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(36) それぞれが知る己<2>

・・・

 

 ビュート・ベルゼは、NPCだ。


 だから、現実世界に彼のリアルの体は存在しない。

 NPCの中には、PCと同じようにリアルの体を現実に持つ者もいるのだが、ビュート・ベルゼに関して言えば、間違いなくこの仮想世界だけに居場所を持つNPCだ。


 クリエイター風に表現すれば、ビュート・ベルゼはレイヤード・タイプに属する。


 だが、気が付いた時には、フライ・ブブ・ベルゼのGOTSSとして、そのサポートをする役目を負っていたビュート・ベルゼは、NPCにも幾つかのタイプがある…などという知識を持っていない。

 彼が持っている知識は、プレイヤーをサポートするために必要な、システム側から許された範囲のデスシムの仕様に関する知識だけだった。


 彼自身は、自分に心があるか?…と問われても、その問への答えを知らない。

 だが、思考はある。

 思考はあるハズだ…こうして、今、必死にこの危機的事態を乗り切る最善策を考えているのだから。彼のGOTSS…フライ・ブブ・ベルゼのために。


 その思考は、如何にフライ・ブブ・ベルゼを【死】から遠ざけつつ、彼の望みを叶えるか…それだけに特化していた。果たして、これは心と言えるのか?


・・・

 

 ビュート・ベルゼが、これまで一度も考えたことのないような、そんな思考のループにハマっているのは、彼の仮想の【命】が消滅の危機に晒されているからかもしれない。


 実際、既に彼は体の30%以上を失っている。

 そんな状態でも、デスシムの描画エンジンから【死】の状態であるという判定をされないのには、ビュート・ベルゼの特殊なキャラクター・タイプに理由があった。


 ビュート・ベルゼの特殊性。それは、彼のキャラクター・タイプが、「人間型」や「悪魔族」などのような現実の人間の姿をモデルとしていないこと。

 デスシムでは、他に「神族」や「鬼族」、「半獣人型」や「妖精型」といったものがあるが、多少の違いこそあれ、姿形は「人間型」に近いものがほとんどだ。


 しかし、ビュート・ベルゼは、そのいずれでもない。

 「人間型」のような姿もとれるが…彼には、そもそも定まった形すらないのだった。


 【粘菌変形体型賢者】


 それが、ビュート・ベルゼのキャラクター・タイプだ。


 スキル・ジョブ属性が「賢者」となっているのは、彼がブブのプレイをナビゲートするために、システムの仕様などの様々な知識を持っていることによる。

 この属性のお陰で、NPCの中でも希な方に属するのだが、ビュート・ベルゼは魔法をかなりの高度なレベルで使いこなすことが出来る。


・・・

 

 だが、賢者というスキル・ジョブ属性を持つ者は、いくらでもデスシム世界には居る。

 ビュート・ベルゼのキャラクター・タイプを特殊と表現させる理由は、キャラクターの形状や性質を示す前半の属性名「粘菌」及び「変形体」という部分にあるのだ。


 「粘菌」


 あまり名前に馴染みは無いが、実は朽ち木や土壌など至る所に生息する原生生物の一種であり、庭の土を掘り返せば普通にそこにいたりする。

 我々が気づかないだけで、人類よりも遙か以前から、ほぼ現在の姿で存在している。

 名前のとおり菌類と分類されることもある動物的性質と植物的性質を併せ持った不思議な生物だ。


 現実世界においては不思議に思われる生物であるが、しかし、MMORPGのプレイヤーたちにとっては、実はあまり違和感がないかもしれない。

 何故かというと、この「粘菌」が動物的な「変形体」という形態をとった時、その姿や性質は、RPGゲームのモンスターの中で最も馴染みの深い、あの「スライム」にイメージが似ているからである。


 「粘菌」には、複数の核を持つ一つの巨大な細胞質タイプの「真性粘菌」と、人間と同様に複数の細胞が身を寄せ合って一つの生命体のように活動する「細胞性粘菌」の2種類があるが、「変形体」という形態をとるのは「真性粘菌」の方だ。

 つまり、アメーバ状の多数の核をもつ一つの巨大な細胞質。これが「粘菌変形体型」を説明する場合の基本的なイメージとなる。


・・・

 

 もちろん、実際の「粘菌変形体」には、「魔法の使える賢者」…などというものが存在するハズがなく、ビュート・ベルゼのこの特徴は、あのラップと同様にクリエイターから与えられた固有特殊スキルだと解釈したほうが良い。


 それもそのはずで、実は「ビュート・ベルゼ」と既に亡きラップ…こと「ラプラス・オール・ノウン」は、クリエイターが「人間の心」とは何かを探求するために比較生命体として生み出した兄弟的なNPCなのだった。

 もちろん、本人たちは知る由もないが…。


 ラップが、専用の量子演算ユニットを思考ルーチンの一部を担うシステムとして与えられていたように、ビュート・ベルゼにも専用の「粘菌思考コ・プロセッサ」がその思考ルーチンの一部を担うシステムとして与えれていた。


 「粘菌思考コ・プロセッサ」は、量子演算ユニットのような高い演算速度は持っていないのでメインの思考ルーチンにはならないが、複雑な条件下における最適解やそれに次ぐ解を複数一度に得ることができるという優れた特性を持っている。


 だから、今もビュート・ベルゼは、その「粘菌思考コ・プロセッサ」をフル稼働させて、彼の主であるフライ・ブブ・ベルゼの為の最善策を探し続けている。


 その、主に忠誠を尽くす姿は、スライムというより、むしろ20世紀後半に人気のあった超能力少年マンガに記述される、忠実な3つのしもべの一つ、普段は黒豹の姿をとるが、自由に姿を変えることができる側近…という方が、イメージが近いだろう。


・・・

 

   【Warning: 自体積の35%を焼失。防御可能回数減少…】


 ビュート・ベルゼの体の一部で警報信号が発生し、それが全体へと伝えられていく。

 その信号の伝達は、彼の半透明な体の中を、まるで何かが結晶化するときに見られる形質変化が次々と伝播していくかのように、綺麗な螺旋模様を描きながら広がっていく。


 主であるブブと同じように、遠くから見ると全身黒ずくめに見えるビュート・ベルゼは、その体の特性から衣服を全く身につけていない。

 つまり、全裸だ。

 しかし、人間型ではないのだから、十八歳以下の皆さんにも安心してご覧いただけるし、むしろその微かに透き通るスッキリとした体の構造は、ある種の機能美を有していた。


 (…主が、あの無謀な試みを続ける以上、我らは身を削り守り続けるほかない…)


 ビュート・ベルゼの「粘菌思考コ・プロセッサ」は、実は、もうとっくの昔に現状に対処する最適解を提示し続けている。


 --- 可及的速やかに、本危険領域中心から半径5千Km圏外へ離脱 ---


 つまり、とにかく遠くへ逃げろ…ということだ。

 他に幾つか提示される副案も、その離脱すべき距離とその距離に応じて併用する防御魔法の種類が多少違うだけだった。

 どの案も、ブブの領土の一つである小さなタウンについては諦めろ…と言っている。


・・・

 

 そのような解を、主であるブブが受諾するワケがないとビュート・ベルゼは経験的にしっている。

 だから彼は、残念ながら最適解であるハズの「粘菌思考コ・プロセッサ」による解を棄て、彼の胸の奥に宿った正体不明の思念…「心」と呼ばれる曖昧な機構により提示された全く別の案を採用した。

 その「採用」という判断をしているのも「心」であるということに気づくことなく。


 突然、ビュート・ベルゼは、右腕で左の肩口を強く鷲づかみにする。

 そして、次の瞬間、何の躊躇もなく肩口から先の左腕を自らの体から引きちぎる。

 無感動に、その引きちぎった左腕を眺めるビュート・ベルゼ。


 自分の腕だった…ということを全く考慮しない乱暴な扱いで、小さく宙に放り上げ、よりバランス的に持ちやすい肘の辺りへと掴み直す。


 そこへ、偶然…ではなく、ビュート・ベルゼが予測したとおりに、全身を熱で焙られてボロボロになったブブが、現象の放射するエネルギーに煽られて弾き飛ばされるように、ビュート・ベルゼの目の前に飛んでくる。

 その主を、衝撃を殺しながら胸で受け止めるビュート・ベルゼ。

 ブブが首から上だけで振り返り、申し訳なさそうに笑う。


 「ありがとう。君たち軍団のお陰で、まだ、何とか死傷者を出さずにすんでるよ」


 何故かビュート・ベルゼのことを「君たち」と複数形で呼ぶ、ブブ。


・・・

 

 ビュート・ベルゼの胸に体を預けていたブブが、体勢を直そうとして身動きすると、ブブの体から黒い燃えかすのようなものがボロボロと落ちていく。

 すると、ボロボロに見えたブブが、実はほとんど傷を負っていない姿に戻る。


 ビュート・ベルゼは、ブブからの礼の言葉に表情を変えることなく頷き、そして右腕に持っていた引きちぎった左腕…だったもの…をブブの体へと塗りつけていく。

 黒く透き通ったそれは、特に手を掛けることなく、自らブブの体全体を薄い膜のように広がって覆っていく。


 その途中で、ビュート・ベルゼは、両腕で、複雑な手印魔法を結び、ブブの全身を覆った薄い膜に、さらに強力な防御魔法を付与していく。


 両腕で…?


 ブブの全身を黒く透き通った膜が広がっていくのと同時に、ビュート・ベルゼの体にも大きな変化が起きていた。

 引きちぎられて傷を晒していた左の肩口から、幾筋もの触手のような黒く透き通った触手が伸びていき、それが螺旋状に互いを巻き込むように、何本もで撚紐よりひものように構造化したかと思うと、失われていたことが嘘であるかのように元の左腕の形へと戻ったのである。


 だが、気のせいだろうか?…左腕が戻ると同時に、ややビュート・ベルゼの体がよりスリムで小柄になったように見える。


・・・

 

 「さて、では、もう一頑張りしてくるか。それじゃ、君たちも一緒に頑張ろう!…残りの君たちは、その間にできるだけ増殖に専念し、軍団の力を維持してくれ!」


 ブブはそう宣言し、現象が巻き起こす熱と気流の渦の中へと、勢い良く飛び込む。


 その場に残されたビュート・ベルゼは、ブブと共にタウンの防御へと向かったビュート・ベルゼから得られる情報と自らの目に映る情報の両方を処理しながら、主の指示どおり、その場で大気中に含まれる細菌やバクテリアなどの有機質を捕食して、自らの体の増殖に専念する。


 だが、気流に巻き上げられて供給はあるものの、既に彼が大量に捕食し、また眼下の高熱の現象が焼き尽くしてしまうために、このエリアに残存する浮遊有機質だけでは、十分な増殖には足りなくなってきている。

 ビュート・ベルゼは、再び先ほどと同じように無造作に左腕を引きちぎると、それを上空に向かって投げ放つ。

 すると、その左腕は、自然と幾つかの小さな固まりへと分かれて、バラバラに飛び広がっていく。

 小さな黒い固まりが、飛び去る様子は、まるではえの軍団が一斉に飛んでいくようにも見えた。


 「相変わらず、面白い体をしているな…おっと、睨むなよ。私だ。久しぶり…」


 ビュート・ベルゼが突然の声に身構えると、クリエイターとジウが並んで浮遊していた。


・・・

・・・

 

 同時刻。


 北西大樹大陸「妖精都市アルフヘイム」


 領主亭の寝室…


・・・

 

 まるで王宮のハーレムにあるような豪奢なベッドに、ほとんど裸に近い格好で頬杖をついて横たわるのは、TOP19第8位のフレイ・レイヤ。

 愛称は、レイ。


 彼の体の前には、今日も、彼の美しい顔立ちにそっくりな女性が、同じく裸に近い格好で抱かれている。

 彼女の名前は、ユング・ヴィ・リング。

 レイは彼女を、愛情を込めて「ヴィー」と呼ぶ。


 「…なぁに?…どうしたのレイ」

 「愛してるよ…」


 ヴィーの表情が花のようにほころび、そのままレイの胸に顔を埋めて囁き返す。


 「私もよ。レイ」


 窓の外は、真昼以上に光にあふれて眩しいほどだ。

 だが、誰も二人に「真っ昼間っから、何て恥ずかしいセリフを言い合ってるんだ!?」などというような無粋なツッコミを入れることはできない。

 何故なら、どれほど眩しいほどの光に包まれていようと、この地域はもう夜といえる時間帯を迎えているのだから。


 しかも光が差すのは西方向から。1,200㎞ほど離れたあの現象の中心地からなのだ。


・・・

 

 危機的な現象の中心地に極めて近い位置に領土を持ちながら、レイとヴィーは、まるで「そんなコトなど、どうでも良い…」とでもいうように、いつものように二人だけの愛を確かめ合っていた。


 システム側からは、アレがハザード・イベントの一つであるというアナウンスを受けている。TOP19であるレイとそのGOTOSであるヴィーに取っては、この危機への対処によって大量の経験値を獲得するチャンスであるハズなのだが、二人は抱き合うばかりで特に行動を起こそうとはしない。


 二人が経験値に興味がないのは良しとしても、現象からみて東に位置する彼らの領土は、南下から一転して東へと向きを変えた危機的現象の進行方向の直線上に位置し、普通ならば迫り来る危機への恐怖で取り乱していてもおかしくなさそうなものだが…


 「ヴィー。君は、ボクが守るから…」

 「あぁ…レイ…レイ………嬉しい…アイシテル…」


 互いに体を抱きしめ合い、愛の言葉を囁き合うだけだ。

 二人には、領土のことなど僅かたりとも心配ではないらしい。


 ほぼ全裸に近い姿で抱き合う男女ではあるが、残念ながら?…18歳未満の青少年に見せることができないようなシーンが繰り広げられることは決して無い。

 これまでも、そしてこれからも。

 二人が抱きしめ合う理由は、性的な衝動によるものでは無いのだから…。


・・・

 

 彼らが欲しいのは、安心だった。

 何があっても、自分だけは裏切らない。

 この抱きしめる相手だけは自分を傷つけることはない。

 その想いを、その誓いを…常に確かめ合っていたいから、二人は抱きしめ合うのだ。

 何も隠すことができない裸の自分を、互いに晒し、抱きしめ合って確かめ合う。


 二人には、そうしていなければいられない理由わけがあるから。


 レイとヴィーは、現実の世界でも身を寄せ合って生きてきた。

 もちろん、現実世界では裸で常に抱き合っている…などということはできないが。

 そして、とてもソックリな美貌を持つ二人は、現実世界においても非常によく似た容姿を持っていた。

 二人が黙って並んでいたら、誰にも区別がつけられぬほどに同じ顔をしているのだ。


 それもそのはず、彼ら…いや。彼女たちは、一卵性の双生児だ。

 仮想世界では男女の性を分かれて選んだ彼女たちは、しかし、現実では二人とも非常に美しい容姿を持つ16歳の少女なのである。


 つまり、レイとヴィーが仮想世界で抱き合っているのは、ある意味、姉妹の性別をも歪めた許されざる愛であった。

 二人の愛は、現実世界では決して許されず、デスシム世界の中だけでしか叶わない。

 だから、二人は一日でも長く、二人だけの愛の日々を過ごしたいがために、TOP19として選ばれるに至るほど、激しくこの世界での【死】を忌避しているのだ。


・・・

 

 正確に言えば、彼女たちが忌避しているのは、この世界での【死】というよりも、むしろ現実世界で二人が置かれている境遇だった。

 可哀想な彼女たちの名誉を守るために言うが、決して二人は、特殊な性癖が高じて仮想世界で禁断の愛に興じているのではないのだ。


 彼女たち双子は、貧しいが血族名持ちの「親持ち子女」だ。

 普通ならユリカゴス・チルドレンたちよりも何倍も幸せであるはずの「親持ち子女」。

 しかし、「貧しいが…」という修飾語が付いた場合にまで、その普通が保証されるわけではない。

 23世紀を迎えた日本にあっても、貧富の差というのは依然として社会の根底に現実的な問題として横たわっていた。


 いっそ、「最初から」ユリカゴス・チルドレンだった方が幸せだった…。

 二人は、心の底からそう思っている。


 貧困は、人の心を歪める。それは子どもより、むしろ子どもを守るべき大人たちの方に大きく現れるようだった。

 つまり、彼女たちには、両親からの虐待による大きな心の傷があった。

 気まぐれのように振るわれる暴力。言いがかりのような罵倒。

 貧しいのは、むしろ大人たちにこそ責任があると考えるべきなのだが、彼女たちの両親は幾度もの努力が報われることなく絶望し、そして、それを双子の幼い少女たちのせいであると思うようになってしまった。

 子どもなど一人でよかったのに…。いや、いっそ一人も産まなければ良かった…と。


・・・

 

 それでも、双子の少女は、互いに身を寄せ合い、励まし合って耐えていた。

 どう考えても可哀想で不幸な姉妹だったが、双子ならではの感応力で、互いの痛みを分かちあい…共有し合うことが可能だったのが救いであり、孤独に闇と向かい合うよりもずっとマシだと信じて生きていた。


 だが…


 ある日、決定的な事件が…襲う。

 双子の妹の方が、彼女の父親から…性的な虐待を受けてしまうのだ。


 妹の危機を感応力で知った姉は、必死で父親の背中にしがみつき、妹から引き剥がそうとするのだが、腕ではね除けられて壁に後頭部を打ち付け…意識を失ってしまう。

 恐怖で声も出せずにいた妹は、頭を打ち付けた姉のショックを感応力によるフィードバックで受け止め、ようやく悲鳴を上げることに成功する。


 その尋常ならざる悲鳴を聞きつけて駆けつけたのは、母親だった。

 父親から穢されるという悲劇からは辛うじて逃れた妹だったが、一通り父親をなじり終えた母親の次なる矛先は、幼い少女たちに向けられた。


 愛があれば容易に見分けが付くはずの双子の姉妹を、しかし、母親はどちらとも既に見分けられないほどに愛情を枯渇させており、自分の夫を誘惑した…という理不尽な癇癪を、姉妹のいずれに向けて良いのか判断できず、結果として二人に等しく当たり散らした。

 だが、もう少女二人には、母親の怒鳴り散らす声など…少しも心に届かなかった。


・・・

 

 多少の虐待はあっても、両親は自分たちを愛してくれている。

 今、強く当たるのは、全て貧しさが原因なのだ。…そう信じて耐えてきた二人の少女にとって、この事件は、心の耐久力の限界を超えるものだった。


 精神的に大きな傷を負った二人は、見かねた第三者からの通報により両親から離され、特別児童養護システム「ユリカゴスN-16」の保護下に置かれることとなった。

 こうして、二人は念願どおり?…後天性のユリカゴス・チルドレンとなったのだ。


 そうして、二人は末永く幸せに暮らしました。

 めでたし、めでたし…

 …となるようなら、TOP19となるレイとヴィーは生まれなかった。


 別に彼女たちを、それまで以上の不幸が襲った…などということはない。

 だが、妹は性的虐待への心の傷から自暴自棄に陥り、男性的に粗暴に振る舞おうとするようになってしまう。

 しかし、妹の心が本当に男性になることを望んでいるのでは無いなどということは、感応力で繋がっている姉には、考えるまでもなく分かっている。


 だから、双子の姉は、そんな妹に「アナタには女性として幸せになって欲しい」と強く抱きしめて諭し、その替わりに自分が男性として、今後はどんなことがあっても妹を守ると誓ったのだ。

 普通であれば、言葉だけの慰めなど信じられない…と心を閉ざしても仕方がないところだが、双子の姉の心からの想いは、妹へとちゃんと伝わってくれた。


・・・

 

 その誓いを、双子の姉は何としても果たしたかった。

 しかし、現実世界では、性差別は少なくなったとはいえ、未だにアウターセックス(外見的性別)やジェネティックセックス(遺伝学的性別)に縛られた慣習や制度は多い。

 ましてや貧しい姉妹には、アウターセックスに手を加えるほどの財力はなく、結果としてシムタブ型MMORPGの世界へと入り浸るようになる。


 ユリカゴスN-16の養育プログラムの中には、シムタブによるメンタル・ケアのメニューも含まれるのだが、二人はその中でも好んでシムタブ型MMORPGによる幸せな仮想生活の追体験プログラムを選択した。


 だが、一般的なシムタブ型MMORPGは、一定時間のプレイの後、当然、ログアウトして現実世界へと帰還しなければならない。

 どれだけ、仮想の幸せを追体験したとしても、ログアウトによって「それは所詮現実ではないのだ…」と確認させられる二人。

 心の奥に負った深い傷を癒すには、通常のシムタブ型MMORPGでは不十分だった。


 ある日。

 二人は、ついに…ある世界との運命の出会いを果たす。


 何者かにより届けられた小さな錠剤が入った小箱。その小箱…黒い長方形のパッケージには、赤い洒落た書体でゲーム名が記載されている。しかし、そのオシャレさを無意味にする事務的な書体で、注意書きが表示されている。

 公文書用第1書体ミンチョーで記載されているのは、次のような一文だった。


・・・

 

 「注)これはデスゲームではありません。」


 デス・シミュレータ…などという不気味なタイトルに、ユリカゴスN-16の担当官は、あまり良い顔はしなかったが、二人は根気よく懇願してサインインの許可を貰った。


 現実世界を忌避する二人にとって、内部での【死】を迎えないかぎり、ずっと二人だけで支え合って生きていけるデスシム世界は、またとない理想郷に思えたからだ。


 それがたとえ、戦いや絶望に満ちた仮想世界だとしても…。


 姉は誓いのとおり、男性型PCを選び。妹は姉の願いのまま、女性型PCを選んだ。

 二人は、互いに守り支えあい、デスシムのサービス開始当初の混乱を乗り越え、伝説の古代神モードなどという卑怯な技を使い広大な領土を獲得した『暴君』の魔手も退け、『暴君』の手が及ぶ前にある程度の面積の領土も手にすることができた。


 二人には、一卵性双生児ならではの特殊感応力があり、それはデスシム世界においてもレアで有益な固有スキルとして、二人の強さの根源となった。


 こうして、デスシム世界で生き残る二人の間には、いつしか真実の男女のそれと相違の無い愛が芽生え、二人はこの世界の中で婚姻した。


 いつしか、二人の過去を知る者、二人を現実へと引き戻そうとするものは、彼女たちにとっては忌避すべき敵として認識されるようになっていった。


・・・

 

 ログイン・アウトを短く繰り返せる他の普通のシムタブ型MMORPGでは、親族や姉妹を知る者に、過去の傷に触れられたり、性別の秘密を知られたりと干渉される。

 現実を忌避する二人は、できるだけ長くこのデスシムにとどまりたい。そのために、何をしてでも…

 だから、二人は、二人のリアルを知るものを容赦なくたおし、その結果として多くの経験値とそれによる高いレベルを手にいれ…TOP19となるまでに至った。


 もっとも、生きようとする意志の強さ、【死】への絶対的な忌避…を強さの尺度としているであろうTOP19選定システムには、二人のレベル的な強さなどはさほど判断材料となっていないかもしれない。


 とにかく、二人は、現実逃避と指をさされようとも…ここでの生を全うしようという思いが強く、誰よりも【死】を忌避していた。


 だから二人には、ジュピテルのような広大な領土の所有は必要なかった。

 彼らが所有するのは、そこそこの規模のタウンが一つ。

 二人がささやかに愛し合い、生きて行くには、それが十分だった。

 ヘタに二人以外のPCがタウンの運営に関わるよりも、現実世界とは絶対に関わりを持たない…NPCたちを従えるだけで十分だった。


 実は、二人の領土には、ジーパンやヴィアが何度もタウンアタックのために襲来しているのだが、彼女たちはそれを二人の愛(という名の双子ならではの感応力)で、悉く退けてきた。それもまた、彼女たちを強者として成長させた要素であった。


・・・

 

 このような複雑な事情から、二人はハザード・イベントに興味を示さないのだ。

 システム側からのアナウンスがされるまでの間は、現象の発生地点が比較的近い場所であるため、【死】への予感から多少は動揺したが、イベントであると知った瞬間から、彼女たちの現象への感心はかなり小さくなった。


 もし、システム側からのアナウンスより前に、「Face Blog ER」上で噂されていたように、あの現象によりデスシム世界が終わってしまうなどということがあれば、それはなんとしても阻止しなければならない。

 だが、やはり、この世界が終わるなどという荒唐無稽な噂話は間違いだったようだ。

 レイとヴィーは、ほっと胸を撫で下ろし…そして、再び愛を確かめあったのだ。


 レイは、心の中で思った。

 もし、世界が終わるほどの危機的事態があれば、あのアスタロトというPCが黙って見ていることはないだろう。

 様々なアイデアを次々と発案する彼なら、どのような事態にでも何らかの対策を適切に打って、この世界を終わらせることなど許さないと思われる。

 だから、自分たちは、彼が動くような事態になったときに、彼に少しだけ手をかせば良いのだ。

 その思念は、当然のごとくヴィーにも伝わった。だから、彼女は微笑む。


 二人は、ほかのPCには興味がなく、むしろ、自分たちにとっては邪魔でしかないという価値観だった。

 しかし、何故かアスタロトにだけは好意的な印象をもっている。


・・・

 

 なぜなら、驚くようなアイデアを次々と思いつける彼なら、自分たちのような特殊な形の愛でも、何の偏見もなく受け入れてくれそうだと思えるからだ。


 協議会でみたアスタロトは、しかも、二人の好みのタイプだった。

 だから、二人は、無意識にだが、アスタロトも加えた3人で末永く暮らすというのもアリかも?…などと考えてしまい…しかし、その考えは双子ならではの感応力でお互いに伝わってしまい、顔を赤らめ見つめ合う。

 そして、レイの耳元に口を寄せたヴィーは「その時には、アナタも女性に戻っても良いのよ?」と、小さな声で囁く。


 どちらにしても、二人にとっては、謎の現象に無理に対処する意志はない。それで得られる経験値にも興味はないし、そもそも、あれだけの現象に対応できる力が自分たちにあるとは思っていないからだ。


 あのハザード・イベントが、どのような危機なのかも良く分からない。

 自分たちの領土の方を向いてはいるものの、現在はピタリと動きを止めている。

 出来れば、二人の愛の巣である領土は失いたくないが、もしもアレがまた前進を再開したら、レイとヴィーは最悪、この領土を棄てて危険な領域からの脱出を予定している。

 二人が無事なら、それで十分なのだ。


 「もし、その時には…アスタロト君の領土にでも行こうか?」


 レイの言葉に、ヴィーは小さく、しかし、嬉しそうにしっかりと頷いた。


・・・

・・・

 

 所在地及び時刻は不明。


 大規模構造地下空洞の片隅。


・・・

 

 深い深い暗闇の底。

 息を潜めるようにして、膝を抱える男性PCの姿があった。


 魔法の明かりすら灯さずに、闇の中に溶け込むようにジッとしている。

 暗闇の中で、彼の瞳から漏れるコンソール・モニター微かな光だけが怪しく明滅を繰り返していた。


 TOP19…第6位。アル・ベリアル・リアル。


 左端とフーの元を、「領土と領民を守るため…」という理由で辞した彼は、何故か今、この地下空洞の片隅で、ただひたすらに闇と向かい合っていた。


 彼が向かい合っている闇。

 それは…


 (…何故、こんなことになった?)


 彼は、今、自分でも自分のしていることの意味が良く分かっていない。

 こんな場所に隠れるように潜んでいても、何も解決しないと分かっているのに…。


 (くそ…。左端め。脅かすようなコトを言いやがって…)

 (だが、そんな馬鹿なことがあるハズはない。少し前ならともかく、様々な安全機構が用意された今時、多少のバグがあっても…デスゲーム化することなど有り得ない…)


・・・

 

 だが、最初にその可能性を口にしたのは、左端ではない。ベリアルだ。

 何故そんなコトを口走ったのか?


 いつも自分を下に見る、あの忌々しい左端を怯えさせてやろうと思っただけなのだが、あの左端を怯えさせるのは容易ではない。

 その時、ベリアルの脳裏を過ぎったのは、今回の危機的現象が、他のどのようなMMORPGでも目にしたことが無いほどの規模であり、デスシムのサービス開始当初…最も早い時期からプレイして来たベリアルたちにも、目にしたことが無い現象だという事実。

 だからそこに、シムゲユーザーなら誰でも恐れる現象…想定外のバグによるリアル・デスゲーム化…を結びつけて、左端を脅かしてやろうと思ったのだ。


 だが、その言葉が怯えさせたのは、皮肉にも自分自身であった。


 その卓越した能力から、一時期、スカウトされ、システム側のPCとして働いたこともあるベリアル。

 だが、ジウやクリエイターというリアルでもシステム側に属する者たちが、あれ程に慌てた姿を見せるということは、今回の現象が如何に異常な事態であるかを、嫌と言うほどベリアルに思い知らせた。

 さらに、ジウが言っていた現象によるリソースの圧迫。そして、それによる公海上の領域の描画が粗雑となっているという前例の無い症状。

 これらが、幾つも重なって、嫌でも不吉なことを想起してしまうのだ。


 「ほのぼの系MMORPG」の事故は、ベリアルの心にも深く刻みこまれている。


・・・

 

 ベリアルのリアル…


 現実社会におけるベリアルは、誰からも相手にされない、非常に惨めで寂しい生活を送っていた。


 何か特別な事情や理由があって、そうすることを強いられているわけではない。

 見窄らしいルックス…彼は、生まれつき自分の容姿をそう信じて疑わない。

 自分の外見上の欠点を、余りにも負の特徴として意識するあまり、幼少時から、人と接することを極力避けるようになった。


 確かに、彼のルックスは見目麗しい…とは言い難い。

 上中下の三段階評価なら、贔屓目に言っても下の範囲は超えられないだろう。

 しかし、彼が気に病むほどか?…というと、100人集まれば数人は彼と似たようなレベルの者がいるであろう…程度であって、ことさら気に病むようなほどでもない。

 下の上ぐらいの評価は…とくに自己評価であるなら…しても良いのではないか。


 いや。仮に下の下であったとしても、人の醜美の価値観など、時代と地域によって大きく異なるのだ。だから、性格が歪むほどに自分の容姿を卑下する必要など…無い…などというのは、多少はルックスに自信がある者だから言える綺麗事だ。


 ベリアルは、そのような慰めすらも苦痛と感じるほどに、自らの容姿について激しいコンプレックスを抱いていた。

 実際に、その所為で幼少時より何度も、残酷で激しい虐めにあってきたのだから。


・・・

 

 だから、現実世界でベリアルが楽しいなどと感じたことは一度もない。


 醜いからといって、両親から虐待を受けるようなことはなかった。

 遺伝的な繋がりを持つ両親は、彼ほどには残念なルックスでなかったが、やはり彼と同じように容姿を気にしながら隠れるように生きていた。

 しかし、そんな両親からさえも、哀れに思われ、諦めの溜め息をつかれるような毎日は、ベリアルにとって苦痛でしかなかった。


 彼は、下手に自己主張して、自分に他人の目が集まることを極端に恐れた。

 現実世界には、当然、友人と呼べるような者は皆無であり、恋人など永遠に叶わぬ幻の夢であると自分に言い聞かせていた。


 隠れるように惰性で生きる彼は、ある日、彼の人生を変える奇跡と出会う。

 シムタブ型MMORPGの誕生だ。

 自分の姿を、自分の望むようにカスタマイズでき、それでいて全く違和感を覚えることなく一人称の視点で仮想の生活を送ることができる、夢のような技術。

 しかも、行動しだいでは、現実の彼には決して得られることのない他者からの尊敬と羨望の眼差しを受けることができる。

 彼は、あっと言う間にシムタブ型MMORPGにのめり込んでいった。


 だが、その快感が深ければ深いほど、ゲームからログアウトした後の現実世界が、彼には辛く苦しいものとして感じられた。

 だから、デスシムのパッケージを手に取った時、彼が迷わず購入したのは当然だった。


・・・


 親を持たない子どもや虐待を受けた子どもには、ユリカゴスという救いがある。

 しかし、親が有り、虐待も受けていないベリアルには、ユリカゴスの保護はない。

 だから、デスシムこそが、彼に取ってのユリカゴスであると彼は信じた。


 いそいそと準備をし、メディカル・プールへと身を沈めたベリアルに、両親は特になにも言わなかった。

 彼が、どれだけ長時間、そこに浸っていようとも、きっとそっとしておいてくれる。

 それを、悲しいと感じる心は、もうベリアルには残っていない。

 彼は、シムタブの錠剤を服用することで…ある意味…異世界へと転生を遂げたのだ。


 そして、今に至る。

 ベリアルは、様々な魔法と、様々な技術を身につけ、デスシムのプレイヤーの中でも最古参の一人として、人々から尊敬されるようになった。

 彼は、このデスシム世界で、遂に自分の望むべき理想を手に入れたのだ。

 だから、彼は、何があっても【死】を受け入れるわけには行かない。

 どんな手を使ってでも生き延び、どんな手を使ってでも他のプレイヤーから尊敬され、羨望される自分であり続けなければならないのだ。


 この地下大空洞に居れば、地上がどのようになっても生き延びることができる。

 だから彼は、ここで…誰かが現象を何とかするまで隠れているつもりなのだ。

 世界が崩壊するかもしれない…そのどうにもできない可能性が心を締め付けている。


 他力本願で祈るベリアルの脳裏には、何故かアスタロトの姿が浮かんでいた。


・・・

次回、「それぞれが知る己<3>」へ続く…

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