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(35) それぞれが知る己<1>

・・・

 

 ジュピテルは、ほっとしていた。

 もちろん、そんな内心を他人に見せるようなことは絶対にないが。


 パラスが運んできた冷たい水を、ジュピテルは一気に飲み干す。

 慌てて盆を差しだし、グラスを受け取るパラス。

 だからパラスは、ジュピテルが水を飲み干した直後についた、深いため息混じりの声を聞いてしまった。

 そして、普段なら絶対にそんな迂闊なマネはしないのに、常のジュピテルが見せない安堵の溜め息に驚くあまり、不思議そうな顔でジュピテルを見つめてしまう。


 その視線を受けて初めて、ジュピテルは自分が安堵のため息を吐いてしまったことに気づいた。そして、自分が心の底からほっとしているということにも。


 一度盆に戻したはずのグラスを、ジュピテルは忌々しげに再度持ち上げ、それからパラスの足下めがけて投げ捨てる。

 悲鳴をあげるような高い音を響かせて、砕け散るグラス。

 本来、悲鳴をあげるべきパラスは、可愛そうに怯えるあまり声すらだせずに固まっている。


・・・

 

 パラスは、ジュピテルのGOTOSだ。

 彼女がそれを望んだわけでは決してないが、ある日突然失踪した先代のGOTOS…ユノの替わりとして、ジュピテルから命じられるままにGOTOS契約を結んだ。


 拒むことは…できたのかもしれない。

 しかし、その先に待っている…自分や愛する者への…恐ろしい運命を思うと、彼女は黙って従う以外に選択肢を持たなかった。


 「…片づけはいい。下がれ…パラス」


 激しく当たり散らされる…そう覚悟して身を固くしていたパラスだが、ジュピテルは顔を背け、犬でも追い払うかのような仕草で手を振り、パラスを部屋から追い出す。


 無駄な程広い部屋。

 天井は高くドーム状になっており、ジュピテルが横たわるベッドのようなソファーがある位置を最上段として、段々畑のように少しずつ床の高さが下っている。

 奇妙な曲線を描く階段状の床を、迷子の子どものようにパラスは俯いて下って行く。


 やっとドアに辿り着いたパラスは、扉の外に出ると振り返り、いつもの様に怖ずおずと深く腰を折ったお辞儀をして、部屋を退出しようとした。その時…


 「…パラス。すまなかった。お前には何の落ち度も無い。疲れているようだ…少し眠る。悪いが、誰が訪ねてきても断っておいてくれ…」


・・・

 

 パラスの目が驚きに見開かれる。


 気位が異常なほど高いジュピテルが、GOTOSとはいえ下女同然に扱っているパラスに詫びることなど、これまで一度もなかったのだ。

 気の利いた女なら、ここでジュピテルを気遣うような言葉を返したりするのだろうか?…パラスは、口を開きかけたが…しかし、彼女の心の奥底にまで染みついたジュピテルへの恐怖心が、彼女の喉から声を出させようとはしなかった。


 普段は冷たい男から不意に優しくされた…からといって、パラスがジュピテルに恋愛感情を抱くことは無い。

 彼女の愛する人は、遠く離れた別のタウンにおり、ジュピテルの命令に従って領土防衛の任についている。

 彼女は人質であり、その想い人は彼女の身の安全と引き替えにジュピテルに忠誠を誓わされている。それが、ジュピテル帝国と呼ばれる広大な領土の管理手法の一つだった。


 だから、パラスの他にも、この首都的な扱いのタウンには、たくさんの囚われの女性PCたちが半幽閉状態にあった。

 いや。正確には、女性PCだけでなく、少数だが男性PCが囚われの身となっているケースもある。

 例えば、先代のGOTOSだったユノは女性PCだったが、パラスとは異なり決して人質という扱いではなかった。なぜなら…


 ユノの場合、パラスとは逆に、彼女の大切な者を人質に取られていたのだから。


・・・

 

 とにかく…

 パラスの複雑な心情など、ジュピテルは斟酌しない。

 それが常であり、今日までも、そしてこれからもそうであるハズだった。


 何故?

 パラスの心に疑問があふれる。

 何故、そもそも自分が人質にならなければならなかったのか?

 何故、自分がGOTOSに選ばれたのか?

 そして、何故…今日のジュピテルは優しくあろうとするのか?


 彼が自分に男女としての何らかの感情を持っているのかどうか、パラスには分からない。

 多くの女性PCを人質として幽閉しておきながら、自分も含め誰にも性的な義務を負わせようとはしていない…ジュピテル。

 もちろん、嫌がる相手に強制的に手を出そうなどとすれば、ハラスメント対策システムが発動し、最強レベルのガーディアンたちが大量に押し寄せてくることになる。


 だが、囚われの彼女たちにとっても、どこか遠い別のタウンで領土防衛の任についている愛する者たちは人質に等しいのだ。

 ジュピテルの機嫌を損ねれば、ジュピテル親衛隊と呼ばれる特殊部隊が出動し、自分の愛する者がどのような目にあうか…想像することさえも彼女たちには恐ろしかった。

 だから、ジュピテルがそれを彼女たちに仄めかしながら、奉仕することを命じたならば、女性PCたちは悲鳴を上げることもできずに従うしかないだろう。その場合には、ハラスメント対策システムは発動しない。


・・・

 

 しかし、ジュピテルは、ユノが居なくなった以降、この部屋には新たなGOTOSであるパラス以外を呼ぶことはなかった。

 様々な想いを胸に浮かべたものの、パラスは結局、沈黙を保ち深々と頭を下げたままドアを閉じた。


 その閉じられたドアを、ジュピテルはしばらく見つめていたが、やがてソファーに仰向けに寝転がり、頭の後ろで腕を組んで目を閉じた。

 ジュピテルには、自分が普段とは違う振る舞いをしているという自覚はない。


 だが、自分の心が、大きく動揺しているという自覚はあった。

 あのまま、パラスを傍に置いていたら、自分の心の動揺を見透かされるかもしれない。

 それが、パラスを退出させた理由だ。


 ジュピテルが動揺している原因。

 それは、広大な自分の領土のすぐ近傍で発生した、原因不明の超高熱と極低温の危機的現象だった。

 システム側からのアナウンスによると、これはメジャーアップデートの内容に含まれていたハザード・イベントの一つなのだと言う。

 現象の発生からアナウンスまでのタイムラグに、不自然さを感じずにはいられないが…しかし、そのアナウンスの内容にジュピテルは非常に焦らされることになる。


 彼を焦らせた内容とは、TOP19の場合、領土の被害状況や最終的な領民等への指導力などがレベル評価の対象となるというものだ。


・・・

 

 領土の領民たちは、彼がTOP19に選ばれたということを当然知っている。

 つまりは、この危機に彼が自分たちを守ってくれると期待することは避けられない。

 だが。

 ジュピテルには、あの現象がどのようなメカニズムによるものか、そして、どのようにすれば止められるのか…全く見当が付かなかった。

 正直、彼が使用できる最上級の魔法をもってしても、あの現象を止められるとは到底思えない。


 ジュピテル帝国とも表現される広大な領土の運営は、彼の強さへの絶対的な信仰…信仰と呼べるほどの恐怖…によって成り立っていた。

 実際にジュピテルが下々の領民の前で、彼の力を振るうところを見せることはまず無い。

 彼の強さに本当の意味で心酔する親衛隊が、彼の名の下に力を振るうからだ。


 だが、あの凄まじい超高熱と極低温、そしてその温度差により巻き起こされる激しい乱気流…そんなものに、TOP19にすら選ばれなかった親衛隊たちが太刀打ちできるハズがないことは、誰の目にも明らかだった。


 つまり、あの現象がジュピテルの領土内へと侵入してくれば、ジュピテル自身が最前線で直接に防衛しなければならない。

 その場合、彼の進むべき未来は、次の2つのうちいずれかだ。

 一つは、領民の期待通り、力の限りを尽くして現象に抗うも…止められず信頼を失う。

 もう一つは、領民を見殺しにし、彼だけに使える超越的な転移魔法で安全な場所へと待避し…身を隠すか。


・・・

 

 いずれにしても、彼がそれまで築き上げた帝国を…彼は失うことになる。

 幸いにも…現象は彼の領土に達する前に何故か侵攻を停止し、彼の領土や領民に被害が及ぶには至っていない。


 現象の侵攻が停止したと知った時…冒頭で語ったとおり、ジュピテルは…ほっとした。

 領土内に現象が侵入して来さへしなければ、ジュピテルの未来が前記の2つに絞られることはないからだ。


 ジュピテル帝国と呼ばれる現体制を築き上げるまでに、彼は実に内部時間で9か月以上もの歳月を費やしている。

 現実の世界であれば驚異的な早さであると言えるが、強豪ひしめくMMORPGの世界の中では、実に精神力と忍耐力を要する長い道のりだったように感じる。


 一時はデスシムの舞台となっているこの惑星のほぼ全域を領土として手中に収めたジュピテルだったが、アスタロトという新参者のPCが地球サイズだった惑星の表面積を木星並みに定義変更してしまったことで、一瞬にしてその表現は使えなくなってしまった。

 それでも、彼が現在、最大領土の持ち主であることには変わりがなかった。

 惑星の木星大への拡張に伴って面積を増やしたのは、実は公海上がほとんど。

 つまり、領土化可能な陸地面積にはあまり大きな変更が無かったからだ。


 一度現在の領土を失ってしまえば、再びこのデスシム世界で同様の規模の領土を持つことは、時間的な意味でも、面積的な意味でも困難を極めるだろう。

 いや。不可能だと言い切れる。


・・・

 

 今回のような管理手法による領土の拡大と維持は、【死】というものが特別な意味を持つこのデスシムだからこそ可能だったのだ。


 ジュピテルがこのデスシムからログアウトし、他のMMORPGでの覇権を目指すのは簡単だ。しかし、同じ手法で他のプレイヤーたちを恐怖で束縛しようとしても、デスペナルティ覚悟で脱出されるだろう。いや、そのアカウントを捨てて、別のアカウントでサインインし直されてしまうということも考えられる。

 どちらにしても、圧倒的強さによる支配は、一時的効果しか生まない。


 それに、ジュピテルが他のプレイヤーより強さにおいて絶対的優位を保てるかどうかも、他のMMORPGにおいては保証がないのだ。


 今回、このデスシムでは、たまたま…インサイダー情報を入手して…最初の1人目のプレイヤーとしていち早くログインし、「伝説の古代神」モードと呼ばれるシムタブ型MMORPGの描画エンジンの特性を逆手にとった裏技で、他のプレイヤーを圧倒する力を行使できたことで、優越的な立場を手に入れることができたのだ。


 (俺は…この状態を手放したくない…どんな手を使っても生き延びてやる…)


 ジュピテルは、デスシムでのこれまでの軌跡を思い返す度に、その思いを強く心の奥に思い浮かべる。

 そして、この強い想いこそが、彼を第4位のTOP19として選ばれるに至らせている主要な要因であった。


・・・

 

 ジュピテルは、閉じた瞼の裏にコンソールを展開し、領地の外周風景をモニターする。

 北北西の空は、今も怪しく光を放っていた。

 あの現象が発生した直後は、地上に堕ちた太陽の如く直視が難しいほどの輝きを放っていた中心部は、いつの間にかその周囲を分厚く覆うダークグレーの禍々しい雷雲によって光を遮られている。


 光は現象の中心部から東側に向かって、遙か彼方まで空と地上を照らしている。

 あの光は、当初はジュピテルの居城に向かって進んでくるかと思われたが、徐々に東へと進路を変え、そして、今は東を向いたまま侵攻を止めているのだ。

 だから、あの光が東の方に向いている限りは、当面、ジュピテルの領土へ侵入してくることはないだろう。それを確認して、ジュピテルは再び胸を撫で下ろした。


 (こんな姿は…誰にも見せられない…)

 (何か…何か…確実にアレを回避する策を考えなければ)

 (くそっ…ユノの奴め。アイツが出て行って以来…ろくな事がない…)


 弱気に胸を撫で下ろす自分を自覚する度に、口の中に苦い味が広がるような気がして、ジュピテルは、水で口を濯ぎたくなり、目を開ける。


 「パラス…水を…」


 そう言いかけて、口をつぐむ。彼女はいない。さっき自分が退室を命じたのだから。

 ジュピテルは、水の代わりに言葉を呑み込むと、再び目を閉じて孤独を噛みしめた。


・・・

・・・

 

 「ねぇねぇ!…カミちゃん。大変だよ。ハザード・イベント開催中だって!…どうしよう?…ひょっとしたら経験値を大量に稼ぐチャンスかもだよ!?」


 買ったばかりの新しい白鎧のパーツを、一人ファッションショーのように身につけたり外したりしているカミに、「Face Blog ER」を確認し終えたミコトが呼びかける。


 「…うふふ。やっぱり高級な防具は防御力が高いだけじゃなくって、デザインや装着感も最高ね!…これなら誰の前で戦ったって恥ずかしくないわ…」

 「誰の前で…って?…何言ってるの?カミちゃん。戦ってる時にファッションのこと気にする人なんていないよ!…そんなことより、イベントだよ!イベント!」


 ミコトはそう言うと、カミの手から白鎧の胸当て部分を奪い取り…「何よコレ!?盛り過ぎでしょ!盛り過ぎ!!…景品表示法違反で訴えられちゃうよ!?」…とか独り言をつぶやきながら、自分の胸の辺りにかざしてみたりする。


 「分かってないね。ミコト。俺…アタシ…もさっきそのハザード・イベントのコンテンツは確認したわよ。領土のある人なら戦闘以外の指揮のうまさや、領民の保護とか…そういうのも評価されて経験値がもらえるらしいけど…俺…違った…アタシたちは、領土なんて1平方メートルっぽっちだって持って無いでしょ。関係ないわよ」


 そう答えるカミを、ミコトが顔を青くしてガクガクと震えながら見つめる。

 目を大きく見開いて、信じられないものを見た…という顔で…


・・・

 

 「…た、大変だ!か、カミちゃんが高熱でおかしくなっちゃった!…どうしよう?どうすればいい?…おろおろ、おろろろ…」

 「ね、熱なんか無いわよ!?…あ、アンタこそ急に何言うの?ミコト!」

 「だ、だって、カミちゃん、顔を赤らめて、さ、さっきから自分のこと、あたあた…『アタシ』だなんて言うんだもの!」


 ミコトが驚くのは無理もない。だって、普段のカミは自分のことを「アタシ」などと称することは無いのだから。

 現実世界における性別は、アウターもインナーも間違いなく女性であるカミ。

 だから、彼女も、デスシム世界にサインインした当初は「私」や「アタシ」という主語を話していた。だが、某帝国の某暴君に、女性というだけで酷い扱いをされて以降、その時の悔しさの反動なのか…自分を「俺」と称するようになった。


 その暴君は、別に性的な乱暴だとか、性的な奉仕を強要するようなことは無かったが、女性であるというだけで見下し、一切の自由意思を認めない。ただ、女性であるというだけで、カミとミコトを彼の帝国の首都となるタウンに幽閉しようとしたのだ。


 幸運にも暴君のGOTOSだった女性プレイヤーが、暴君の隙を見てカミとミコトの逃亡に手をかしてくれたから脱出できたのだが…それ以来、ミコトがどれだけ不自然さを指摘しても、カミは「俺」という呼称を頑なに名乗り続けていたのだ。

 わざと無骨な武具で身を固め、体のラインを隠してしまえば、戦闘時に男も女も無い。

 少々、声が可愛らしくても「俺」という主語を用いていれば、大方の相手はカミを女性としては扱わなくなった。


・・・

 

 そのような経験を積み重ね、現在のカミを形成する少し歪んだアイデンティティ…一部のマニアから「俺っ子」と呼ばれる…中性的戦士が誕生したのだ。

 「俺!…じゃない…アタシが、自分のことを何と呼ぼうと、俺…また、間違えた…アタシの勝手だろう!?…お、お、俺は女なんだから………」


 最後の最後で「俺」と言ってしまったことに気づかずに、しかし、カミの声は尻すぼみに小さくなる。顔は真っ赤だ。たぶん…やはり…恥ずかしいのだろう。

 同じ女性同士、カミの突然の心境の変化が何に起因するかを、ミコトに気づかれないわけがない。薄く細められたミコトの目が、それを物語っていた。


 「…別に…構わないけど。カミちゃんが、どこの誰を意識しちゃっててもさ。でも、イベントはどうするの?…ただ、カミちゃんが誰かとイチャイチャしてるのを見てるだけだったら…私はつまんないよ?」


 元々、ミコトはMMORPGなどにはあまり興味を持っていなかった。

 偶々、リアルの名前がカミのお気に召してしまい、半ば強制的な感じで…デスシムへのサインインに付き合わされてしまったに過ぎない。


 なし崩し的にカミのGOTSSとなったミコトだが、クエストをこなしたり、イベントに参加したりするのに伴って、自分のステータス・モニタの数値とグラフが、少しずつ増加していくのを見るが、いつの間にか楽しみになってきてはいるのだった。

 だから、二人でイベントやクエストに挑戦するのなら、もう暫く付き合っても良いか…と思い始めた所なのだが…カミにその気がないなら、付き合う理由も無くなる。


・・・

 

 【死】…以外にはログアウト方法が無い…という悪趣味な仕様のデスシム。

 怖いには怖いが…この世界での【死】が、現実の自分の体には何の影響もないというアナウンスを信じているミコトは、「できるだけ痛くないといいな」…ぐらいの気持ちで、いつでもログアウトしても良いと思っている。


 「…ち、違うよ。ミコト。アタ…俺は、別に誰ともイチャイチャしようだなんて、思っていないわよ。…だけど、考えてみてよ、ミコト。領土を持ってないアタシ…俺…たちは、今度のイベントだと、指揮や判断力で経験値を稼ぐのは無理でしょ?…だからと言って、あんな遠くのエリアまで行って、直接、現象に対応する事だって無理だし…」

 「無理に『俺』に戻そうとしなくていいよ。カミちゃん。女の子なんだし、もともとは『アタシ』とか『私』って言ってたんだから。でも。じゃぁ、今回のイベントは参加しないの?…他のTOP19の人たちに、差をつけられちゃうよ?」


 カミは、腕組みをして考えた。

 ミコトとは逆に、カミには、簡単にこのデスシムからログアウトできない理由がある。

 カミのリアルの名前は「近江香美」。

 つまり、彼女は、アスタとは違いユリカゴス・チルドレンではない。

 イシュタ・ルーと同じく、由緒ある血族名を持つ、いわゆる「親持ち子女」だ。

 由緒ある…と言っても、香美は自分の先祖がどのような偉業を為したのか詳しくは知らないのだが、生家が幾つもの会社を支配する現代に残る数少ない貴族の末裔であることは間違いが無い。

 今年、18歳になる彼女は、もうすぐ一度も会ったことの無い許嫁の男性へと嫁がねばならず、今、このデスシムでのプレイが、人生最後のMMORPGとなってしまうのだ。


・・・

 

 この23世紀の時代になって…許嫁?

 香美自身、初めて両親からその話を聞かされた時は、思わず言葉を失ったものだ。

 だが、シムネットで調べてみると、血族名を持つ「親持ち子女」にとっては、それは特段珍しいことでは無いのだと香美は知った。


 小さいころから、香美は素直で聞き分けの良い子であるよう努めてきた。

 両親が自分のことをとても愛してくれていることを、肌で感じていたからだ。

 習い事も言われるままにやった。勉強も手を抜かず、順位は常に1桁台をキープした。


 この時代。18歳になるまでは、就労が完全に免除されている。

 もちろん、才能とやる気があれば、栗木栄太郎博士のように10代前半から工学医療技師として活躍することも可能だが、そういうのは少数だ。


 逆に、学業に関しては、効率的で圧縮されたカリキュラムを…エデュケーショナル・ユリカゴスというシムタブを活用したカリキュラムにより、15歳までには一通りを終えることができる。


 従って、15歳から18歳になるまでの3年間については、シムタブ型MMORPGで遊ぶことで人間関係や社会順応などを体験しながら学んだり、シムタブ型教養習得プログラムで個別的な才能を伸ばして希望の就労コースに就けるよう訓練したりと…比較的、自由に過ごすことが許される年代として認識されていた。

 つまり、この3年間であれば、長期間メディカル・プールに浸り、シムタブ型MMORPGをプレイしていても非難されることは無いのである。


・・・

 

 通常は、一定間隔でログアウトするシムタブ型MMORPGだが、香美は両親にデスシムの説明書をきちんと見せて説明し、命の尊さと真剣みのある人間関係の体験学習の為には、ある程度長期間のログイン状態を保つことが必要であることを説き伏せた。

 そして、嫁ぐ前の最後の願いとして、このデスシムからログアウトするまで、婚姻の手続きを猶予して欲しいと懇願した。


 両親は大いに困惑したものの、幸い、嫁ぎ先の男性も、シムタブ型MMORPGに理解のある人物らしく、「では、私もその同じシムタブ型MMORPGにサインインしましょう」と言ってくれた。


 それを聞いて、シムタブ内で許嫁面をして干渉してくるのではないか?…と身構えた香美だったが、相手男性と思われるプレイヤーは、現在に至るまでカミの前に姿を現すことはなく、その大人な配慮に、香美は少しだけ相手男性に好意を感じた。


 しかし、いくら相手がシムタブ型MMORPGに理解があるといっても、嫁ぎ先も相当に由緒ある一族だと聞いているため、婚姻後にシムタブMMORPG…とくにデスシムのように長期間ログインし続けるタイプのもの…をプレイする機会は、もう一生無いだろうと香美は思っている。


 だから…香美、いや、カミは、出来るだけ長くこのデスシム世界を生き残りたいと、心の底から思っている。


 その想いの強さが、最下位といえどもTOP19の一人に選ばれた彼女の原動力だった。


・・・

 

 「…ミコト。アタシ…考えたんだけど。TOP19なんて言う、他のプレイヤーからの標的になりかねないものに選ばれちゃったけど…最下位のアタシたちが、この先、生き残るのは…相当に難しいと思うのよ」

 「えっと…アスタロトって人からもらったウォレットで、こんなに沢山の武器や防具を買ってても?…結構、最強だよ?コレ!」

 「う~ん。滅多なことでは一般プレイヤーに負けることは…無いと思う。でも、TOP19同士の闘いになったら?…ミコトは、あの巨人みたいな人とか、システム的にキャンセルされちゃったけど膨大な魔力を秘めた魔方陣を一瞬で起動する1位や2位の人に勝てると思う?」


 例の協議会の場には、カミのGOTSSとしてミコトも参加している。

 だから巨大なマックスやネフィリム、ジウに魔法攻撃を放とうとしたフーやそれを一睨みで消し去った左端の凄さは、ミコトもその目で直接見ている。

 それに、レジェンド・エネミー属性が付与されてしまったTOP19には、天敵とも言える攻略用専用武器が作られたらしいのだ。どのようなものか、既に誰かの手の中にあるのか…全く不明だが、そんな武器を持った相手に付け狙われたら敵わない。


 「…むぅ。まぁ…無理かも。で、そしたらカミちゃんはどうするの?」

 「うん。それでさ、アタシ、もう一度『Face Blog ER』のメジャーアップデートの告知内容を確認してみたんだけど…『領主・領民契約』と『召喚(喚起)オプション』っていう項目…あったでしょ?」


 言われてミコトは目を瞑り、慌てて「Face Blog ER」の該当告知を確認する。


・・・

 

 「…あ。うん…あるね。ほうほう…なるほど…あ!…そういうことか!!」


 内容を読んで、ミコトはカミの言わんとすることに予想がついたようだ。


 「…つまり、カミちゃんは…誰か別のTOP19と、領主・領民契約を…このオプション付きで交わそう…って言うのね!?」

 「うん。良くよく考えれば、あの大っ嫌いなセクハラ暴君が、『帝国』とか言って無理矢理作りあげたシステムって…この領主・領民契約に近い考え方なのよね。あの暴君がどのぐらい強いか…知らないけどさ。アイツと闘う以前に、その親衛隊や防衛兵たちと闘わないといけない…そういう仕組みを作ったことで、アイツはかなり有利だと思う」


 カミの解説に、ミコトは嫌な記憶を蘇らせて苦い表情を浮かべながら、うんうん…と何度も頷いた。


 「…で?…訊かなくても何となく答えは分かるけど…カミちゃんは、TOP19のうちの誰と領主・領民契約を結ぶつもりなの?」

 「………嫌な訊き方しないでよ。ミコト。…でも…そのとおりよ。…第7位…さん」

 「ハッキリ、アスタロトさん…って言えばいいのに…」


 ミコトから指摘されて、カミは全身を真っ赤に染めて身悶える。

 自分たちがTOP19に選ばれたのは、そもそも彼から貰った高額がチャージされたウォレットのお陰だ。つまり、それで買った武具や防具も彼から貰ったに等しい。

 ならば、この防具を全身に纏った自分も…彼のモノだと言っても過言では…


・・・

 

 「…?…カミちゃん?…何エッチなこと想像してるのよ?…全身真っ赤だよ?」

 「お、お、俺は…エッチなコトなんて…な、何も考えてないぞ!?」

 「あ。主語が『俺』に戻ってる」


 指摘され、カミは口元を右手、胸を左手で押さえる。不安定な主語が、カミの揺れる心を表している。彼が…嫁ぎ先の彼と同じ人なら…いいのに…と無意識に願ってしまう。

 深呼吸を何度かし、上がった体温を呼気に含ませて排出。必死に落ち着こうとするカミ。


 普段の勝ち気なカミからは絶対に見られない乙女なしぐさを、ミコトは冷めた目で観察しながら、考えた。

 結局、カミは誰かとイチャイチャするのが目的なのか?…だとしたら、自分がいつまでも付き合ってやる必要はない。

 ミコトだって血族名を持つ「親持ち子女」なのだ。長期間メディカル・プールに浸かったままの娘を、彼女の両親だって心配しているに違いないのだ。ミコトの父親がカミの屋敷の使用人を務めているため、カミと一緒にログインしている間は黙って見守るしかないのだろうが…早く戻って安心させたい…という気持ちも少しある。だけど…。


 「ま。私も、あのアスタロトって人には、少し興味あるし。良いよ、カミちゃん。このウォレットを返す…っていう口実で訪ねて行って、そのまま領主・領民契約の話を取り付けちゃおう!」

 「え?…ミコトも?…うぅ。…そ、そうだね。それが一番、スムーズに行くわよね…」


 謎の現象の脅威などまるで気にせず、二人は早速、「はじまりの町」へと旅立った。


・・・

・・・

 

 『…う~ん。やっぱりチューブ・ライブ越しの映像だと、臨場感に欠けるね』


 火傷と凍傷のような症状で全身ボロボロのクリエイターは、現象の影響がギリギリ及ばない位置にある小高い丘の上に仰向けで寝転がり、荒い息をつきながら…アスタロトからの呑気なショートメッセージに軽い殺意を覚えていた。


 『じゃぁ…次は…』

 「じゃぁ…じゃねぇよ。じゃぁ…じゃ!!」

 『へ?…どうしたの急に声を荒げたりして?』

 「…うぉほん。私としたことが…下品な叫びを上げてしまったな。いや。しかし、アスタロト君。君になら何か妙案が浮かぶと期待して、君のリクエストのままに、現象の観測を私はしているんだが…」

 『うん。分かってるよ。だから、その為には現象の事をもっと良く観察しないと…ってことで、次は…』

 「待て、まて、まてまて…。ひ、人の話は最後まで聴きなさい。ユリカゴスにそう教わらなかったのかね?…全く。君は、安全なところで横になってチューブ・ライブを視聴してるだけだから良いが…わ、私は、実際にこの激しい乱気流や、超高熱、極低温の現象に直接身を晒しているんだぞ…少しは、私の体のことも考えてくれ…」


 このデスシム世界で、最強無敵を自負するクリエイター。

 しかし、システム側のPCの一人である彼といえども、デスシム世界を構成する描画エンジン「ルリミナル」によって仮想の肉体を与えられているのは一般PCと同じだ。


・・・

 

 クリエイターが左端やフー、ベリアルと闘っても負ける気がしないのは、そもそも彼らの攻撃を体に受けることは無いという自信があるからだ。どんなに重いパンチも、喰らわなければノックダウンさせられることはない。

 しかし、目の前の驚異的な現象に、アスタロトの指示するまま何度も接近させられたクリエイターの体は、さすがにもうボロボロだった。


 『え?アンタの体のコト?…いやぁ~俺、ソッチの趣味ないから…』

 「私にだって無い…と思う…が、そういうコトではなくて…」

 『冗談だよ。そっか、なるほど…アンタの体…ね。うん。分かった』

 「ほっ…。良かった。分かってくれたかね。では、少し、休ませて…」

 『チューブ・ライブだと、視覚情報と聴覚情報の一部しか手に入らないから…それで、なかなか現象についての把握がぼんやりとしか出来ないってコトだね…そうしたら…』

 「ま…待て。まて、まてまて…。今、私は…とても嫌な予感に包まれているぞ?」


 直接は知らないが、クリエイターはジウから、アスタロトのしでかした「PC乗っ取り」能力について大まかに報告を受けている。戻り方が分からず、数日間大騒ぎをしたというマヌケな話も聞いているが…

 そう簡単に何度も再現できるものだとは思えないし、アスタロトやその仲間たちは、その件で相当に精神的なダメージを負ったと聞いている。

 ソレを、また彼は懲りずにやろうとしているのだろうか?…しかも、今度は自分に?

 クリエイターは思わず、意味不明な抗議の声を上げてしまう。


 「…そ、そんなジウと兄弟になるようなコトは…嫌だぞ…私は!」


・・・

 

 「はぁ!?…な、何を言い出すんですか?アナタは!!…セクハラで訴えますよ?」


 クリエイターが横たわっている場所の、直ぐ近くの草むらから上半身だけを勢い良く起こして、同じくボロボロになっているジウがクリエイターを睨みつける。

 惑星の規模に比べれば限られた範囲だとはいえ、相当に広範囲に及ぶ現象を隅々まで観測するには、クリエイター1人がアップするチューブ・ライブ映像だけでは足りない。

 必然的に、ジウもアスタロトの容赦ない指示で、ズタボロになりながら駆けずり回らされた犠牲者の一人となっていた。


 「大体、アレはリスクが大きすぎます。いくら考え無しに色々やらかしてくれるアスタロトさんだって、もう一度アレをやろうだなんて………か、考えたりしませんよね?」


 途中から何となく不安になって、ジウの言葉の後半の語尾は無意識に疑問形だ。


 『あははは。心配いらないって。俺、ソレのやり方、知らないモン!』


 文字だけのショートメッセージからは、アスタロトの実際の感情は読み取れないが…しかし…ジウとクリエイターは、その同胞配信された同内容のショートメッセージの内容に強い違和感を覚えて、互いに顔を見合わせる。

 その技を行ったのは分裂前のアスタロトだ。いずれの彼にも共通の記憶のハズだが…


 「…あ、アスタロト…さん?…アナタ…今、何と?…え?…じゃぁ…どっちの?」

 「やり方を知らない…?…では…君は…いったい?」


・・・

 

 『あはははははははははは…。そんなコト。今は、どうでも良いじゃん?』


 ジウとクリエイター、困惑する2人から同時に発せられた問いに、アスタロトからの回答のショートメッセージの文面には、不自然な笑いが記載されている。

 明らかに、誤魔化そうとしている。

 (アスタロト)と<アスタロト>の分割状態の解消に、少なからず関与しているクリエイターは、多少の負い目もあるため、アスタロトがこの話題を避けるのならば、あまり追求してはいけないと感じた。


 「まぁ…。君の場合、やり方を知らない状態からでも…『あ。できちゃった!』…とか言って、やりかねないから安心はできないが…COOたちが、今も、君の行動には神経質になっているんで、あまり突飛なコトはしないほうが良いぞ?」


 一応、クリエイターは、アスタロトの心情を気遣って話をそらせてくれたらしい。

 ジウも、その意図は理解できたらしく、話を元にもどす。


 「…で、これまでの観測から、何か分かったことは無いんですか?アスタロトさん」

 『う~ん。想像できることは…いくつかある。…だけど、俺の想像の話をするより…まず、ブブさんの意見を訊いてみたらどうかな?』

 「「…ブブさん?…」」


 ジウとクリエイターの怪訝そうな声が重なる。

 何故、フライ・ブブ・ベルゼの名がここで出るのか?


・・・

 

 『あれ?…ジウさん、気づかなかった?…さっき、高熱側の方を観測したとき…ブブさんが現象のかなり上の方を飛び回ってたの…見えたでしょ?』


 クリエイターが、「お前の目は節穴か?」とでも言うような視線でジウの方を睨む。

 何故、チューブ・ライブ越しのアスタロトが気づくことを、生で見たお前が気づけないんだ…と、その厳しい目が無言の威圧を放っている。


 「か、簡単に言わないでください。激しい気流や熱の影響を受けずに映像だけを確認できるアスタロトさんと違って、私は、身を焼く熱や翻弄する気流に抗ってバランスを取るのに必死だったんですから。クリエイターだって、そうだったでしょう?」

 「むむ…。まぁ。そうだな。確かに、そのとおりだ…。そう考えると、安全なところから冷静な視点で映像を分析してくれるアスタロト君の存在が、ここで価値を持った…ということにしておくか…しかし…今の話。本当なのかね?」


 ジウとクリエイターは、一旦、自らがチューブ・ライブ映像をアップロードするのを止めて、目を閉じ、それまでにジウがアップロードした記録映像を確認する。

 すると、確かに、非常に小さく、一瞬の映像ではあったが、フライ・ブブ・ベルゼと思われるPCの影が、時々上空を見上げたジウの視界を横切っていたことが分かる。


 「この頭部の太い角…。全身黒ずくめのタートルネックにタイツ…拡大してもぼやけてはいるが…間違いなく…ブブくんのようだ。しかし、いったい彼は何を?」


 HPとMPを奪われる危険を察知し、いち早く転移して逃げたハズのブブが何故?


・・・

 

 ある意味でクレバーと賞賛しても良いほど、危険を察知したブブの逃げっぷりは鮮やかだった。そのことから、クリエイターは、ブブが臆病…か…もしくは危険に対して非常に慎重な、安全策重視のプレイヤーだと受け止めていた。


 この世界での【死】を、大げさなまでに忌避する。

 それが、TOP19に選ばれる一つの大きな要素だから、ブブのその保身を優先した行動に対して、クリエイターは別に悪い印象を持っていたわけではない。

 だが、今確認した映像には、ある意味自殺行為に近いほど、何度も無謀な接近と離脱を繰り返すフライ・ブブ・ベルゼの姿が記録されていた。


 「…あぁ。分かりました。この付近にブブさんの領土の一つになっている小さな村がありますね。きっと、彼はそこを守っているんでしょう…けど…アレ。おかしいな?」

 「ん。ジウ、どうした?」

 「いや。ハザード・イベントを告知したショートメッセージですけど、未読になってるんですよ。ブブさん。これが…ハザード・イベントだって知らないみたいです」

 「じゃぁ…彼は、この現象をイベントだとは思わずに…?」


 予想外のブブの行動に、ジウもクリエイターも沈黙する。

 ひょっとすると、あの現象の侵攻を止めたのは、ブブかもしれないのだ。


 『…とにかく、ブブさんに合流してみようよ』


 アスタロトの言葉に、システム側PCの2人は顔を見合わせ、頷いて立ち上がった。


・・・

次回、「それぞれが知る己<2>」へ続く。

ブブが現象に挑む謎が明らかに…

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