(42) 総力戦…前夜
・・・
ルリミナルのメッセージを伝えて、ユミルリリアンは去って行った。
去って行った…と言っても、クラッキングしていたアスタロトの網膜スクリーンを解放しただけなのだが。
だがアスタロトにとっては、眼前を占有していた青白いモノトーンの美しい女性が消え去ったことに違いはない。
不意に開かれた視界が、まるで夢から覚めた時のような不思議な気持ちにさせる。
だが、それ以上にユミルリリアンが残していったルリミナルのメッセージは、アスタロトの胸に衝撃を残した。
ルリミナルは今、苦しんでいる。
この世界を、現実と遜色ないレベルに描画するために、通常の対人インターフェースを捨てて閉じた描画エンジンと化したルリミナル。
元々は、栗木栄太郎が生み出したクラウド型ナレッジ・データベース・サービス、KaaSシリーズの一つだった彼は、シムネット上に散らばるビッグデータと様々なナレッジ・データを元に、人間以上に人間を理解し、人間以上に人間の理想とする世界を理解した上で、デスシム世界を描画再生していた。
しかし、今、デスシム世界に起こっている危機的現象は、ルリミナルのコントロールする世界の仕様を逸脱して、異なる世界のルールで上書きするに等しいものだ。
・・・
人間にとって、異物に体を蝕まれることが苦痛であるように、それはルリミナルにとっても激痛を伴う苦しみだった。
まるで、ウィルス性の病に冒されるように…。
まるで、アレルゲンを体に取り込み、過剰な免疫反応に苦しむように…。
まるで…人類の永遠の敵…癌細胞に体を蝕まれるように…。
癌…。
ある意味で、今回の危機的現象は、癌の特徴に最も近いかもしれない。
正常な細胞に取り付き、正常な細胞以上に必要な栄養を奪ってしまう。
ルリミナルにとっては、本来は正常な描画のために裂くべき貴重なリソースを、大量に危機的現象に奪われてしまっていることから、まさにそれは癌と呼べるものだった。
…となれば、癌細胞と同様に宿主を【死】に至らしめるより前に、何としてもその癌細胞を取り除かなければならない。
その方法が、外科的な切除であるか、内科的な投薬や免疫細胞の活性化などによる治療であるかは問わないが…。
今、クリエイターたちが現象に対して直接的、かつ物理的に対応しようとしているアプローチは、ある意味、外科的だと言えるだろう。
それには、それで意味がある。だが、しかし…
当の患者本人であるルリミナルが、それだけでは治癒不能であると訴えている。
それも、本来はそれ自体が異物であるはずの姉…ユミルリリアンを通じてまでして。
・・・
「シュラくん?…ねぇ?…大丈夫なの?…目の輝きは消えたみたいだけど…」
「ロトくん!ロトくん!返事をするんだよ!?…また、どっか行っちゃったの?」
ユミルリリアンとの会話が終了し、その目から怪しく放たれていた青白い光が消えた後も、ぼんやりと考え込んでしまっていたアスタロトに、慈雨とイシュタ・ルーが心配そうに呼びかける。
イシュタ・ルーは、ジウの体に入り込んでシステム側の仕事を手伝いに行っていた時のことを思い出して、また、アスタロトがおかしなことになるのではないか…と不安げにアスタロトの腕を揺する。
「…ご。ゴメン。ちょっと、考え事をしていたんだよ」
アスタロトは、慌てて笑顔をつくり、二人を心配させまいと取り繕う。
しかし、彼はすぐに笑みを消して、また考え込んでしまう。
ルリミナルからの依頼は、彼の身に余るとても責任の重い内容だった。
その依頼を果たすことができるのは、彼だけだという。
確かに…経験の多さから言っても…自分が適任なのだろう…とはアスタロト自身も思う。
しかし、多いと言っても…僅かに1回多いだけだ。
でも、倍率でいえば2倍だよね…と、無理やりに自分を鼓舞してみるが…。
【幽閉用隔離サーバ】
アスタロトの受けた依頼を果たすには、彼は再びそこへ潜らなくてはならない。
・・・
あの場所は…嫌だ。
自分が…自分かどうかも分からなくなる…全ての存在が不確かになる【無】の世界。
あそこへ行って、目的を忘れないままに使命を果たすことなど…できるのだろうか?
自分がそこへ行ったのは2度。
1度目は、マボとの領土争奪戦の終了後。
シムネット全体を混乱に陥れた犯人であるアスタロトを、その身ごと隠蔽しようとしてエムクラック社のCOOの一派に閉じ込められた時。
2度目は、たった十数時間前のこと。
メジャーアップデートの適用に際して、TOP19たち全員に対し、本当にその適性があるかどうかを調べる為…という名目で行われた、クリエイターによる試練として。
どちらの時も、自分が【無】へと溶け去ってしまうような、恐ろしい体験だった。
肉体の存在を全く感じ取ることができず、裸にされた「心」が剥き出しで放置されるような感覚。
いや。本当に恐ろしいのは、そういう状態に置かれている…ということすら、その時点では考えることができない…ということ。
全ての恐怖は、そこから抜け出た後に…過去形として確認できるだけだ。
どうやって自分がそこから抜け出せたのか…それすらハッキリとは分からない。
意識して脱出したのではない…という事実が、もう一度同じことが出来るかどうか分からないという不安として重くのしかかる。
アレは、人の「心」を…魂を…送り込んで良い場所では、決してない。
・・・
一つだけ、脱出できた可能性として思い当たるのは、アスタロトが対【天の邪鬼】戦で身につけた深層意識の三重起動という特異な技の存在だ。
あの恐ろしい【無】の空間で、自分を自分として保つには…誰かに自分をしっかりと観測し続けてもらうか…自分で自分を客観的に見つめ続けること…そのいずれかが必須であると…アスタロトは本能的に覚っている。
ブブやヴィアは、あの協議会の特設会議室へ復帰してきた時、確か「誰かに見てもらえたから」…というような意味のことを言っていたような気がする。
左端とベリアルも、自力であの空間から脱出してきたが、彼らは二人で互いを認識し合う事で辛うじて自我を失わずにすんだようだった。
ある意味、アスタロトと一番近いのは第2位のTOP19、フーではないだろうか?
アスタロトに次いで2番目という早さで、あの恐ろしい空間を抜け出てきた彼女は、確証は全くないけれど、アスタロト同様にその体内に複数の思念を共存させているような気がするのだ。
もし、この世界にアスタロトが存在しなければ、ユミルリリアンはフーの元へ依頼に現れたかもしれない。
だが。仮定の話を考え続けていても仕方がない。
事実としてユミルリリアンはアスタロトの所へ来たのだし、ルリミナルも彼にしか自分の依頼を頼める相手はいないと判断したらしいのだ。
「…俺に…できるのか?…」
・・・
思わず呟いてしまった自問。
それは、不安と葛藤の現れなのだが…
「何?…ロトくん?…何ができるの?」
「…いったいどうしたのよ、シュラくん?…お願い一人で妙なこと考えないで!」
イシュタ・ルーと慈雨に、その呟きが聞こえてしまったらしい。
二人に相談しようか?
アスタロトは一瞬そう思いかけたが、言えば二人は間違いなく止めるだろう。
今だって、危機的現象の要請がクリエイターから為されているというのに、ほとんど軟禁に近いほどの強制力で、彼女たち二人はアスタロトの参加を禁止しているのだから。
どう答えよう?…そして、どうやって再び、あの【無】の空間へと潜行しよう?
そう考えている自分に気づいて、アスタロトは戦慄を覚える。
あぁ…自分は、恐怖を感じていながらも、やはり危険な地へ赴くことを選択している。
怖いなら止めればいいのに。怖いなら、逃げればいいのに。
結局、自分はいつも…好んで危険へと身を投じてしまっている。
アスタロトは、自分の深い業のようなものを感じて、身震いする。
(慈雨とイシュタ・ルーが怒るのは、当然だな…)
内心で苦笑しながらも、アスタロトは自分の本性というものを強く意識する。
・・・
「ちわ~っす!…ここに、アスタロトって人が居るって聞いてきたんだけど…」
返事をしないアスタロトに、慈雨とイシュタ・ルーが再度問いかけようとしたその時。
あまり聞き覚えのない女性の声が、会議室の扉の隙間から響く。
ぴょこ…っと、現れた顔は2つ。
一つは快活そうな表情に、意志の強そうな綺麗な目をした女の子。
非常に高価そうな兜を頭からスッポリ被っているので髪型は不明だが、その兜を脱いだとしても、美しい顔立ちであることは間違いない。
もう一つは、対照的に「オドオドした」という形容がぴったりな女の子。
こちらも高価そうな装飾が無数に施された白い魔導師用の頭巾を被っている。
「…いきなり何?…アンタたち…誰?」
「ここは、領主の執務用の会議室なので…一般の方の入室はお断りしていますけど?」
イシュタ・ルーと慈雨の声は冷たい。
訪問者の二人の第一声から、アスタロトを訪ねてきた来客であることは間違いないのだが、自分たちと同じような年頃の女性が、突然、押しかけてくるようなどんな用件があるのか?…と、警戒モードに移行する慈雨とイシュタ・ルー。
「えっと。居るの?…居ないの?…あ。居るジャン。俺…あっと…もとい…アタシはカミ。一応、第19位のTOP19やってます。こっちは、アタシのGOTSSのミコト。アスタロトさんにお礼と、お話があって来ました!」
・・・
慈雨とイシュタ・ルーからオーラのように放たれる険悪なムードをものともせず、元気、かつマイペースに自分の用件を告げるカミ。
逆に、険悪なムードを敏感過ぎるほどに感じ取り、ガクガクブルブルと震えるミコト。
アスタロトは、あまり良く覚えていなかったが、第19位と言えば、協議会ではヴィアたちの隣の席だったハズで、確かにこんな感じの女性2人組が座っていたように思う。
「…あ。確か、協議会の席で会った…よね?…えっと、カミさんと、ミコトさん?…ゴメンね…人の顔とか名前を覚えるの苦手だから、あんまり良く覚えてないんだけど…何かお礼を言われるような事…俺、したっけ?」
その答えを聴いて、カミは大きな感動を覚えた。
全くもって勘違いの、勝手な思い込みに過ぎない感動なのだが…
(…な。何て心の広い殿方なんだ。俺…いや…アタシたちが恐縮しないように、あんな高額なCPがチャージされたウォレットをプレゼントしてくれたことを…忘れたふりをしたりしてくれるなんて。そんなコト、大した事じゃないよ…って、暗黙にそう言ってくれているのね…や、やっぱり…す、素敵な人だ)
…と心の中で歓声を上げている。
一方のミコトは…(あぁ、本当にお金持ちなのね…この人。あの程度のCPは礼を言われるほどじゃないってことか)…と、これまた的外れな感想を思い浮かべた。
せっかくの彼の配慮を台無しにしてはいけない。カミはお礼の話はしないことにした。
・・・
「いえ。意識してらっしゃらないなら良いんです。アタシたちが勝手に感謝しているだけですから。…その…勝手に、この身を賭けて恩を返させていただきますから…」
「…この身…って?」
アスタロトが、またしても余計なところに反応すると、慈雨とイシュタ・ルーから殺気のようなものが立ちのぼる。
その殺気には、さすがにカミも気づいたようで、慌てて話を本題に戻す。
「いえ。こっちの話です。それより、相談というか…お願いがあるんです。まどろっこしいの苦手なんで、単刀直入に言いますね。あの…その…俺と一緒になって下さい!」
顔を真っ赤にして頭を下げ…了解の答えを求めるように右手を握手の形に差し出すカミ。
突然のその申し出に、アスタロトだけでなく、慈雨もイシュタ・ルーも…そしてミコトまでもが一瞬、固まる。
「…か、カミちゃん。何、いきなり本音を爆発させちゃってるの!?…そ、それじゃ、愛の告白してるようにしか聞こえないよ。しかも、付き合ってもいないのに、いきなり結婚?…それも男性からの結婚の申し込みっぽくなっちゃってるよぅ!?」
いち早く、思考の再起動に成功したミコトが、カミにツッコミを入れる。
「たぁ~!!ち、違った。いや。違わないけど。よかったら…ぜひ…じゃ、なかった…あの、ほら、あれです。領主領民契約を…俺…あ…アタシと…交わして下さい…って」
・・・
何とも賑やかな女性だが、自分に対する敵意が無いことだけは理解できて、アスタロトは思わず笑ってしまった。
「あは…。お、面白い子だね。カミちゃんは…」
「あぁぁあ、ありがとうございます。ということで末永くお付き合いのほど…よろしくお願いします!」
「ちょ、ちょっと待ってよ。まだOKしてないよ。どういうこと?…TOP19同士で領主領民契約…なんてできるの?」
緊張して今ひとつ話に要領を得ないカミの言葉に、アスタロトは首を傾げる。
自分たちのライバルになりかねないカミの登場に、面白くない慈雨だったが、アスタロトの疑問には仕方なく答えてくれる。
「…あのね、シュラくん。今度のメジャーアップデートの内容の中に、確かにそういう項目があるのよ。TOP19は競い合うだけでなく、協力し合うこともできるの。例えば、あの『TOP19攻略ガイド』によれば、第1位と第2位とか、あとギルドを結成してる人たちもいるようね。そういう協力関係をシステム上に正式に登録するのが領主領民契約なのよ」
「な、なんかシステム的に登録するだけのメリットが…あるの?」
「えぇ。一般PCとの間で結んだ場合とも同じだけど、互いに互いの安全を守り合うことで平和的に共存するための契約で、システム的に登録すれば一方的な破棄は許されなくなるから、裏切られる心配が減るわね。…それから、召喚オプション…だったかしら、それを付ければ、ピンチの時に互いを召喚し合うことも出来るから…」
・・・
「…お、お役に立てたら、う、嬉しいです!」
緊張した面持ちでカミが言う。
第7位のアスタロトに対して、第19位のカミでは、得られるメリットが釣り合わないような気もするが、今、HPとMPを失った状態のアスタロトにとっては、非常に有り難い申し出であるとも言える。
しかし、馬鹿が付く正直者のアスタロトは、自分がそういう最弱の状態であることを隠した状態で、騙すような契約を結ぶ気にはなれない。
「…でも。正直に言うけど、今の俺。クリエイターにHPとMPを奪われちゃって…君たちを守れるほどに…強くないんだよ?…そんな俺と…契約しても…メリット無いと思うけど…」
「な、なら、なおさら…です!…俺、いや、あ、アタシが命に替えてもアスタロトさんを守りますから…その為にも、召喚オプション付きで契約を結びましょう」
即答だった。
正直に弱さを白状したアスタロトに、カミは躊躇することなく守る…と答える。
慈雨とイシュタ・ルーは複雑な表情を浮かべているが、アスタロトの身の安全を第一に考える彼女たちにとっても、カミの申し出が本当なら、それは魅力的な提案だった。
「…アナタたちを…信じて…良いのかしら?」
アスタロトの代わりに、真剣な表情で問う慈雨に、カミは無言で力強く頷く。
・・・
確かに、彼女たちが攻撃する気なら、こんなやり取りなどせずに、さっさと攻撃すれば良いのだ。
最下位とはいえTOP19である彼女なら、最弱の状態のアスタロトとも闘える実力があるだろうし、その場合、慈雨やイシュタ・ルーが必死に守ったとしても勝てる保証はない。
カミたちが本気ならば、アスタロトを守るためにも、彼女たちの申し出は悪くない。
そういう思いを込めて、慈雨はアスタロトの目を見つめて頷く。
慈雨の許しを得たと理解したアスタロトは、イシュタ・ルーとも視線を合わせ…そして、イシュタ・ルーも、顔を赤らめながら頷く。
嫉妬深いイシュタ・ルーも、アスタロトに見つめられてお願いされると弱いのだ。
GOTOS2人からの了解を得て、アスタロトがカミに承諾の返事をしようとした時。
「わ、我が輩たちも、その、領主領民契約とやらの話、一枚乗らせてくれぬかね?」
扉の外から、マコトとシンジュを引き連れた鬼丸が代表で声を上げる。
どうやらカミとミコトに、アスタロトがこの部屋に居ると教えたのは、鬼丸たちだったようだ。そして、扉の外から、今までの会話を聞いていたのだろう。
「何度も迷惑を掛けてしまった…その罪滅ぼし…というワケでもないですが、私たちも領主殿のお役に立ちたいんです…な、シンジュもそう思うだろ?」
「はい。お兄様。領主、アスタロト様は良き人と存じます…」
・・・
アスタロトは、望外の頼もしい申し出に戸惑いながら、念の為確認する。
「…俺、今、第7位って言うほどに強くないよ?…本当に、それでも良いの?」
アスタロトは馬鹿だ。
先ほどから、今の自分にHPやMPがほとんど無いという情報を簡単に明かしてしまっているが、もし、彼らがアスタロトと敵対する者だったら…それは致命的な情報の漏出であると言えた。
アスタロトを倒すには、ある意味、今がチャンスなのだ。
ここに、ヴィアやジーパンが居れば、嬉々としてアスタロトをその手にかけただろう。
慈雨やイシュタ・ルーが必死になって守るだろうが、その守りをかいくぐって、たった一撃でもアスタロトに届かせることができれば、アスタロトを簡単に葬り去ることができるのだから。
しかし、その馬鹿であることが…幸いにも、彼らの申し出の信頼性を証明する。
そのアスタロトの弱い部分を知った上で、何故か彼らは領主領民契約を結ぼうと申し出てくれているのだ。
「この廊下は狭すぎてネフィリム殿は登ってこれぬが、彼の者も、領主殿との友好を確かなものにしたいと申しております。何、謙遜召されるな。領主殿は今でも決して弱くは無いですぞぃ。先ほどの舞うような体捌きには見惚れました。あの美しき領土争奪戦の時に…既に、我々は、領主殿の闘う姿に惚れてしまっていたんですがのぅ」
・・・
早速、アスタロトは、カミや鬼丸たちと領主領民契約を交わし合った。
コンソールに呼び出したTOP19専用のメニューから、互いの名前をマインド・フォーカシング・カーソルで選択し合うだけで契約は完了する。
その呆気ないほどの簡単な儀式を経て、アスタロトは信頼できる頼もしい仲間を一度に何人も手に入れることができた。
そして、その事が、さっきまで恐怖に怯え、迷っていたアスタロトに、決断させる。
「こんな風に、無償で俺を助けてくれる…頼もしい仲間を得ることができたのに、怖いからって…黙って隠れて、閉じこもって…世界を終わらせるなんて…もったいない」
アスタロトは、ルリミナルの望みどおり、もう一度あの【無】の空間へと潜ることを決意した。
…だが、どうやって?
あの「空間」とすら表現するのがはばかられる…あの【無】の中へ、システム側のPCでもない自分が、どうやれば行けるのか?
過去2度の経験は、いずれもこのデスシムを運営するエムクラック社の重鎮たちの手によるものだ。しかし、彼らに直接問い合わせる…というわけにはいかないだろう。
一番、訊きやすいのはジウだが、単なるシステム側の担当者である彼に、同じことができるのかどうかも分からない。
・・・
それに、今、ジウはクリエイターたちと共に、あの危機的現象に対して必死のアプローチを試みている最中だ。連絡を取ることは難しい。
いや。たとえ連絡が取れたとしても、ユミルリリアンはこの件をクリエイターには知られたくなさそうなことを言っていた。ジウに訊けば、当然、クリエイターにも筒抜けになってしまうだろう。
(…肝心なコトを伝えないで帰っちゃうなんて、あのユミルリリアンっていうKaaSもウッカリ者だよな…。さすが栗木栄太郎製だよ…)
今回の危機を終結させられるかどうかは、自分のこれからの行動にかかっている。
アスタロトは、必死に幽閉用隔離サーバへと侵入する方法を考える。
いっそ、禁を破って「ANZI×ANJI」を暴走させてみようか?
そうすれば、COOとかいう偉いオッサンたちの一派が、また自分をあそこへ閉じこめようとするかもしれない。
…いや。駄目か。あのツールは、使いようによってはシムネット全体を巻き込んでシステムをダウンさせてしまう可能性が高い。
今の弱っているルリミナルが、そんな状況に陥れば、助けるつもりが、逆に引導を渡してしまう可能性がある。
ぐるぐる…と目眩がしそうなほどに考えるアスタロト。
・・・
黙り込む彼を、慈雨やイシュタ・ルーが心配な表情で見守る。
いや。二人だけでなく、彼女たちの背後では、領主領民契約を交わして仲間となったばかりのカミや鬼丸たちも、不思議そうな顔でアスタロトを見守っている。
見守っている…というより、物珍しげに、それぞれ勝手な感想を囁き合っている。
(カミちゃん。なんか…真剣に考えてるよ。あの人)
(しっ。静かにしなさいよ、ミコト。きっと、世界を救う方法を考えているのよ)
(ふむ。いつも、あのようにして奇想天外な閃きを得ているのであろうかの?)
(お兄様…。正義を為すには、あの様な思慮深さも時には必要かと…)
(くぅ…。耳が痛いが…返す言葉がない。シンジュは時折、悪党なみに毒舌だな…)
(…なるほど。何も語らない…というのも、人の心を掴む、一つのテクニックか…)
「「「「「 !? 」」」」」
カミが、ミコトを見る。
それを受けてミコトが、鬼丸に視線を向ける。
鬼丸は、首を傾げて…それから、シンジュの方を見る。
シンジュは、静かに首を横に振って、兄のマコトの方に顔を向ける。
マコトは、自分を指さして…それから、顔の前で「違う、違う」というように手を振る。
「「「「「「 え?…誰?…今の 」」」」」
座敷童でも出たかのように、気味悪そうにカミや鬼丸たちは、互いの顔を見合う。
・・・・
慈雨とイシュタ・ルーは、今も、黙ってアスタロトを見守っている。
この部屋には、その2人を除けば、今新たにアスタロトと領主領民契約を交わしたばかりの5人。①カミ、②ミコト、③鬼丸、④シンジュ、⑤マコト…ネフィリムも領主領民契約を交わした1人だが…廊下が狭いのでここには来られない。
部屋のコーナーに、不意に気配が現れる。
直前まで、見事なまでに気配を断っていたため、まるで忽然と現れたかのようだった。
「…え?…ジウ………さん?」
アスタロトが、驚いたように現れた気配の主に向かって問いかける。
忽然と現れる…そんな芸当ができるのは、システム側のPCしかいないハズだ。
だが、アスタロが…そのジウの名を、思わず疑問形で呼びかけてしまったのは、ジウは今、クリエイターと共に危機的現象の原因究明のために、果敢に中心部へのアプローチを繰り返していると思っていたからだ。
何か、それを中断してまでもアスタロトの所へ来なければいけないような、緊急の用件でもあるのだろうか?
「どうしたの?…ま、真っ黒焦げに…なっちゃって…て。まるで消し炭みたいに…」
問いかけられたそのジウは、疲れたような声で「ちょっと…超高熱の炎に…焼かれてしまいましてね」…と呟きならが、立っているのも辛そうにフラフラとアスタロトの傍まで歩いてきた。そして、そこで力尽きたかのように空いている椅子の一つに腰掛ける。
・・・
アスタロトは、間近な距離に座ったジウの姿を見て、納得する。
なるほど、酷い熱傷が全身に深いダメージを与えている。
クリエイターと共に、危機的現象の超高熱の側から中心部へのアプローチを繰り返した結果がこの熱傷なのだろう。
きっと限界ギリギリまで頑張って、しかし、そのダメージのためにもうこれ以上のアプローチは無理なところにまできてしまったに違い無い。
「だ、だいぶ…頑張ったんだね…だ、大丈夫なの?」
「…ふぅ…。えぇ、頑張りましたよ。こんな酷い状態になるほど…頑張るつもりは無かったんですがね…」
「じゅ、十分に頑張ったんだから…も、もう無理せずに休んだ方が良いよ?」
「…ふぅ。ふぅ…。そうしたいのは山々なんですが。…身の安全を、より確実にするためには…もう2~3の手を打っておかないと…安心できませんからね…まだ【死】にたくありませんから…」
「?…ま、まぁ…そりゃぁ…そうかもしれないけど…」
ジウの口調や、身に纏う雰囲気が…微妙にいつもと違うような…微かな違和感を覚えたアスタロトだが、これだけ酷い熱傷を負っているなら、いつも通りに話す方が難しいだろうと気の毒に思う。
「…貴方こそ…こんな所に閉じこもって…いったい何をしているんです?…私の…いえ…皆さんの安全を確かなものとするには、貴方にも頑張っていただかないと…」
・・・
他ならぬジウから、その事実を指摘されてアスタロトの胸は痛む。
そうだ。俺も頑張らないと…。
ジウに言われるまでもなく、このまま何もせず指をくわえて、世界が崩壊するかもしれない危機を黙って見ているワケにはいかないのだ。
でも、システム側のPCであるジウですらこんなに酷い熱傷を負ってしまうほど、あの現象の間近へと接近することは危険を伴うのだ。
慈雨とイシュタ・ルーに引き留められるまでもなく、今の最弱なアスタロトが、その場所へ行って役立てるとは思えない。
(…あ。そうだ。できれば…クリエイターや皆には内緒で教えて欲しいんだけど…あの…例の幽閉用隔離サーバ…あの中へ…入る方法って…ジウさん知ってる?)
今からアスタロトが訊こうとしていることは、慈雨やイシュタ・ルーに聞こえてしまったら、絶対に反対されてしまうに違い無いので、アスタロトはジウの耳元に口を寄せて、小声で囁いた。
そのジウは、一瞬、何故そんなコトを訊くのか?…という怪訝そうな表情になったが、その後少し黙って考えるような表情に変わり、それからアスタロトと同じように小声で囁き返してきた。
(…何故、そんなことを訊くのか分かりませんが…更迭を逃れたCOOの一派の1人に貴方の情報を流せば、喜んで幽閉用隔離サーバへと送り込んでくれるでしょう…)
・・・
アスタロトは、ユミルリリアンに訊き損ねた幽閉用隔離サーバへの侵入方法を遂に手に入れることができ、拳をグッと握り締めて自分に気合いを入れる。
(…ジウさん。今は…詳しいことは言えないけど、俺をそこへ送り込んでくれたら、あの危機的現象の原因を、クリエイターとは別のアプローチで解消できるかもしれないんだ。できれば、慈雨やルーに覚られないように…俺をそこに送ってくれないかな?)
アスタロトの依頼を耳にして、そのジウは驚いたような表情をする。
しかし、危機的現象を解消できるかもしれない…という説明を話に、そのジウは大きく満足そうに頷く。
(…この世界の崩壊を食い止め、私を…いや私たちを【死】の危機から遠ざけてくれるというのなら…喜んで協力しましょう…私には、システム側だった時のツテで、COOの一派とも連絡を取り合うことができますから…)
ニヤっ…と、真っ黒に煤けた顔でジウが笑う。
とても嬉しそうに、笑う。
「…え?…ジウ…?…じゃない?」
そこで初めてアスタロトは、違和感の正体に気づく。
このジウには…表情がある。
現れた直後の無表情の顔は、確かにジウだと信じて疑わなかったのだが…。
・・・
「ご領主殿。先ほどからその御仁を『ジウ殿』と呼んでおられるようだが、その方は第6位の…ベリアル殿…ではないですかの?…あの協議会の席でお会いした…」
言われたアスタロトは、声の主の鬼丸の方を一度見て…そのジウ…だと思っていた男性PCの方を再度見る。
再び見たその男性PCは、無表情へと戻っており…そうすると…やはりジウにしか見えない…。混乱したアスタロトが、慈雨やイシュタ・ルーに助けを求めるような視線を向けると…厳しい表情をした慈雨と目があった。
「…そ…う…だったのね。それが…アナタの本当の姿だったのね。ゴメンなさい…シュラくん。私は、最初から…その人がジウではない…って気づいていたのだけど。少し…気になることがあって…ちょっと、黙って様子を見させてもらっていたの…」
「あ。そうだよ。ロトくん!!…前にロトくんが自信満々の迷推理を披露した時に、ロトくんの推理は大外れだったけど…確か、慈雨ちゃんはあの時、ジウと慈雨ちゃんが何やらカンやらで繋がっている…とかなんとか言ってたじゃん!…本当のジウかどうかは、慈雨ちゃんなら一発でわかるんだよ!」
そう叫んで、イシュタ・ルーは消し炭のような男性PCを、牙を剥いて威嚇する。
しかし、その男性PC…ベリアルは、やれやれ…と、疲れたように笑い…
「…私は…今、自分がジウだなどとは…一言も口にしていませんでしたよ?…そんな怖い目で睨まないでいただきたいですね…。単に…いちいち訂正するのさえ…億劫な程に、疲弊してしまっているだけです…」
・・・
確かに、ベリアルの言うとおりだ。
彼は、自分を誰だ…とは名乗らなかった。勝手にアスタロトがジウだと勘違いしただけ。
そう弁明して、ベリアルは誠実そうな笑みを浮かべる。
たったそれだけで、不思議とイシュタ・ルーの胸から、不信感や警戒心などのネガティブな感情が抜け落ちていく。
「はやぁ…。そう言えば、そうだねぇ。私たちが勝手に勘違いしただけだったよ。…逆に…ゴメンね。えっと、ベリアルさん」
「いえ。分かっていただければ、それで良いんです。私も直ぐに訂正せずに…申し訳ありませんでした」
もう、鬼丸やマコトも含め、慈雨を除くその場の全員がベリアルのことを肯定的にとらえて温かい目で見つめている。
これだけ酷い熱傷を全身に負っているのだ。
ジウではなかったとしても、ジウと同様に、きっと危機的現象の原因を解くべく、超高熱の領域へのアプローチを果敢に繰り返していたのだろう。
だが、慈雨は…違った。
明確な疑念を持って、ベリアルに問いをぶつける。
「…どういうつもりなの?…私にシュラくんを救うヒントを教えてくれたり、シュラくんを連れて逃げるシナリオに手を貸してくれたのも…アナタだったんでしょ?…私は…システム側の協力者だと思い込んでいたけど…まさか…TOP19だったなんて」
・・・
慈雨の語る意味深な内容に、驚いて振り返るのはアスタロト。
しかし、当のベリアルは全く表情を変えることなく即答する。
「…私は貴方がたに害をなす意図はありません。あの時は、そうしないと…アスタロトさんの思念が危うい状態に置かれる危険がありました。私と…左端は、ご存知かもしれませんが…以前、システム側のPCとして働いていたことがあります。その時のツテで、あの時、アスタロトさんの思念が複雑な状況に陥っていると…知ったが故の行動です」
全く淀みなくスラスラと疑問に答えるベリアル。
とても今思いついた嘘を言っているようには聞こえず、戸惑いながらも慈雨は、その答えを受け入れてしまう。
「…そ、そうなの。た、確かに…ジウから、左端やベリアルという名前のシステム側の協力者が…以前、いたとは…聞いたことがあるけど…。じゃ、じゃぁ…お、お礼を言わなければならないのね…。私は…」
「礼など不要ですよ。この世界にとって、アスタロトさんは希少…いや、希望の光ですからね。貴女に頼まれなくとも、私には救う理由があります。是非、私たちには思いもよらぬ自由な発想で、今回の危機的状況も解決していただきたいものです」
カミや鬼丸、マコトたちには、今の慈雨とベリアルの会話については、耳を傾けてはいたものの…事情が全くわからない。
ただ、ベリアルが自分たちの及び知らない深い所で、このデスシム世界のために献身的な活動をし続けているのだ…そういう印象を受けた。
・・・
だから彼らは、アスタロトに抱く念とはまた違った意味で、ベリアルを尊敬し、信頼できる相手であると感じた。
…そして、慈雨もイシュタ・ルーも、同じ思いでベリアルを眩しそうに見つめる。
ベリアルは、その視線を感じて…薄く笑う。彼の背中をゾクゾクとした快感が走る。
そんな内心を覚られないように、一つ深呼吸をして気持ちを静めると、ベリアルはアスタロトに向かって問いかけた。
「…ということで、アスタロトさん。先ほどの話だと…貴方には何かこの危機的状況を打開する妙案があるようですね?…ならば、私は…貴方を全面的にバックアップしたいと思いますが、何か私にもできることはありますか?」
「そ、そんな傷ついた体で…。ありがとう。俺、ベリアルさんのその好意、絶対に忘れないよ。でも、これ以上は無理をさせられないから…そうだ。俺が必ず、この現象の根本を何とかしてみせるから、他のTOP19の皆にできるだけ現象の被害を少なくするようクリエイターたちの手伝いを依頼して回ってくれないかな?」
「…あの現象を解消しなくても良いから…と、いうことですね?…TOP19は皆、この世界からの【死】によるログアウトを恐れている。命に危険を感じない範囲で…という条件付きでなければ…なかなか良い返事を得るのは難しいでしょう…」
「うん。それで良いよ。どのみち、直接のアプローチだけでは、あれを完全に消すことは無理らしいし…。クリエイターやジウだけじゃ、もう限界だと思うから…」
「分かりました。では、そのために貴方の名を、説得材料として使わせてもらっても良いですか?」
・・・
「俺の名を?…」
ベリアルは黙って頷く。
当初の思惑では、誤解されるままにジウとして、使えそうなTOP19たちを危機的現象の解消のために現場へと送り込むよう画策していたのだが、状況は変わった。
他人の心を掌握するためには、つかなくても良い嘘は極力つかない方が良い。
先ほどは、「自分から、ジウとは名乗っていない」…などという、やや強引な論法によりなんとか疑念の目を向けられるのを避けることができたが、必ずしもその理屈が通用するという保証はない。
しかし、アスタロト本人の了承を取った上で彼の名前を使い、話の内容については、相手の出方を見ながら自分の話術の粋を尽くして臨機応変に作りあげれば、嘘や誤解を用いることなく説得ができる。
自分は、何の躊躇いもなく、残りのTOP19たちの全員を死地に赴かせることができる。
何故なら、あの危険な現象へとTOP19たちを向かわせるのは、自分ではなくアスタロトだということになるのだから。…そうベリアルは考えた。
万が一、不幸にも危機的現象への対処に失敗して…TOP19たちの内の何人かが命を落とすことになったとしても、誰もベリアルを恨んだりはしないだろう。
何故なら、応援要請はアスタロトの名の下に出されるのだから。
彼は、ただ、傷ついた体に鞭を打って、アスタロトからのその要請を、各TOP19に伝えた…献身的なメッセンジャーに過ぎないのだから。
・・・
他人の活躍に自分の身の安全を委ねるというのは何とも心許ないが…ベリアルは、自分が確実に生き残り、そして出来るだけ世界が崩壊する可能性を減らすために、最も有効な手段を選択する。
それを、実現するためには、どんな苦労も…屈辱も厭わない。
悔しいが、現段階では自分よりもアスタロトの方が、他のTOP19たちからの信頼が厚いという事実を、ベリアルは認めている。
ベリアルの要請よりも、アスタロトからの依頼だと伝えた方が、了解を得られる可能性は格段に高まるだろう。
その事実も、アスタロトの名を説得材料として使う理由の一つだ。
いや。屈辱でも何でもない。ベリアルは、誰にも気づかれないように再び笑う。
何故なら、この日の為に彼は、アスタロトの名を様々な手段で有名にしてきたのだから。
システムの裏側に手を回す手段を持っているベリアルには、彼の仕業だと知られることなく「Face Blog ER」の記事を書き換えることができる。
「アスタロト様のご提案により、」という文字列を、片っ端からコピー&ペーストしただけで、もともと注目を集めつつあったアスタロトの名は、一躍「超有名人」の域にまで上がった。
TOP19たちが、マヌケにも…そろいも揃ってアスタロトを意識した発言をした時には、大声を上げて笑いそうになるのを堪えるのが大変だった。
少々、ベリアルの想定よりもアスタロトへの人気が集まり過ぎた気もするが…
・・・
(最後に笑うのは…私だ)
ベリアルは、熱傷が痛んだようなフリをして、自分の体を抱いて体を揺する。
(くっ…くくくく…くく。くはぁっ…)
声を立てず喉の奥だけで笑うのは…本当に体の傷に障るから…ほどほどにしなくては。
ベリアルは、スッと真顔に戻ると、アスタロトに深く体を折って頭を下げる。
「では。事態は一刻を争います。私は、今からすぐに各TOP19の所へと説得に向かいましょう。アスタロトさんも、その無限の発想で、是非、この危機的現象の謎を解き明かしてください…」
そう言い残して…ベリアルは、鬼丸やカミたちの横をすり抜け、会議室から出て行く。
扉の方へ体を向けて見送る面々に、軽く会釈をして…扉を閉める。
ネフィリムのいる階下へとは向かわずに、廊下の逆の奥へと進むベリアル。
廊下の奥の闇へ向かって、ゆっくりと進んで行く。
彼の焼けただれた黒いローブが遂に裂けて、彼の背中が露わになる。
そこには、ベリアルのキャラクター・タイプを示す艶のある闇のように黒い…大きな翼が畳まれている。頭には、先ほどまでは無かったハズの…芸術的な曲線を描く王冠のような角が鈍い光を放って姿を現していた。
やがて…廊下の奥の闇に完全に紛れる…その寸前に、ベリアルの姿は忽然と掻き消えた。
・・・
次回…こそ、「総力戦(仮題)」へ続く。