(2) メジャーアップデート直後
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「デスシム」内部歴01年10月1日。
この日…午前0:00。「デスシム」のシステムには、「大規模な」メジャーアップデートが行われた。メジャーアップデートとはそもそも大規模なものだが…敢えて、重複を承知で「大規模な…」と言いたくなるほどの改変が「Face Blog ER」のコンテンツとしてアナウンスされたため、プレイヤーたちは期待に胸を膨らませていたのだ。
2206年時点でも、伝統的なお祭り騒ぎ「カウントダウン・フェスティバル」の風習は残っており、一部のプレイヤーは各々が滞在するタウンの広場などに誰からともなく参集して午前0:00の到来を待っていた…のだが…残念ながらマップ上のどこにも、カウントダウンを楽しめた場所は無かった。
前日の午後11時50分。「Face Blog ER」のアナウンスを良く読めば書いてあったとおり、アップデートに要する内部時間で10分程の間、アップデート内容の整合性を確保するため、各プレイヤーはパーソナル・エリアへ強制待避となり、他のプレイヤーとの接触が制限されたからだ。
予告通りその10分間でアップデートは完了し、午前0:00を迎えると同時に新しい仕様による「デスシム」世界が幕を開けた。「土砂降り」の「豪雨」とともに…
カウントダウンをやる気満々だったプレイヤーたちは、強制待避から解かれると、カウントダウンすべき時刻が既に過ぎたことを知ると同時に…ズブ濡れになった。
不平の声さえ聞き取れないほどに雨は激しく、プレイヤーたちは渋々と…いや…大慌てで雨を凌げる各々の常宿へと逃げ帰っていった。
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そして…現在の時刻は、同日の午前8時を少し回ったところ。
窓の外には、濃い灰色の油絵の具を乱暴に塗り重ねたような…荒々しい雨雲が、遙か彼方までを覆っている。
窓を開けた途端、恐ろしい程の雨音が耳朶を叩き…イシュタ・ルーは慌てて窓を閉めた。無駄なくらいの防音仕様なだろうか…窓を閉めると、雨音は嘘のように静かになる。
「楽しくない!………これじゃ、お馴染みのフードショップのおじちゃんからクッキー貰いに行けないジャンよぉ。ぶぅ~っ!」
「…て言うか…この雨じゃ…誰も外に出ようなんて思わないわよ。何か残念ね」
イシュタ・ルーの不平の言葉に、慈雨も窓の外を見て呟く。
一瞬窓を開けただけなのに、室内の湿度はたちまち耐え難いものとなった。
アスタロトたちも、数多のプレイヤーたちと同様に、カウントダウンで馬鹿騒ぎをしようと「はじまりの町」の町庁舎に集まっていたのだが、10分間の強制待避で肩透かしを喰らってしまった。
それだけなら気まずく互いの顔を見合わせるだけで済んだはずなのだ。
しかし、10分間もの間、アスタロトと引き離され…誰とも接触をできなくなったイシュタ・ルーがどうなるか…チュートリアル・レイヤーでの事件を思い出して欲しい。
バーサーク状態となったイシュタ・ルーは、強制待避の解除にも気が付かず、カウントダウンのために集まっていた会議室が半壊しかねない勢いで暴れ回ったのだ。
バーサーク状態のイシュタ・ルーの強さは未知数だが、タウモン(タウン・モンスター)の「餓鬼」たちに拉致された時に、最強のタウンボスである【天の邪鬼】とも渡り合ったらしいから、相当に強いことは間違いがない。
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…で、結局、アスタロトとマボの二人掛かりで必死に押さえつけ、やっと混乱を鎮めることに成功した頃には…「デスシム」世界には朝が訪れていた。
そんなワケで、アスタロトとマボは、それぞれ仮眠室で死んだように眠っている。知らない人がその寝姿を見たら…「本当に死んでる?」…と誤解しそうな程にボロボロな姿で…
メジャーアップデート後のタウンやフィールドでの冒険を心待ちにしていたプレイヤーたちにとって、この豪雨は出鼻を挫く防壁のようなものだった。
アスタロトの想いがかなって賑やかさを取り戻した「はじまりの町」。そのどの街路にも歩くプレイヤーどころかNPCの姿さえ見られない。メジャーアップデート直後から降り始めた雨は、時間の経過と共に激しさを増し、今では空から無数のガトリング砲の一斉射撃を受けているかのような猛烈な豪雨となっていた。いや…「かのような」は不要かもしれない。実際、無謀にも外出しようとしたプレイヤーたちは、「痛っ!たたたたた…ぎゃぁ!」…と大げさな程の声を上げて屋内へと逃げ戻るハメになっている。
「ふぁ…ぁあ。…頭痛い…あ?…まだ、雨降ってるんだ?」
まるで二日酔いの朝のようにクシャクシャになった髪型を手櫛で整えながら、アチラコチラ破れた服を着た…ちょっぴりセクシーな姿のマボが、仮眠室から起きてきた。
「お早う?…マボさん。そうなのよ。これじゃぁ…誰も外に出られないわよね。まるで、システム側が『外へ出るな!』…って言ってるみたい」
「…ん。そうだな。…で、実際のところは、どうなんだい?…君」
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慈雨の言葉に答えているハズのマボの視線は、その慈雨のさらに後ろを睨んでいる。
壁しかないハズの自らの背後を、慈雨は慌てて振り返る。
「はい。ご明察です。この町では『豪雨』ですが、他の地域では『豪雪』だったり、『暴風』だったり…様々な気象現象で、メジャーアップデート後の一定期間、プレイヤーの皆さん同士の接触を最小限に制限しています。…えぇ…意図的に」
慈雨の背後に現れたのは、システム側のPCであるジウだ。黒いスーツを几帳面に着こなした年齢不詳、平均的身長体重の男性型PCで、そこそこに整った顔立ちであるにも関わらず、無表情なのに常に不気味に笑っているような印象を与えてしまうため、大半の女性たちに嫌われている可哀想な男だ。
大半の女性の中には慈雨も含まれ、突然、嫌いな男が背後に現れたことにショックを受けたのだろうか、振り向いたまま固まっている。
イシュタ・ルーは、そもそも難しい話は苦手なので大人しくマボとジウのやり取りを窺うつもりのようだ。会議室の隅の椅子にちょこんと腰掛けている。
マボは、慈雨ほどにはこの男を嫌っていないので、この場の3人を代表してジウと会話を始める。
「ん~…考えるのが面倒だ。率直に訊こう。君たちが、我々を『意図的に』外出させない…というその『意図』を教えてくれ」
「はい。元々、それをお伝えするために手分けして各プレイヤーの皆さんのところにお邪魔しているんですよ。………ですが…あの…アスタロトさんは、どちらに?…出来れば、一緒に説明をさせていただけるとお互いの時間を節約できるんですがね…」
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「…君に『時間の節約』…とか言われると、こう…何だか無性に腹が立つなぁ。今日は、ぜひ必要最小限、簡潔に説明をして欲しいところだ。…ルー君。悪いがアスタロトを起こしてきてくれないか?」
「はぁ~い!」
出会った時から馬が合うのか、イシュタ・ルーはマボとは仲良しだ。だから、言うことも素直に聞く。アスタロトに懐いていながら、そのアスタロトと敵対したマボに対する友好的な態度に変わる様子がない。イシュタ・ルーは一本、筋の入った「不思議ちゃん」なのである。
「おやおや。アスタロトさんは、未だご就寝中でしたか。ほとんどのプレイヤーの皆さんが、メジャーアップデートへの興味を抑えられず、早起きして活動を開始しようとしているんですが………やはり、大物は違いますねぇ」
大げさな身振りで感心し見せるジウ。そこへ、イシュタ・ルーに手を引っ張られたアスタロトが、先ほどのマボと同様に頭をボリボリと掻き毟りながら起きてきた。
「誰が『大物』だ!?…オィ?」
「くすっ。だって『大物』じゃないですか?…『Face Blog ER』では、もう、アスタロトさんの話題でいっぱいですよ?」
「………じゃぁ言い直す!…誰が俺を『大物』にした?」
「くすっ」
「あぅあぅ…無表情で『くすっ』とか笑うな!!」
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…と、そこまでジウと言い合っていたアスタロトだが、同意を求めようとマボの方に視線を移して…固まる。
「あぅ!…ま、マボさん。な、何て格好してるんですか!?…あの…その…色々と見えちゃ困るような…その…あの…見えちゃってますよ?」
「ん?………あぁ…わ、忘れてた!…あ、アイテム・チェンジ!【ドレスCode0x7A24】…っと。ふぅ。これで良し!…ところで、君は、その…見えちゃったら困るのか?」
「あぅ。い、いや、困ると言うか…嬉しい…というか…」
「…か、勘違いするな!!…忘れているようだが、君自身も、もの凄い破廉恥な格好になっているのだぞ!?…君も着替えたらどうなんだと言っているんだ。アスタロト」
「あぅ!?」
マボもアスタロトも、昨夜のバーサーク状態のイシュタ・ルーを鎮めるのに全力を使い果たし、体中傷だらけ、衣服は下着ごと裂けるほどのボロボロ状態だったのだ。何とか鎮めるのに成功したものの、二人とも力尽きて、衣服の変更コマンドを唱える暇もなく、仮眠室で爆睡したまま今に至っているのであった。
男の見えちゃいけないものなんて…誰も見たくないよね?…というか、ひょっとしてジウが『大物』って言ったのは…これのコト?…とか思いながら、アスタロトは真っ赤になってアイテム・チェンジのコマンドを唱えて衣服を着替えた。
「いやぁ…眼福、眼福。英雄二人のしどけない姿を、こんな間近で拝見できるなんて…マジカヨ…って感じですね。間近だけにね…くすっ」
「……………」
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「ねぇ?…ジウって…こんな話し方する奴だったっけ?…マボさん」
「いや。全くもって面白く無いことを言うところは…変わりないが…面白く無さの種類が大きく異なるような気がするな。この前までは、もっと悪魔的で非人間じみた奴だったから………その…み、見られても何とも思わなかったが…。何か、コイツに見られた…と思うと…」
「わわっ!…駄目だよ、マボさん。こんなところで手印魔法とか使おうとしちゃ…」
「離せアスタロト!…この世の最後に、私の素晴らしい姿を見ることができたのだ。この男も、思い残すことはあるまい。燃やし尽くしてやる!」
その様子を意地の悪そうな笑みで見守るジウ。
アスタロトは、その違和感の理由が口調だけではないことに気づいた。そう。ジウがこんなにもあからさまに表情を浮かべることなど、今まで無かったハズだ。
「…お前…誰だ?」
アスタロトは左目を瞑って、右目だけでジウ…と似た男?…を睨み付ける。
左目の目蓋の裏に呼び出したコンソールに、素早くいくつかのバッチコマンドを入力。
同時に、深層意識下で3つの瞑想状態を並行して展開する。
集中力の高まりと全身の運動能力のエフェクターによる底上げの余波として、右目が薄青白く光を放つ。
先日の領土争奪戦の時を超えるアスタロトの気迫。その横では、マボも両手にカード型の法具を持ち、室内でも使用可能な法具魔法をいつでも発動できるように構えている。
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「………あぁ。これは…早めに謝っちゃった方が良いっすかね?」
やはりジウが浮かべるとは思えない引きつった愛想笑いを浮かべて…その男は両肩の前辺りの高さに両手を開いて挙げる。降参の意思表示のつもりのようだ。
「結構、リアルに真似したつもりなんすけど…やっぱ違いますかね?…ジウとは」
「…だから…お前、誰だよ?…もしかして、TOP19(トップナインティナ-)の一人が大胆にも潜入してきた…とかか?」
「おぉ。そういう展開も、面白そうっすね。やっぱり、噂に聞いたとおりアスタロトさんの発想力は興味深いっすね!…わわわわわ…分かりました。名乗ります。答えます。だから、その褐色の腕をニョロニョロさせるのやめてください…ぶ、不気味っす!」
ジウでは無い。そうバレた途端、男の口調は安っぽいものに変わった。
どうしてこんな男をジウだと思ってしまったんだろう?…と不思議に思うほど、今は少しもジウには似ていない。観念した男は、自らの素性について説明を始める。
「…この体自体は…ジウの体なんですけどねぇ?…やっぱり中に入ってる人が違うと、直ぐに分かっちゃうもんなんすかね?」
間抜けな口調で、予想外の内容で問いかけられたアスタロトとマボは、一瞬、互いに顔を見合わせてから、もう一度その男の方に顔を向け…
「「「中に入っている人!!??」」」
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ユニゾン若しくはダブル・ヴォイスで驚きを表現した。いや。イシュタ・ルーの声も合わさっていたからトリプル・ボイスか?
「な、な、中に…って?…え?…え、え、え?…それ着ぐるみなの?」
「そんなわけないだろう!…君。いい加減に真面目に答えないと容赦しないぞ!?」
混乱するアスタロトをしかりつけて、マボはその男にカード型の法具を突きつける。
男は、体を仰け反らせながら薄ら笑いを浮かべて弁解する。
「そ、そんな驚くようなことっすか?…だって、このジウの体はシステム担当PC…つまり仮想の体ですよ?…きょ、今日は、偶々、いつもの担当がCEOの特命を受けてリアルで何か忙しく駆け回ってるらしくって…それで、今日は急遽、俺が代わりにジウをやってるっす…だから、このPC自体はジウで間違いないんですよね」
…確かに、昔のMMORPGでは、PCをリアルの体の手足に付けたセンサーや、アイ・モーション・キャプチャーなどで操る仕組みだった。だから、アカウントをハッキングすれば、他人のキャラクターを別人が操ることも可能な時代もあったようだ。
しかし、シムタブの時代になってからは、血管から脳細胞へと辿り着いたナノマシーンが脳の情報を直接読み取り、自動的にログインする仕組みが主流であり、別人によるアカウント・ハッキングなどは基本的に不可能になっている。もちろん、「デスシム」以外のMMORPGでは、複数のアカウントを登録し、いわゆるサブ・アカウントを持つことも可能だが…一つのアカウントを複数人が操れる…ということは…今は無理なハズだ。特に、ログアウトしたら二度とログインできない「デスシム」では、なおさら…
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「ま、システム側のPCは、キャラクター描画エンジンがユーザーのと一緒なんで、便宜上PCって呼んでるっすけど…システム側ですから…ね。そこは、色々と皆さんの操るPCとは違うってことなんじゃないっすか?…俺も良く分からないっすけどね」
この男の説明は、ちょっと聞いた感じでは正しいように思われる。
そりゃそうだ。システム側なんだから。…何でもアリだよな。
しかし、一旦は納得しかけたアスタロトだが、どうしても引っかかるものがある。
「…でも…俺たちのPCと、描画エンジンは同一なんでしょ?」
「そのハズっすよ。NPCやモンスターとも同じって聞いてますね」
アスタロトは、先日のマボとの領土争奪戦で、この「デスシム」世界を構成し再現する描画エンジンについては誰よりも深く考え…そして感じとったという自負がある。そうしなければ、魔法を極めたマボに対抗することは不可能だったし、実際、瞑想魔法に関してだけ言えばマボすらも超えたという感触も掴んだ。そして、その瞑想魔法の神髄こそが、システムの描画エンジンの特性を知悉し、その描画プロセスに割り込み、干渉し…究極的には自らのイメージでその描画結果を上書きする…ということに他ならない。
「…なら…俺たちユーザーにだって、同じコトが出来る可能性があるハズだよ?」
仕様上で、ユーザーのそうした行為は「不可」に設定されているであろうことは容易に想像がつく。…だが、その「不可」なコトを、「可能」へと変換する方法があるではないか。………それが、この世界における「魔法」の正体だったハズだ。
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「う~ん。申し訳ないっす。俺、下っ端なんで…良くわからないっすね」
「もし、それが…可能なら…俺が、その『ジウ』を操ることも可能ってコトだよな?」
「いや…あの…だからね。アスタロトさん…」
「ちょっと…待って!…今、何か思い付きそうなんだよ…ブツブツ…」
アスタロトは一人で、ブツブツと何か考え込んだ。
マボは、そんなアスタロトを見て…「なるほど。アスタロトの強さの秘密は、こういうところにあったんだな」…などと、一人でウンウンと頷いて感心している。
イシュタ・ルーは、またアスタロトが何か面白いことをしでかすのではないか…と、目をキラキラ輝かせて期待している。慈雨も、黙ってアスタロトの様子を窺っている。
「あぁ!!!…そうか、もしそれが可能なら、この『デスシム』の中でも、一人のユーザーが複数のPCを操ることが出来る可能性があるってことだ!」
アスタロトは、世紀の大発見でもしたかのように歓声を上げたが、それを聞いたマボは小首を傾げて申し訳なさそうにツッコミを入れる。
「ん?…喜んでいる君には悪いが…そんなことなら、私の使える魔法の中にも『分身』系の魔法がいくつかあるから…珍しいことでは無いぞ?」
「…違うよ、マボさん。『分身』っていうのは、ボディーはオリジナルのコピーで同じだし、思考自体も自分一人分のものでしょ?…俺が、言っているのは、全く別人格のPCを複数同時に操れる…っていう意味だよ」
「???」
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マボたちには、おそらくアスタロトの考えは理解できないだろう。
何故なら、アスタロトのように「深層意識と表層意識を明確に分離して操る」などという変態的な特技を持つ者は少数だからだ。アスタロトの場合は、さらに深層意識上で3つの思考を同時に展開できる。だからこその発想だった。
「………はい。え?…あぁ…いや、俺が考えたんじゃないっすよ…はい。そうです、またまた、アスタロトさんのアイデアっす…はい。ふぇ…はははは…そうなんすか?…はい。分かりました、伝えます」
ジウの代理を自称する男は、上目になって誰かと会話をしているかのような独り言をつぶやき終わると、興奮した口調でアスタロトに伝えた。
「アスタロトさん。うちの会社のクリエイターに訊いて見たっすよ。そしたら『理論上は可能だ。できるものなら、やってみたまえ』って伝えるように言われたっす」
「おぉ。やっぱり出来るのか!」
伝えられた尊大で挑発的な物言いは、確かにあの「神」を自称するクリエイターの発言であることを感じさせるな…と、アスタロトは思った。
「…シュラくん…そんな…コト…したいの?」
今まで沈黙を守っていた慈雨が、興奮するアスタロトに不安げに訊いた。
サブ・アカウントを持てば、容易に人を欺くことができるのだ。悪用される例が多い。
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その質問に対するアスタロトの答えは、非常にシンプルだった。
「いや。しないよ」
一瞬の逡巡も見せなかったことから、嘘偽りの無い本心だと思われる。
「…俺は、俺でしか無いからね。誰かを救うために、本当に必要になった時には…ひょっとしたら…最終手段として活用する可能性もあるけど…やっぱり…複数のPCを同時に操る…っていうのは、何となくミンナを裏切っているような感覚が…あるからね」
「…よかった」
「でもね。俺が思いついた…ってことは、他の誰かも思いつく可能性があるってことだよね。そして、そいつが俺や慈雨さんと同じように考えるって保証は無いんだ。この世界で、生き残るために…どんな手段だろうと躊躇無く使える…そういう怖さを持ったプレイヤーがいたとしたら…絶対、悪用…というか生き残りのために活用するよね?」
「…ええ。きっと…そうだわね」
「そいつと戦わなきゃいけなくなった時に、それが可能かどうかを知っているのと知らないのとでは、凄く大きな差が出ると思うんだよね。戦いの帰趨にさ」
そのやり取りを見ていたジウの代理の男は「なるほど…」と普通に感心して何度も頷いている。
アスタロトの興奮が収まったのを確認したマボは、思い出したようにその男に訊く。
「それは良しとして………で、結局、君は何をしに来たんだ?」
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男は、「あちゃ…」という顔をして…実際、言葉にも出して…慌てて説明を始める。
「そうでした。そうでした。…って、だから最初に言ったじゃないっすか!!…様々な気象現象で、メジャーアップデート後の一定期間、プレイヤーの皆さん同士の接触を最小限に制限している…ってコトを伝えに来たんですよ」
確かに。男は最初に現れた時にそう言っていた。しかし、アスタロトはその時点では、まだ仮眠室にいたので、そのコトを今初めて耳にしたことになる。
「え?…そうなの?…って、あ、窓の防音性能が高いから気づかなかったけど…雨…まだ降ってたんだ!?………ってか、もの凄い雨だな。こりゃ…」
窓の一つに鼻先が付くほど顔を寄せて、アスタロトは外の凄まじい雨の様子を見やる。
「それは分かった。しかし、君に訊いているのは、何故、そんな意地の悪い制限をかけるのか?…ということだ。皆、メジャーアップデートを楽しみにしていただろうに…」
「ええ。本当、申し訳ないとは思うっす。でも、これには複数の理由があるっすね」
「だから………どんな?…と訊いている」
「えっと。まずは、仮想対実時間レートが90:1に引き上げられた影響で、初級プレイヤーの皆さんの多くが、戦闘に支障が出るほどの体調不良を訴えてる…んすけどね…それへの緊急配慮が一番の理由っす」
「ふむ…。で…他の理由とは?」
「時差の都合っす」
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「………じさ?」
木星と同じ程度の大きさである惑星状にモデリングされた「デスシム」世界。
リアルの地球と同様?に各フィールドやタウンには時差が存在するハズである。
「あぁ…時差か。…そう言えば、この世界っていうか…惑星?…の自転速度って…どのぐらいなんだろう?」
「君は…馬鹿か?…2週間程度とはいえ、君はこの世界で太陽が登り…そして沈んでから再び太陽が上るまでの時間を体感してきただろう?…普通に24時間だろう」
(あ…そうか…自転周期って…普通に1日が何時間かだったね…でも…待てよ…)
「でもさ。それは太陽が一つだけ…って、考えた場合でしょ?…もし、太陽が2つ以上ある場合には…」
アスタロトは、リアルに想像してみる。
もし、太陽が2つあり、それが180度異なる方向から惑星を照らしていたら…自転周期が倍の48時間だったとしても、24時間ごとに朝を迎えることになるのではないだろうか?
「…もう一度言おう。君は馬鹿か?…自転のコトだけを考えるから、そういう発想になるんだ。君は、公転のことを考えるのを忘れているな?…2つの太陽の周りを…どう回ったら…24時間ごとに定期的に朝を迎えられるというんだ?」
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イシュタ・ルーと慈雨は、マボのツッコミに、うんうん…と頷いている。
しかし、ここで考えを止めないのがアスタロトのアスタロトたる所以である。
「いや…待って。この惑星ってさ。明らかに地球型の岩石惑星なんだけど…サイズは、木星と同じ程度の大きさだったよね?」
「あぁ…。誰かさんのせいでね」
「うぐぅ………。で、でも、ま、負けないぞ。…ということはさ、明らかに木星よりも質量が大きいハズだよね?…木星の直径は…確か地球の11倍ぐらい?…だから…その体積は…え~と…単純に計算で…その3乗に比例するはずだから…1331倍!?」
「う…うむ。内部構造がどうなっているか分からないが…確かに重いだろうな」
「…ならさ。より小さい質量の太陽が…複数…この惑星の周りを回っているっていうモデルは考えられないかな?」
「ちょっと待って…君?…この惑星の質量がそんなに重いとすると…そもそも、もの凄い重力になるんじゃないのか?…我々が立っていられるのは…どういうワケだい?」
「え…っと。だから、自転速度がもの凄く速いんだよ、きっと!…その遠心力で引力が軽減されて…それで地球並みの重力になってるんじゃないのかな?」
「…むぅ。段々、想像が追いつかなくなってきたけれど…では、君。そんなに高速で自転している惑星の周りを…その複数の太陽は、どんなふうに回ったら…1日を規則正しく24時間にできるっていうんだい?…というか、太陽が1つの場合を考えても…私には想像ができなくなってしまったよ。………降参だ」
イシュタ・ルーは、頭からプシューっと湯気を噴き出させて、会議室のテーブルの上に突っ伏した。両腕は「お手上げ」の形に伸ばされている。
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見かねた慈雨が、「…もう、そのぐらいで止めておけばどう?…所詮、仮想世界なんだから」と、袋小路に入り込んだ会話を打ち切ろうと助け船を出した。
しかし、腕を組んで両眼をきつく閉じ、アスタロトは考える。そして、再挑戦。
「!…そうか、その自転の回転方向と同じ方向に、太陽が公転すれば…太陽は同じ方向に止まって…見えるハズだから………自転より、少しだけ太陽がこの惑星の周りを公転する速度が遅ければ…ちょうど良い具合に1日の長さが決まるんじゃないかな?」
「…もう…それでいいよ………と言ってあげたいが…君。そんな速度で…我々が焼け死なない程度に遠方にある太陽が公転などしていたとしたら…もの凄い遠心力で…太陽が遠くへ放り投げられてしまうんじゃないか?…いや。この惑星の引力が十分に大きいから…大丈夫なのか?…うむむ…それにしたって…速すぎるような気が…」
諦めの悪いアスタロトは、さらに奇天烈なアイデアを語り出す。
「じゃぁさ。この惑星。サイズは大きいけど…質量は…太陽たちがギリギリ公転したくなる程度のほどよい重さなんだよ…きっと!」
「ゴメン。アスタロト。君が、何を言っているのか…もう良くわからない」
「えっと…だから………!!!…そうだ、この惑星には、ほどよく内部構造に空洞があるんだよ!きっと!」
(事実とは異なるが…)「メジャーアップデートの全ての案件を発案した男」として、名を馳せるアスタロトだけあって、無限にアイデアが出てくる。さすがに、マボも、もう反論する気力が尽きて…「うん。きっと、そうだね」と認めるしかない。
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二人の珍妙なやり取りを、ニヤニヤと笑いながら黙って聞いていたジウ…の見た目をした男…だったが、話が一段落したのを認めて再び会話に加わってきた。
「…本当に、アスタロトさんはユニークな発想をするっすね。面白い発想なんで、今の会話のログを保存して、システム担当宛にショートメッセージとして送っておいたっす。本当に反映されたら…面白いっすよね?」
「…ぐぁっ………な、何てコトするんだ、お前は!?」
「そんなことより、説明の続きをしなくても良いっすか?」
アスタロトの抗議の声を軽くあしらって、男は会話を元へと戻そうとする。
そう。大きく話が横道にそれてしまったが、そもそもは「何故、メジャーアップデート直後から、プレイヤー同士の接触を最小限に制限しているか?」という問いの理由を説明している途中だったハズだ。「時差」という単語一つに、無駄なほど長くアスタロトとマボが反応してしまったために、さっきからちっとも話が先へ進んでいない。
「ご、ごめん…続けて」
「了解っす。でも、できれば、今度こそは最後までちゃんと説明を聞き終えて欲しいっすけど………いいっすか?」
「う、うん。約束します」
「ま、要するに、時差があって、メジャーアップ後に、真夜中からスタートする地区や、丁度良く朝の活動時間を迎える地区、逆に不幸にも一日が終わるタイミングで眠る寸前の時間帯の地区…とか、いろいろあるんで…ちょっと、そのまま普通に接触を可能にしちゃったら…何かと不公平っすよね?…っていう理由っす」
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なるほど。朝や昼時間の地域の領主が、夜地域の寝入ったばかりの領主の領地へと急襲をかける…ことが出来てしまうようでは、確かに不公平だと思われる。
「ふむ。つまり、長いか…短いかの違いはあれども、心の準備やら作戦を練るための時間…メジャーアップデート後の体制に十分に対応できるだけの猶予期間を与えてくれようとしている…と、解釈すれば良いのかな?」
「そうっすね。メジャーアップ後に使えるようになる新仕様の武器や魔法…それから、トップ19の召喚術式なんかは、先にしかけた方が絶対に有利っすからね」
「…ふむ。で、君たちは、それをワザワザ伝えるために、各プレイヤーのねぐらを巡回しているということなのか?」
「そうっすよ」
「………そういうのは、メジャーアップデートの内容の告知の中に、あらかじめ書いて置くべきことのように思うんだが」
「うぅ。それを言われると辛いっすね。つい、うっかり書き忘れたっすよ」
その時、間抜けなその男に、慈雨が確認の声をかけた。
「あの…。巡回の途中だとしたら、ココに、こんなに長居しても良いのかしら?」
「ああぁあ。しまったっす!…また、クリエイターに叱られるっす。…ということで、次のプレイヤーのところへ行かなきゃなんないんで、失礼するっすね」
そう言って、その男は、両腕を腰の前辺りで交差させるような仕草をしてから、その腕を左右に開き………姿を消す。
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しかし、消える間際にアスタロトに向かって手を振りながら、男は言葉を残した。
「逢えて楽しかったっすよ。アスタロトさん。また、今度、よろしくっす」
アスタロトは、普段とは余りにも感じの違うジウに戸惑いながら、やや引きつった笑みで手を振り返して見送った。まぁ、中身の人が違うなら、別人に見えてもしかたないのだろう。そう自分に言い聞かせて。
マボや慈雨も、アスタロトと同じ感想なのだろう。微妙な表情で、その男の消えたあたりの空間を惚けたように眺めている。
「なんか…疲れたね」
「そうね」
「うん…そうだな」
「ルーちんも、何か疲れたよぉ~!」
全員で、同じ疲労感を共有する。…ただ、疲れている理由の大半は、実はイシュタ・ルーの夜中のバーサーク状態に原因があるのだが…そのことを忘れてしまうほど、今の男に対する違和感は大きかったのだ。
4人が、ボーッとしていると、そこへ、再びジウが現れる。いつものように忽然と。
何か伝え忘れたコトでもあるのだろうか?…と訝しむ4人に、ジウが言った。
「今、ここに…私が来ませんでしたか?」
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某城に潜入した怪盗を追う警部っぽいセリフを吐くジウ。
次回、「メジャーアップデートのお復習い(仮題)」へ続く…。