(24) 議題なき協議会<6> …ディンの小箱…
・・・
箱を弄ぶ。
箱をもてあそぶ。
ハコをモテアソブ…。
その男は、外見的には…これと言って特徴のない平凡そうなPCで、むしろ地味の極みとも言えるような、どう表現して良いか困るような男だ。
だが、少なくとも今、この特設会議室内に限定すれば、間違いなく他の誰よりも異彩を放っていた。
…この状況で、平凡さを保ったまま…ただ脱力気味に立っているという異様…。
光り輝く幾つもの魔法円。正体不明の相手から身を守るために展開された様々な高レベル防御魔法によるシェルターだ。互いに干渉し合わぬようにぎりぎりの幅を保って狭い室内にひしめき合うかのように展開されたそれは、いずれも劣らぬ実力を持ったTOP19(トップナインティナー)たちによるものだ。
その高い実力を持つ彼らですら、必死に身を守ろうと考えるほどの致命の一撃を放った相手が、今も天井のどこかに潜んでいる…
…なのに、彼だけが、まるで何事もないかのように無防備に…防御服でもない普通の地味なスーツ姿のままで、そこに立っている。箱を大事そうに抱きしめて。
・・・
そして、また…
ハコをモテアソブ…。
箱をもてあそぶ。
箱を弄ぶ。
「…な、何なのだ…。お、お前は………?」
さきほどまで、「傲岸不遜」としか評しようのない威圧感を放ち、ジウから…クリエイターと呼ばれていた声の主。その声が、今は小心者の社長さん?…程度の威厳しか放つことができずに、戸惑いを多分に含んだ声で誰何する。
思えば、自称クリエイター…などと表記してしまっていたが、この声の主は…自分が誰であるかを未だ名乗ってはいなかったのではないか?
自称クリエイター改め…クリエイター・モドキの問いかけに、箱を弄ぶ男は、ニヤっと両頬を歪めた悪魔のような笑みで…嬉しそうに答えた。
「…私?…私が誰かと訊くかね?…うくくく。…人に名前を訪ねる時は…まず、ご自分から名乗られるべきかと存じますが………」
「あぁぁあああ!!!…そ、それ!…わ、私の!私のですよ!?」
・・・
お気に入りの前口上を盗まれた形になったブブが、壁から生やした首をぎゅぃんぎゅぃんと揺らしながら激しく抗議する。
今気がついたが、驚いたことにブブも防御魔法に包まれてはおらず、生?のままの首をそのまま晒していた。…もっとも、この状態では魔法を発動しようがないのかもしれないが…。
「おや?…君もいたのかね?…そいつは失礼。でも、なかなかコイツは気持ち良いものだね…。頼むよ。今回は、ちょいと私にもやらせてくれないかな?」
「おぉ。あなたはコレの良さを理解してくださるんですね。ならば仕方ありますまい…。どうぞ、存分に…あ、もっとこうテンポ良く、抑揚をつけて行われると…尚、気持ちいいですよ?」
「ふむ。そうかね?…ありがとう。では、こんな感じかな?…人ぉ~の~名前を~訪ねるぅ時はぁ~、まずぅ~ご自分からぁ~名乗られるべきかとぉは存じますがぁ~…」
「そうそう!うまい、うまい!!」
ブブだけが大喜びで首を振り回しているが、その場の他の全員は、ただ呆気にとられて見守るしかない。
「…くっ。ふ、ふざけおって…。そ、そのような不遜な態度を取るものなど…一人しか心当たりが無いわっ!…き、貴様は…」
「黙るんだな。インチキ星人君!…今は、私の名乗りの最中だろう?…君が、誰かと尋ねたから、そのリクエストに応えて名乗りを上げてやっているんだぞ。大人しく…最後まで聴いていて欲しいものだな。…あー。えっと。何処までやったんだったかな?」
・・・
それは、クリエイター・モドキへの牽制を込めた自問であったのだが、ブブが嬉しそうにご機嫌なテンションで助言を投げる。
「はいはいはいはい!…『…では、ありますが~』からですよ!…そこ、十分にタメて…もったいぶった感じでヨロシク!!」
「あぁ…。ありがとう。ブブ君。…では、ありますが~…。さっさと名乗らないと、話が遅々として進まないと誰かさんから怒られそうなので、お答えしよう…」
「よっ!…日本一ぃっ!…いや。デスシム世界一ぃっ!」
「…さすがに、ちょっと煩いですよ?…ブブ君。黙っていなさい。…あっと……ん…で、私の名前はディン。第16位、マックス・エル君の仮初めのGOTSS。真の名は…」
そこで、ディンはご満悦…と言った表情を浮かべ、改めて室内の全員…と天井に向けて視線を巡らせる。ゆっくりと…それを行うことで、十分にタメをつくり、もったいぶった感…を演出しているようだ。
ブブが、「えぇ!?…いっちゃうの?…それ、いっちゃうの?…本当に!?」…などと、一応、お約束の合いの手?…らしきものを…怒られないように小声で連呼する。
そのお約束の声を、箱から右手だけを放して制止するような仕草で打ち切らせ、ゆっくりと真の名を告げる男。
「シュレー・ディン・ガー。…捻りも、何も無くて申し訳ないが…優秀な皆さんなら、私が何をモティーフとし…どんな特殊能力を与えられているのか…想像できるんじゃないだろうかな?…どうかね?」
・・・
…言いながら、また、両手で胸の前に大事そうに抱え持つその箱に、愛おしそうに視線を向けるディン。
そして…箱を弄ぶ。
ハコをモテアソブ…。
箱をもてあそぶ。
繰り返し、繰り返し。…何度も、何度も。執拗に、執拗なほどに…
大事そうに持っていたと思えば…オモチャのように弄び、中身が大丈夫なのか心配になるような扱い…例えば、左手の人差し指をピンと立てて、その先でクルクルと回してみたり…そうかと思えば…また、時折、大事そうに胸の前へと抱え持つ。
いつの間にか…そこにいる全員の視線が、その自在に動き回る箱へ集まっていた。
いやちょっと待て…。あぅ…。でも…。まぁ…いいか。
分かってはいるのだ。自分たちが気にしなければならないのは箱などではなく、それを持っているディンの方であると。
いや。他にもある。突然、豹変し、不可能なハズの攻撃を行ったクリエイター・モドキ。彼が誰で、何をしたのかも…まだ不明だ。そして、何故、ラップが死んだのかも…。
しかし、箱に目が吸い付けられる。箱に目が釘付けになる。箱のことしか見えなく…は、さすがにならないけれど…箱に意識の大部分を占められてしまっている。
・・・
「その箱…いいなぁ…。私も欲しいです。どなたかは存じませんが…それ…どこに行けば手にはいるか…後で、こっそり教えてもらえませんか?」
しかし、その箱に、皆とは違う意味で目を引きつけられていた男…ブブが、場違いな依頼の言葉を発する。この異様な雰囲気に飲み込まれることもなく、平常通りの(勘違いぶりな…)態度を貫ける…という意味において、ブブの精神は、さすが第3位にランキングされるだけの強靱さを持っている…と評価されるべきかもしれない。
残念ながら、誰もそのようなプラス評価をしてくれるものはいないが…
…が、第3位のブブだけが、その箱に心と体を搦め捕ずに済んでいるのでは無かった。
「…少し、黙っているようにと…何度もお願いしましたよ?…分からないのですか?…フライ・ブブ・ベルゼ…」
「俺を…いつまで、このような茶番につきあわせるつもりですか?…いい加減にしてもらえませんか…クリエイター?」
必要最小限。それでいながら最高レベルの防御力を誇る魔法円に守られて、第6位のベリアルが、穏やかな声でブブをたしなめる。
それにつづく、不機嫌さを隠そうともしない冷ややかな声は、第1位のTOP19…左端。
彼らは、確かに黙したままで事の推移を見守ってはいたが、かといってディンの箱に目や心を奪われていたわけでは決して無かった。
・・・
そう。やはり第8位のレイと彼以上のランクにあるTOP19たちは、僅かには箱に気を奪われこそしたものの…未だに箱の動きに視線を支配され目を怪しく泳がせたままの下位のTOP19たちとは一線を画しているようだ。
既に、彼らの目線は、先ほどラップを死に至らしめた謎の攻撃が放たれた天井の一点へと戻されている。
ディンは、確かに得体が知れないし、その言動も意味不明であるが、当面の危険はやはり天井にいる?…と思われるクリエイター・モドキなのだ。
単に言動が意味不明なだけなら、既にブブという偉大な?先人がいるため、ディンを殊更に特別扱いする必要はない。
しかし、より正確に言えば左端とアスタロトの視線だけは、天井とは別の方向へ向けられている。
アスタロトは、未だにラップの亡骸を見つめ、青ざめて唇を振るわせている。そもそも、ディンの箱などには目もくれていないのだ。
そして、先ほどベリアルとともに言葉を発した左端。彼が「クリエイター」と呼びかけたのは天井の一点…ではなく、ディンの方に向けてだった。
そして、箱に心を奪われていた、もう一人であるところのクリエイター・モドキが、今の左端の発言をきっかけとして我に返る。
「くっ。き、貴様は…や、やはり………そうなんだな?…し、システム側に属していながら、い、一般プレイヤーの中に身を隠しいるとは…。ひ、卑怯だぞ!」
・・・
言われたディンは、相変わらず箱を弄び続け…
「…だからぁ…私の名前はディン。シュレー・ディン・ガーだと言ったでしょ?…聞こえなかったのかね?」
しかし、その表情だけは不快さを極めたように歪めて言い返す。
「…あ。それから、卑怯だとか…今、言ったのかな?…ふん。姿を隠したままで、安全な場所から偉そうにしているお前が言うかね?…私のPCは、気の毒なラップさんのようなNPCでもない…ちゃんとした正規のアカウントによるものだ。お前と違って、心の痛みも…体の痛みも…ちゃんと理解できる」
ラップが実はNPCであったと、今、ディンは…何気なく、さらっと暴露した。
デスシムでは、NPCでもGOTOSやGOTSSとして登録可能だ。
それどころか、アスタロトが【天の邪鬼】と結んでいるように、モンスターをもGOTOSにする事ができる。
しかし、…ラップはマックスのGOTSSであり…しかも、NPCなのだと言う。
NPC(Non-Player Character)。それは、プレイヤーが操作していない…或いは、操作できないキャラクター…ということだ。そんなNPCだというラップが、GOTSS契約に従った…というのならともかく、何の関わりもないアスタロトを守る…などということが果たしてあり得るのだろうか?…だから、TOP19たちは、より困惑した。
・・・
「き、貴様こそ…たった今、NPCを石ころのように使い捨てて見せたのではないか?…え、偉そうに言うな!」
どうやら…このクリエイター・モドキは挑発に乗りやすいようだ。最初の大物ぶった話しぶりは何処へいってしまったのか…今は、冷静さの欠片も感じられない早口で、ディンへの反論にも冴えがまるでない。
「…失礼な奴だな。お前は…。私が、NPCを石ころのように?…使い捨てるだと?…私ほど、このデスシム世界でNPCたちを愛している男はいないぞ!…あ。いや。そこの…アスタロト君には…負けるかもしれないが…ね。だが、私は…NPCを心から敬愛しているし…彼らを大事に思っている。………それを、お前は…殺した…」
「な…何が大事に思っているだ!?…け、敬愛だと?…ふ、ふざけるな。NPCなど、心を持たない…ただの擬似人格。仮想化されたイベント型ユーザーインタフェースに過ぎんだろうが…」
「「「 心はある!!!!! 」」」
クリエイター・モドキの言葉を遮った、その叫びの主は3人。
弄ぶ手を止めて箱を抱きしめて、天井を睨みつけるディン。
何故か、怒ったような表情で、顔を真っ赤にしながら首を揺すっているブブ。
そして、やっとラップ…の亡骸から目を離し、天井を睨みつけたのはアスタロト。
アスタロトのその閉じられた左目からは、涙のように赤い血が零れている。
先ほどの攻撃の余波により傷でも負ったのだろうか?…それとも…
「ありがとう。アスタロト君。…そして、良く分からないが…ブブ君も…」
・・・
ディンは、愛おしそうに腕の中に抱きしめた箱に頬摺りをしながら、NPCに対して自分と同じ意見を持ってくれた2人のTOP19に礼を告げる。
「そして、本当に申し訳無い。避けられぬ定めではあったのだが…ラップ君を…死なせてしまって。…本当に申し訳無い…」
ディンは、そう言って深々と頭を下げる。箱を抱いたまま、深々と…。
「…NPCが、GOTSS契約どころか、その役目を放棄してまで…そのアスタロトくんを守ったんだ。心はあるんだろうよ。きっと。だが、さっきも言いましたが…俺たちを、いつまで、このような茶番に付き合わせるつもりなのか。ディン…とか言いましたね。そろそろ教えてもらえませんか?…」
そのやり取りを冷たい目で眺めていた左端が、再び抗議する。
防御魔法を展開してはいるが、魔法には持続時間というものが設定されている。
攻撃をするなら…さっさとしてくれないと困るし、しないならしないで…それならMPを無駄に消費していることになる。
穏やかな表情は保っているものの…ベリアルも同意のようで、軽く頷く。
「おぉ。左端君の言うとおりだ。貴様が奴でもディンでも…もう構わぬわ!…先ほど、お前が言った…そのディンというPCが、本当に正規のユーザーアカウントによるものだというなら、今、貴様は【コロセル】存在だということだ!…貴様が敬愛するNPC同様、我が攻撃の餌食にしてくれるわ!…さぁ、茶番は終わりだ。…シッ!!」
・・・
部屋の天井の中央。クリエイター・モドキの気合いの声とともに、そこが突然、輝き…刹那の煌めきが、室内の空気を斜めに切り裂く………
………ハズだった。
「…ぬな!?………何が…起こったのだ?」
動揺するクリエイター・モドキ。
フーがジウに攻撃を仕掛けようとした時のような、魔法を強制的にキャンセルされたのとは違う。
確かに、天井は輝き、刹那の煌めきは起こった。
攻撃の速度を考えれば、その時点で既に結果は確定しており、その攻撃対象となった相手に訪れる運命は…可哀想なラップと同じであるはずだった。
しかし…
狙われたハズのディンは、その場所で何事もなく…箱を弄んでいる。
変化があったとすれば、ディンの前髪をそよ風が揺らした程度の空気の流れぐらい…
ディンは、防御魔法に守られていたワケでもないのに…全くの無傷だった。
「…何も起こらなかったのだ…よ。残念だったな。CRO…様」
「き、貴様…何故…そ、それを…」
CRO(Chief Risk Officer)とは、最高リスク管理責任者のことだ。
・・・
CEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)と同様に、デスシムを管理・運営するエムクラックの執行役員の一人である。
もちろん、トップはCEOであり、ナンバー2がCOOであるのだが、CROはその会社のリスクを管理統括する責任者である。その組織的な位置づけは、会社毎に異なるようだが、エムクラックにおいてはCOOの派閥に属し、主にエムクラックがシムネットへのアクセス規約に違反してシムネット・オペレータたちの処分の対象とならないように、会社の運営をコントロールするのが主な使命である。
「自分の正体がバレることは無い…と思っている時点で、もうお前さんの勝ち目はないのさ。COOの指示かな?…いや。彼はCEOのお目玉を食らって縮こまっていたから…こんな不当なユーザーへの干渉は指示できないかな?…まぁ…お前さんの役職から考えれば…自らの青い正義感?…か使命感で…暴走した…のかも知れんが…」
「あ、青くなど無いわ!…貴様は、先日のあのシムネットがダウンした一件で、我々がどれだけ対応に苦慮したか…理解できんのか!?…未だに、シムネット・オペレータどもは、我が社への調査を継続しおるのだぞ!?」
「…やめろよ。CRO…。ユーザーたちの前だ。それ以上は、守秘義務違反だ」
自分は正規アカウントを持つ一般プレイヤーだと言っておきながら、クリエイター・モドキ…改めCROの正体を簡単に言い当ててみせたディン。
だが、確かに…彼の見せるその表情には、このデスシムの世界を愛するプレイヤー…例えばアスタロトのような…と同じ生命の揺らぎのようなものが見て取れた。
「………お前さんは…本当に、このデスシムのことを理解できて無いんだなぁ…」
・・・
その揺らぎは、今、哀れむような…残念がるような色としてディンの表情に愁いを与えていた。
「会社が大事だ…っていう、お前の思いは…立派なんだろうさ」
言葉を失っているCROに向かって、ディンは淡々と語る。
茶番…茶番…と不機嫌な顔で言っていた左端も、先ほどの攻撃…未遂?以降、事の成り行きを黙って見守っている。
他のTOP19たちも、既に自分たちが口を出せる段階に無いことを覚って、大人しくしている。あの…ブブでさえも。
「まぁ…確かに、会社が倒れたら、このデスシム世界の未来にも少なからず影響が出るからな。だがな。…もう、既に…この世界は、会社…とか…シムネット規約…とか、そういう頸木から放たれようとしているんだ…と、この世界で【生きる】…ということを、やってみようとすら思わない…お前には、まるで理解できないんだろうな…」
そして、ディンは天井を…中央ではなく、外へと繋がる窓の方へと視線を向ける。
「ありがとう。マックス。これで、私の役目は終わりだ。一方的なGOTSS契約に付き合ってくれて感謝するよ。これで契約は解消するが、お礼に、その特殊能力は…そのまま君に授けよう。ラップ君のことは、本当にすまない。今から、彼の仇を討つから。もう少しだけ、その能力で、私を…私たちを守ってくれ」
「…オレダケノ…チカラデハ…無イ。…アスタロト…ニモ、礼ヲ言エ…」
・・・
青龍の重低音よりさらに低いマックスの声。
「アスタロト…君の?」
ディンは、視線の先をアスタロトへと移し替える。
確かに、マックスの能力だけでは、あれ程見事に攻撃を無力化できるとは思えない。
マックスの能力。それは、「マクスウェルの悪魔」と呼ばれる古典物理学の有名な思考実験をモティーフとした能力。そのネーミングが魅力的な響きを持っていることから、今でも様々な作品の題材となっているが、既に20世紀後半から21世紀にかけて、数々の実験により、それが「悪魔」などを持ち出さなくても、実際に起こりうる事象であることが証明され、その応用としてイオンポンプや分子モーターなどの実用化技術も生み出されている…枯れた思考実験だ。情報がエネルギーに変換可能…という、今では誰でも知っている定理の元となった「悪魔」。
CROが、熱エネルギーによる攻撃を用いることが分かった時から、ディンはその対策としてマックスが与えられている…分子の速度を篩にかけ、自在に温度差を生み出す…能力が切り札になり得ると考えていた。
何故ならは、特設会議室はジウが言ったとおり「一切の戦闘行為がシステム的に無効化される」ように設定されている。
だから、アレは少なくともシステムからは戦闘行為…つまり攻撃としては見なされない…なんらかの物理的な現象を利用したものに過ぎないハズなのだ。
・・・
物理的な打撃や刺突を目的とした武器は、当然にシステム的に無効化される。
例えば、鬼丸が自慢の「鉄拳」…と呼ぶ棍棒…で隣のネフィリムを思い切り殴ったとしても、その打撃はすり抜けるのか、それとも真綿で叩いた…程度のダメージに減衰するのか…そのあたりは不明だが、とにかくネフィリムを傷つけることは叶わないだろう。
…となれば、その手段は限られてくる。
電撃か。熱エネルギーによる攻撃か。
通常、室内で雷が発生することはないから、もし電撃をしようとしても、それはシステム的に戦闘行為のための攻撃とみなされて無効化されるだろう。それに電撃は、仮に攻撃とみなされなかったとしても、発生までにプロセスがあり、若干でも時間を要する。仮想対実時間レートの引き上げにより圧縮可能なのは思念の揺らぎと、それにより発生する空間の揺らぎだけだ。物理現象である放電プロセスは圧縮されない。
そうやって消去法で考えていけば、CROが採る方法は一つに絞り込むことができる。
秘密めかしてもったいぶるのが申し訳ないような、ベタな手段が答えだった。
午後1時からに設定された協議会の開催開始時間。
「はじまりの町」近辺は大豪雨だったが、システム側の管理地となっている中立大平原は雲一つない晴天。走ってきたアスタロトは、汗まみれではあったが、ズブ濡れではなかった。その晴天の頭上に輝くのは…太陽。
焼け付くような陽差しを…もし、集約して室内に取り込むことができたなら…。
「…なるほど。ソーラー・ビームですか…。魔法で無いコトは分かっていましたが、単に明かりを取り込んだ…と。システム判定を謀ったワケですね…」
・・・
ベリアルが静かに呟き、天井を仰ぎ見る。
知らなければ気づかないほどの点。
天井の中央部には、ほんの小さな窓が開けられており、そこには特殊なレンズの役割をする法具がはめ込まれている。小さなレンズでは十分な光の収斂は難しいハズだが、複数のレンズを垂直方向に積み重ね…組み合わせて高エネルギーを生み出したのだろう。
建物の上部を覗き見ることができるマックスだけが、手の込んだその仕掛けを確認できているハズだ。
「マックスが…何らかの形で、集約される前後の熱量を奪った?…そういうことか?」
ベリアルの言葉を受けて、左端が呟く。
そう。マックスの役割は、今、左端が推測したとおりだ。
だが、現実世界を模して造られたとすれば、太陽の表面温度は6千度程度に設定されており、その熱量は光の振動数というパラメータによって空間を伝播している。
いくらマックスの能力でも、それだけの熱エネルギーを絶えず奪うことはできないし、彼の能力は「奪う」のではなく「振り分ける」しか出来ない。
太陽光が殺傷力までをも持つ高熱と化すのは、それが十分に集光された時であり、その焦点を結んだポイントのみが、太陽表面に匹敵する超超高温へと達するのだ。
だから、マックスの能力では、瞬間的に収斂する熱量を完全には冷却できないのだ。
マックスの言葉を信じれば…アスタロトが何かをしたということになる。
その光が殺傷力を削がれるような何か。
・・・
魔法の苦手なアスタロトに可能な何らかの手段。
CROの攻撃は、ラップが犠牲になった時と同じ、刹那の輝きを見せたにもかかわらず何も起きなかった。
…ということは、アスタロトは、光が焦点を結べなくした…か、そうでなければ…光を逆に拡散した…ということなのだろうか?
視線がアスタロトへと集まる。
、しかし、アスタロトは何も語ろうとはせず、ただ、怒り…と、苦悩…と…その他の幾つもの感情が綯い交ぜになった複雑な表情で天井を睨みつけている。
自らの関与を否定していないことから、彼がCROのその技をほぼ無効化できることは、間違いないようだ。
「そうか…どうやったのかは…分からないが。ありがとう。アスタロト君。…さて、それでは、そろそろTOP19の皆さんの我慢も限界だろうから………終わらせるとしよう。覚悟は、いいかね?…CRO殿」
そういって、また
…ディンは箱を弄ぶ。
箱をもてあそぶ。
ハコヲモテアソブ…。
まるで、その行為に何か意味があるとでもいうように。
・・・
まるで、その箱に、本当にCROの魂か…もしくは彼の未来が、封入されているとでも言うように。
箱を弄ぶ。箱をもてあそぶ。ハコをモテアソブ…。
「…どうする…つもりだ?」
「わかりませんね。あの箱に…何か仕掛けがあるということでしょうか?」
左端が目を細め、ディンの行動の意味を見極めようとする。
ベリアルが推測するが…その言葉自体が、彼が再びその視線をディンの箱に奪われているということを意味する。
「……黙って聞いてりゃぁ…まどろっこしいな。箱が何なのかは知らねぇが…面倒臭ぇぜ。要するに…天井から、そのCROとやらを引きずり下ろして、システムが戦闘行為と判定する間も与えずに、ひねり潰してやればいいんだろう?…ユノ。お前の魔法で何とかならねぇのか?」
「む…むちゃを言うな。攻撃のカラクリは…どうやらアノ小窓にあるとは判明したようだが…、そ、それを操っているCROとやらが、何処に居るのかは依然として不明のままなんだぞ。…そ、それから、私は、もう君の手駒じゃないんだ。ジュピテル。私に指示せずに、自慢の君のチカラとやらで…何とかしたらいいだろう!」
ジュピテルの勝手な言いぐさに、ユノが抗議の声を上げるが…しかし、その二人の視線も徐々にディンの箱へと吸い寄せられていく。
・・・
だが、ジュピテルとユノのやり取りに反応したのはアスタロト。
「…させない。もうたくさんだ…【コロシアイ】なんて…させない…」
この期に及んで、そんなきれい事を言うアスタロト。
それを好ましく思う者もいないワケではないが、この異常な状態がいつまで続くのかというストレスに晒されたTOP19たちからは、批難の目が向けられる。
「ご立派なご意見だが…じゃぁ、どうすんだ!?」
代表して声を荒げたのはジュピテル。
「…大丈夫。君が気に病むような事は何も起こらないよ。アスタロト君…」
そのジュピテルを制するように、ディンがアスタロトに向かって語りかける。
弄んでいた箱を、ぴん…と伸ばした右手の人差し指の上でクルクルと回転させながら、右腕を真っ直ぐに天井の方へと伸ばし…高く掲げる。
「これから起こることは、単にCRO殿に、このデスシム世界から退場していただく…という…それだけの事。君たちも感じただろう?…このCRO殿は、我々と違って、そもそも…このデスシム世界を生きようという気が無い。彼にとって、ここは単なる会社が運営する実験用の箱庭だ。ここは、彼が居るべき場所ではないのだ。…まぁ、彼の犯したルール違反には、ちょっとばかりの手痛いペナルティーを与えてはやるがね」
・・・
ディンは、最後の「手痛いペナルティー」の部分を、天井のCROに視線を向けて威圧的に言い放った。
「…き、貴様…な、何をするつもりだ!?」
さすがに、自分に危機が迫っていると覚ったのか、CROが余裕の無い声を上げる。
「…お前さんが、私を誰だと思っているのかは知らないが。だが、そのお前さんが思っているとおりの男が…私だとしたら…。このシステムには、どんな仕掛けでも組み込める…とは思わないか?…そして、この箱。最初に、言ったろう?…忘れてるといけないから…もう一度、同じ問いをしてやろう…」
錯覚だろうか。
箱の回転速度が増す度に、その箱が大きさを増しているように見える。
いや。既に、その場の全員の視線が、また、その箱に強制的に引き寄せられ、心理的にその箱しか見えない状況に陥っているから、そう見えるのかもしれない。
その証拠に、音までもが…いつの間にか異様に静まり返っている。その静寂の中で、CROに語りかけるディンの声だけが、エコーやディレイが複雑にかけられたような幻惑的な響きで、全員の聴覚を独り占めにしている。
「この箱の中には、君の心臓が入っている…と言ったらどうする?…いや。君の未来が入っている…ぐらいの表現の方が面白いかい?」
・・・
「…ま、まさか。き、貴様、わ、私に…何か仕組んだのか?」
最初と同じ、どちらにしても全く面白くもない冗談のハズなのに、何故かCROは笑うことができずに、狼狽えるしかない。
「さぁ?…どうかな?…私が誰か。お前の予想が当たっていれば…そうかもな」
笑う。
両頬の筋肉だけを異様な形に歪め、口の形だけを不気味な笑いの形にして。
笑う。その目に、冷たい色を塗り込めたままで。
「では。ごきげんよう!」
そう言って、ディンは箱を乗せていた左の人差し指を、つん…と上方に突き上げる。
箱は、ディンの指先を離れ…回転しながら、CROの声がする天井の中央。太陽光を取り入れるレンズ窓のある方向へと吸い寄せられていく。
「…う。うわぁ。うわぁぁあああああ。止めろ。来るな。戻せ…あぁぁあああ!!」
何の攻撃力も持たないと思われる、クルクルと回転する小箱。
なのに、滑稽なまでに恐怖の籠もった叫びを上げて、CROが錯乱する。
そして、彼は…自分で自分の運命を決定づけてしまった。
・・・
部屋の天井の中央。
そこが今日、三度目の輝きに包まれる。
…刹那の煌めきが、そこに近づく、回転する小箱を燃やし切り裂く。
箱は…一瞬にして燃え尽き…
箱が燃え尽きるのと同時に、CROの叫びも、不意に途切れた。
沈黙。
呆気ないほどの…結末。
「こ…殺したのか?」
ユノが、アスタロトの方を気にしながら…ディンに確認する。
アスタロトは無言だが、答えの如何によってはどうするかわからない…と言った面持ちでディンを睨みつけている。
「いいですねぇ…。君たちは、そんなにもこの世界における命を、本物の命であるかのように思ってくれている。CROに、その10分の1でも、この世界の命に対する畏敬の念があれば…こんな事にならずに済んだのですが…いや。残念です」
「誤魔化すなよ!」
アスタロトが叫び、そして睨む。
・・・
「…見てただろう?…私は、何もしていないよ。彼が…勝手に一人で盛り上がり、舞い上がり…そして、自分で最後のトリガーを引いただけだよ」
「…なるほど。あの小箱が、CROとやらを、強制的にログアウトさせるためのスイッチだった…ということですか?」
ディンの弁明を、ベリアルが補足するような口調で確認する。
「そう。まぁ…彼の場合、我々のようなプレイヤーとしてのアカウントでログインしていたワケでは無いから、少々、無理な切断になってしまったのは…まぁ…勘弁してもらいたいところだな。運が良ければ…今頃、会社のメディカル・プール・ルームで、バシャバシャと溺れそうになっているだろう…」
「…運が悪ければ?」
含みのあるディンの言い回しを、左端は聞き逃さなかった。
「…嫌だなぁ。優秀な君たちは、そういうの…気になっちゃうんだね?…やっぱり。まぁ、あの箱が彼の命であるかのように、散々、暗示をかけた上で、箱の消滅とバッチリタイミングを合わせた強制ログアウトをしてやったからね。…運が悪ければ………分かるだろう?…言わなくても」
最後の瞬間。CROは何を思っただろう。彼が、少しでもデスシムの世界の【生】について想いが芽生えていれば、強い暗示による臨場感溢れる【死】の錯覚は、彼の現実の生命や精神にも、何らかの傷を残してしまったかもしれない。
・・・
しかし、過去の様々な悲しい事故を教訓に、現在ではショック・アブソーバの搭載はシムタブ型MMORPGには義務化されているし、本当に命を落とすには至らないハズだ。
そして、CROが残念ながら全くデスシム世界の【生】に思い入れがないのであれば…最初にディンが言ったとおり、メディカル・プールの中か、どこかで悔しがっているに違い無い。別に、メディカル・プールは短時間のログインには必須というわけではないので、CRO用の重役席の革張りの椅子の上で、ズッコケているだけかもしれないが…。
「…い。一体、何だったんだ?」
夢から醒めた…という感じに戸惑いながら、ヴィアが周りを見回している。
既に、左端やフー、ジュピテル、ユノ、ベリアル…たち上位のTOP19たちは、危機が去ったことを覚って防御魔法を解除している。
それに気づいて下位のTOP19たちも、次々と防御魔法を解除していく。
「ケッ…。何だかスッキリしねぇ気分だぜ…」
白虎の呟きにも冴えがない。
彼らからすれば、事の後半のことは、まるで深い霧の中での出来事のようで、なんだかモヤモヤとしていて、ハッキリと認識できていない。まるで、夢でも見ていたように…。
だが。アスタロトの足下に存在する…可哀想なラップの亡骸。それが、全てが夢などでは無かったことを、無言で証明していた。まだ、謎は残されたままだった………。
・・・
次回、新章「理不尽な試練」へ突入。「NPC(仮題)」へ続く…
デスシム世界におけるNPCの仕様とは…
ラップの謎が明らかになる?