(43) ソウリョクセン
※すいません。今回、ちょっと気合いが入りすぎて…超長いです。(通常比、約1.5倍)
※それでも、第2巻のクライマックスに向けて、必要な文字数だと信じて書きましたので…どうかよろしくお読み下さい。
・・・
まるで消し炭のように煤けて真っ黒になった男性PCが、小高い丘の草原の上にヨレヨレの四肢を投げ出して仰向けになっている。
荒い息を何度も繰り返し、時折、呼吸に失敗して激しく咳き込んだりしている。
肺に負った熱傷が、確実に体力と気力を奪っていく。
その熱傷は、この世界に生きる中で…今まで一番必死に頑張った結果だ。
…とはいえ、その必死の努力にも関わらず、依然として状況は何も好転していない。
口の中に広がる苦いものは、心理的なものか、それとも実際に消し炭と化した体細胞の一部によるものか…。
いずれにしても、極度に疲弊した体を押し包むのは、無力感と敗北感の二重の膜。
「…ジウ…回復薬、余ってたら…くれ」
その消し炭から少し離れた草むらで、もう一つの消し炭の声が上がる。
2つ目の消し炭は、まだ何とか立っている気力を残しているようだ。
「余ってなんかいませんよ。アナタの方が私より頑丈に出来ているんですから、私より薬の消費は少なかったハズですよ?」
「んん…。いや、実はさっきフー君が虫の息だったんで、大盤振る舞いしてしまってな。くそ…もう一度、ジュウソを呼ぶか?…左端君も、もうピル・ケースは空っぽだろ?」
・・・
2つ目の消し炭の問いに、3つ目の消し炭がピル・ケースを草の隙間から空へと突き出すようにして答える。彼も横たわっており、呼吸は荒い。
「…タフな貴様と違って、半分の回数しか突入していませんからてね。まだ、あと1度分ぐらいは、余っています。貴様が再度、突入を試みるというなら…返しますよ。元々、貴様等システム側からの配給品だ…」
2つ目の消し炭は、突き出されたピル・ケースと、4つ目の…やや丸みを帯びた美しい曲線的な輪郭を持つ…消し炭をチラッと見て、考えるように言った。
「…う~ん。フー君の消耗が予想以上に酷いな。その回復薬は、フー君に使ってやりたまえ。さっき、私が彼女に飲ませた分とそいつがあれば、なんとか【死】に至らずには済むだろう…」
「クリエイター。せっかくシステム側のPCには、回復や治癒コマンドがあるのに…どうして、回数制限なんて設けたりしたんですか。その制約さえなければ、私とクリエイターだけでも、もっと楽ができたでしょうに…」
1つ目の消し炭が、2つ目の消し炭に対して恨めしそうに文句を言う。
1つ目の消し炭は、どうやらこのシステムの仕様を決定する際の作業に関わっていたらしい。確かに、システム側に属する消し炭だけでも回復薬不要で活躍できれば、その分だけTOP19たちに多くの回復薬を配給することができることにもなる。
「馬鹿だなぁ、お前。システム側だけ『無敵』…なんて世界、面白くないだろ?」
・・・
「何言ってるんですか!?…普通のシムタブ型MMORPGは、全部そうですよ!」
「…アホか。他のシムタブ型MMORPGには、そもそもシステム側のPC自体が存在しないだろう。死にもしないが、生きてもいない。ルールに沿ってアナウンスとジャッジだけを行う【心なきNPC】が支配する世界。そんな気持ち悪い世界…私は嫌だね」
「…だったら、【心ある『無敵』のPC】って設定でも良いじゃないですか?」
すると、2つ目の立っている消し炭は、おもむろに1つ目の消し炭の傍にまで歩み寄り、軽蔑したような視線で覗き込む。
「…お前は…まだ理解できないのか?…あれほど多くの【死】を見続けてきて。【心ある者】は…必ず死ぬ。肉体が仮に不滅でも…【心】は…。いや。逆だな、不滅の肉体に包まれた【心】は、【生きる】という事の意味を忘れ、【心なき者】へと変化してしまう。…それは【死】よりも恐ろしい末路だ…」
「そのわりには、クリエイターは命無き仮想思念…ユミルリリアンさんを愛しているじゃありませんか?…矛盾してるような気が」
「お前に理解されようとは思わんな。だが、矛盾と言われるのは不愉快だ。私が【心】の研究をしているのは…ユミルリリアンたち我が愛する子に、私たちと同じ意味での【死】の可能性を与えてやるためさ。…それを得た時、彼女たちは、もう仮想思念ではなく、我々人類と全く同じ【心】へと昇華するハズだ…」
【死】を主観的に捉え、それを忌避すればこそ【生命】であると言えるのだ。
「…それが、クリエイターの哲学ですか。CEO…のそれとは、相容れませんね」
・・・
「ふん。あの方は、【不老不死】の実現が、人類を一段上のステージへと進化させると信じているからな。だが、それには【心】の変革こそが必要だ。…【心】とは何で、どこから生まれ、どういう構造をしているのか…。それを解明しなければ、あの方の目的も叶わないのさ。だから、私とあの方は…手を結んだんだ」
思わぬところで語られたクリエイターの本音。
彼の言葉に耳を傾けていた、3つ目の消し炭…左端が静かに感想を述べる。
「…それが…この悪趣味なほどに【死】のリアリティに拘った世界の理由ですか。なるほど…俺は今まで憎む相手を間違えていたようです。直接、手を下したジウへの憎しみは消せませんが…。今後、クリエイターとCEOが派閥割れでも起こしたときには、俺は迷わずCEOの側に付くとしましょう…」
それは、つまり「クリエイターへを憎む」という宣言だった。
左端が大事な人を失った、その最大の原因者が、おそらくはクリエイターであるということが判明したということだ。
「全ての人間が分かり合える…何てコトはあり得ない。左端君の価値観と私の価値観も大きく違うようだね。いいよ。憎みたまえ。それが君に生きる目標を与えるなら名誉なことだ。憎まれっ子世に憚る…とも言うし、私は気にせず自分のしたいように生きる」
憎む者と憎まれる者が同席しているからといって、ここで直ちに戦闘が始まるということはない。今、すべきことは何かということは、左端もわきまえているから。
・・・
危機的現象を放置して、自分の哲学を披露することなど無駄口以上の何ものでもないのは明かだ。しかし、クリエイターは意味もなく無駄口を叩いているのではない。
ジュウソに届けさせた回復薬や治癒薬は既に使い切り、システム側のPCだけが使える回復系のコマンドも、その使用回数の制限値に達してもう使えない。
世界を司る描画エンジンの設定を変えれば、どうとでもなりそうなものだが、クリエイター以上に頑固なルリミナルは、通常時でもよほどの理由がなければ仕様の変更など受け付けない。その上、今は危機的現象の影響か、それとも別の理由からか、ルリミナルはシステム側からの一切の干渉を頑なに拒んでいる。
そんな状況にあって最後に頼りになるのは、最も初歩的な魔法であり、かつ、全ての魔法系列の基礎となっている「瞑想魔法」だ。
ほとんど全ての魔法が、MPというリソースを消費して生み出される。
しかし、瞑想魔法だけが、その常識の外にあって全くMPを消費することなく…極めれば…ありとあらゆる魔法を具現化することができる。
もちろん、あの魔法オタクのユノですら、瞑想魔法を極めたと言えるにはほど遠い段階であり…地味な努力など大嫌いなクリエイターに至っては極めようという発想自体を持ったことがなかった。
だが、今、全てのMPを使い果たし、それを回復するための回復薬も底をついたこの状況にあって、頼れるものは最も基本的な瞑想魔法の効能「急速圧縮休息」だけだ。
無駄口を叩いているように見えて、彼らは急速圧縮休息により少しでもMPを回復させようとしているのだ。これは、再び戦うために必要不可欠の時間なのだ。
・・・
瞑想…といいながらも、深層意識下における気力は高い状態に維持する必要がある。
疲弊した深層意識では、睡眠時程度の遅々とした回復効果しか期待できない。
クリエイターは、何度ものアプローチの失敗で左端の精神状態が諦め直前の低迷に陥りつつあることに気づいていた。
だから、敢えて左端が自分を強く憎むように、自己の哲学を披瀝してみせたのだ。
やや唐突な話題の持ち出し方ではあったが、その意図は功を奏し、左端の深層意識下では強い憎しみの炎につつまれた高い気力が生まれたようだった。
「気力」パラメータというリソースは消費するが、それによりMPを含めた様々なステータスが回復を始める。
回復薬や回復魔法による効果に比べると遅々とした数値の上昇だが、それでも、少なくとももう一度は闘える。
左端の白黒反転したような特徴的な目に、強い意志の光が再び宿る。
クリエイターに復讐を果たすまでは、死ねない。
勿論、この世界を終わらせるわけにもいかない。
この世界から、左端の愛する人を奪った償いは、この世界において受けさせなければならないのだ。
だから、こんな場所で、いつまでも休んでいるわけにはいかない。
さっさと回復して、今度こそ、あの現象の中心部へと到達し、あの得たいの知れない深い穴を塞がなければならないのだ。
「しかし、我々のやっていることに…本当に意味があるのでしょうか?」
・・・
「気力」ステータスの残数値を見れば、危機的現象へのアプローチが可能なのは、どんなに頑張っても、あと一度。
システム側の担当者が、再度、回復薬を届けにきたとしても、「気力」を回復することだけはできない。そういう仕様になっているからだ。
デスシムのPCには、数え切れないほどのステータスが設定されている。
そのため、似たようなイメージのものが複数存在したりする。
「気力」は、「元気」や「集中力」などと似たようなカテゴリに属するステータスであるが、魔法や薬などにより一時的にでも回復可能な「元気」や「集中力」とは違って、「気力」だけは回復させる外的な手段は無いのだ。
「気力」は、それ以外の様々なステータスの効果に「乗算」により影響を与える。
つまり、「1」以上に高めることができれば普段の自分の限界を越えたパフォーマンスを発揮できるのだが、その代わりに「1」以下へと低下してしまえば全てのステータスが、その数値以下の働きしかしてくれなくなる。
この様に、「気力」は他のステータスとは少し異なった性質を持っている。
それだけでなく、「気力」がある一定の水準を上回っていなければ使えない魔法や技というのが存在し、それらは基本的に威力や効果の高いものばかりだった。
だから、仮に回復薬がここに届いても、「気力」が回復できない以上、今までのような上級の冷却系攻撃魔法などは発動自体が出来なくなってしまうのだ。
そうなれば…もうあの現象と闘うことなど不可能になる。
・・・
だから左端は問うたのだ。
このような消耗の甚大なアプローチが本当に正しいものなのか…と。
他に、もっと効果的な方法があるのではないか?
いや。これ以外に方法が無かったとしても、自分たちの繰り返してきたこの決死の行動が、果たして僅かにでも現象の解消に向けて効果があったのか…と。
もし、全く効果を得られることもなく、ただ、ただ…こんな風に消し炭の様にボロボロになっているだけだったら?
自分たちのやっていることは、何と滑稽なことだろうか。
この危機的現象を、悪意を持って引き起こした黒幕などという存在がいるのかどうかは知らないが、もし、そんな奴がいたら…今頃はきっと自分たちを見て大笑いしていることだろう。無駄な行為を、馬鹿のように繰り返して何がしたいのか?…と。
「…意味は…ある」
クリエイターは、自分の気力を維持するためにも、その声に力を込める。
見ろ…と、危機的現象の方を指さしながら、クリエイターは答える。
「少なくとも、我々の冷却系魔法によって、アレの影響範囲の拡大を押さえることができている。我々がアプローチを繰り返す以前…ブブ君が一人で頑張っていた時は、東への侵攻は止まっていたとはいえ、その影響範囲は半径をゆっくりと…しかし、加速させながら拡大しつつあった。それを止められただけでも、我々の行為の意味は大きい」
・・・
指さされて左端が見た方向には、巨大な乱気流が所々に巨竜のような雷を纏いつかせながら激しく渦巻いている。
彼らは今、現象の中心部から見て南東の方向に位置する高原にいた。
現象の南北へと吹き出すジェットが、コリオリ力…惑星の自転に伴う見かけの力による影響で数百㎞の規模に及ぶ巨大な気流の渦を生み出している。
それに熱による対流や上昇気流などが複雑に絡み合って、近づくことも困難な巨大な乱気流となって猛威を振るっているのだ。
その乱気流を切り裂く様にして、現象の東側へは眩しい程の光が放たれている。
その逆側の西側は極低温に凍り付き、急激に冷却された大気により暗く荒れた天候によって視界が閉ざされている。
東側にも雷は光っているのかもしれないが、眩しい輝きに埋もれてわからず、そのためか西側の荒天側の雷が対照的に多いように感じられた。
左端たちが最初に立っていた場所は、現象の真東に位置する平原であったため、現象の方向に顔を向けることすら苦痛だったが、この南東側からであれば、何とか現象を見渡すことが可能だった。
ビュート・ベルゼが、今も主であるブブを支援しながら待機しているのは、現象の南東側の上空だ。
先ほどまで、左端たちもあの場所を起点としてアプローチを繰り返していた。
あの位置なら、気流の影響も少なく、光の眩しさも苦痛な程ではなかったからだ。
・・・
「あの光は…やはり、少し不自然ですね。指向性がある…というか、まるでランド・ヴィークルの前照灯のようだ」
意味がある…というクリエイターの力説には納得したのか、左端が指さされた現象を見ながら別の疑問を述べる。
「ふむ。言われてみれば…そうだな」
「…しかし、ヴィア君たちが明らかにしたように、あの現象の中心部が『穴』…なのであれば、そのような光のあり方は…説明が付かないのでは?」
「う~ん。あの現象それ自体が説明の難しいものだから何とも言えないが、ただ、あの高熱球が光源だという事実を認めてしまえば、光が前照灯のようになっていることには、説明がつけられないことはないぞ」
「…そうなんですか?」
「あぁ、まず、そもそもアレが西側と東側で全く正反対の温度領域を形成していることは…これはもう理屈はどうあれ認めるしかあるまい。だから光は東を照らす。後は、南北へ吹き出すジェットと、そこから生じる気流と暗雲で南東や南南東方向への光はある程度遮られている…ってことじゃないかな?」
「…では…上空へは?」
「上を見たまえ。我々の頭上にも低く垂れ込める暗雲が広がっているじゃないか。アレが蓋の役目をしてるんだろうさ」
低く垂れ込める暗雲…。何となく、その表現が自分たちの先行きを暗示することばの様で、左端だけでなく、さっきから黙り込んでいるジウの心をも寒からしめた。
・・・
そういう嫌な空気というのは、往々にして現実の危機を呼んでくる。
「クリエイター。どこですか!?…クリエイター…」
この声はソウジのものだ。
ショートメッセージではなく、直接ソウジが現れたということは、よほどの緊急事態が発生したということだろうか?
ジュウソがピル・ケースを届けた場所から移動してしまっていた上、クリエイターたちの全身は消し炭のように焼け煤けて真っ黒だから、ソウジは探すのに苦労したようだ。
「あぁ。居た!いた!…大変です。悠長に休憩している場合じゃございませんよ!」
「むっ…。後方支援のお前たちと違って、我々は直接に身を削るようなアプローチを続けていたんだぞ。悠長に休憩だなんて言い草があるか!…この…」
「わ、わ。ご気分を損なわれたならお詫びを申し上げます。しかし、それは後ほどでご勘弁して戴きたく存じます。こうして無駄話を致しております間にも…」
「まてまて、ソウジ。お前のその無駄に丁寧な話し言葉の方が、まどろっこしいわ。もっと単刀直入に話せ」
「あの。その。あの…えぇと…その…」
「…わかった。いつも通りの話し方で良いから、手短に話せ!」
「げ、現象が…急激に拡大を始めました…」
「ふむ。我々がアプローチを休んでいるからな。ブブ君とジーパン君たちだけでは、押さえ込めない…ということだろうな。それは、承知の上で…それでも、今の我々は休息が必要な状態にあるのだが…見てわからんかね?」
・・・
「は。さ、左様のようで。それは十分に存じ上げております。しかし、それだけではございません。現象の影響としか考えられないのでございますが…主に公海上に広がっていた粗描空間も拡大し…あ、粗描空間というのはですね、現象により描画が粗くなってしまっている…」
「あぁ、分かっているから、くどい説明はいらん…それで?」
「し、失礼いたしました…要するに、沿岸部のタウンの幾つかが…その粗描空間に呑み込まれ…逃げ遅れた一般PCの何人かに…被害が…」
クリエイターは、言葉を失った。
左端が無駄ではなかったのかと不安を感じた、あの現象へのささやかなアプローチは、意味がある…どころの話ではなかったのだ。
あの文字通り身を焦がすアプローチが無ければ、今頃、もっと甚大な被害が出ていたかもしれない…などという慰めを口にする者は居ない。
絶対に出してはいけない…犠牲者を出してしまったのだから。
その被害は、この世界の描画に必要な最低限のリソースが、ついに不足する事態に陥ってしまったということを意味している。
クリエイターたちのアプローチにより、辛うじて現象の拡大を食い止めていたから最悪の事態は避けられていたのだが、彼らが今、疲弊し、休息を取らざるを得ない状況にまで追い詰められたために、現象は拡大してしまった。
その結果、現象はさらに世界を描画するために必要なリソースを大きく占有し、一部の地域を粗描空間へと呑み込んでしまったのだ。
粗描空間…とは、ある意味、あの幽閉用隔離サーバと同じ…【無】の空間らしい。
・・・
粗描空間は、【無】に等しい領域であるため、ぱっと見にはそれとわからない。
しかし、その向こうにあるはずの景色が朧気であったり、まったく存在しなくなり、そのさらに向こう側の景色が遠近感を狂わせたように見える…という気持ちの悪くなりそうな(酔いそうな)見え方をしているらしい。
「で。その犠牲者たちは?…【死】の判定を受けてログアウトしたのかね?」
「…それが…」
「む?…まさか現実の体にまで影響が出てしまったのではあるまいな?」
「いえ。どうなったのか…それ自体が…不明なのです」
「不明?」
「システム側のコンソールから、犠牲者の安否を含む…その領域に関するあらゆる情報が消失してしまっているのです。…今、現実空間の方への確認を急がせていますが、仮想対現実レートが90:1の状態ですから…」
「現実での10分は…こちらでの15時間に相当する…ということか。どれだけ急いで確認しても、真実が判明するのは当分先…だ。仕方ない。ならば、今はそれを追求しても意味はない。それで、一般PCたちの反応は?」
「…小さなタウンで、被害者も少数ですので、まだ、あまり情報は広まっておりません。混乱したPCには、システム側の担当が適当な理由をつけて騒動を押さえております」
クリエイターは腕を組んで、考える。
現象は今も拡大している。だから、一刻も早く、現象へのアプローチを再開しなければならない。
だが、粗描空間を放置しておけば、一般PCたちの間でパニックが起きかねない。
・・・
「…体が複数欲しいよ。全く。もっともアスタロト君じゃあるまいし、体が複数あったところで同時に、それを上手く操れるとは思えないがね。ふぅーーーーーっ」
体を苛立たしげに揺すりながら、クリエイターは大きく息を吐く。
現象の拡大を食い止めるために、今すぐにでもビュート・ベルゼたちの居る地点まで戻る必要がある。
しかし、ソウジたちに一般PCたちへのパニック対策を任せられるほどに、クリエイターは彼らの能力を信頼していなかった。
何らかの指示を出さなければ、現象だけでなく、それ以上の早さで一般PCたちの間に混乱が広がってしまうだろう。
恐怖と絶望による自殺や、パニックによる暴動と殺戮…そのような事態だけは、何としても避けなければならないのだ。
「くっ…。どうする?…どうすれば…くそ。働け、俺の頭脳。こんな時に働かずして、何が天才だ。何が神だ…。こんなだから、母さんの時も、何も出来ずに…」
追い詰められたクリエイター。
自分の呼称が「俺」になっているのが、その証拠だ。
母親を、病とそれを治癒するために投与したナノタブの副作用により失った時の記憶が蘇っているようだ。あの時も、彼の思考は空回りを続けていた…。
駄目なのか…?あの時と同じように、俺は…また、死なせてしまうのか?
…今度は、母さんではなく…この世界を…。
・・・
強く噛みしめた口の端から、血が滲む。
「…取りあえず。俺たちだけでも、先に現象へのアプローチを再開しましょう」
左端が、クリエイターの焦りを少しでも軽減しようと立ち上がる。
しかし、フーの状態はまだ回復にはほど遠く、とても現象へのアプローチに耐えられるとは思えない。おそらく、彼女は今度こそ、生きては帰ってこられないだろう。
それでも、敬愛する左端の背中を見上げて、彼女は重いからだを起こそうとする。
起こそうとして失敗し、崩れるように膝をつく。
歯を食いしばって、もう一度体を起こそうと試みた時…。
そっと…彼女の肩に添えられた手。
「…フーさんは、そこで休んでいて下さい。左端とは、私がチームを組みましょう」
ジウが、彼女を優しく座らせようとする。
しかし、ジウを憎む彼女は、体を揺すってその手を振り払う。
「冗談を言うな・な・ナ。左端様が、アナタなんかと…組むわけが・が・ガ…」
「…いいよ。ジウ。組んでやる。もちろん…今回限りだがな」
「左端なら、そう言ってくれると思いましたよ。昔のように力を合わせましょう」
「ふん。俺は、馴れ合いはしません。足手まといになるようなら蹴り飛ばしますよ?」
・・・
左端のこういう割り切りは、大人のそれだと言えた。
彼が以前、システム側に身を置いていたというのは、このような彼の気質が認められていたからかもしれない。フーは驚いた顔で左端を見上げるが、彼の決定には逆らえない。
左端とジウの二人は、微妙な距離をあけて横に並んだ。
どちらも決して万全ではない。消し炭状態のままで、体もふらついている。
それでも二人は、現象へと向かう。この世界を守るために。
「…すまない。二人とも…」
ソウジの手持ちの回復薬を受け取り、取りあえず、あの場所への転移が可能なだけのMPは補給した二人。クリエイターの礼の言葉を聞き終わらぬうちに、その姿が消える。
袂を分かって久しい旧友は、今、束の間の共闘へと向かったのだ。
「…2人だけでは、どれだけ拡大を食い止められるか不明だが、彼らに期待するしかない。私は私の仕事を果たして…できるだけ早く彼らのもとへ合流しよう…では、取りあえずの指示を出すぞ。ソウジ。聞き漏らすなよ。いいな?」
ジウと左端が、先行して現象の拡大回避へ向かってくれたため、クリエイターの心に僅かだが落ち着きが戻る。
呼吸を整えながら瞑目していた彼は、しばらくして、目を開き指示を始める。
まずは、一般PCにパニックが広がることを防ぐため、応急処置としてその無の空間を疑似3D映像で覆い尽くしてカムフラージュを行うように指示をした。
・・・
・・・
「これはまた、随分と…縮んでしまいましたね」
現象の南東側上空。
ビュート・ベルゼの待つ、その空間への転移を完了し、すかさず落下しないように浮遊魔法を発動した左端とジウ。
彼らの目の前には、乱気流の中に長時間いるにもかかわらず、寸分違わぬ同じ位置をキープしたビュート・ベルゼが仁王立ちで浮遊している。
しかし、位置は変わらないが…その体積は本来の4分の1以下にまで減らしてしまっているようだ。それを見て、ジウが思わず感想を述べたのだ。
<<仕方ない・では・ないか…。我が・主の・サポート・だけでなく・あの・2人の・サポート・まで・しなければ・ならなく・なった・の・だから…>>
ビュート・ベルゼが視線を向けた方向には、ちょうど渦巻く乱気流の雲間を突き抜けて、ジーパンとヴィアのチームが戻って来たところだった。
戻って来た2人も左端やジウと同様に真っ黒い煤のようなものに覆われていたが、彼らが体を揺すると黒い燃えかすのようなものがボロボロと落ちていく。
燃えかすの落ちた後からは、比較的軽傷で済んでいる体が姿を現す。
体こそビュート・ベルゼが文字通り身を削って守ってくれているため軽度の熱傷で済んでいるジーパンとヴィアだが、魔法の消費量は激しく、「気力」のステータスも既に限界近くにまで減らしてしまっており、フラフラの状態だった。
・・・
「お疲れ様です。後、何度ぐらいアプローチできそうですか?」
ジウの問いに、ヴィアが疲れたように答える。
「…何だ?…自分たちは休憩なんか取っておいて、俺たちにはもっと働けってか?…まったくシステム側のお偉いさんは、人使いが荒くてヤダね…」
「申し訳ありません。しかし、新たな情報を入手しまして…。無理を押してでも頑張っていただかざるを得ない状況へと変わってしまったんです」
「何だよ?…今だって相当にヤバイ状況なのに、これ以上にヤバイ状況になったって事なのかよ?」
ジウは、ジーパンとヴィアに一通り状況を説明していく。
ヴィアは表情をおもしろいぐらいに変えながら、「うぉ?」とか「マジカよ?」など賑やかに相槌を打ちながら一言ひとことに反応する。
対照的に、ジーパンは微妙な表情で黙って話を聞いているだけだ。
「どうするよ?…ジーパン。こうしている間にも、いろいろヤバいコトになってて…直ぐにまたアレに潜らなきゃなんねぇみてぇだが…正直、残りのMPやらなんやらの状況からすると…もう、中心部をどうこうするなんて…無理じゃねぇか?」
「うん。ビュート・ベルゼのお陰で、僕らは比較的ダメージが少ないけど…僕らよりも、もう彼の方が限界だろうね」
・・・
ジーパンがビュート・ベルゼの方へと視線を向ける。
ビュート・ベルゼが一人を1度サポートするのに要する体の体積は、およそ12分の1程度だと思われる。肩口から腕を引きちぎる…という大ざっぱな分量計算だが。
ブブたちが現象へと挑んでいる間に若干は回復しているらしいが、ジーパンとヴィアのサポートまでをしなければならなくなったため、全くその回復が追いつかなくなっていた。
しかもビュート・ベルゼは、その体組織をブブたちの防御被膜に用いているのみならず、その被膜状となった体から冷却系魔法を展開し、超高熱からブブやジーパンたちを保護しているのだ。
切り離された体組織ごとに、独立したMPの容量が存在するらしく、そういう意味ではここに残っているビュート・ベルゼのMPは消費されることなく残っている計算になるのだが…体積が4分の1を下回ってしまった今、これまでと同じレベルで3人をサポートしようとすれば、残りの4分の1全てを使い尽くさなければならない…
「さすがに…全部、燃えちまったら…回復は無理だよな?」
ヴィアが、自分の膝の高さぐらいまでの大きさに縮んでしまったビュート・ベルゼを見下ろしながら訊く。
<<うむ・キサマの・状況把握は・正確だ…肯定しよう…その・とおり・だと…>>
自分が完全に消滅してしまう前提の話にもかかわらず、ビュート・ベルゼの答えは淡々としている。やはり、粘菌型のNPCだから、人類とは価値観が違うのだろうか。
・・・
<<気に・するな・必要な・事・なのだ・ろう?…我々は・我らが・主に・とって・益が・ある・ことならば・厭う・ことなく・この身を・提供・しよう…>>
「…って…あっさり言うけどよ?…お前、つまりそれは…【死】んじまう…ってことだぜ?分かってるよな?」
タウンアタックによって「はじまりの町」を壊滅させ、平然とアスタロトやイシュタ・ルーを抹殺しようとするような凶悪な価値観の持ち主であるヴィアだが、さすがにビュート・ベルゼには恩義を感じているのか、その身を案じるように問い返す。
<<ふむ?・キサマの・確認は・理解不能だ。我々は・その・ために・存在・するのだ。…当然の・選択・に対し・貴様の確認は…理解…不能・だ…>>
「…そうかい。…ふぅ。見た目が人型だから、ついつい情が移っちまったが、そう言ゃあ、この旦那は心のないNPCだったな…。ま。そんなら、俺たちも遠慮なく、使い潰させてもらうぜ」
ヴィアの目が普段の冷たいものに戻る。
そして、黙ったままのジーパンの隣に戻り、ビュート・ベルゼに背中を向けて現象の方へと意識を戻す。が…
<<…だが・それが・二度と・再び・主と・会えなく・なる・ことであり…後は・忘れ・去られる・だけ…かと・思えば…少し・寂しくは・あるな…>>
ほとんど独り言に近いトーンで、ビュート・ベルゼが呟く。
・・・
不意打ちで背後から殴られた…そんな顔をして振り返るヴィア。
そして、何故か泣きそうな表情になったヴィアは、彼が心のない…と斬り捨てたNPCに対して、普段なら絶対に言わない言葉を贈る。
「ちっ。何だよ。お前ぇも…やっぱり同じじゃねぇか。仕方ねぇな。そんじゃぁ…俺がお前ぇの事を覚えててやるよ。…ま。俺も、それほど長くは生きられないだろうけどよ…。あのブブって奴にも、絶対ぇに忘れんなって…言い聞かせてやる。だから…」
「…おい。ヴィア。そろそろ行くぞ?」
「あぁ。分かってるよ。…おい。ビュート・ベルゼ。お前ぇの【死】は、絶対ぇに無駄にしねぇ。気合いを入れて行くから、最後のサポートをヨロシク頼むぜ…」
<<承知。…キサマ・との・無駄話の・お陰で・何とか・体積が・25%・以上に・まで・回復した。我らが・主を・含めて・あと・1度・ずつなら・十分に・我らが・務めを・果たせ・よう。安心・して・行って・こい…>>
最後の最後で、ヴィアと何か通じるものを感じ取ったのか、人間型ですらないNPCのビュート・ベルゼは、いつもより少しだけ饒舌だった。
「…ヴィア。僕たちを送り出した後も、アイツは最後に1度だけ主であるブブに会うことができるんだ。その前にあんまり気分をだしちゃ、ブブに悪いだろう?…お前にも何か感じるところがあるみたいだけど…そのぐらいでやめておけよ」
ジーパンは、ヴィアの現実に残してきた体が、いつ【死】を迎えてもおかしく無いほど衰弱しているという事実を知らない。だから、ヴィアは「あぁ…」と曖昧に笑った。
・・・
だが、こうして無駄話という名の…回復のために必要な…休息を取っていた合間にも、危機的現象はその範囲を広げている。
いや。それだけではない。
「…くっ。ここへ来て、熱量までが上昇を始めたか?…ジウ。のんびりしている猶予はありませんよ。我々も行きましょう」
「分かりました。では、左端、まずは私から冷却系魔法を展開します。良いですね?」
「現役のシステム側PCの実力を見せてもらうとしましょう。いつでもどうぞ」
【眠れ!万物の元!…横たわれ究極の静寂!】
【アイス・コフィン・オブ・アブソリュート・ゼロ…】
危機的現象の熱量が急激に上昇を始めたことから、最初から生存可能温度域の確保しやすい魔法を選択せざるを得ないジウ。
【絶対零度氷棺(ぜったいれいどひょうかん!)】
出来るだけ早く中心部へと到達するには、熱量が比較的低い領域では【堕天冥王監獄縛】や【血涙凍結悔恨裂波】のような威力や持続力に優れたものを使って一気に距離を稼ぎたいところだが、既に「気力」が1を下回り各種ステータスが数値どおりの効果を発揮出来なくなっている以上、攻撃魔法としてのダメージを自分たちに与えてしまう【呪】や【縛】の効果が混ざったこれらの魔法は使えない。
今度こそ…帰ってくることは…叶わないかもしれない…。ジウは胸中で覚悟を決める。
・・・
そこへ、入れ替わるようにブブが戻って来る。
熱量が増してきたため、体を揺すってビュート・ベルゼの体組織…の燃えかす…を振り落とした後も、ブブの体は黒く煤けたままだった。熱傷もかなり酷い。
「…おや?…君たち…かなり軍勢を減らしてしまったようだね?」
既に12分の1サイズ…まるで観賞用のフィギュア程度にまで体積を減らしてしまったビュート・ベルゼを見て、フライ・ブブ・ベルゼは驚いたように首を傾げる。
しかし、ビュート・ベルゼは、何も答えずに主であるブブを見つめている。
答えが無いことを気にするような性格ではないブブは、自分のペースで話を進めていく。
「君たちのお陰で、あのタウンの住民はほとんど安全圏にある別のタウンへと移住させることができたよ。皆、住み慣れた場所を捨てたくないみたいで、随分と説得に骨が折れたけどね」
ビュート・ベルゼは、主の1人語りを静かに聞く。
「何故か、急に温度が上昇してきちゃって焦ったけど…あと1回で残りの全員を避難させることができるから…もう一度だけ…サポートをお願いしちゃってもいいかな?」
<<願い・などと…。命じて・いただければ・我らは・それに・従う・のみ…>>
「あはは。そう言ってくれると思ってたけどね。今回、ばかりは我が軍団にも、随分と無理をさせちゃってるみたいでさ。少しだけ、申し訳なく思ってるんだよ?」
<<最後・であれば・我ら・全軍で・お供・致しましょう…>>
・・・
ビュート・ベルゼは、言葉の終わらぬうちに、その全身を使ってフライ・ブブ・ベルゼの体を隅々まで覆っていく。
これで、主従は文字通りに一心同体と化した。
<<主と・共に・生き…主の・為に・【死】す…NPCの・本望・です…>>
さきほどのヴィアとの会話に、多少なりとも感化されたのか、ビュート・ベルゼが自らの決意を口にする。
「はは。馬鹿だなぁ…。死なせたりしないよ?…誰も死なせたりしない…そのために、頑張ってるんだからね。我が軍団の心得を忘れないでくれよね」
真剣に取り合おうとしないブブだが、この不滅のポジティブさが彼の主の持ち味だとビュート・ベルゼは理解している。
既に、ブブを覆う薄い防護皮膜と化してしまっているビュート・ベルゼが、幸せ…という感情を抱いているかどうか…読み取る術は誰にも無いが…
ブブが、これまでジーパンとヴィアとは違い、1人だけで現象の内部へと突入できていたのは、彼の方が2人よりレベルや魔力が高いという理由だけではない。
現象の中心部…つまり、より高温の領域を目指すジーパンたちに対して、ブブは中心部ではなく比較的外縁部に位置するタウンを目指して下降しており、その分だけ熱的な損傷を受けずに済んでいるのだ。
タウンの住人を避難させるために、より長時間潜っている必要はあるのだが…。
・・・
ブブは、タウンまで降りる度に、タウン全体に防御魔法を展開し、その中で住人たちの避難作業を着々と進めていたのだ。MPの残量やビュート・ベルゼの皮膜の損耗状態を見極めて、タウンから離脱する直前に再びタウン全体に防御魔法を展開する。そうすることで自分が戻るまでの間のタウンへの被害を最小限に食い止めるように工夫している。
だから、最後の1度の突入はそれほど困難ではない…そうフライ・ブブ・ベルゼは見込んでいたのだ。
しかし…ほんの僅かな時間の間に、状況は一変していた。
危機的現象の半径が急激に拡大し、超高熱の領域がさらに熱量を増大させてしまったため、タウンへ降りる往路で、既にかなりの熱的ダメージをその身に受けてしまった。
ビュート・ベルゼの必死の冷却系魔法により、何とかフライ・ブブ・ベルゼが危険な状態に陥るまでには至らなかったが…
「ふぅ…。何とかタウンまでは辿り着けたけど…こりゃぁ…帰りは大変だな。でも、あと一頑張りだから…帰りも頼むよ…」
荒い息を吐きながら、ブブはビュート・ベルゼに声をかける。
しかし…
「…?…ビュート?…お~い。応答しておくれ、我が軍団よ~?」
ビュート・ベルゼに反応を返させようと、ブブは手足をバタバタと振ってみる。
…しかし、ブブの体から、ボロボロと黒い燃えかすが…落ちるだけで…返事はない。
・・・
「…ご苦労様だったね。ビュート。我が軍団よ…」
ブブは、数秒の間、胸に手を当てて瞑目する。
だが、涙は流さない。フライ・ブブ・ベルゼとは、そういうキャラクターではない…のだと、ブブは自分のことをそう決めつけて、顔を上げ…そして、前を見る。
フライ・ブブ・ベルゼは、変人と思われるほどに「前向き」でなければならないのだ。
逃げ遅れた最後の1人の住人に、防御魔法を掛けてやって、現象の中心から遠ざかる方向へと冷却系攻撃魔法で弾き飛ばす。
これは大量のMPを消費するし、とても「精神力」を消耗させる高度な技だ。
伊達にTOP19の第3位に選ばれたワケではない、ブブの実力の高さのなせる技だ。
「…さて。さすがに…これは万事休す…なのかな?」
ブブは、疲れ果てて、その場にぺたんと腰を下ろす。
体操座りになって、自分の膝を抱く。まるで、母胎における胎児の様に…。
何かを成し遂げた心地よい疲労感…など、感じるワケがない。
何故なら、彼もまたTOP19の1人である。
誰よりも【死】を忌避する想いが強いことが、TOP19に選ばれる絶対条件だ。
「…死にたくないなぁ。死ぬのは嫌だ。この世界がこの先どうなっていくのか…もっと…もっと見たいのに…」
・・・
しかし、無情にもその呟きとともに、タウンへと掛けられていた防御魔法の効果時間が終わりを迎える。
ずっと食らいつきたかった獲物に、やっとかぶりつける…そんな意志を持っているかのように、防御魔法の効果が消失していく隙間から炎の龍のような熱波が侵入してくる。
【ぐぅぅぅぅううぉぅぉぅおうぅおおおううおおおわあぁぁあぁあ…】
超高熱が、空気を一瞬にして焦がし、タウンの家々からあっと言う間に火の手があがる。
いや。そんな流暢な説明では追いつかないほどに、熱と炎がタウン…だったその領域で暴れ回る。
激しく打ち付けてくる熱波の衝撃で、上なのか下なのかも分からぬ方向へと弾き飛ばされるフライ・ブブ・ベルゼ。
(あの時も…神はこなかった。どれだけ神に祈っても…奇跡は起こらなかった………ならば、悪魔よ。既にお前に預けた魂だけど…もう一度…私の前に………!)
体が熱に蝕まれていく痛みは、一瞬で終わる。
それを幸運と呼んでよいのかは分からないが、つまりは痛覚センサーまでもが焼き尽くされたということなのだろう。
痛み…や、あらゆる感覚から切り離され…思念だけとなったブブは、祈る。
神では無く…彼が選んだキャラクター・タイプと同じ…悪魔に。
・・・
【リカバリユアオールステイタス!】
その時。
美しい、凛とした女性の声が、辛うじて生き残っていたブブの聴覚センサーに響く。
そして、間髪を開けずに流れるような速さで呪文が紡がれる。
【護りて回れ!双子の三角…】
【回りて出会え!二対の双子…】
赤と青、緑と黄色の合計4つの3角形が、くるくると回転しながらブブの周りを飛び交っていく。
【…ドデカグラム・ディフェンス・フォーメーション…】
三角形が二つ重なり2対の六芒星が生まれ、それがさらに重なり複雑な十二芒星へと変化する。三角形の持つ「護り」の意味を4重に重ねて生み出される超強力な魔力の防壁…シェルターと呼べるほどの分厚い護り。
【十二芒絶対壕(アブソリュート・シェルター!)】
第3節目の詠唱と同時に、今まさに炎に食い尽くされんとしていたブブの体から、嘘のように炎が引いていく。直前に掛けられた即席の治癒兼回復魔法のお陰で、各種ステータス値も辛うじてレッドゾーンに留まり、ブブを【死】の危機から遠ざけた。
・・・
それでも、ダメージは大きく、ブブは霞んだ視界でその声の主をぼんやりと見つめる。
黒い…闇色と呼べるほどに美しく黒い…ローブをなびかせて、その声の主は超高熱の領域の中を悠然と浮遊している。
(…あぁ。悪魔…?…いや。あれは女性ですから…魔女ですか………)
その魔女の姿を視界に納め、ブブは何故だか妙に安心してしまい、そのまま気を失う。
魔女は、その様子を見て【十二芒絶対壕】の領域ごと支配して、ゆっくりと上空へと昇っていく。まるで、天へとブブを運ぶように…。
だが、神ならぬ魔女は、ブブを天国などには連れて行かない。
「…間に合ってくれたか。ありがとう。ユノ君」
危機的現象の南東側の暗雲の上空。
満身創痍のフーを伴って、クリエイターがユノを出迎える。
「礼などいらないさ。状況をここまで悪化させてしまったのには、私にも責任があるからね。臆病に逃げ回っていないで…私がもっと早く、出来ることをしていれば…」
ユノは、逆に申し訳なさそうな顔で、フーに向かって頭を下げる。
どう答えて良いのか分からないフーは、力なく首を横に振る。
こんな状況で、逃げない方がおかしいのだ。誰も、ユノを責めることはできない…と。
・・・
ほどなくブブも目を覚まし、自分が助けられたのだということを理解する。
「やぁ。かたじけない。命拾いをしましたよ。感謝、感謝ですねぇ~」
「…すまない。もっと早く私が覚悟を決めていれば、君が、ビュート・ベルゼ君を失わずに済んだというのに。詫びなければならないのは、私の方だ…」
「ははは。済んだことは…悔やんでも仕方ありません。前向きに考えましょう」
「…し、しかし…」
「ユノさんが、ここに来るには、きっと、その覚悟を決める為に時間と切っ掛けが必要不可欠だったんでしょう?…掛けるべき時間を掛けて仕込みをしなければ、美味しい料理は作れません。…ユノさんにとって、その時間は、そういう必要な時間だったんですよ」
ブブは、いつもと同じに、他人には少し共感が得られにくい例え話を持ち出して、頭を下げるユノの方を、ぽん…と軽く叩く。
泣き顔のような…笑い顔のような、そんな曖昧な表情で…しかし、力強くユノは頷いた。
「現象の拡大は加速度的です。ユノ君ほどの使い手が来てくれても、拡大を防げるかどうかは微妙な状況だ。到着して直ぐで申し訳無いが…頼む。取りあえず、この拡大を防ぐために、ユノ君の持つ最大の冷却系魔法を投入して欲しい」
クリエイターの要請に、ユノは緊張した面持ちで頷き、直ちに魔法の準備にとりかかる。
当初、クリエイターは、ユノには極低温側からのアプローチを依頼するつもりだったが、現象の急速な範囲拡大を前に、そんなことを言っている場合ではなくなってしまった。
・・・
【ゲエンナの底闇…永久の凍土…捕らわれし3面の悪魔…】
【嘆け!永久に噛まれし3人の裏切り者…】
【インプリゾンメント・トゥー・ザ・グラヴィティ・シンギュラリティ】
【クライ・アンド・シャウト・ト・ト!ザ・ベトレイヤー】
【堕天冥王監獄縛…】
【血涙凍結悔恨裂波!】
どうやったら、そんなことが可能なのか?
クリエイターでも目を丸くするようなほどの高度な魔法が放たれた。
まるで、もともと一つの魔法であるかのように淀みも切れ目もなく、一息に流れるように並行詠唱される二つの呪文。
ユノは、冷却系最大攻撃力を誇る二つの魔法、【堕天冥王監獄縛】と【血涙凍結悔恨裂波】を同時に…二重詠唱して見せたのだ。
その効果は、加算ではなく乗算ではないか?…と思わせるほどの威力として現れた。
それまで、拡大を続ける一方だった危機的現象が、クリエイターたちが最初に対応を始めた時のラインまで押し返され、規模を縮小する。
「やった!…やっぱり…ユノ君は凄い…ぞ!」
クリエイターが思わず喜びの声を上げる。興奮のあまり、ややキャラクターがブレてしまっているが、それに気づくこともなく飛び跳ねるようにしている。
が…
・・・
全身から血を吹き出して、ユノが気を失ったように仰向けに落下していく。
デスシムでは、効果や威力の大きな魔法ほど、MPの消費が激しい。そして、それだけでなく…各種ステータスへのダメージや、肉体への物理的なフィードバックも甚大な仕様となっているのだ。
「…くっ…ゆ、ユノ君」
自らも傷つき動きが緩慢となってしまっているクリエイターは、落下を始めたユノを追うが、間に合わない。
フーも、ブブも…ここに居る誰もが…既に通常の力を発揮できる状況ではないのだ。
やっと危機的現象に対抗できる戦力を得た。
そう思った直後、その戦力を失うのか…。クリエイターは声にならない絶叫を上げそうになった…
その時。
「わわ…カミちゃん、どうしよう。空から天女様が降ってきたよぅ!?」
「ば、馬鹿…バランスを崩すなよ、ミコト。俺…アタシ…は、アンタほど飛翔魔法が特異じゃないんだからな」
「そ、そんなコト言ってる場合じゃないんだよ!?…そ、そっち支えて…あわわわ…おちおち落ちるるるるるぅぅぅ………う?」
・・・
賑やかな女子二人の声が下方から響き。
「おっと…。危ない。ココは、正義の代行者。私に任せなさい!…って、言っても私も魔法は苦手なので…シンジュ。頼むよ」
「お任せ下さい。お兄様。私は、日頃からお兄様のお世話で鍛えられておりますので、他人をサポートする魔法は得意なのです」
「うぅ。最近、シンジュの言葉が、いちいち耳に痛く感じるのは何故であろうか?」
「うほほい。魔法が苦手な我々は、お互いに肩身が狭うござるな。わはははは」
青黒い肌の兄と、金色の美しい肌を持つ妹に続き、5頭身の小鬼のような男性PCがヘリコプターのプロペラの如く鉄棒を振り回して上昇してくる。
その横では、エビのように「つ」の字に体を曲げて、口から吐き出す光の奔流の噴射を推進力としてまるでロケットのような勢いで巨人が飛んでいる。
「…おぉぉおぉ。ここに来て…援軍か。これは…助かる」
普段は尊大な口調のクリエイターが、さすがに声を震わせながら喜びを口にする。
「いやぁ~間に合ったかな?…我々も…遅ればせながら…参戦するよ」
背後から掛けられた声は、メフィス。その横には何とレイとヴィー…そして四神演義の4人も揃っているではないか。
居ないのは、行方不明のマックス、ジュピテル、ベリアル…そしてアスタロトだけだ。
・・・
そこへ、左端とジウが…最後のトライに失敗して帰還してくる。
熱量が増大してしまったために、中心部にはほど遠い部分で限界を迎え、弾き飛ばされてきたのだ。
ほぼ、同じタイミングでジーパンとヴィアも、弾き飛ばされてくる。
超高熱の輻射圧と、荒れ狂う気流にどちらのチームも翻弄されてしまったようだ。
だが。これで、この場にTOP19のほぼ全員が集結したことになる。
傷を負い、気をうしなっていたユノも、シンジュの回復兼治癒魔法により目を覚ます。
「ははは。はははははは。これほどに、君たちを頼もしいと思ったことはないよ。TOP19なんて制度は、馬鹿げてるって…エムクラックの重役どもから散々に反対されたけれど…押し切って良かった…」
クリエイターは、子どものような笑みを浮かべて笑い…そして、宣言する。
「…もう、現象の中へ突入なんかしなくっても良い。ユノくんが今、手本を見せてくれたとおり、外側からガンガン冷却魔法をぶっ放せばそれで良い。とりあえず、あの現象の拡大を食い止めるんだ!…よし!…ここからが本当の総力戦だぞ!!」
「あは。何だか、お坊さんが、苦戦しているみたいですねぇ…」
景気よく宣言したクリエイターに、ブブがいつもの調子で意味不明の水をさす。
だが、苦笑する全員の表情からは、悲愴な緊張は抜け落ちて…皆、イイ顔をしていた。
・・・
次回、「マックスの心(仮題)」へ続く。