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(33) 心を映す鏡

・・・

 

 アスタロトは、自分の無力を噛みしめていた。


 この先、どのような状況が待っていようと、HPもMPも失ってしまった自分には、どうすることもできない。


 出来ることなら…今すぐ、ここから逃げ出したい。


 きっと、今から自分に降り懸かってくる運命は…【死】よりも何倍も恐ろしいものに違いない。そういう確信があった。


 為す術もなく流される自分の運命と同じように、横たわるアスタロトの目に映る景色は、凄まじいスピードで流れていく。

 目まぐるしさに酔いそうになり、視線を空へと向けると、雲が、やはり恐ろしい程の速さで流れている。


 アスタロトを乗せて運ぶオールラウンド・ホバーが、丘陵の頭を越えて小さく弾む。

 小さく悲鳴を上げたアスタロトを、2匹の女悪魔が無表情で睨む。


 アスタロトを待ち受ける当面の危機。

 それは、険悪な雰囲気に包まれた…慈雨とイシュタ・ルーのいがみ合い。

 無言で火花を飛ばし合う…アスタロトを巡っての…激しい争いだった。


・・・

 

 既に、夜になっていた。


 オールラウンド・ホバーは、山岳地帯でも砂漠地帯でも、もちろん海や大河ですらも越える能力を持つ高価な乗り物だ。

 TOP19たちの協議会へと向かうアスタロトを特設会場まで送り届けるために、慈雨とイシュタ・ルーは手分けして新たな移動手段を必死に探したのだ。


 そして、やっと見つけたのがこのオールラウンド・ホバーだった。

 手持ちのCPをかき集めても買えないほどの高額で、慈雨は秘蔵の芒星魔法用のアイテムの幾つかを換金してまでして、このホバーを手に入れたらしい。


 しかし、その乗客となるハズのアスタロトは、彼女たちを待たずに、一人で会場へと走って行ってしまっていた。会場の詳細な位置を知らない慈雨たちは、少ない手がかりを頼りに、やっとのことで会場へと辿り着いたのだ。


 雲間から覗く、気味が悪い程に赤く、明るい月が、雲間からアスタロトたちを追いかけてくるように見える。

 元々は地球を模して設計されていたデスシム惑星には、月が一つ存在する。

 しかし、アスタロトが、ほぼ木星規模に惑星を巨大化させてしまったため、その月はまるでピンポン玉のように小さく見えた。

 乱暴に引きちぎったような黒い雲が、太古の魔竜の顔のような形となっており、ちょうど…その目の玉の部分に赤い月が重なる。

 ほんの一瞬の偶然だったが、アスタロトは怖くて思わず目を瞑る。


・・・

 

 しばらくして、ホバーは静かに速度を落として、そして完全に停止した。


 「着いたわよ。ソレ、ルーちゃんが運んでくれるかしら?」


 運転していた慈雨が、冷たい声で到着を告げる。

 アスタロトが上半身を起こして見やると、見慣れた「はじまりの町」の町庁舎の玄関先だった。ここから出発したのがほんの十時間程前だとは信じられないほど、懐かしい気持ちが胸に込み上げる。この1日の間に…色々なことがあり過ぎたからだ。


 着いたわよ…と言われても、ロープでぐるぐる巻きにされたアスタロトは、自力ではどうしようもない。

 どうすれば…?…と思っていると、イシュタ・ルーがこれまた冷たい表情でアスタロトの顔を一瞬覗き込み、それからムンズとアスタロトを戒めるロープの何本かを掴み、「よっ」と…小さなかけ声とともに肩に担ぎ上げる。


 ソレ…ことアスタロトは、また恐怖に身を竦める。

 誰が見ても間違いなく華奢なイシュタ・ルーが、無敵の怪力モードに入っている…ということは、彼女が途轍もなく怒っている…ということを意味するのだから。

 そして…


 「…そのまま、抱えて逃げたりしないでね?」


 そんな状態のイシュタ・ルーに、棘のある言葉を平然と投げる慈雨も…怒っている?


・・・

 

 「逃げるわけ無いジャン。…ってか、逃げたのはアンタの方でしょ!?この間…」


 いつもの可愛らしいイシュタ・ルーはどこへ行った?

 アスタロトは、耳を塞ぎたい気分でいっぱいだったが、生憎とロープで腕までぐるぐる巻きにされていて、それは叶わない。


 「…ちっ。過ぎたことを、いつまでも…いいから、早く中へ入りなさいよ」


 いつもの清楚で優しい慈雨はどこへ…?

 アスタロトは、ムンクの叫び的な気持ちになったものの、やはり手が自由にならないので、単に間抜けに大きく口を開けただけの表情にしかならなかった。


 慈雨が左手で扉を開いた状態に固定して、顎でイシュタ・ルーを中へと促す。

 イシュタ・ルーは「ふん!」と、そっぽを向いて、その開け放たれた庁舎の入り口をくぐって行く。もちろん、アスタロトを肩に担いだまま。


 クエスト掲示板のあるロビーを抜けて、2階への階段を昇る。

 男性にしては小柄な部類に入るアスタロトだが、それなりの重さはあるはずなのに、イシュタ・ルーは平然と階段を上りきり、いつもの会議室へと辿り着く。


 「早く開けなさいよぉ。気が利かない女ねぇ~」


 扉の前で、後ろをついてきていた慈雨の方を向いて苛立つイシュタ・ルー。


・・・

 

 「自分で開けられるでしょう?…アナタ片手で担いでるんだから…」


 理不尽な使役に文句をいいながらも、慈雨は扉に駆け寄り、いそいで開ける。

 イシュタ・ルーは、慈雨が開けた扉から、ゆっくりと会議室に入った。


 ロープで縛られたまま、椅子の一つに座らされるアスタロト。

 その両脇の椅子に、女性二人もドッカリと腰を下ろす。


 しばらく、そのまま沈黙が続く。

 そういえば、会議室の明かりのスイッチを誰もオンにしていない。

 室内を照らすのは廊下からの灯と、窓の外から零れてくる街の灯。そして月明かり。

 緊張のあまり、この薄暗さに気づくことなく怯えていたアスタロトだったが、沈黙に耐えきれなくなり…


 「…あのぅ…。灯りを付けませんか?…それと…縄を…」

 「この娘の前から…」


 怖ず怖ずと話しかけたのだが、その言葉は、慈雨によってすぐ遮られる。


 「アナタが居なくなったら、どういうコトになるのか…分かってたわよね?」


 うぐっ…と、アスタロトは呻き声をあげる。

 会場へと急ぐあまり、その時の(アスタロト)は、それを失念して走ってしまったのだ。


・・・

 

 「いいわよ。灯りを点けてあげましょう。その目で確認するといいのよ」


 慈雨が席を立つまでもなく、話の途中からイシュタ・ルーが席を立って電灯のスイッチをオンにしに行っていた。

 だから、慈雨の言葉が終わると同時に、部屋に灯りが灯る。


 恐る恐る慈雨に目をやるアスタロト。

 ひっ…と、アスタロトは息を呑む。


 おそらく、敢えてドレスチェンジ・コマンドを唱えないでおいたのだろう。

 彼女の衣服は、そこら中が裂けており、見えてはいけないような…嬉しいような…でも喜んだらコロサレそうな…あんなところやこんなところが覗き見えてしまっていた。

 ところどころ、焼け焦げたような跡もある。

 可哀想なのは、衣服だけでなく、その衣服の酷い有様に応じた、手足の生々しい傷跡。

 美しい顔にも、少し擦り傷がついてしまっており、彼女の艶やかなハズの黒髪は、ホコリにまみれてバサバサに乱れてしまっている。


 いたたまれずに目を逸らした先には、灯りを点けて椅子へと戻って来るイシュタ・ルーの姿があった。

 彼女の衣服も、慈雨と同様にボロボロで、もう…ほとんど完全に、直視できない場所までもがさらけ出されてしまっている。

 手足も傷や痣だらけ。

 愛らしい顔も、煤けてしまっており、髪の毛もやはりクシャクシャに乱れている。


・・・

 

 「あぅあぅ…」


 もう、この状況を見せられては、アスタロトとしては「あぅあぅ」言う以外に言葉がみつからない。

 アスタロトにはアスタロトの…止むに止まれぬ事情があったのだが、二人のこの有様を見せられては、何を言っても言い訳にしか聞こえないように思えた。


 実際、慈雨は大変な思いをしたのだ。


 手分けして新たな移動手段を探している間は良かった。イシュタ・ルーもそれが愛するアスタロトの助けになる行為だと理解して、探すことに専念していたから。

 しかし、オールラウンド・ホバーを手に入れ、アスタロトと合流しようとして…それが叶わないと知った時…イシュタ・ルーの中のリミッターの箍が外れた。


 『ロトくんが居ない。ロトくんに置いて行かれた。ロトくんに捨てられた!』


 そう泣きじゃくる内はまだ良かったのだが、それがそのうち…


 『ロトくんが掠われた。ロトくんを隠した。ロトくんを返せ!!』


 …に変わるに至って、言葉で宥めるだけでは手に負えなくなった。

 悪鬼の如きバーサーカーと化したイシュタ・ルーの暴走を押さえるため、必死に防御魔法を応用して対抗した慈雨。


・・・

 

 やっとのことでイシュタ・ルーを拘束術式で絡め取ったところに、行方が知れなくなっているマボからショートメッセージが届いた。


 『アスタロトが危機に晒されている。訳あって自分は助けに行けないから、二人はできるだけ急いで特設会議室へ行くように…』


 要約するとそのような意味のショートメッセージだった。

 錯乱し続けるイシュタ・ルーに、無理矢理そのショートメッセージを読ませ、暴れている場合じゃない!…と叱りつけた慈雨。

 それで、やっとのコトで、大人しくなったイシュタ・ルーを連れて、慈雨は、急いで特設会議室へと駆けつけたのだ。前述のとおり、場所をはっきりとは知らなかったので、その後もとても苦労したらしい。


 「…こ、心より…お、お詫び…も、申し上げ…ま、ます」


 どんな詫びの言葉でも、十分な謝罪にはならない。

 そう知りつつも、アスタロトは、つっかえつっかえに謝罪の言葉を口にする。


 「でも。私たちが怒っているのは、そんなコトじゃないの!」


 慈雨が、机にドンと手をついて腰を浮かす。

 そのまま立ち上がり、ゆっくりと机を迂回して窓の方へと歩いていく。

 窓の前に立ち止まり、そのまま夜景を見るように静止する慈雨。


・・・

 

 それを目で追ったアスタロトは、窓に反射する慈雨と目が合い、金縛りに遭ったように体を硬直させてしまう。


 その金縛りから逃れようと視線を逸らすと、いつのまにかイシュタ・ルーも窓際へと移動しており、慈雨のとなりに並んでいた。


 イシュタ・ルーの気配を感じ、慈雨も振り返る。

 会議室のロの字型に配置された机を挟んで対峙する、アスタロトと女性2人。

 部屋の灯りを反射する窓を背に、2人の女性がアスタロトを厳しい視線で見つめる。


 「「…で?…どっちなの」」


 イシュタ・ルーと慈雨が、綺麗なユニゾンで、アスタロトに問う。


 何が?…と訊き返したら…おそらく全てが終わるだろう。

 その問いを2人がしたということは、既に彼女たちは、アスタロトの…いや、より正確に言えば…(アスタロト)と<アスタロト>の身に何が起こったのか、その概ねのところを知っているということだ。


 どこから…どこまでの事情を知っているのかは分からない。

 でも、だからと言って、ラップに命を救われたという経緯や、そのラップの消えていく命を目の前に、咄嗟に自分の苦手な治癒魔法を…迂闊にも…発動してしまったなどという「言い訳」じみた説明を彼女たちが求めていないことは明らかだ。


・・・

 

 だって、彼女たちは「何があったの?」と問うたのでもなければ、「どうして?」と訊いてきたわけでもないのだから。

 彼女たち2人が、アスタロトに求めているのは、あくまでも「どっちなのか?」ということなのだ。


 つまり、彼女たちは、ジウの見た目をした<アスタロト>…という形態が既に存在しないことを知っているということだ。

 もし、そうでなければ、今頃はアスタロトの隣の席に、ロープでぐるぐる巻きにされたジウが転がっているにちがいない。

 まぁ…もっとも、そのシチュエーションの場合、これほどまでに慈雨とイシュタ・ルーが険悪なムードにはなっていなかっただろうが。


 さて。

 実際のところ、アスタロトは何と答えるべきなのだろうか。


 正直に、真実を話すべきか。

 それとも、慈雨とイシュタ・ルーの2人が、できるだけ傷つかないような…「最良」?の答えを用意して、それを発表すべきであろうか?


 何が優しさで、何が不誠実といえるのか?

 何を誠実と言い、何を残酷と考えるべきなのか?


 トリトメモナイ思考が…アスタロトの心の中でぐるぐると巡り続ける。


・・・

 

 出口の無いその問題に、頭の中がチーズになってしまいそうだ。

 いや。いっそ、そうなれたら、どんなに幸せか。

 でも自分は、脳味噌チーズ味星人にはなれないし、誠実さと不誠実さを同時に兼ね備えた未観測の量子的な状態をとることもできない。


 いっそのこと…元気良く「どっちも!」…と叫んでみようか?

 それとも…悲しそうに「どっちでも…」と肩を落としてみせようか?


 実際のところ、今の自分の状態を、アスタロトは上手く説明できる自信がない。

 その葛藤を、その逡巡を、その躊躇を、その苦悩を…アスタロトは、図らずも取り戻した表情として露わにする。

 この切ないほどの表情の揺らぎが、2つに別れていた不安定なアスタロトの精神が、紛れもなく安定を取り戻したことの証拠であるとも言えた。


 表情を取り戻したアスタロトを、喜びと、不安、2つの感情を複雑に絡ませて見守る慈雨とイシュタ・ルー。


・・・

 


 慈雨が望む答え。



 それは、間違いなくアスタロトが(アスタロト)である…と名乗ることだろう。


 …2人だけの時間を共有し、初めて正直な自分の気持ちを伝えた相手なのだから。

 主人格が不在となったことにより生まれた補完的人格であるという仮説の下、消されてしまうかもしれなかった(アスタロト)を、慈雨は必死に守ったのだ。


 その(アスタロト)が、自分の知らない所で消滅するなどということが、あって良いわけが無い。


 それは当然の思考であり、当然の願いであり、そして…当然の祈りだった。


・・・

 

 一方…イシュタ・ルーの思いは、少し複雑だった。


 イシュタ・ルーは、決して<アスタロト>が残存し、(アスタロト)が消滅した…という結果を望んでいるわけではない。


 ジウの見た目をした…表情の無い…<アスタロト>の中に、本当にアスタロトが存在したのかどうかだって、イシュタ・ルーには確証がないのだ。

 でも、確かにイシュタ・ルーは<アスタロト>の言葉や仕草に、アスタロトを感じとっていたし、ジウの依頼を受けて思念だけが飛び立っていったアスタロトを見送ったという経緯も覚えている。

 抜け殻となったアスタロトの体を見た彼女としては、それが狸寝入りだとは思えず、確かにアスタロトの精神は<アスタロト>として仕事をしていたと信じられるのだ。

 アスタロトの不在に錯乱しそうになった時も、健気な彼女は、<アスタロト>を気遣って必死に耐えた。だから、<アスタロト>には消えて欲しくない。


 でも、慈雨に(アスタロト)を連れ去られた時、確かに彼女は錯乱しそうになった。

 つまりは、イシュタ・ルーの本能は、(アスタロト)もまた、間違いなくアスタロトだと感じている。だから、(アスタロト)にも消えて欲しくはない。


 …しかし、慈雨に手を引かれて消えた時、その手を振り払うことなく自分の元から去ってしまった(アスタロト)に、彼女は悔しさと悲しさを感じずにはいられない。

 だから、アスタロトが(アスタロト)だという結末を、素直に受け入れようとは思えないのだった。慈雨への嫉妬…対抗心…と表現してしまえば身も蓋もないのだが…


・・・

 

 そんな2人の心を、理解出来ないアスタロトでは無い。

 沈黙の圧力が、3人の間に横たわる様々な想いを押しつぶそうとしている。


 その圧力に耐えきれず、アスタロトは口を開く。


 「違うのよ」


 しかし、アスタロトが言葉を発するより先に、慈雨が頭を横に振りながら言う。


 「…アナタが、どちら…だと分かったからって、私たちがアナタに対する態度を変えるなんてことは無いの。今は…言えない…っていうなら、別にそれでも良い。私にとって、シュラくんがシュラくんであることに…かわりはないんだから…」


 そうでしょ?…と、慈雨はイシュタ・ルーの方に視線を送る。

 イシュタ・ルーは、自分の足下をしばらく見つめていたが、やがて、右手でうなじの辺りをポリポリと掻きながら…「ふぅ………っ」と長く息を吐く。

 彼女なりに緊張していたのだろう。くすっ…と、小さく笑って…「そうだね。ロトくんは、ロトくんだよ…」と頷く。


 それを横目で見遣って、満足層に頷いてから、慈雨は言葉の先を続ける。


 「だらか…勘違いしないで。私たちは、そんなことで怒っているんじゃないの。ねぇ、良く考えて…思い出して。何故、私とルーちゃんが、こんなに怒っているのか」


・・・

 

 意外な慈雨の言葉に、アスタロトは戸惑う。


 では、やはりオールラウンド・ホバーが手に入るまで、2人を待っていなかったことを怒っているのだろうか?

 そして、2人を置いて1人で走っていってしまった結果、イシュタ・ルーが錯乱し、2人が酷い傷を負ってしまったこと?

 でも、そうだとしたら…何故、最初にその話になった時に、2人揃って「で、どっちなの?」などと訊いてきたのか?

 いや。その件で怒っているのでは無いと、さっき間違いなく言っていたではないか。


 …とすると、彼女たちが怒っている理由は、全く別のところにある。

 だが、アスタロトには、全くその理由が思い浮かばない。


 「やっぱり…。アナタは、自分で気づいていないのね…」


 アスタロトの表情を読み取り、慈雨が寂しそうに呟く。

 そして、アスタロトが自分では見つけることのできなかった答えを…教え諭すように…話して聞かせる。


 「ねぇ。シュラくん。アナタのこの世界に生きようとする理由は、何だったか覚えている?…アナタは、『普通に楽しめる仮想世界を創る』…そのために頑張っていたんじゃなかったのかしら?」

 「あぅ…ぅ…そ、そうだよ。忘れてなんかいないよ。今だって、そう願ってる」


・・・

 

 「…本当かしら?…なら、何故、アナタは、2つに分かれてしまった不安定な心のままで、強敵ばかりが揃う…あんな危険な協議会の場へ急いだりしたの?」

 「…や、やっぱり…置いてきぼりにしちゃったコト…怒ってるんだね?」


 「馬鹿にしないで!!…さっき、違うっていったでしょ?」


 「だ…だって…」

 「ねぇ。シュラくん。アナタが一番分かっていたハズでしょ?…アナタにしかできない3重の瞑想状態の上で奇跡的に発動し続けていた瞑想魔法が途絶えたら…2つに分かれた心の…不安定な状態のあなたが、どうなってしまうか…ということを」


 その指摘に、アスタロトは沈黙するしかない。その通りなのだから。


 「そんな状態で、安全かどうか全く保証の無いあんな怪しげな協議会へ参加したら、どんな想定外の事態が起こるか分からない…そんなコト、誰にでも分かることだわ。そして…実際、アナタは…」

 「あぅ…」

 「馬鹿。『あぅ…』じゃ無いわよ!…今、ここにこうして居られるから良かったものの、もしかしたら、どっちのシュラくんも…【死】…、消滅してしまっていたかもしれないのよ?…システム的に規定されていない状態でのソレが…どんなに危険なコトか…」


 そうだ。確かに、ジウがそう言っていた。

 最悪、リアルの体や精神に、大きな障害を残す可能性まであるということを…。


・・・

 

 「アナタは、生きなきゃいけないの。アナタの理想は、アナタが実現しないと駄目なのよ?…分かってる?…『はじまりの町』は、もうシュラくんの存在抜きには語れないの。私たちPCだけでなく、あそこで暮らす全てのNPCたちへの責任もあるのよ…魔法大学構想だって…どうするの?」

 「わ…分かってるよ。分かってる。認めるよ。俺は、ちょっと軽率だった。ゴメン」


 アスタロトは、素直に自分の非を認め謝る。

 体をロープでぐるぐる巻きにされているから、首から上をチョコンと曲げる程度しかできないが、それでも本気で詫びたつもりだ。


 だが…。


 「だから違うって言ってるでしょ?…アナタは全然、分かって無い」


 慈雨は、その謝罪を受け入れてくれない。まだ、他に…何が?


 「うん。ロトくんは、全然、分かって無いよ。だから、ぐるぐる巻きは、ほどいてあげられないんだもん!」


 難しい説明が苦手なイシュタ・ルーは、ずっと慈雨の横で黙って頷いているだけだったが、自分たちの怒りの理由を一向に理解しないアスタロトに痺れを切らして、彼を叱りつける。

 それでも、答えを見つけられないアスタロトは、途方に暮れた表情をするしかない。


・・・

 

 「…シュラくん。あの部屋で…左端君たちがクリエイターから、この世界の崩壊の危機を止める手伝いを要請されていた時…アナタは、どうするつもりだったの?」


 そんなアスタロトに、慈雨から投げかけられた問いは、またしてもアスタロトの予想外のものだった。

 だが、しかし、自分の身の安全を省みない不用意な行動をとったことについて、たった今、激しく叱責されたばかりなのだ。アスタロトにも、同じ過ちを繰り返さない程度の分別はあるつもりだ。だから、おそるおそる言葉を選びながら答えた。


 「…ど、どうする…も何も…。左端さんたちと違って、俺は…HPもMPも…クリエイターに取り上げられちゃって…初期値しかない…最弱の状態だし。単なる足手まといで…役立たずだから…おとなしくしてるしか…」


 「「嘘つき!!!」」


 最後まで答え終わらないうちに、またしても慈雨とイシュタ・ルーの綺麗なユニゾンで罵倒される。

 あまりの声の冷たさと厳しさに、アスタロトは母親に叱られた子どものように一瞬びくん…と体をすくめ、泣きそうな顔で口を開くが…返す言葉が出てこない。

 …といっても、ユリカゴス・チルドレンであるアスタには、母親に叱られた経験などないのだけれど…。

 しかし、それが、母親の叱責と同様に、愛情の込められたものであるということだけは、アスタロトにも十分理解は出来た。だからこそ、ヘタな反論はできない。


・・・

 

 「アナタあの時、自分がどんな表情で話を聴いていたか…覚えていないの?」

 「そうだよ。あんな顔しといて、何が『おとなしくしてる』よ!?」


 顔?


 あんな顔?


 え?………どんな顔?

 イシュタ・ルーと慈雨からの思いもよらない指摘。


 もちろん、あの場所には鏡なんて無かったし、視界を俯瞰モードに切り替えたりもしていなかったので、当然、アスタロトは自分の顔など見ることはできない。

 だが、2人の指摘は当然、そういう意味ではなくて…どんな表情をしていたか…ということだろう。


 あの時、自分はどんな表情をしていたか。

 色々なことがありすぎて、俄には思い出せない。


 しかし、慈雨とイシュタ・ルーは、黙ってアスタロトの答えを待っている。

 自分で思い出せ…ということなのだろう。

 2人の気持ちを理解するためには、自分で思い出す必要があるということだ。


 だからアスタロトは、一つ一つ順を追って思い出してみる。


・・・

 

 慈雨やイシュタ・ルーを置き去りに、あの特設会議室へ到着した時。

 アスタロトは(アスタロト)と<アスタロト>の2重状態を維持するために、表情を生み出すための深層意識…無意識の処理能力が飽和状態にあった。

 つまり、あの時の(アスタロト)の顔は、ジウさながらの無表情だったハズだ。


 しかし、そんな不審な表情を人前に晒す訳にはいかず、あの時は試作したばかりのフェイシャル・エクスプレッション・エフェクターによって、偽りの表情を造っていた。

 皆が謎に困惑している最中で、そんな中でよりによって【全ての謎は解けた!…という自信に満ちあふれた表情】などしていたものだから、大変ややこしい事態に陥ったのだ。


 でも、それも今となっては、束の間の笑い話。


 その後、突然のCROの理不尽な仕打ちにより、(アスタロト)の目の前で、彼を守ったラップが命を散らす。

 その消えゆく命を、出来もしない治癒魔法で救おうとして…当然に失敗し、ラップを失った代わりに、アスタロトは表情を取り戻したのだ。


 その時の自分の心理状態は、とても説明できないような酷いものだった。

 しかし、ラップの【死】の真相を知らなければならない…という義務感から、アスタロトは再びエフェクターによる偽りの表情という仮面を被った。


 はっきり覚えているのは…ここまで。

 そこからが…かなり曖昧な記憶となってしまう。


・・・

 

 え?…ひょっとして、俺…2人が突入してきた時も、【全ての謎は解けた!…という自信に満ちあふれた表情】をしたままだったりする?


 アスタロトは少し、焦った。

 あのような深刻な話をしている最中に、まさかずっと…そんな頓珍漢な表情をしていたのか…俺?


 うわ。それは怒られてもしかたがないよね。

 そうか、俺って馬鹿だなぁ………という結論に落ち着いた時。


 「馬鹿ね。違うわよ…」


 アスタロトの表情の動きから彼がどんな結論に至ったかを察した慈雨が、呆れたように否定する。イシュタ・ルーも悲しそうな顔で首を横に振っている。

 そして、今のやり取りで、おそらくこのままどれだけ考えてもアスタロトが正しい答えに辿り着くことはないだろう。

 「仕方ないわね」…慈雨は、そう溜め息をつくように漏らして、答えを告げる。


 「アナタはね、マボさんとの領土争奪戦の朝と…同じ顔をしていたわ」

 「ワクワクを押さえられない…そんな顔をしていたんだもん!」


 黙っていられない。そんな感じで、イシュタ・ルーも慈雨の言葉を補完する。

 そして、2人は改めて厳しい視線でアスタロトを見つめる。


・・・

 

 ワクワク?…それって…未曾有の危機を前にして…冒険の期待に胸を膨らませていた…ということか?

 驚きながら…怪訝な表情をする…という器用な真似をしてみせるアスタロト。


 まさか。

 そんなハズは無い。

 だって、自分はあの時点で、既にHPとMPを奪われ、サインインしたての超の付く初心者と等しい状態だったのだから。

 そんな自分が…システム側の担当者であるジウをして、あれ程までに慌てさせる何らかの危機を前にして、ワクワクするだなんて…


 未だに自分は、今、この世界に何が起こっているのかを知らない。

 それを知る前に、慈雨とイシュタ・ルーに連れ去られてしまったから。


 確か…ジウは「世界が…崩壊しかねない!」…というようなコトを口走っていた。

 彼をして、そこまで言わしめるとは、いったいどんな危機なのだろう。

 比較的に想像力が豊かな方だと自負するアスタロトだが、ちょっと思いつかない。


 【天の邪鬼】に匹敵するようなクラスのモンスターが、暴走しているのだろうか?

 それとも、TOP19とそれ以外…などという差別的な扱いに反発した一般PCたちが、一斉に決起して暴動でも起こしているのか?

 いや。もしかしたら…マボさんを越えるような…超絶的な魔法使いが、禁呪と呼ばれるような恐ろしい魔法をウッカリと発動してしまった…とか。


・・・

 

 「ほら。また、そんな顔をして…」

 「…ロトくん。ジウを助けに行きたい…とか、思ったでしょ!?…今」


 え?


 様々な危機的状況を思い浮かべて、いつの間にか自分だけの空想の世界に籠もってしまっていたアスタロトは、慈雨とイシュタ・ルーからの叱責で我に返る。


 そして、ブルっ…と一度、思わず身震いしてしまう。

 分かってしまったから。

 慈雨とイシュタ・ルーに、自分が何を怒られているかを。

 何故、こんな風にロープでぐるぐる巻きにされてしまったのかを。


 今、思い浮かべた、いくつかの危機的状況。

 その空想の世界の中には…必ずアスタロト自身の姿があった。

 そこで彼は、知恵と死力を尽くして闘っているのだ。

 一つ間違えば、即座に命を落とすという…その状況で、空想の中の彼は…笑っていた。


 心の内側から湧き上がる…楽しくて仕方がない…という表情。

 認めなければなるまい。アスタロトは、これまでに無い…この世界最大の危機を前にして、まるでクリアー不能と噂される超難解クエストに挑む冒険者の如く、自分が期待に胸を膨らませているということを…今なら自覚できる。

 他の誰もが解決出来なくても、自分になら…何とかできると…無意識に信じていた。


・・・

 

 「…でも、世界が崩壊するかもしれない…危機なんだよ?」


 開き直った…という訳ではないが、アスタロトは協力する理由を訴えてみる。

 もしかしたら、今も状況はどんどんと悪化しており、次の瞬間にはこのデスシム世界が終わりを迎えてしまうかもしれないのだ。


 「そうなったら…普通の仮想世界を創るだとか…魔法大学の構想だとか…そういう全てが…無意味になってしまうんだよ?」


 冷たい視線のまま、反応しない慈雨とイシュタ・ルー。

 アスタロトは、彼女たちに分かってもらいたくて、必死に理由を紡ぎ出す。


 「俺たちは、それでログアウトしても…リアルの体が死ぬわけじゃない…けど…NPCたちは…ここでしか生きられないんだよ?」


 「「だから何?」」


 またしても女性2人のユニゾン攻撃。


 「そんな…低レベルで何の力もないアナタが、ノコノコと危険な場所へ出て行って…それで全てが解決するの?…NPCたちの命を守ってあげられるっていうの?」

 「今のロトくんなんて、ルーちんが、グーでゴツンしたら…一撃でコロリ…だよ?…そんな弱っちぃ子、一瞬でやられちゃうんだよ!?」


・・・


 「…じゃぁ………じゃぁ、俺は、ここで黙って、世界が終わるのを…ただ見てろ…って言うのかよ?」


 自分が如何に無力か…。それは分かっている。

 でも、その事実を、自分以外の者からハッキリと突きつけられて、アスタロトは情けなさと悔しさで、泣きたくなってしまう。

 いや。正直、少し涙ぐんでしまっているかもしれない。

 TOP19だの、第7位だのという肩書きばかりで、自分は世界どころか…目の前の2人すら守ることができないのか…と。


 「そうよ。アナタは黙って見ていればいいの。世界の危機なんていうのは、それを解決できる実力を持った、他の誰かに任せておけばいいのよ」

 「そ…そんな…」

 「良く、考えてご覧なさい。これが、本当に世界の崩壊の危機だとして、それがアナタ1人に防げる程度の事態なら、左端君たちやジウ…そしてクリエイターが楽々と解決してみせるわよ?…それとも、アナタは、クリエイターよりも強いって言うつもりかしら?」

 「…うぅ…それは…」

 「逆に、彼らに解決できない程の危機なら、今のアナタなんて…一瞬でプチッ」

 「ひっぅ…」

 「それで、私たちも含めて…世界が終わってしまうなら…諦めも付くけれど…もし、その後、奇跡が起きて世界は救われた…被害者は意味もなく出しゃばったシュラくん1人だけ…なんて…泣くに泣けない状況になったら…残された私たちはどうすればいいの?」


 慈雨の言うことは正論だ。アスタロトに反論の余地など1ナノメートルもない。


・・・


 「ねぇ。私たちは、アナタの何?」


 突然の慈雨の問い。

 アスタロトは、硬直する。


 仲間…身内?…恋人…彼女が欲している答えは何だ?

 戦友…パートナー…相棒………えーと、えーと。


 「私たちは、アナタのGOTOSよ」


 あぁ…それで良かったのか…。アスタロトは、体の力を抜く。


 「ねぇ。アナタは、私たちを守る対象としか思ってないんじゃないかしら?…でも、GOTOS契約…というのは、少なくとも私たちの場合、対等な関係のハズよ?」

 「そうだよ!…強いロトくんも格好いいけど、今の弱っちぃロトくんを守るのは、今度は無敵のルーちんの役目なんだもん!」

 「…そして私のね。忘れないでね。あの雨の中、私は言ったハズよ。私は慈雨…アナタを慈しむ雨になる…と。私はアナタを何があっても守ってみせる。アナタの夢が…ちゃんと叶うまで…」

 「違うぞ、慈雨ちゃん!…ロトくんの夢が叶った後も、ルーちんたちは、ずっとロトくんを守るんだもん!」


 慈雨の優しさが、イシュタ・ルーの明るさが、アスタロトの心を溶かす。


・・・


 「わかったよ…。俺、おとなしくしてるよ。また、もっと強くなれるまで…」


 アスタロトは、今度こそ慈雨たちの説得に心の底から納得し、強く頷いた。

 これはGOTOS契約だとか、そういうシステム上のルールよりも強い、3人の間での誓いだ。自分はその思いに誠実に答えなければならない。

 アスタロトの中から、自分の力への過信…慢心を捨てる。


 「…ふぅ。だけど…そうなると、何としてでも、左端さんやクリエイターには、世界を守って貰わないと困るね…」


 力を抜いた表情で笑いながら、アスタロトは呟く。


 「大丈夫よ。実は、さっきね。ジウからショートメッセージが入ってたの。これって、メジャーアップデートの内容の中にあった『ハザード・イベント』っていう扱いなんだって。だから、実際に危機に対面しなくても、領民への適切な指示や、混乱の回避などの手際が評価の対象になって、シュラくんにも経験値が入る可能性があるらしいわ」

 「…へぇ…ハザード…そういえば、そういう設定もあったような。で、でも、それにしては、あの時のシステム側のジウさんの慌て振りは尋常じゃなかったよ?…鬼気迫る表情で…世界が崩壊しかねない危機だって…」

 「心配ないわよ。だいたい…ジウは…あの人は、大げさなのよ」


 アスタロトの不安に慈雨は笑って答える。木星サイズのこの星の反対側…世界の危機は、3人の「はじまりの町」からは全く見えず、まるで別世界の出来事のように思えた。


・・・

次回、「危機の真相(仮題)」へ続く。

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