に、奴らも特に感心は無かったようだがな」
「私のやっていることが…遊びだと?」
「おっと。怒ったようだな。押さえきれない殺気が染み出てるぜ?…冷静な時のお前は、まぁ、なかなかに手ごわい実力を持っているが…いざ、心に強い感情が生まれた時には、お前の気配は、読みやす過ぎて…ま、闘いには向かないよな?…分かってるんだろ?」
・・・
分かっていなかった。
ベリアルは、暗い憎悪に呑み込まれそうになるが、深呼吸を繰り返して何とかそれを収める。確かに、彼は遊び感覚で闘える格下の相手としか闘ったことがない。
アスタロトとはまた違った意味で、誰よりも確実な勝利を追求してきたベリアルは、高難度のクエストに挑む時、必ず自分の身代わりとなって命を落とす「勇者様」のお供として参戦し、クエスト・クリアを目前に「不幸にも」…命を落とした「勇者様」の代わりに、高い経験値や稀少なアイテムを手にしてきたのだ。
「勇者様」が命を落とす原因は、あくまでも難易度の高いボス・モンスターや敵対PCであって、直接ベリアルの手によるものではない。
誰も気づかないように、戦況を自由に操り、ほぼ相打ちに近い状況で、相手と「勇者様」の命を効率良く削り取っていく。
そして、ベリアルは、「勇者様」が命がけで弱体化した「憎むべき仇」であるところのモンスターや敵対PCに、「仇討ち」のトドメを刺すのだ。
そうして生き残ってきた彼は、死闘というものを経験したことがない。
必死に何かと闘うという経験も…確かに思い出すことができない。実際に無いのだから。
その致命的な弱点とも言える事実を、無償で教えて貰えたのだからジュピテルには感謝すべきなのかもしれない…が、すぐに気持ちを切り替えられるものではない。
「…で。そのベリアル君が、そこまで必死になって、俺様を死地へと駆り出そうとしているわけだが…俺の背中を押すとか言ったな?…さて、どう押すつもりだ?」
・・・
ベリアルの胸の裡は複雑だったが、しかし、彼は自分の胸の裡よりも目的の達成を優先して気持ちを持ち直した。ふー…と息を吐き出して…無理やりに笑みをつくる。
「ユノさんが…現象に対応されるために、クリエイターの参集に応じました…」
今は、ジュピテルの方がどうやら自分より何倍も上手のようだ。
だから、ベリアルは…あれこれ策を弄さずに、ジュピテルにとって最も効果を発揮すると思われる情報を、最初から開示することにした。
「…ユノが?」
「ええ。ユノさんが。あの危機的現象の拡大を抑えるためには…彼女の類い稀なる魔術の才能が…絶対に必要なのです」
「なるほど…ユノなら…な…しかし…」
ベリアルは、心の中で密かに喝采を上げる。
やはり、このジュピテルにも付け入る隙はある。ユノの名をだしただけで、先ほどまでの優越的なオーラは面白いように圧力を弱めて、自分の思考の裡へと没頭している。
一方のジュピテルは、取るに足らないベリアル虐めより、ユノが現象へと立ち向かったことの意味を、頭の中で必死に計算し始めた。
今、自分の領土に襲いかかって来た危機的現象の影響圏…暴風雨の脅威は、ユノの参戦によって、間も無く収まるだろう。彼女の魔力には、それだけの威力がある。ジュピテルは絶大なる信頼を彼女に寄せているため、疑うことなくそう確信した。
・・・
しかし、彼女といえども…果たしてあの危機的現象を完全に消滅せしめることなど可能であろうか?ユノの実力は、ジュピテルが誰よりも深く理解していると自負している。それだけに、ジュピテルにはどうしても、彼女の力だけで…あの危機的現象がどうこう出来るものだとは…思えないのだ。
誰よりも【死】を恐怖しているユノが…このタイミングで…参戦。
それは、彼女が【死】への恐怖を克服したということか?…それとも、ジュピテルも知らないほどの強力無比な魔法を、彼女が保有していたということを意味するのか?
前者であれば…彼女の力も及ばず、再び危機的現象が拡大を始めた時には…もう、為す術が全くなくなる…つまり世界の終わるときだろう。
後者であれば、世界は平穏を取り戻すかもしれないが…逃げ隠れていたジュピテルの下に、ユノが戻って来る可能性はゼロとなるだろう。
ジュピテルは、ベリアルの方へ突然手を伸ばす。ベリアルは驚きに身を緊張させ、思わず目を瞑ってしまう。そのベリアルの後襟を掴み、体をぐぃっと引き寄せながら囁く。
「…お前に…背中を押されてやる。だが、お前も馬鹿じゃないなら…分かるだろう?…ユノが行き、俺が行っても…あの現象を食い止めることができなければ…この世界のどこにも、もう安全な場所は無いってことを…」
「え…えぇ…まぁ…」
「…ってことで、俺の背中を押したお前も、逃げてないで手伝え。いいな。行くぞ…」
ベリアルの応否を確認することなく、ジュピテルはベリアルをつれて転移した。
・・・
・・・
「アイツらは馬鹿か!?…いったい何を考えているんだ!?」
ジュピテルに無理矢理連れられて来て冷却魔法の一斉射撃に加わっているベリアルの後で、クリエイターの怒鳴り声が聞こえる。
皆が、何事かと振り返るものの、冷却系魔法の斉射は止めるわけにはいかない。
聞き耳を立てる全員の耳に、再びクリエイターの怒鳴り声が響く。
「どうしてこのタイミングなんだ!?…COOの一派は、このプロジェクトが失敗に終わっても良いとでも判断したのか!?…えぇ!!…どうなんだ、ジウ!?」
「わ、私に怒鳴られても困ります。しかも、COOは…この件については、本当に承知していない…そう言っていますし…」
「くそっ…私がこの場所から動けないことをいいことに…誰が勝手な真似を…」
何か、このデスシム世界を運営している会社の内部で問題が起きているらしい。
皆が事情を飲み込めない…といった表情をする中でベリアルだけが薄い笑みを浮かべる。
「ジウ!…ジウを呼び出せ!…とにかく状況を把握するんだ!?」
「わ、落ち着いてください。…わ、私はここに居ますよ?」
「お前じゃない慈雨だ!…分かっていて惚けているなら、もう一度、お前をあの現象に向かって投げ飛ばしてやるぞ?…もちろん、今度は冷却魔法無しでな!」
音だけで聞いていると、単にクリエイターが錯乱しているようにしか聞こえない。
・・・
現在、現場ではジュピテルとベリアルを加え、ついにTOP19のほぼ全員が参集し、定期的に交替しながら冷却系魔法を斉射している状況だ。
一定レベルまでMPや各種ステータスが落ち込んだ者は、ジュウソやソウジが運んでくる回復薬と交替で取れる休息を瞑想魔法による回復を最大限に活かし、長期戦になると想定される危機的現象との闘いに備えている。
ユノの強力な魔法により一度は大きく半径を縮小することができたが、今は全員で現状を維持することに専念している。
自分の一撃で、全てを解決できれば…その思いで上級魔法の二重詠唱などという無茶な真似をしたユノだが、それが叶わなかった上に、危うく命を失うほどの反動を受けた事に懲りて、今は、持続可能な規模での魔法を、他のTOP19たちと交互に放つことに専念している。
何故なら、彼女はもう一人で闘う必要がないのだから。
ユノがこの現場に駆けつけた時、そこには立つことも難しい状態のフーに、消し炭のようなクリエイター…そして、燃え上がり崩壊するタウンと運命を共にしようかというブブの3人しか居なかった。
だから、彼女は冷静さを欠いた行動の結果として、理論上でしか考えたコトのない超上級魔法に初挑戦し、その才能から魔法の発動自体には成功し…結果として、全身血まみれで失神するに至った。そして、それでも現象は、僅かに半径を縮小しただけだ。
意識を取り戻した時、ユノの周りには、まだ闘える仲間が何人も集まっており、自分一人の力で何とかしなければ…と思い込んでいた彼女の思い込みを解いてくれた。
・・・
自分より魔法技能が劣るからといって、他人を見下しているつもりはユノにはなかった。
しかし…ベリアルに諭されてこの危機的現象に対処しようと決意を固めたにもかかわらず、自分自身は他のTOP19たちに参加を呼びかけようともせず、一人でこの場へやって来て…そして、一人で実力以上の魔法を放ち…危うく命を落とすところだった。
それは…「驕り」という名の暴走行為だった。
冷静さを取り戻した今、やっとユノは、自分が天狗になっていたのだと気づいた。
だから、もう同じ過ちはしない。
そもそも、この危機的現象というものが、何が原因で、どんな仕組みで発生しているのかを知らないユノは、一人でこれを解決ができるハズなどないのだ。
だから彼女は、指示に従う。
クリエイターやジウ、左端やベリアル…自分よりこの世界の事情に詳しい優秀な頭脳の持ち主に、まずは冷静に状況を見極めてもらうべきなのだ。
自分の魔法の出番は、彼らが「ここだ!」と判断した、その時までお預けだ。
何度目かの冷却系魔法の放出の後、一定のレベルをMP値が下回ったため、ユノは最前線を離れてクリエイターたちの方へと帰ってきた。
「…何かあったのか?…システム側の君たちが、動揺したような声を上げると全員の志気に関わる。何があったか知らないが、少し声を落とした方が良いな…」
ユノの指摘に、クリエイターが片眉を上げて「しまった!」…という表情をする。
・・・
「あぁ…すまない。その通りだな。気を付けよう…」
「…で?…いったい何があったんだい?」
「う…ん…それが…その…」
クリエイターは、言うべきか言わざるべきか躊躇しているようだった。
ジウも目を瞑り、何処かと連絡を取っているようだ。
丁度その時、ジウが目を開けて、口籠もるクリエイターに報告を始める。
「慈雨は来られないそうです…。イシュタ・ルーさんが…また狂戦士モードに入ってしまったので、それを押さえなければならないようです…話す余裕も無いようで…一方的に会話を打ち切られました」
「そうか…。では、やはり情報は確かなようだな…」
「…ちょっと待て。今の話、どういうこと?…ルー君が暴れているって…いうことは、アスタロトが居なくなったってことじゃないか?」
ジウのクリエイターへの報告内容を耳にして、ユノが驚いた顔で尋ねる。
しまった…という表情で互いの顔を見合った後、クリエイターが小さな声で白状する。
「…そうなんだよ。何者かが…アスタロト君が今、MPやHPが初期状態の弱り切った状態にあるという情報を、処罰の対象から逃れていたCOOの一派へと流したようなんだ。アスタロト君の強さは…MPやHPの数値には関係ないところにあるのに、それをチャンスだと思った連中が…再びアスタロト君を…」
「再び…?…って、彼は、何度も狙われているということか?…システム側から?」
・・・
クリエイターが、慌てて口を手で押さえる。
…が、もう遅い。
ユノは、クリエイターから目を離すと、ジウの方にも問うような目をする。
「クリエイター…迂闊ですよ。彼が、COOの一派に狙われている事実は、慈雨しか知らないハズです。どうして…ユノさんにベラベラと喋っちゃうんですか?」
「いや。…色々と勘違い…した。ユノくん、悪いが…皆には内緒にしてくれるか?」
「な、内容にもよるが…」
クリエイターは、ユノの隣にスッと体を寄せ、他のTOP19たちには背を向けた形で小さな声で事情を話す。
「…?…何だって?…幽閉用の隔離…サーバ?…それは…もしかして…あの…」
「その通り。協議会の後半で、君たちTOP19全員に私が与えた試練の場所だよ。…まぁ…アレを『場所』…と表現してよいのか…私にも分からないんだが」
「…あ、あんな恐ろしいところに…また?…だ、大丈夫なのか?」
ユノの顔が青ざめる。
「…いや。まぁ…他の誰よりも…アスタロト君であれば…大丈夫だとは思うが。もう…彼があの場所へ行くのは…3度目になるわけだし…」
「3度目!?…い、いったいシステム側は、彼にどんな扱いをしているんだ?」
「…うぅ。そ、それは…その…彼にも…原因があるわけで…」
・・・
「心配…いらないと…思いますよ」
その時。
ユノとクリエイターの背後から、不意に声が掛けられる。
驚いて振り返る二人。
「…あ、あまり過剰に驚かれると…私の方が…ビックリしてしまいますよ…」
「べ、ベリアル君か…」
「な、何か事情を知っているのか?…君は」
クリエイターが意外そうな顔をし、ユノは期待するようにベリアルに詰め寄る。
どうやら、TOP19がここに勢揃いしている理由は、アスタロトがベリアルにそれを依頼したから…だというのだ。
ベリアルが、各TOP19を説得する際に伝えた言葉は…
………『何やら、あのアスタロトさんが、この現象を解決するアイデアを思いつかれたそうです。その為には、皆さんの援護が必要だということです。皆さんは危険を感じない程度で結構ですから、あの現象が拡大するのを全員で防いで欲しい…と。そうすれば、後は彼が、何とかしてみせる…とのことです』………
というものだったそうだ。
つまり、ベリアルは、その「アイデア」とやらをアスタロトから聞かされている可能性が高い。ひょっとして、アスタロトが幽閉用隔離サーバへ言った理由も知っているのか?
・・・
「いや。…残念ながら…私も、具体的にアスタロトさんが何を思いついたのかは…聞けませんでした。しかし、これまでも我々が予想も出来ないような無数のアイデアを次々と披露し実現してみせた彼のことです。きっと、今回も、我々の期待に…見事応えてくださることと…少なくとも、私は…信じています」
私は信じるのに、貴女は信じないのですか?…言外にそう言うかのような言い回しだ。
ユノは、言葉に詰まるが、それでも再度確認する。
「し、しかし…アスタロト君が思いついたというアイデアの話と、そのシステム側のCOO一派?…とかが彼を幽閉することは、全く別のことかもしれないぞ?…そうだとしたら、彼のせっかくのアイデアは実施されずに、我々も望みの綱を失った…ということにならないか?」
「…あぁ。それはマズイな。ここは君たちに任せて…私はアスタロト君を救出しに行くべきかもしれない」
ユノの心配に、クリエイターも同意し、慌てて駆け出そうとする。
ベリアルは、ユノどころかクリエイターまでもが、アスタロトがこの問題を解決できると信じて疑っていないということに苦笑しながら、クリエイターを呼び止める。
「待ってください。クリエイター。協議会での試練の際にも、アスタロト君は、私や左端よりも…かなり早くに自力であの空間を脱出してみせたのでしょう?…貴方が、この重要な現場を放り投げて、慌てて救出する必要があるのでしょうか?」
・・・
「…たっ、確かに…あの幽閉用隔離サーバには、安全装置を組み込んであるし、アスタロト君は一瞬であの空間から自力脱出してみせたが…しかし、COOの一派が、本当に悪意を持って彼を閉じ込めようとしているなら…どんな細工をするか…分かったもんじゃ無い…最悪、彼がサーバに閉じ込められたまま、強制シャットダウンされれば…」
「ひぅ…そ、そんな…恐ろしいこと…」
クリエイターの言葉に、ユノの青い顔が…さらに白く見えるほどに血の気を失う。
「待って下さい。…そこまでやったら…ある意味、殺人ですよね…いくら何でも、そこまでのことをしなければならない相手なんでしょうか?…アスタロトくんは」
「うむ。さ、さすがに…そこまではしないか…。だが…」
「いや。実は、申し上げるのが遅くてご心配をかけてしまいましたが、アスタロトさんは…ご自身で、あのサーバへと赴かれた可能性が高いのです」
何?…という、ややマヌケな顔で、クリエイターが首を傾げる。ユノもそれに倣う。
ジウも、思いがけないベリアルの言葉に、マジマジと彼を見つめてくる。
「…あの…詳しい事情は…分からない、そう言いましたよね?…だから、私は、彼が私に依頼した時の言葉の断片を伝えるだけです。アスタロトさんは、私に向かってこう言いました。『詳しいことは言えないけど、俺をそこへ送り込んでくれたら、あの危機的現象の原因を、クリエイターとは別のアプローチで解消できるかもしれないんだ。できれば、慈雨やルーに覚られないように…俺をそこに送ってくれないか』…と。原文ママのです。…私は…彼が自分の意志でそこへ赴いたのだと思います…そう思いませんか?」
・・・
何故、システム側のPCでもないベリアルに、アスタロトがそんな依頼をしたのか。
よくよく考えて見れば非常に不自然な会話なのだが…
「あぁ…因みに、ご覧のとおり今の私は黒く煤けた消し炭のようなルックスになっていますので…そこのジウさんと、私を勘違いされた上での言葉です」
それを指摘される前に、ベリアルは自分からその疑問の答えを告げる。
指し示されたジウは、「え?…私?」と驚いたように呟き、それから少し考え込む。
「…ということは、アスタロトさんは…やはり何か意図があってあのサーバへと行ったワケか…。しかし、それなら何もCOOの一派などの手を借りなくても…私に言ってくれれば良かっただろうに…」
「…貴方もジウさんも…その時点では、危機的現象に果敢に挑まれていた最中ですよ。アスタロトさんは、相談したくても…できなかったのではないですか?」
「あぁ…そうか。そうだったな」
魔法の使えない彼に、この危機的現象の対策をすることなどできない。
クリエイターはそう決めつけて「超役立たず君」などという不名誉なアダ名で彼を呼んだあげくに、彼との連絡を打ち切ってしまっていたことを思い出した。
「…しかし、アスタロト君は…そんな空間へ行って…いったい何をするつもりだ?」
「分かりません。ただ、彼の洞察力と発想力が、いつも我々の遙か上を行っていることだけは確かです。彼を信じて…今は、何としてもこの防衛ラインを死守しましょう」
・・・
・・・
同時刻。
幽閉用隔離サーバ内、
特異領域。
・・・
落ちる。
前2回と同様に、何とか自我の消失をせずに済んだアスタロトが、最初に取り戻した感覚は…それだった。
男性なら、きっと誰もが共有できると思う…その落下に伴う…大事な部分を中心としたどうにもならない不快感。
未だ、自分の輪郭すらも朧気な状態なので、両手でソコを押さえる姿勢をしても、全く不快感を押さえるには至らない。
えっと…女性も、同じような感覚になったりするのかな?…この辺りが?
…とか。そういう精力旺盛な年頃のアスタくんの思念は、アスタロトという器の中でも…興味津々でそんな妄想を浮かべて…うへへ…とか身悶えている。
恐ろしいことに、たった3度目にして、彼はもう既にこの【無】のような空間に慣れてきてしまっている?
いや。そんなことはない。これは、人が慣れることができるとか、そういうレベルの恐ろしさではないのだ。
下手をすれば、一生覚醒することのないほど強力な全身麻酔を施されるようなもの…
一度でも、全身麻酔による手術を受けたことのある者なら、あの一切の感覚を奪われる恐ろしさは想像がつくだろう。記憶もなく、時間的経過も感じることのない…あの。
・・・
だが、アスタロトは、とりあえず、その最も恐ろしい段階を何とか潜り抜け、今は半覚醒状態にあるような状態だった。
これ以上覚醒を続ければ、おそらく幽閉用隔離サーバから抜けだし、通常のデスシム空間へと復帰できる。
しかし、今回の彼は、全覚醒してしまうわけにはいかなかった。
このまま、何もせずに全覚醒してしまったら、いったい何のためにこの恐ろしいサーバの中へと潜ったのか?
それに、アスタロトは、ベリアルから一つの忠告を受けていた。
(…貴方が、MPやHPを失って弱った状態にあると…彼らは思って油断しています。そんな貴方が、いとも簡単にあのサーバの戒めを破って戻って来たら…彼らはどうするでしょうね?…より、恐ろしい行動を貴方に対して行うかもしれません。貴方への恐怖が、彼らをとんでもなく愚かな行為に駆り立てる可能性があるのです…ご注意を…)
ベリアルが言うには、COOの一派が執拗にアスタロトを狙うのは、アスタロトの規格外の発想と行動を、彼らが非常に恐れているから…という理由からだそうだ。
秩序ある管理をし、自分たちの計画どおりにプロジェクトを進めたいCOOの一派は、アスタロトにより、計画が大幅に修正されたことに危機感を抱いているらしい。
ベリアルは、アスタロトがあのシムネットを巻き込んだシステムダウンの犯人であることまでは知らないので、COOたちの心理の全てを正しく把握しているとは言えないが、彼らがアスタロトを排除しなければ…と思うほど恐れていることは確かだと思っている。
・・・
とにかく…と、アスタロトは朧気な思考で考える。
この微妙な覚醒状態をキープしつつ、目的の場所まで辿り着かないといけない…と。
半覚醒状態のキープ。
文字に表すと簡単にできそうな気がしてしまうが、それは非常に難しいことだった。
何故なら、アスタロトは何としてでも、目的の場所へと辿り着き、デスシム世界を崩壊させかねないあの現象の根本原因を解消しなければならないのだ。
それは、強い意志を維持しなければできないことであり、油断すると自分が誰なのかをも見失いそうになるこの曖昧な空間においては、必要以上に強い精神力を要する。
だが、だからと言って思念を強固にし「鉄の意志」などというものを持ってしまったら、その一瞬後には、彼は通常のデスシム世界へと実体化してしまうだろう。
ルリミナルが、アスタロトにしか頼めない…と考えたのは、そういう理由からだ。
つまり、アスタロトが対【天の邪鬼】戦で身につけた深層意識の三重起動という変態的な技術…それによる思考だけが、この不完全なサーバ内領域において、強固な意志を保ちつつ、半覚醒状態をキープするための方法なのである。
この特異な領域では、アスタロトの顔を見る者など存在しないが、もしも、今の彼の顔を見る者があれば、彼が何も考えていない阿呆のような表情で…ボーッとしているように見えるだろう。
アスタロトの名誉のために言えば、それは深い瞑想状態にあるということで、彼の必殺技の三重瞑想状態を得るために、やむを得ない顔なのだ。わはは…と笑ってはいけない。
今、彼は、世界を救うために、必死でアホっぽい顔を維持しているのだから。
・・・
ユミルリリアンの話では、ルリミナルも今回の現象の原因を正確に把握できているワケではないらしい。
…にも関わらず、デスシム世界の神を自認するクリエイターではなく、単なるプレイヤーに過ぎないアスタロトに、この幽閉用隔離サーバへと潜るよう依頼してきたのには、当然ながら理由がある。
一つの理由としては、深層意識の三重起動による三重瞑想などという器用な真似ができるのがアスタロトしかいないということは、先に述べたとおりだ。
だが、何故、そんな器用な技を使わなければ潜入行動ができない、このような場所へとアスタロトを派遣する必要があったのか。
「…マスターは、人間なんかにしておくのはもったいないほどクレバーなマインドを持っているけれど、どうしても技術者であり科学者である発想の枠に囚われがちなの。今回の現象を見て、『熱力学の第2法則が…』なんて真剣に悩んでいる限り、…思念の強さによって全てが上書き可能な…このデスシム世界での危機には対応しきれないわ」
ユミルリリアンは、とても仮想思念だとは思えないほど自然な笑みを見せてアスタロトに語った。だから、アナタに期待せざるを得ないのだと。
「ルリミナルは苦しんでいる…。あの子が管理する世界に、今、全く異なる世界が癒着してしまって…ルリミナル自身では切り離せない…そんな状態にまで侵食されてしまっているの。マスターも見つけたようだけど…あの現象の中心部には、大きな穴があるわ。…でも、その穴が…実は異なる仮想世界との癒着点だということまでは知りようがない…」
・・・
異なる仮想世界…というのが、この特異領域なのだろうか?
アスタロトの疑問に、ユミルリリアンは悲しそうに首を横に振った。
「…わからないの。だって、それがルリミナルの支配する常識とは違う世界だってことは分かっても…ルリミナルの支配できない領域の話だもの…それ以上のことは…何も分からないのよ。…だから。お願い。何も無くて徒労に終わるかもしれない。その反対に、予想もつかないほどの危険がアナタを待っているかもしれない…でも…」
アナタしか頼る相手がいないのよ…とユミルリリアンは頭を下げた。
そして、今、アスタロトは落ちている。
落ちている…と感じる以上、等速直線運動ではなくて、それは等加速度直線運動…しかも自由落下状態にあるということだろう。
いや。いやいやいや。ユミルリリアンが言っていたではないか。…あまり現実世界の物理法則に縛られた思考をしない方が良いかもしれない。
それにしても…寂しい空間だった。
空間…。そう。いつの間にか、そこは【無】だとか特異領域だとかいうような、まどろっこしい表現をしなくても良いような空間へと遷り変わっていた。
アスタロトの座標が移動したのか…それとも特異領域がそのように変遷したのか?
考えても答えの出ないことは、すっぱりと割り切って無視する。
それがアスタロトの得意技だ。とにかく、そこは何も無いが…【無】ではない空間。
・・・
依然として闇の中。だが…ただの闇ではない。ここは?…宇宙?
寂しい…そう思うほどに何もない空間だったが、よく見ると無限とも思える距離を落下し続けて…もの凄いスピードで向かっているその先に、ぽつんと一つ、淡い光を放つ小さな点が見える。
それを、アスタロトは理由もなく星…それも地球であると確信する。
その星を目にした以降、自分が落ちているのか、それとも地球がもの凄い勢いでアスタロトに向かって迫ってきているのか…アスタロトには判断ができなくなった。
いや。視覚情報に囚われるから、そういう錯覚に陥るのだ。
この落下感覚がある以上、自分が無限の距離を切り裂いて落下しているのは間違いない。
美しいけれど…とても寂しい星。
宇宙には無限の星が存在しているハズなのに、まるで他の星々から隔絶されたかのようにポツンと浮かぶ孤独の星。
人類は未だに地球外の生命体に遭遇することができずにいるが…もしかしたら、それは…本当に、他の世界から隔離された宇宙の底に位置するからではないのか…
そんなネガティブなことを、三重瞑想のいずれかの深層思念で夢想するアスタロト。
だが、青く美しく見えたその惑星が、アスタロトの接近と共に様相を一変させる。
・・・
突如として、したたり落ちた血のように…赤黒く禍々しい色に染まる星の半球。
だが、もう半球は急激に光を失い…闇の底のような暗黒の世界へと変わる。
赤く染まった側からは、何体もの炎の龍が一斉に飛び出して、まるで活動を活発化させて太陽から吹き出されるプロミネンスのようだ。
灼熱の地獄…アスタロトの脳裏に思い浮かんだイメージはそれ。
一方の闇の側は…それでは…やはり極寒の世界なのだろうか。
地獄のイメージ。
古来、世界中のあらゆる神話、伝承、宗教において、地獄のイメージというものが語り伝えられてきているが、その多くは灼熱の世界であり、または極寒の世界である。
例えば、仏教的な地獄のイメージには、八熱地獄という灼熱の責め苦に象徴される8層からなる炎の地獄世界があり、その横には八寒地獄という極寒の責め苦に象徴される8層からなる氷の地獄世界がある…と伝わっている。
そういえば…八熱地獄の最下層…阿鼻地獄とか無間地獄と言われる地獄は、絶え間なく永劫に続く苦しみの世界なのだという。
この世に生を受けて以降、寿命が尽きるまでずっと【死】の恐怖に怯えながら生きていく現実世界だって…ある意味この地獄に匹敵する苦しみの世界のように思えなくもない…とアスタロトは哲学的なことを思ってみたりする。
…が、その間にも…アスタロトはぐんぐんとその地獄の具現化された場所へ落ちていく。
・・・
幸か不幸か…アスタロトは灼熱に焼かれることもなく、極寒の世界で分厚い氷に閉じ込められることもなく…その間の領域へと落下した。
墜落死する!?
…恐怖で心臓が止まりそうな感覚になったが…その朧な体に心臓が無いからなのか、それとも…これは現実ではない…とアスタロトが分かっているからなのか、心臓停止により【死】に至るということにはならずに済んだ。
アスタロトが落ちた場所は、水面だった。
水しぶきを高く吹き上げて、水中深くへと沈んでいくアスタロト。
本当に、宇宙の彼方から落下したのなら、それが水面でもアスファルトでも、衝撃にはそれほどの違いが無いはずで…だから、無残に潰れることもなく水中へと沈んだアスタロトは…この世界が実際の物理原則とは違った法則に縛られているのだと確信した。
いや。ちょっと待て。俺、この世界で【死】んだら…どうなるの?
深く深く水の底へと沈みながら…アスタロトは不安を覚える…。
しかし、不思議と呼吸に困ることもなく、ただただ底へと沈み続けている。
そして、その星の全ての重力の向かう中心…地獄の底?…に、アスタロトはゆっくりと足を下ろす。自分の辿ってきた経路を見上げるが…闇が広がるばかりで何も見えない。
超高熱…でもなく、極低温でもない…何もない…静かな場所。
そして…
・・・
アスタロトは、そこに小さな子どもが十字架に縛られているのを見る。
その子どもは、声も立てずに涙を流し続けている。
慌てて駆け寄るアスタロト。
…その子どもの両眼から流れているのは…血のように赤い涙だった。
「どうしたの?…なぜ、縛られているの?…どこか痛くて…泣いているの?」
アスタロトが、子どもを労るように声をかけるが…ただ泣くばかりで答えない。
…その子どもを何処かで見たことがある?…アスタロトは、突然、そう感じた。
昔からの知り合いではない。最近、それもごく最近…会ったばかり?
いや。デスシム世界にこんな小さな子どもはいない…と思う。
では、この子によく似た…誰かだろうか?
「…ま、マックス…さん?」
アスタロトは、その特徴的な顔立ちが、TOP19の協議会の席で、天井に開けられた窓から覗いていた、あの巨大なマックスのものにソックリであることに気が付いた。
「でも…何故?…こんなところに…マックスさんが?」
正確には「…にソックリな子が」というべきだが、アスタロトは本人だと確信した。
・・・
今のアスタロトは、ジウの体を共有していた<アスタロト>ではない。
だから、マックスの特殊能力が「マクスウェルの悪魔」をモティーフとした粒子の熱的運動状態を判断して仕分けする…などというものであることを知らない。
かといって、命がけでアスタロトを守ったラップの死を…目の前で看取った(アスタロト)でも無かった。
今のアスタロトの記憶は、あの協議会の特設会議室で、クリエイターの目の前に一番目の帰還者として現れた…あの瞬間から始まっている。
実は、自分の体験であると明確に意識できるような…それ以前の記憶が一切ないのだ。
記憶は無いが…あの場所で何があったのか、そして自分が何をしなければいけないのか…という強い思いだけは胸に刻み込まれていた。
…記憶喪失の様でもあるが、おそらく自分は…<アスタロト>や(アスタロト)が不在となった体が、本能的に生み出した3番目の【アスタロト】なのだろう…と思う。
何を覚えていて、何が思い出せないのか…自分でもそのルールが分からないのだが、<アスタロト>の記憶のほぼ全てと、(アスタロト)の記憶の一部が…今の【アスタロト】からは欠如していた。
心に傷を負った彼の深層思念システムが、自我の保全のために生み出した第3の自分。
だから、マックスに関する記憶も、断片的なものしかない。
(寂しい…寂しい…寂しい…さみしい…さみしい…サミシイ…サミシー……)
だが、マックスから伝わってくる気持ちは、アスタロトにもすぐに理解ができた。
・・・
何故ならば、マックスのその「寂しい」という悲しみの感情は、おそらくアスタロトの身に起こったあの悲しい事件に由来するものだ…と胸の傷が教えたからだ。
(…ラップ…ディン…僕の…友だち…居なく…一人…また…孤独…寂しい…)
子どもに近づくほどに、マックスの胸の裡が思念の波として直に伝わってくる。
ラップの死は…アスタロトの心にも深い傷を残してる。
あの事件で、2つの表層思念が…何処かへ消えてしまったのだ。
しかし、マックスにとって、こんな場所で子どもの姿になって…閉じ込められてしまうほどに大きな悲しみだった…とは、アスタロトにとっても驚きだった。
アスタロトは、無理矢理に事情を聞き出そうとはしなかった。
子どもの額に自分の額を合わせ…目を瞑って、その思念を自分のものとして受け入れる。
おそらく、マックスは…あのクリエイターの試練に耐えられなかったのではないか?
あの【無】の「空間」とすら言えない場所は…ただでさえ…孤独との闘いの場なのだ。
自分を自分として定義するにあたり、人は他者との関係性でそれを綴ることが多い。
試しに、自分がどんな人間であるか…他の者とハッキリと区別ができるように説明してみるとよい。
優しいとか、怒りっぽいとか…そういう説明は、他の多くの者との区別がつかない。
やはり、誰それの子ども…だとか、誰それの恋人、友人、敵対者…などという説明を用いざるを得ないことに気づくだろう
・・・
マックスは…あの試練の直前、ラップを【死】により永遠に失い。
そして、同時に、そのことで正体がばれたディンにも去られてしまった。
このデスシム世界で、他に誰がマックスを、身近な仲間として認識していただろう?
あの試練は、TOP19だからといって乗り越えられるような生やさしいものではない。
自力でデスシム世界へと復帰できたのは、アスタロトの他には、左端、フー、ブブ、ベリアル…そしてTOP19ではないが…ヴィア…のたった5人しかいないのだ。
クリエイターは安全装置が云々と言っていたが、心に傷を負い、何かを失った不安定な状態で、あの【無】へと送り込まれた場合までを、果たして想定していただろうか?
そして…アスタロトには、気になる事がもう一つ思い浮かんだ。
そう言えば…あの…ふらりと現れて…ふらりと去って行った…ヴィア。
【破壊】…という不吉な言葉を、しきりに口にしながら…しかし、自らは全く破壊的な行為を行わずに消え去った…ヴィア。
背中にクッキリと残っているはずのクリエイターに踏み付けられた靴跡も無く、身に纏う雰囲気も全く違った…あのヴィアの言葉。それをアスタロトは思いだしてみる。
『…お前は…世界を破壊したいか?』
そう何度もネフィリムに訊いていた、もう一人のヴィアの言葉と、今のこのマックスの変わり果てた姿とが、クロスオーバーして…アスタロトは一つの答えに思い至った。
・・・
次回、「集結の終結(仮題)」へ続く…