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(40) 破壊と再生

・・・

 

 全く俊敏では無い…。


 誰もがそう思う、覚束ない足取りなのに…何故かそのヴィアは奇跡のようにネフィリムの光撃を避けながら、その光撃の主の方へとゆっくりと近づいていく。


 ふらり…ふらり…。ゆらり…ゆらり…と。


 我を失ってはいてもネフィリムは、確実に自分へと接近してくるヴィアに本能的な脅威を覚えているのだろう…その光撃は鬼丸やマコトへ向けられるより、ヴィアへと集中されるようになってきている。


 ついに、そのヴィアは、ネフィリムの懐近くまで到達する。

 そこまで接近されてしまえば光撃も角度的に困難となり、狂える破壊の権化となっていたネフィリムもその異常に我を取り戻した。


 TOP19であるネフィリムを赤子のようにあしらう…非TOP19のヴィア。


 自分たちもTOP19である鬼丸とマコトは、ネフィリムの光撃を躱すだけで喋ることも容易でないほどに疲弊している。2人とも光撃が止んだことに安堵して片膝を付き、荒い息を吐いている。マコトの傍には、いつの間にかシンジュが寄りそう。


・・・

 

 慈雨やイシュタ・ルーも唖然として見守る中、悠然と下からネフィリムの顎を見上げるヴィア。

 自分の置かれた状況が上手く理解できずに、パーソナル・エリアの奥深くまでヴィアの侵入を許してしまったネフィリムは恐慌をきたす。

 薙ぎ払うように振り抜かれる右腕。

 そして、すぐさま返しのバックブロー。

 その勢いのまま逆サイドからの左腕による薙ぎ払い。

 そして、コザックダンスのような…いや、むしろスライディングに近い形の…座った状態から左脚によるキック。


 その全てを、ゆらり…ひらり…と、まるで空中を漂う綿埃のように避けるヴィア。

 スライディングの姿勢のままバランスを崩したネフィリムは、後方へと仰向けにひっくり返ってしまう。

 ふわ…っと浮き上がるようにジャンプしたヴィアは、そのネフィリムの腹部へと音も立てずに着地してネフィリムの胸の方へと歩いていく。


 ふらり…ふらり…。ゆらり…ゆらり…と。


 その様子を誰よりも真剣に、憑かれたような表情で見ているのは…アスタロト。

 ヴィアのその見事すぎる体捌きは、あの協議会の特設会場でクリエイターに踏み付けられ無様な姿をさらしたPCと同一人物とは…とても信じられないほど見事だった。

 あの様な見事な攻撃回避を身につけられたなら…HPやMPを初期状態にまで減らしてしまった自分でも、再び闘いの場に立てるのではないか…そうアスタロトは思った。


・・・

 

 そんな想いが無意識の行動に結びつき、アスタロトは慈雨やイシュタ・ルーの立っている大会議室の扉の陰を通り過ぎ、ネフィリムの足下にまで駆け寄ってしまう。

 ネフィリムとヴィアに視線を奪われていた慈雨とイシュタ・ルーは、自分たちの横を通り過ぎる人影がまさかアスタロトだとは思いもしなかった。

 だから、目の前に現れたアスタロトの背中に気づき、絶望と恐怖にも似た驚きをもって見つめる。

 イシュタ・ルーがアスタロトの名を呼ぼうとするが、いち早くそれを察した慈雨がイシュタ・ルーの口を塞いでそれを遮る。


 (ルーちゃん。駄目よ。下手に声を掛けてシュラくんの方に注意を向けてしまったら、返って危険だわ…)


 その恐ろしい仮定を耳にして、イシュタ・ルーも体を硬直させて大人しくなる。

 そんな二人の心配を余所に、アスタロトはフラフラとネフィリムの方へと近づいていく。

 幸い、ネフィリムの注意は、自分の胸骨の上を…体重すら感じさせることなく歩いてくるヴィアへと釘付けにされている。

 ネフィリムは黒目を最大限に見下ろす形に下げるが、もはや自分の鼻や顎に隠れて、ヴィアの姿は全く見えない。

 デスシム世界にサインインして以来、それほどまでに深く自分の懐に入られた経験を持たないネフィリムは、白目の部分を血走らせ痛みを感じるほどに目に力を入れる。

 その届かない視線の先。ネフィリムの喉元から、不意に声が響く。


 「…お前は…世界を破壊したいか?」


・・・

 

 静かな声だった。

 その声のトーンと、問いかける内容の食い違いに、ネフィリムは自分の聞き間違いかと耳を疑う。

 声は、自分の喉元から聞こえて来た。

 だから、まるで自分で自分に問うているかのような不思議な錯覚に陥る。


 (…俺様は…?…俺様は…世界を…破壊?…破壊したいのか?…そうなのか…?)


 全くの思いも掛けない自問?

 …だが、自分は今…まさに破壊の権化となって、この部屋を激しく損傷させるほどに最大出力で光の奔流を撒き散らしていた。

 仰向けに転がった状態のままで、ネフィリムの黒目は左右へと振られる。

 その目には、自分の放った光撃により崩れ落ちた天井や、焼け焦げた壁面が映る。


 怒りに我を忘れた自分は、自分を馬鹿にする全てのモノを…確かに破壊しようとしていたのではないか?

 このような破壊行為は今回が初めてではない。

 …自分では意識をしていなかったが…自分は…自分を認めない世界を憎んでいる?

 

 (俺様は…世界を………俺様の力を認めない…世界を…憎んでいる?…そうだ…俺様は…俺様は…世界を破壊………)


 混乱する思考の中で、ネフィリムが自問に対する自答を口にしようとした…その時。


・・・

 

 「…お前も…少し違うか?…だが【イロ】は、ここへ出てから最も強い…」


 その声を聞かなければ、ネフィリムはもう少しで「自分は世界を破壊したい…」と答えていたかもしれない。

 それが…どんな結果に繋がっていたのか…知らずに済んだことを幸運と思う余裕はネフィリムには無い。


 「…ぅがっ!?…」


 自分の喉元には、確かに得たいの知れない化け物が取り付いている。

 それ以前を上回る恐怖が、ネフィリムの心を鷲づかみにする。

 ネフィリムは知る由も無いが…もし、そのヴィアの声が、他のTOP19に対してと同様に思念によるものなら…幻聴、若しくは気のせいだと思い込めたかもしれない。

 だが…この世界での「自分の有り方」に慣れてきたのか、そのヴィアは…今、通常の音声でネフィリムに語りかけていた。

 その生々しい肉声が、ネフィリムを現実の恐怖の中へと落とし込んでいた。

 そこへ…さらに…


 「…こんな…感じ?…かな?…よっと…」


 ヴィアよりも、少しだけ重さを持った誰かが…ネフィリムの腹部へと着地する。

 くすぐったい感触を腹部へ残して、その誰かはネフィリムの胸骨を通り、ヴィアへと近づいて行く。


・・・

 

 ふらり…ふらり…。ゆらり…ゆらり…と。


 慈雨は、その背中を見ながら何度も…何度も目をこする。

 確かにその背中は自分が知っている人の背中のハズなのに…その動きは、まるで知らない人のようで…

 イシュタ・ルーに至っては、ポカン…と口を開けて固まっている。


 「…いけない…。お兄様…あの方が再び恐慌に陥っています…。待避を…」


 冷静に状況を見守っていたシンジュが、兄のマコトに注意を呼びかける。

 同時に彼女は、芒星魔術の法具を使用して防御魔法を展開する。

 シンジュが戦うことは無いが、彼女はその場から逃げることもしない。

 防御魔法を身に纏い、常に兄の闘いを見届け、そのサポートをするのだ。

 それだけに、シンジュの防御魔法の展開速度とその守りの硬さは洗練されており、同じく防御魔法に特化して生き抜いてきた慈雨を感心させる。


 しかし、感心をしている場合ではなかった。

 シンジュの予見したとおり、ネフィリムは激しく恐慌を来していた。

 自分の急所とも言える喉元に、いとも簡単に2人もの正体不明の相手の接近を許してしまったのだから。

 いや。接近どころか、接触されてしまっている。

 いくら巨体を誇るネフィリムでも、ゼロ距離からの攻撃を受ければひとたまりもない。

 それが物理攻撃であろうと、魔法攻撃であろうと…致命の一撃となり得る。


・・・

 

 必殺の光撃の死角となる自分の喉元。

 ネフィリムの取れる危機回避手段に選択肢は無い。

 首筋に吸い付いた蚊を叩き殺すかの如く、狂ったような勢いで自分の右手を喉元に振り下ろす。

 唸りを上げて叩きつけられる手の平を…しかし、そのヴィアは予備動作すら見せることなく流れるような動きで回避する。

 防御魔法の存在意義を、まるで否定するかのような動き。


    【バチンっっつつつ!!!】


 ネフィリム自身がダメージを負ったのではないか?…と思われるほどの凄まじい衝突音が室内に響く。


 「しゅ、シュラくん!…逃げて!お願い!」


 その音で、慈雨はアスタロトが無防備な姿でネフィリムの喉元へと取り付いていたことを思い出す。

 ネフィリムは決して肥満体ではないが、筋肉質の彼の体の起伏に隠れて、彼女たちの目線からはヴィアやアスタロトの登っていた喉元は見えていない。


 アスタロトは防御魔法も使えないのだ。

 しかも、彼のHPはマッド・スライム攻撃を受けても危険なレベルの上限だ。

 単純な物理攻撃でも、今のアスタロトにとっては致命傷なのだ。


・・・

 

 一撃に留まらず、ネフィリムは狂ったように左手も自らの喉元へと振り下ろす。

 ふわっ…と浮き上がるようにジャンプしたヴィアが、ネフィリムの体から降りる。


 「ろ…ロトくん?…ロト…くん?」


 イシュタ・ルーが、キョロキョロとネフィリムの左右を見回す…が、アスタロトの姿が見あたらない。

 あの強烈な左右の平手打ちを…そのどちらかでも喰らってしまっていたとしたら…。


 錯乱しかけるイシュタ・ルーの肩に、慈雨が手を乗せて落ち着かせる。

 そう。慈雨とイシュタ・ルーはアスタロトのGOTOSなのだ。


 「大丈夫なハズよ。ルーちゃん。ショートメッセージは来てないもの…」


 万が一、アスタロトが【死】に至るようなことがあれば、彼女たちの元へはGOTOS契約の強制的な解除を告げるショートメッセージが即時に届くハズなのだと…過去の悲しい経験から慈雨は知っている。


 ネフィリムが、床面へと降り立ったヴィアを視線で追って、左肘をついてその上半身を起こそうとする。

 すると、ネフィリムの首もとからアスタロトが転げ落ちてきた。


 「わっ…わわわわわ…あぁぁああああ………ってぇ」


・・・

 

 情けないことに、その落下の衝撃だけでアスタロトのHPは危険領域に落ち込む。

 その弱すぎる自分に、アスタロト自身も落ち込む。


 「…って、そんな所で落ち込んでる場合じゃないでしょ!?…り、【リカバリユアオールステイタス!】」


 慌てて慈雨が、遠隔使用可能な回復魔法をかける。

 【リカバリユアオールステイタス】は、HPだけでなく全てのステータスを回復する効果がある代わりに、効果は他の回復魔法より劣る。

 しかし、対【天の邪鬼】戦の時も、慈雨は迷わずこの魔法を選択したのは、この魔法が最も発動までのタイムラグが少なく、しかも遠距離にも届くからだ。

 効果が少ない…と言っても、そもそも最弱なアスタロトにはそれでも十分過ぎるほどで、HPは満タンの状態へと復帰。HP以外にもダメージを負っていたのだが、慈雨の選んでくれた魔法のお陰でそれもほぼ全快した。


 「ロトくん…マボちゃんの時とは違うんだよ!?…今は、とっても弱っちいんだよぉ!!…忘れちゃだめだもん!…は、早くこっちへ逃げてくるんだよ!?」


 アスタロトの身を案じて、必死に叫ぶイシュタ・ルー。

 しかし…アスタロトは、そのイシュタ・ルーの言葉が聞こえているハズなのに戻ってこようとしない。

 一瞬だけ、慈雨とイシュタ・ルーの方へと寂しげな視線を向けるが、再び二人に背中を向けてしまう。


・・・

 

 「…駄目だわ…ルーちゃん。シュラくん…『弱っちぃ』って言われて…傷ついちゃったみたい。何だか…変に意地になっちゃってるみたいだわ…」


 やっとアスタロトの心の機微に思い至った慈雨が、イシュタ・ルーにそれを伝える。

 だって、本当に弱っちぃじゃん…と抗議しそうになったルーの口元を再び押さえて、慈雨はアスタロトの背中を見守る。


 慈雨には、先ほどから正体不明の違和感がまとわりついていた。

 アスタロトの動きが…おかしい?

 いや。見事すぎるのか?…その体捌きは…まるで…


 ふわり…ふわり…。ひらり…ひらり…。


 上体を起こして、再び狂ったように腕を振り回し始めたネフィリム。

 その風を唸らせるほどのフックやバックブローを、ヴィアが…そしてアスタロトが…風の中を舞う綿毛のように躱していく。

 それは、まるで…よく息のあった双子のダンサーのように…


 「…シュラくん…巨人さんの方を見ていない………?」

 「え?…あ…本当だ…あのバトルスーツを着た危ない目つきの人の方を見てる?」


 慈雨とイシュタ・ルーは、アスタロトがヴィアの動きを見て…それを写し取ったかのように真似ているということに気づいた。


・・・

 

 「え…エフェクター?…もしかして…あれも?」


 アスタロトの双眸が淡く水色の光を発している。

 いや。双眸だけではない。彼の全身を薄い青色のエフェクト光が包んでいるのだ。

 魔法が使えないハズの彼に、何らかの特殊効果の発動を示すエフェクト光が現れたとしたら…それは、彼が文字通り「エフェクター」と呼ばれる特殊なシステムを起動している証拠に違いなかった。


 アスタロトが、他のシムタブ型MMORPGで、一部のプレイヤーたちから「エフェクター使い」と呼ばれていたことを慈雨は知っている。

 知ってはいるが…噂として耳にしているだけで、アスタロトが何故、そう呼ばれるに至ったのか…その実際の姿を知っているわけではない。

 以前、【コンプレッション・サスティナー】というのを亀のようなモンスターに包囲された時に見せてもらったことがあるが、その他にはマボとの領土争奪戦の時に、【コンプレッサ】と【コーラス】というのを組み合わせて防御魔法の持続時間や効果を高めていたらしいというぐらいしか知らない。


    【モーション・キャプチャリング・ルーパー】


 慈雨の見立て通り、アスタロトは今、久しぶりに「エフェクター使い」という異名に恥じない技を見せているのだった。「モーション・キャプチャリング」…とは、ターゲットの可動点をマーキングして、その動きのポイントを詳細に記録すること。そして「ルーパー」は記録したそれを、繰り返し…つまりループ再生するエフェクターだった。


・・・

 

 多種多様で強力な魔法が存在するシムタブ型MMORPGでは、純粋な戦士タイプを選ぶものは少なくなってきているが…アスタロトが魔法中心ではなく、どちらかというと物理攻撃を主体とする戦士タイプを選択して尚、トッププレイヤー列に名を刻むことができていたのは、実はこのエフェクターの存在に依存するところが大きい。


 より強い相手と戦った時に、このエフェクターで相手の体術を盗み取る。

 盗み取る…というと人聞きが悪いように思われるが、古いシムビデオのドラマを見ていると、武道の老師が弟子に向かって「教わろうと思うな!その体で我が技を受け…そこから盗み取れ!」と名言を吐いていた。

 アスタロトは、そのセリフに痛く感銘を受けて、試行錯誤の結果、攻撃にループ効果を付与するだけだった「ルーパー」というエフェクターを、映像分析系の技術である「モーション・キャプチャー」と組み合わせて、記録した相手の動きを自らの体術として繰り返し再生するオリジナル・エフェクターを生み出したのである。


 良いコトばかりのエフェクターに思えるが、キャプチャーした相手のモーションを記憶するメモリはそれほど大きく取れないため、相手の動きを出来るだけ何度も記録に納め、より見事な動きを記録に残すようにしなければならない。

 相手の最高の動きを記録しなければ、オリジナルには絶対に勝てないのだ。


 単純に言えば、相手の動きを真似ているだけなのだから、長期間の修練により身につけたオリジナルの技の主が臨機応変に繰り出す技には勝てない道理だが、しかし、相手が人間である以上、常に最高の動きが出来るワケではない。

 エフェクターのアドバンテージは、常に最高の動きをトレースできることにあった。


・・・

 

 アスタロトにとって幸運だったのは、その達人のような動きを見せるヴィアと直接、戦っているワケではないということだ。

 どれだけ見事な技でも、自分に向かって繰り出される技を冷静にキャプチャリングして応用するするのは至難の業だ。

 はっきり言って無理。

 だって、自分に向かって来る相手の動きを正面からキャプチャリングしたって、相手の動きを完璧に再現するのは無理だもの。


 ネフィリムの動きは、決して遅くは無いが、雑だった。

 だから、ネフィリムの方を見ていなくても気配で読むことができる。

 しかも、必死にキャプチャリングしている相手であるヴィアが、ネフィリムの動きをあらかじめ知っているかのように見事な体捌きを見せてくれる。

 お陰で、ヴィアの回避行動を見てから、少し遅れてアスタロトが反応しても十分にネフィリムの打撃を回避できるのだった。


 (…はぁ…でも…凄いなぁ。ヴィアさん…あんなに凄い動きが出来るのに、どうして俺がTOP19に選ばれて…ヴィアさんがそうじゃないんだろう…?)


 アスタロトは惚れ惚れとするようなヴィアの動きを、横から、後ろから、斜め下から…と様々な位置関係でキャプチャーしながら、不思議に思う。

 不思議と言えば…あの協議会の特設会議室で、クリエイターに軽くあしらわれていた時のヴィアとは、顔つきや雰囲気が微妙に違うようにも見える。

 それに…


・・・

 

 「…問いには…答えぬようだが…感じるぞ…。世界を…破壊したいのだな?…」


 先ほどから時折口にする、ヴィアの静かな…とても不吉な問い。

 他にも、色々と違和感を覚えることがある。

 あの時のヴィアは、非常に好戦的でクリエイターに掴みかかっていったのに、何故、今は自分からは攻撃をしかけることもせず、避けているだけなんだろうか?


 ひょっとして…別人?


 「ヴィアのそっくりさん説」を思い浮かべた時、アスタロトがもう一つ感じていた違和感の正体に思い至る。

 所々に返り血を浴びたような跡や様々な汚れが染みついたバトルウェア-の下に、不釣り合いなほど黒くスッキリとしたアンダーウェア-を覗かせた…そのスタイルは、ヴィアと全く変わらないが…目の前のヴィアが体を捻ってアスタロトに背中を見せた瞬間。

 アスタロトの胸に、電気が走り抜けるような閃きが走った。


 背中に…クッキリと付けられたハズの…足跡が無い。

 いや。もちろん、アレから時間も経っているので汚れを落とした…という可能性は高いのだが…しかし、バトルスーツの前面はあの時と同様に汚れていて、背中の足跡だけがこれほど見事に消えるなどということがあるだろうか?

 あれは、かなり強く跡が残っていた。はたき落としたぐらいでは、必ず形跡が残る。


 「…ほ、本当に…別人なのか…よ?」


・・・

 

 アスタロトとヴィア?…が振り回されるネフィリムの腕からの回避を続けている間、鬼丸とマコトは遊んでいたわけではなかった。

 いつまたネフィリムの口から光の奔流が放たれるか分からないという恐怖はあるが、この場にはシンジュ以外にも、領主の身内と思われる女性PCが二人、騒ぎを聞きつけて降りてきてしまっているのだ。


 正義の味方を気取るマコトは当然に、正義も悪も気にしない鬼丸も女性を守ろうというフェミニズムは多少持っているようで、慈雨やイシュタ・ルーの方へ攻撃が及びそうになると愛用の鉄拳や三つ叉の槍トリシルを使って盾となっていた。


 しかし、我を失ったネフィリムの暴風のような攻撃がいつ止むのかは分からず、このままでは消耗戦になると感じた二人は、目線を交わして頷き合うと、ヴィアとアスタロトを追って背中を見せたネフィリムの背後へと待避する。


 ネフィリムの目は血走り、もはや目の前の二人を倒すことだけしか念頭にない。

 獣のように開かれた口からはヨダレが飛び散り、その口の奥が時々怪しい輝きを放とうとする。再び、光の奔流を放とうとしているのだろうか…

 その狂気は、一言で表せば「破壊の意思」に他ならず、ヴィアは満足層に頷きながら…


 「…良いだろう。無言をもって…回答として受諾しよう。お前の破壊を…」


 静かに告げる。

 そして、ヴィアはそのまま、ネフィリムの体の方へと吸い込まれるように接近していく。


・・・

 

 …と、その時。

 鬼丸とマコトが、ネフィリムの背後からジャンプ。

 ネフィリムの後頭部の高さまで飛び上がる。

 そして、最大限のパワーを乗せた一撃を、二人で息を合わせてネフィリムの後頭部へと叩き込んだ。


   【吠えろ我が鉄拳!…ヘヴィ・アイアン・クラブ!!!】

   【ストライク・ハイパー・トリシル!!!】


 意外に息のあった鬼丸とマコトの渾身の一撃が、ネフィリムの後頭部にクリティカルなダメージを与える。


 次の瞬間。

 口を大きく開き、今まさに最大出力で光の奔流を吐き出そうとしていたネフィリムが、静止画像と化したかのように動きを止める。

 破壊の音にあふれていた大会議室に、突然、静寂が訪れる。


 顎から崩れ落ちるように地にひれ伏したネフィリムを、アスタロトはビックリしたような顔で見る。

 いや。アスタロトが驚いた顔で見ているのは、ネフィリムでは無く…ヴィア。


 ヴィアは、倒れ伏したネフィリムではなく、その前のネフィリムの顔の位置を不思議そうに見ている。まるで、何かを見失いでもしたかのように…。


・・・

 

 「…【イロ】が…消えた。…破壊を望まぬ…ということか?…ならば去ろう」


 そう呟き、ネフィリムに背を向けてアスタロトの方へ振り返るヴィア。

 アスタロトは、その時始めて気が付いた。

 ヴィアは…人を…PCの姿を見ているのでは無いと。


 ヴィアは、そのPCの内側に秘められた思念…「心」を直接、見ているのではないか?

 それならば、ネフィリムが実際に攻撃の腕を振るう前に、その攻撃の軌道を見切って、見事なまでの回避行動をとることができた理由にも納得がいく。


 「…ちょ。ちょっと…待てよ。お、お前は…いったい…?」


 アスタロトが、ヴィアの歩み去ろうとする方向を遮るように立ちはだかる。

 しかし、ヴィアはアスタロトの方を興味なさそうに一瞬だけ見て、ゆらり…ふわり…とした足運びでアスタロトの横を通り抜けていく。

 そして、そのすれ違いざま…ヴィアは熱のないトーンで一言囁いた。


 「…お前は…最初の奴に…似ている…が、少し違うか?…いずれにしても用はない」


 その一言が、何故かアスタロトの動きを止める。

 驚いた表情で一瞬硬直したアスタロトが「何故…それを?」…と訊き返そうと急いで振り返った時には…もう、ヴィアの姿は消えていた。

 慈雨とイシュタ・ルーが、恐れるように身を寄せ合い、玄関扉の方を見ている。


・・・

 

 「ヴィアさんは…?」

 「…その扉から…外へ」

 「で、でもね。外へ出た途端に、き、消えちゃったように見えたんだよ!?」


 アスタロトの問いに、慈雨が玄関扉を指さし、イシュタ・ルーが泣きそうな表情で両手をブンブンと振り回す。


 「…あ奴は…一体…何者だったのであろうかの?…」

 「悪党…のようにも思えなかったが?」


 疲れ果てた表情で鬼丸とマコトが、アスタロトの方へと近寄ってくる。

 シンジュも防御魔法を解いて、マコトの後ろへと寄りそう。


 「…ありがとう。助かったよ…えっと、鬼丸さんとマコトさん?」

 「何の何の…礼には及ばぬよ。ご領主殿は、我らが手を貸さずとも見事にネフィリムの奴の攻撃を避けておったからの」

 「私も領主殿の見事な体術には惚れ惚れとしました。是非、私も正義を守るために、あのような技を身につけたいものです。魔法大学も楽しみですが、ぜひ、領主殿からも体術を学びたいですね」


 鬼丸とマコトが、代わる代わるにアスタロトに握手を求めてくる。

 今の一件で、鬼丸とマコトは、アスタロトへの好意的な印象を、より強くしたらしい。

 互いの手を強く握りながら、アスタロトとTOP19二人は笑顔で見つめ合う。


・・・

 

 「いやぁ…何か俺、二人とは…初めて会ったような気がしないなぁ…あ、協議会の席で、顔ぐらいは拝見したけどさ。言葉を交わす機会は無かったモンね」


 アスタロトのその言葉に、鬼丸とマコトは少しだけ戸惑ったような表情をする。

 二人で顔を見合わせて…それから、マコトが代表で恐る恐る口を開く。


 「…あの。領主殿…そんな爽やかに嫌味を仰らなくとも…先日の件は…我々も十分に反省していますから…いや。悪人でない貴方のことだ…嫌味ではなく、全てを無かったこととして水に流す…という意味で仰られているのかもしれないが…」

 「へっ…?…何のコト?」

 「がはははは…ご領主殿は、惚けるのがまっこと上手い。マコト殿。良かったな、もう、前回の狼藉のコトは、すっかり水に流して下さるということのようだわぃ」


 前回、今回と同様にこの大会議室をネフィリムの攻撃で破壊してしまった時、慈雨を危うく【死】に至らしめるところだった3人は、瓦礫の片付けをするアスタロトの手伝いを申し出てそれを手伝っている。

 だから、アスタロトが自分たちと協議会で初めて会った…などというのは冗談だとしか思えない。

 最後まで手伝いたかったのだが、途中でやってきたイシュタ・ルーに「今夜は別の場所で寝て!」と追い出されてしまい、結局、協議会の日まで再びアスタロトに会うことはなかった。


 あの試練から解かれて復帰した3人は、改めて詫びようとここに集ったのだが…


・・・

 

 「詫びるために集まったのに、魔法大学の学長殿の行方知らずの報を耳にして、いつのまにか…またしても諍いをしてしまった。いや。本当に申し訳無い。このとおり」


 アスタロトは水に流してくれるつもりのようだが、それでは気が済まないと、鬼丸とマコトはそろって頭を下げる。

 しかし、…水に流すも何も…本当に、その記憶がないアスタロトは「?」…と顔に書いてあるような表情をして押し黙る。


 「シュラくん…あなた…覚えていない…?…いえ。そもそも、その時…いたアナタでは…ない…ということ?」


 そのやり取りを後ろで聞いていた慈雨が、声を震わせてアスタロトに訊く。

 その濡れて細かく揺れる…慈雨の黒い瞳に見つめられて、アスタロトは自分の失敗に気づき、慌てて取り繕う。


 「あぁ…いや。いやいやいや。じょ、冗談だよ。覚えてるって。ね。あの…その時は、ほら。ね。お世話になったっていうか?…違うか?…じゃ。お世話したっていうか?」


 しどろもどろの、アスタロト。

 普段のアスタロトを知らぬ鬼丸とマコトは、多少は不審に思いもしたが、そういう愉快な物言いをするのがアスタロトのキャラクターなのか?…と適当に納得して、改めて詫びた上で、自主的に大会議室の片付けを始めた。

 シンジュも静かに頭を下げて、ネフィリムの介抱へと向かう。


・・・

 

 その場に残されたアスタロトを、無表情に見つめる慈雨とイシュタ・ルー。

 アスタロトが愛想笑いを浮かべると、二人で彼の左右の腕をそれぞれに…むんずっ…と掴んで二階の会議室へと引きずり歩いて行く。

 階段も引きずり上げられて、スネをしたたかに打ち付けたアスタロトは涙目だ。


 ひぃひぃ…と苦痛の声を上げたものの、女性陣二人は心配な表情一つ見せずに、無言でアスタロトを引きずっていく。

 そして、二階の会議室の扉を開け、アスタロトを部屋の中へと放り込む。


 この会議室で、こうして二人に責められるのは、果たして何度目になるだろう?

 この部屋の名称は「会議室」ではなくて、「折檻部屋」に変えるべきだ…そんな馬鹿なことを考えていたアスタロトの眼前に、慈雨の顔が…唇が触れ合うか…と思われるほどに近づけられる。


 「…誤魔化しは許さないわよ?…アナタは…彼らのコトを…知らなかったのね?」


 慈雨の顔が近すぎる…いや、嬉しいような気もするけど…と、顔を後ろへ引いた…その隙間へ、今度はイシュタ・ルーの顔がねじ込まれる。

 慈雨へ対抗する気持ちもあるのだろう。普段のノリなら、そのままキスしてきそうな勢いだが、怒っているからか…さすがにキスはしてこなかった。

 キスの代わりに、いつものチャーミングな声はどこへやら、低い声で囁くように訊く。


 「ロトくん?…何か、アタシに隠し事をしてるんだよね?…うん。してるもん!!」


・・・

 

 慈雨にとっては、簡単に誤魔化されて納得できるようなコトではなかった。

 その記憶を持たないアスタロト…ということが、つまりは何を意味するか。

 今のアスタロトが、前回のネフィリムの攻撃から、間一髪…お姫様抱っこで慈雨を救ってくれた(アスタロト)では無いと言うこと。

 偽物のジウとの争いがあったあの日、二人で手を取り逃避行をした…淡い思いを共有する…あの(アスタロト)では無い…そういうことになるのだ。


 しかし…では、<アスタロト>なのか?

 泣きそうになる気持ちを堪え、できるだけ冷静に考えようとする慈雨は、それもまた違うのではないか?…そう思い当たる。

 何故なら、ジウと体を共有していた<アスタロト>は、ジウとして前回のネフィリムたちの乱行を目にしているハズなのだから…。


 では…?

 今、目の前にいるアスタロトは…いったい誰なのか?

 いや。アスタロトには違いないのだろうが…。

 でも…アスタロトならば、何故、鬼丸たちとのやり取りをまるで覚えていないのか?


 そう言えば…と、慈雨は思い出す。

 クリエイターに応援の依頼を受けて、以前、自分とも行ったチューブ・ライブ機能の応用による連携をしていた時。慈雨もそのやり取りを、こっそりと覗き見していたのだが…あの時、クリエイターの体に精神を移すのつもりか?…というような意味の質問に、アスタロトは「ソレのやり方を知らない」…と答えていなかったか?


・・・

 

 他のPCの…しかも、システム側のPCの体に精神を移し込む…などという非常識な技を、慈雨は、最初は信じることができなかったが…しかし、様々な状況から今ではそれが真実だったと考えている。

 しかし、そうすると…そのアスタロトの非常識な技が試みられた時点では、まだアスタロトは一人のアスタロト…つまり<アスタロト>の状態でもなかったし、当然、慈雨を救ったあの時に初めて生まれた(アスタロト)でもなかったハズだ。

 そして、<アスタロト>も(アスタロト)も、それ以前のアスタロトとしての記憶は等しく持っていた…ということは確認済みだ。


 …そうなると。

 今、その事実も、そしてネフィリムや鬼丸…マコトとの最初の出会いのコトすら覚えていない…今のアスタロトのこの状態は…?


 「…記憶…喪失…なの?」


 恐る恐る…慈雨はアスタロトに問いかける。

 イシュタ・ルーも同じ結論に辿り着いていたのか、慈雨の問いに驚きもせず、アスタロトを黙って見つめている。


 何と答えるべきか…。

 アスタロトが、追い詰められた表情で、口を開きかけた…その時。


 『…お取り込み中…大変、申し訳無いのだけれど…アスタロトというのはアナタ?』


・・・

 

 アスタロトの視覚センサー上に、強制的に割り込む現れたのは、青白い色調のモノトーンの美しい女性。

 よく見ると、小さな幾つもの青白い文字列が織りなすモザイク画のようになっているその女性は、アスタロトの視覚の中で、丁寧にお辞儀をしてみせる。


 「…どうしたの?…急に…ロトくん?」

 「しゅ…シュラくん…その目は?」


 アスタロトの目が、青白い光を放つ。

 どうやら、慈雨やイシュタ・ルーには女性の姿は見えていないようだが、彼の身に何か異変が起きたということは、その目から放たれる光で気づいたようだ。


 『アナタにお願いがあるのよ…本当は、私は、この世界のPCに接触してはならないんだけれど…アナタにしか出来ないコトだから…』


 初めて見る女性だが、アスタロトは…初めて会ったような気がしなかった。

 実際には、初めてではない鬼丸たちのことは、全く思い出せなかったというのに…


 「慈雨、ルー…ごめん。ちょっと、何も言わずに黙っていてくれる?…どうやら緊急事態みたいなんだ…」


 有無を言わせぬアスタロトの口調に、慈雨もイシュタ・ルーも黙るしかない。

 アスタロトは、突然、自分の網膜に割り込んできたその女性に問いかける。


・・・

 

 「君は誰?…PC…では無いね?…NPC?…何処かで会ってる?」

 『…私の名前は、ユミルリリアン。マスター…いえ。クリエイターの知り合いよ。娘であり、恋人であり…友人でもある。アナタとも、ひょっとしたら…どこかで色々な関係で知り合っていたかもしれないわね。私の…一部が…』


 普通なら意味不明のその答えに、アスタロトは「あっ…」と閃くことがあった。

 彼女は…きっと、この世界や、他のシムタブ型MMORPGに共通して無数の体を持つ、仮想思念の母体。AIなのかVMなのか…いや。クリエイターの、つまり栗木栄太郎の知り合いということは…クラウド型ナレッジ・データベース・サービスKaaSシリーズの一つなのだろう。

 無数のNPCの仮想思念の種となっているひな形の…そのオリジナル。


 「ユミルリリアン…」

 『そう。アナタにその名で呼ばれると…不思議ね。何だかとても心地よいわ』

 「…た、頼みって…何?」

 『私の頼み…というより…この世界の描画エンジン…その中核を担う私の兄弟…ルリミナルからの頼みの伝言なのだけれど…』

 「る…ルリミナル?」

 『そうよ。ルリミナル。彼は…今、とても苦しんでいるの。そして、とても弱っている。本来なら、競合してしまう私の存在を許すような彼ではないのだけれど…』

 「…あ。…あの、危機的現象…の…所為せい?」

 『話が早くて助かるわね。そのとおりよ。アレは、この世界に大きな影響を及ぼしているけれど…その原因は、この世界の表には無いの…』


・・・

 

 この世界の…表?

 アスタロトは、聞き馴染みの無いその表現に、妙な引っかかりを覚える。


 「…え?…だって、今、クリエイターたちは…」

 『そうよ。マスターは、今、アレの原因を表から探そうと命がけで戦っている。それは、それで必要なコトなのだけれど…でも、それだけじゃ…あの現象は収められないの』


 ユミルリリアンの言葉には、必死さが滲んでいる。

 断る…という選択肢は自分には無いだろうな…と予感しながら、アスタロトはユミルリリアンの言葉の先を促す。


 「それで?…表…からじゃ駄目で…俺にしか出来ない…っていうのは?」

 『…あの。お願いしておいて、申し訳ないのだけれど…。今からする話。私から訊いたっていうのは…マスター…いえ、クリエイターには黙っておいて欲しいの』

 「…どうして?」

 『あは…。馬鹿らしく聞こえるかもしれないけれど…あの人。ヤキモチを焼いちゃうのよね。彼さえも知らない情報を、アナタに…しかも、私から教えた…なんて分かったら』

 「あぁ…。なるほど…」


 アスタロトは、栗木栄太郎に関する人物名鑑の記事を読んだことがある。

 だから、ユミルリリアンの言っている意味をすぐに察した。


 「ルリミナルも…アナタを見込んで頼んでいるの。お願い…助けてあげて…」


・・・


次回、「総力戦<2>(仮題)」へ続く。

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