(23) 議題なき協議会<5> …ラップ…
・・・
その場の誰の知覚速度をも超えた刹那の煌めき。
斜めに切り裂かれた空気が、忘れていた呼吸を再開するかのように周囲から風を呼ぶ。
その風が、青ざめ…唇をガクガクと震わせて呆然とする(アスタロト)の髪を揺らす。
ラップの体を完全に切り裂いたということは、その攻撃はラップの体だけでは防ぎきれなかったということを意味する。
それでも致命の傷を与えることは出来ない程度にまで威力を削がれたその攻撃の余波は、呆然と目を見開く(アスタロト)の左頬から顎へと斜めに通り抜け、胸の上部中央から右脇へと浅からぬ傷を刻みつける。
自分へ向かって飛び込んでくるラップの軌跡を目で追っていたため、顎を引く形になっていたことが幸いして、その傷は(アスタロト)の首筋を走ることは無かった。
そうでなければ、致命の傷となっていたかもしれない。それほどの爪痕。
数瞬の間の後。
思い出したかのように、(アスタロト)の傷から血が飛沫く。
そして、それを合図に、空気までも凍り付いたかのように静まり返っていた特設会議室内に音が戻る。
最初の音。それは…
斜めに2つに裂かれ、(アスタロト)の右手では支えてやれなかった、ラップの上半身が、(アスタロト)の背後へと崩れ落ちる音だった。
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「…何で?」
ラップを支え損ねた右腕を、(アスタロト)はぼんやりと見つめる。
隣では、青ざめたユノが、慌てて治癒魔法を(アスタロト)にかけようとする。
「………何でだよ!!」
右腕から床…倒れ伏したラップの上半身へと視線を移し、(アスタロト)が吠えるように叫ぶ。俯いた姿勢であるため、その表情は見えない。
魔法が得意なはずのユノだが、指先の震えを押さえられずに手印魔法を何度か失敗してしまい、焦りの声を上げる。途中で諦め詠唱魔法へと切り替える。
ひょっとして、治癒魔法までもが無効化されるのではないか?………そんな不安を覚え始めたユノだったが、辛うじて(アスタロト)の止血に成功した。
だが、そこで礼を言われるどころか(アスタロト)に怒鳴られるユノ。
「違う。俺はいい。俺はいいから、ラップさんに!…ラップさんの治癒を!!」
血を吐くような(アスタロト)の叫び。
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叱られたユノは、悲しそうに首を左右に振る。
「…駄目なんだ。アスタロト。駄目なんだよ…。いくら、君の望みでも…。いくら、私が魔法を極めたとしても…。それだけは…無理なんだ…」
可哀想なぐらい震える声で、ユノは小さく返答する。
気の毒だとは思うが…ラップは、既に絶命しているとしか思えない。
体幹を二つに断たれた以上、それはもう…「部位欠損」…などという表現では語れない。
このデスシムが、普通のシムタブ型MMORPGであったなら…。
まだ、死亡を確定させるライトエフェクトに包まれることもなく、光の粒として空間に弾け消えることもない…ラップの体は、「蘇生の秘薬」や「復活の呪文」などにより【生】の状態へと呼び戻すことが可能だっただろう。
しかし、デスシムが、どのような理念に基づく仮想世界であるか。
ここで生きていくつもりなら、片時たりとも忘れてはらない。
ここは、究極にリアルな【死】を追求し、【生】と【死】について深く思い至らせることを目的とする…という悪趣味な理念によって運営されているのだということを。
他のTOP19(トップナインティナー)たちは、突然の事に騒然となりかけたが、ユノが(アスタロト)に施した治癒魔法が成功したのを見て、攻撃魔法でなければ強制的に無効化されることは無いと知り、次々と防御魔法を展開している。
標的は(アスタロト)一人であるような事を言っていたが、それが本当であるという保証はない。何せ発言の主は、得たいの知れない技を使う未知の相手なのだから。
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それぞれが展開した自身が展開できる最高レベルの防御魔法に包まれて、各TOP19は、完全に安心できたワケではないものの、少しばかりは心の余裕を取り戻す。
依然、一番に警戒すべきは未知の攻撃を繰り出した…天井の一点。そして、そこに居るのかどうかも不明な…自称クリエイターであることは間違いないのだが…。
【今日、この特設会議室内では、一切の戦闘行為が無効化されます。…システム的に】
そう言ったのは誰だったか?
TOP19たちは、誰からともなく、不審の目を進行役のジウに向ける。
しかし、そのジウ自身が、実は最も驚いていた。相変わらずの無表情ではあるが、TOP19たちから注がれる不審の目にもかまわず(アスタロト)の方を見つめている。
「アスタロトさん………?」
ジウの口から溢れたそれは、果たしてどちらのアスタロトへの問いかけなのか…
打ちひしがれたように身じろぎもしなくなった(アスタロト)の表情は、今も俯いており窺い見ることはできない。
自分と体を共有している<アスタロト>は、何を思っているのか…その思念は沈黙したままで、さきほどから揺らぎの一つすら見せることはない。
再び沈黙に包まれる中。ユノも治癒より防御を優先すべきだと覚って、(アスタロト)と自分の周りに芒星魔法による小規模高位防御魔法を展開した。
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それぞれに最高位の防御魔法を展開しているため、特設会議室内は、まるで数々のイルミネーションに彩られたアトラクション会場のような様相を呈していた。
ジウは無表情のまま呆然と立ち尽くしていたが、数々の防御魔法に伴う魔方陣が回転しながら明滅する光を受け、やっと我に返った。
そして、遅ればせながらも、ジウも防御場を自分の周りに張り巡らす。
ただし、システム側の担当であるところのジウの場合は、魔法ではなくコマンドによる展開という違いがあるが…。
そして、警戒したような仕草で、天井の一点を睨みつけるジウ。
それは、完全に天井から声と未知なる攻撃を投げかけてくる…自称クリエイターとは、敵対する関係にあるということを感じさせる仕草だった。
ジウの疑いが解けたワケではないが、その彼の様子から、少なくともジウが自称「クリエイター」の仲間ではなさそうだということをTOP19たちは理解する。
一方の自称クリエイターは、「ちっ…」と忌々しげな声を漏らし、こちらもまた沈黙する。その忌々しさは、標的としたアスタロトを仕留め損ねたことによるものか?…それとも、攻撃を連発することができないことによるものか?
どうやら、膠着した状態に落ち着いてしまったらしい特設会議室の中で、TOP19たちの視線は、攻撃に晒された(アスタロト)とラップの方へと移る。
そして…皆の心を占めたのは疑問。………何故、ラップが?…と。
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【はじまりの町 東門外 初試練の平原】 9月某日 夕刻
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平原…と名付けられたエリアであるにも関わらず、その大地には深く大きな穴が穿たれていた。
穴…とは言っても、それは遙か上空から俯瞰した場合に可能な表現だ。
不思議なことに、その穴は円形ではなく、その半分を何かに守られたかのような半円形をしていた。それは、まるで「はじまりの町」を呑み込もうとする悪魔の顎のような不気味な姿を刻んでいる。
その上顎の縁に立ったものは、それを底の知れない断崖であると思うであろうし、一方、その底から見上げた者は、登ることなど叶わぬ絶壁であると感じたことだろう。
そして、事情を知らぬ者は、それが僅か数時間前までは存在しなかったなどとは思いも寄らぬことだろう。だが、そう教えられれば、なるほど、その断崖と絶壁が思いの外、新しい土の色を晒していることに納得することだろう。
その大地に穿たれた傷。それは…【堕星天使獄】と言う超上級攻撃魔法により大地に刻まれた爪痕だった。
しかし、爪痕を残した魔導師と、その魔法の標的となってもなお勝者となった者の姿は、もうそこには無い。
この初試練の平原エリアの領有権を巡るその闘いが終結し、死力を尽くして闘い抜いた二人の勇姿を一目見ようと押し寄せた観戦者たちに追われるように、町の中へと帰って行ったからだ。
夕日を受けて朱に染まる平原。だが、風が吹くだけに見えたそこは無人ではない。
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その壮絶なまでの激しい闘いを制したのは、領主一人の力によるものでは無かった。
町への被害を最小限に食い止めたのは、彼のGOTOSによる攻勢防壁であった。
しかし、それ以上に貢献した者たちがいたのを忘れてはならない。
闘いの終盤。攻め手の魔導師が奥の手として仕掛けて置いた大規模儀式魔法が、恐るべき効果を持って発動する。
【十五芒喚起術!(ペンタデカゴン・エヴォケーション)】
無数の…としか表現しようの無い規模で、次々と喚起(召喚)される精霊や悪魔たち。
健闘を続けていた領主も、その怒濤のように押し寄せる悪魔たちの群にやがて呑み込まれ翻弄されはじめてしまう。
しかし、文字通り多勢に無勢の状況に陥っていた領主に、誰も予想できなかった援軍が加勢する。それは、彼の領民であるところの…NPCたちだった。
領主特権…というものを発動すれば、もちろん領民であるNPCたちに戦闘へと加わるべく指令を与えることが出来る。
だが、領主にはその記憶どころか、そのような特権があるという知識すら無かった。
…にも関わらず、領主の危機を察知するや、自らの危機も顧みず無謀な参戦を果たした彼ら、彼女らNPC。武器らしい武器も持っていない徒手空拳の彼らは、当然の如く悪魔たちの歯牙にかかって倒されてしまう。
幸運にも、復興隆盛のおりであったため、次に参戦したNPCの一群は建設用大規模重機を操っていた。これらは、1対1の攻防であれば役に立たない代物だっただろうが、乱戦となっているその状況においては、精霊や悪魔を次々と蹴散らすという奇跡的な活躍を見せた。そして、魔法伝導師のNPCの魔法の一撃により、領主側が勝利した。
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観戦者に追われるようにして「はじまりの町」へと帰ったのは領主を始めとするPCだ。
儀式魔法により呼び出された精霊や悪魔たちは、呼び出した主人である魔導師の敗北とともに、その魔力の供給を絶たれ、一体…また…一体…と、消えていった。
必然的に、そこに残されたのは…
血と汗と、傷と誇り…を身に纏った…NPCたち。
最後の「誇り」は、誤変換などでは決して無い。
彼らの表情は、彼らがNPCだとは信じ難いほどに満足気に上気しており、自分たちの領主を守りきった…という誇りに満ちあふれていたのだから。
もちろん、役目を果たしたNPCたちも、いつまでもそこに残る必要があるわけではない。やがて、町に近い側から整然と自分たちの本来の持ち場へと帰還していく。
土木建設作業員たちは、壊れた重機にムチを打ち、それ以外の…体一つで参戦した者たちも、足を引きずりながら、ゆっくりと東門をくぐって行く。
領主に置き去りにされても、NPCたちには誰一人として彼を恨むものはいない。
そもそも、人ならぬNPCたちに、恨むという感情があるのかどうかも不明だが…
彼らの参戦に気づいた領主とそのGOTOSが、すぐに自分たちに防御魔法をかけて守ろうとしてくれたことを知っているから。
でも…。始めに悪魔たちへと飛び込んだ勇気ある数体のNPCたち。彼らは…
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NPCたちすらも、その場から消え去った後。
そこに残った者は…
既にシステムにより【死】の状態であると判定されるに至り、モノ言わぬオブジェクトと化したNPCの骸。
そして、未だ【死】へは至ってはいないものの、もう自力では立ち上がることも叶わず、自分の各種ステータスが、一方通行の坂道を転がり落ちるが如く、ゼロへと低下していくのを無感動にモニターしている…瀕死のNPC。
後者から、前者へと徐々にその数を移していく彼らの傍に、その時、夕日を隠して長く伸びる影が覆い被さる。
NPCは、死に神を恐れたりはしない。
彼らに与えられているのは、あくまでも擬似的な【生】であり、だからその【死】も所詮は擬似的だと知っているから。
だが、その擬似的な【死】を、あと数分と待たずして迎えることになるそのNPCは、何故かその人の形を引き延ばした黒い影に向かって手を伸ばす。
黒い影の主は、それで、そのNPCがまだ完全には【死】の顎に呑み込まれてはいないのだと知ったようで、そのNPC…歩道の花壇に花を植えるだけの役目を与えられていたハズの女性型NPC…に、歩み寄った。
そして、その人影は、彼女の傍に屈み込んで、彼女の手を優しく握って声をかける。
「…何か…思い残すことでもあるのかな?…お嬢さん」
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もちろん…もうその女性NPCには意思を表示できるほどの生命力…に相当するステータス値は残されていない。そうでなくとも、その女性NPCは無口な設定だった。
しかし、その握りしめた手から、何か伝わるものでもあるのだろうか。人影は、彼女の意思を正確に読み取ってみせる。
「…なるほど。領主のことが…気がかりかね?…大丈夫だよ。君の領主様は、君たちのお陰で、無事勝利を収めた。無傷ではないが、今頃は、安全な場所で治癒や回復を施されているはずだ…君が心配するような状態では、もうないよ?」
しかし、女性NPCは多少の安堵の表情を浮かべたものの、まだ、何か心に残るものがあるようだった。
「ふむ…。では、自分たちNPCに感謝の言葉もかけずに帰ってしまった…領主様が恨めしいのかな?」
その言葉に、もう表情を操る力さえ失いつつあった女性NPCが、怒ったような表情で小さく顔を横に振る。
「…おやおや。無理をしなくて良いよ。悪かった。君たちは、そんなことで領主を恨んだりはしないよね。あの押し寄せる観衆の中では逃げるより仕方なかった。あの領主のことだ、きっと今頃は、君たちの事を思い出して心を痛めているに違い無い…」
女性NPCの表情が、今度は悲しみの色に変わる。
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人影は、ふぅ…と深い息をついた。
「…本当に。君たちは、あの領主を慕っているのだね。驚いたよ。…なるほど。うんうん。そうかい。【死】が怖いんじゃあないんだな?…そうか。では何が?…うん…」
もう、女性NPCは、ほとんど動かない。しかし、心に残った思いを、何とかして人影に伝えようと最後の力を振り絞っているようだった。
「…あぁ。…これは…すまない。…涙など…忘れたと思っていたが…私も、泣かせてもらって良いかね?…そうか。そうかい。君は、自分が死んだことを知った…あの領主が…悲しむことが…それだけが心残りなんだね…」
すると…その言葉に、彼女だけでなく、その周りに倒れていた…まだ【生】のステータスを辛うじて保持していた数人のNPCたちも僅かながら反応を示す。
「…君も?…君たちも!?…そうか…そうか。皆、同じなんだね。彼のことが…君たちの【死】を心の底から悼むであろう領主様のことが…気がかりでしょうがないんだね?」
人影は、それを確認すると女性NPCの手を放し、そっと立ち上がる。
「…わかったよ。君たちの願い。聞き届けた。君たちは安心して私に…」
優しく宣告した人影を中心に、次の瞬間、巨大な魔法円が広がり…そして消えた。
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【中立大平原 特設会議室】 数分前
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「ジウ…………………お前は、愚か者だな…………」
頭上から偉そうな声を降らせていたクリエイターの声の色が変わった。
そして、ジウに向かって、周りのTOP19たちには理解不能なことを長々と述べはじめた。
その話の内容に何を感じたのか、ジウが(アスタロト)に向かって「逃げろ」と叫ぶ。
ラップは、そのやり取りを黙って見つめていた。
そして、小さく呟く。
「あぁ。やはり…死亡フラグが立ってしまいましたね…」
そして、後ろにいるディンに、チラット視線を送る。
ディンは何も言わない。ただ、黙って大事そうに小箱を抱えて座っている。
ラップは再び前を向き、何か、覚悟を決めるかのように、小さく頷く。
「…でも。これが私のレゾンデートル。今こそ…約束の時」
ラップには、この後、おこる出来事が、明確に分かっている。そのタイミングも。
そして、その時が来た。
デジャヴのように…、ラップが思ったとおりの台詞を頭上のクリエイターが叫ぶ。
「…………この場で…いますぐ…【死】を与えてやる!!…シッ!」
・・・
その言葉を聞き終えてから動いたのでは、間に合わない。
しかし、早く動き過ぎれば、頭上の自称クリエイターにラップの意図を覚られてしまう。
だが、大丈夫。
遠い未来は知らないが、直後に発生する事象であれば、自分は100%に近い確度を持って正確に予想することができる。それが、自分の能力だ。
ラップは、絶妙としか評しようのないタイミングで、座席を蹴って大机の上に飛び乗り、机を踏んだ次の一蹴りで、弾丸のように…大机のちょうど向かい側に座っている(アスタロト)の方へ向けて、飛び込むように体を投げ出した。
驚いたような顔をした(アスタロト)と視線が合う。
この(アスタロト)が、自分と初対面であることをラップは知っている。
あの時、ジウの中に潜んでいた<アスタロト>は、今も、ジウの中にいるのだろう。
でも、どちらのアスタロトも、自分が命を投げ出してでも守りたい…その相手であることに代わりはない。
いや。絶対に守るのだ。そう…自分は約束し…誓ったのだから。
予想したとおり、次の瞬間、仮想対実時間レートが局所的に引き上げられる。
全世界的に引き上げても得られる効果は同じだが、それでは頭痛や吐き気などの副作用を引き起こし、レートの引き上げを他のPCに覚られてしまう。
僅かに時間の流れが不均一となってしまうが、刹那の時間であれば覚られるほどの影響は残らない。
システム側のPCだけにしか不可能な卑怯な技ではあるが、今更、ラップはそんなコトに憤りはしない。自分の能力だって、相当にチートだと知っているから。
・・・
無限に近いほどに…引き延ばされた刹那の時間。
…とは言っても、その引き延ばされた時間の中で、自由に動き回れる者はいない。
その激流のような時間の流れの中では、脳が体を自由に動かすほどの信号を正常に処理することができないからだ。
だから、このレートの引き上げに意味があるのは、魔法による空間の揺らぎの圧縮と…数少ない高レートへの適応性を持ったPCたちの思考に…無限に近い余裕が与えられるということである。
そのレート引き上げにより、ラップの体は、(アスタロト)の目の前に覆い被さるような位置で、空間に縫い付けられたかのように静止していた。
もっとも、そのことを驚く者は誰もいない。何故なら、他の者もラップと同様に、凍り付いたかのように静止しているのだから。
だが、ラップは、思念を嬉しそうに揺らして安堵する。
この時点で、目前の(アスタロト)の体に外傷が見られないならば、自分が予見した未来のとおり、自分は(アスタロト)を守ることに成功したに違いないのだから。
<<生きて…。そして、これからもNPCたちに愛を…>>
自分の使命…約束を果たした満足感に包まれながら、ラップは思念で呟く。
伝えるべき相手も、刹那の時間に閉じ込められて凍り付いているけれど。
それでも良いのだ。伝わらなくとも…この人は…分かってくれる。
そう。諦めにも似た境地で、やがて来る自らの【死】を待つラップ。
・・・
だから、それは望外の幸せだといえるだろう。
想い人の(アスタロト)から、思念が返されたからだ。
『…どうして?…どういうこと?…君は…誰?』
あぁ。あぁ。何と言うことだ。何という奇跡だ。
ラップは、驚き…そして、同時に喜びで心を躍らせる。
だが、自分が誰か…という問いには答えられない。答えようがないから…。
<<アナタは生きなければなりません。多くのNPCたちの未来のために…>>
『…NPC…たちの?』
<<私には、未来が…近い未来に限定されますが…極めて正確に…見えるのです。それが、私の特殊能力です。現在時点での全ての事象パラメータを知り、それを極めて正確に解析できる…そういう存在が理論上の存在として…かつて提唱されたことがありますが…それを実験的に検証するために与えられたのが…私の力です>>
『…与えられた?…って、それって思考実験だろ?…聞いたことあるよ…確か…』
<<そう。私はラプラスの…。今から消えゆく私の名など意味はありませんが、一応、この個体に付けられた真の名という記号上では、ラプラス・オール・ノウンという表記を与えられています>>
『…まただ。与えられている…って何さ?』
<<この力自体は、私が望んだモノでは無いからですよ。私が望んだのは、アナタ…>>
『俺?…そうだ。どうして?…ねぇ、君の体でその向こうが見えないんだけど…何が起こっているの?』
・・・
<<…そうでした。自分が全てを知っているから…アナタも次に起こる事象を認識しているものと誤認してしまいました。お詫びします>>
『詫び…とか、そういうの良いから…説明してくれる?』
<<この後、何が起こっても…悲しんだりしないで下さいね>>
『え?…いや。そんなの…何だか分からないのに、約束できないよ?』
<<いいえ。私のために…約束してください。アナタは…それができる。とても優しい人でしょう?>>
『そ、そんなこと…言われたって………。でも、分かったよ。そうしないと教えてくれないなら…約束するよ』
<<ありがとう。アナタは察しの良い人です。私に、もう時間が余り残されていないことを感じ取ってくれたんですね。…そのとおりです。この引き上げられたレートが解除された次の瞬間。残念ながら…私は【死】を迎えなければなりません>>
『………【死】…って………な、なんだよ…そ、それ!?』
<<私の背後には、既に【死神の大鎌】が振り下ろされています。…どのような技かは、私には分かりませんが、それは…どのような強者でも一撃死させるほどの技です>>
『……そ……ん…な…』
<<悲しむ必要は…ありません。私は…私たちは…既に一度【死】を迎えるハズだったのですから。いえ。…違いますね。そもそも、私たちは…アナタと違って…本物の心や命を持っているわけではありませんから…>>
『………な、何を言っているのか…わ、分からないよ…。ごめん…ど、どういう…』
<<…混乱しないで。私は、私たちは、自分でも…もう誰なのか…良く分からなくなってしまっているの。コアであるワタシは…このデスシムのメインサーバーの一部。量子演算ユニットに仮想人格エンジンを融合した実験的人格…それが未来視を司る…>>
・・・
『…ラプラス…オール…ノウン?』
<<そうだ。それはワタシの名だ。実際には全知全能…どころか、僅か近未来だけを予測するだけの前知無能…なNPCに過ぎないがな。…だが、その能力をワタシが与えられたのは…君を守るためだ…>>
『俺…を…守る…』
<<…あの領土争奪戦。いや。それだけではない。シムネットへの干渉。【天の邪鬼】のテイム。鉄壁亀の包囲網の突破…数々の奇跡を起こした君を…好意的に見る目ばかりではないことは…君も気づいているだろう?>>
『…う、うん』
<<実際。君は、領土争奪戦の後、無限の檻の中に閉じ込められた。見事に生還してみせたが…実際、アレは相当に危険な檻だったのだ。システム側には、執拗に君を狙う派閥が形成されていたことは疑いようがない事実だ。…だが、君を守ろうとする者も確かに存在した。…その最前線がジウであり…他にも…>>
『じ、ジウは…や、やっぱり俺を守ってくれていたんだね?』
<<そう。だが、ジウだけでは君を守りきれない。ジウは優秀だが、万能では無い。それに、敵対する派閥からも、君の傀儡だとみなされていたから…>>
『それで、き、君が?』
<<そうだ。そう。そうなの…。そうよ…。あぁ…あぁ…ワタシの説明はココまでだ。ワタシの中の私たちが…その想いが溢れて………続きは私から話させてね…私…最後に…アナタとお話ができて嬉しい…>>
『………た、多重人格?』
<<どうなのかしら?…私たちは人間では無いから…NPCの場合でも多重人格って言うのかしらね?>>
・・・
『…き、君たちはNPCの集合体…なの?』
<<ごめんなさい。私には難しいことは分からないの。…それに、もう、あまり時間がないようだわ…。お願い。だから…黙って、私たちの感謝の言葉を伝えさせて…>>
『か、感謝?…お、俺に?』
<<ええ。そうよ。…ありがとう。本当にありがとう。言葉すら話さない…無愛想な私に…いつも微笑みかけてくれて…。私と一緒に…花を…植えてくれて…>>
『き、君は…もしかして………』
<<余り…役に立てなかったけれど…。アナタが無事で良かった。アナタが私たちの町を愛してくれて良かった。私たちの町を守ってくれて………本当にありがとう。アナタが領主となってくれたことを…私たちは誇りに思う…>>
『…そんな。そんな…誰も、あの闘いでは、誰も被害者は出なかった…って…』
<<そうね。ゴメンなさい。アナタが悲しまないように、アナタが罪の意識に心を曇らせないように…私たちがお願いして、そういう暗示をかけてもらったの…だから、誰もアナタに嘘を言ったのではないのよ…恨まないであげてね?>>
『なんて事だ…なんて事だ…俺は…俺は…』
<<ゴメンなさい。ゴメンなさい。最後まで黙って逝くべきだったかもしれない。それが、本当の優しさだったのかもしれない。でも、人ならぬ…造られた人格しか持たない…愚かな私は…私たちは…それでも、最後に、自分たちの感謝の気持ちを…アナタに伝えたかった。この奇跡のような時間を与えてくれた…私たちの神に感謝しながら…>>
『…感謝だなんて…感謝だなんて…俺の…俺の方こそ………ありがとうだよ…でも…』
<<お願い。悲しまないで。心を曇らせないで。ネェ。モウイイデショ?…次ハ…私ノ番ヨ。壊レタ、コンビニ…本当ハ、無料ニシテアゲタカッタケド…料金ヲ払ワセテシマッテゴメンナサイ。ソンナ私ニモ、優シク気遣ッテクレタ…アノ喜ビ…忘レナイ…>>
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<<オレにも礼を言わせてくれ、NPCの俺たち土木作業員にも、十分な休憩をとらせてくれたよな…嬉しかったぜ。今度はアタシの番だよ。ほら、どいて。あはは。アンタはいつも私の店の前で、アタシの焼いた饅頭を美味そうだって…褒めてくれたねぇ。たまにしか買ってはくれなかったけど…嬉しかったよ。………もっと、オマケしてあげれば、良かったのにねぇ………アタシったら………>>
その言葉の途中で…非情にも、刹那の時間は終わりを告げる。
ラップの体の中のNPCが、最後の饅頭屋のおばちゃんで全員だったのは…神の与えたもうた奇跡だったろうか。だが、それを(アスタロト)は知る術がない。
伝えたいことが、そして聴きたいことが、まだまだ沢山あった。
その途中で、運命が(アスタロト)の目の前で引き裂かれる。
いや。運命が、(アスタロト)の目の前で、ラップの体を引き裂いたのだ。
ラップのように、せめて「前知」の力が(アスタロト)にあれば…。
しかし、残念ながらそのような力は(アスタロト)には無い。
ただ、目の前で起こった結果だけを…呆然と受け止めるしか無いのだ。
それでも、(アスタロト)は必死で足掻いた。
苦手な治癒魔法を…反射的にラップにかけようと…唯一自分が習得している瞑想魔法を発動しようとした。
しかし…。治癒魔法というのは…生者にのみ適用可能な魔法なのだ。
発動しかけた治癒魔法は、効果を発揮することなく霧散する。
既にラップが息絶えていたからか…対象がNPCだったからなのか…それは不明だが。
・・・
でも。
斜めに切り裂かれ、二つに分かれたラップの体。
その上半身が…その顔が、アスタロトの右側を通り過ぎていく…その時。
既に、システムからは【死】の判定を受けているハズのそのラップが…
アスタロトの耳元で…確かに…囁いた。
【生きて…】
…と。
崩れ落ちていく、その上半身を…必死に抱き留めようとするアスタロト。
しかし、いつもは活躍してくれる褐色の右腕は…こんな時に限って全く言うことを聴いてくれない。
それでも、無理矢理に自分の意思に従わせたが、それはもう間に合うことはなく、虚しく…抱き留めようとする形のまま…何も受け止めることができずに宙を彷徨った。
何故だ?
アスタロトの心を支配するのは、悲しみや怒りより…疑問。
何故なんだ?
青ざめ…唇をガクガクと震わせて呆然としながらも…押し寄せる疑問が体を支配する。
・・・ ・・・
・・・ ・・・
【中立大平原 特設会議室】 現在
・・・ ・・・
・・・ ・・・
「くっ。…じゃ、邪魔をしおって…。何なのだ、アイツは?…TOP19ではないな?…マックスのGOTOSか…だが、何故だ。まるで、私の攻撃のタイミングを知っていたかのような動き…」
自称クリエイターが、驚きによる硬直からやっと解放されたとみえ、忌々しげな声を上げる。
再び、攻撃しようにも、既にアスタロトどころか、ジウまでもが防御魔法に守られてしまっている。
出力を上げれば…と、無茶なことを考える自称クリエイター。
そんなことをすれば、標的のアスタロトとジウだけでなく、この会場内のTOP19全員に危害が及んでしまうだろう。
だが、ここで…仕留めなければ…次の機会は…いつ訪れるか分からない。
敵対する一派からの反対攻勢は激しさを増すだろう。
それならば…どうせ、追求を受けるなら…多少の被害など………
自称クリエイターの心に、目眩がしそうな程に暗く黒い決意が浮かび上がろうとした…その時。
「ふむ?…君は…まさか、この会場ごと、全てのTOP19まで巻き添えにしてやろう…だなんて…怖いことを考えたりはせんだろうね?」
傲岸不遜さにかけては、自称クリエイターをさらに凌ぐ声が、部屋の隅から上がった。
・・・
特設会議室内は、今、まるで奇跡のような幻想的な様相を呈していた。
ほぼ、全員が展開する高位の防御魔法。その効果を現象として引き出すためのトリガーとなる色とりどりの複雑な紋様により回転する魔法円。
だが、一人だけ…。
その魔法円に囲まれておらず…どころか、一切の防御魔法を発動せずに不敵な笑みを見せるPCがいた。
アスタロトの向かい側の席。アスタロトを救ったラップの座っていた座席…の…さらに奥に用意された簡易な椅子。それに不似合いなほど、堂々と座っている一人の男。
先ほどまで、その男は…そこにいただろうか?
いや。確かに、そこには一人のPCが座っていた。ジウに呼び込まれて、ラップと共にマックスの代理として席へと付いた男が間違いなくいた。ディンと…言ったか?
だが…それは、こんな傲岸不遜で…堂々とした男だったか?
あの男は、これと言って特徴のない平凡そうなPCで、むしろ地味の極みとも言えるような、どう表現して良いか困るような男だったではないか?
だが、別人のような雰囲気を纏うその男は、確かにディンのハズだった。何故なら、唯一、ディンを他と区別しうる特徴…小さな小箱を…胸の前に今も抱えているから。
「この箱の中には、君の心臓が入っている…と言ったらどうする?…いや。君の未来が入っている…ぐらいの表現の方が面白いかい?」
どちらにしても、全く面白くないジョーク?を良いながら、ディンは前へ進み出た。
・・・
次回、「クリエイターの狂気(仮題)」へ続く。
展開によっては…ひょっとしたら、新章に突入という扱いにするかもしれません。
まだまだ、続く、怒濤の展開………にならなかったら…ゴメンナサイ。