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(18) で?…結局…どうなの?

・・・


 イシュタ・ルーは、混乱していた。

 錯乱…ではないだけ、マシであるとは言えるのだが…


 アスタロトがいない。

 正確に言えば、不在なのは「アスタロトの体を持ったアスタロト」だ。


 普段であれば、錯乱状態に陥りかねないこの状況で、しかし、「ジウの見た目をしたアスタロト」が目の前で物思いに耽っているため、「錯乱してはいけない…」とブレーキをかける自分がいる。

 もし、ここで自分が錯乱してしまえば、「ジウの見た目をしたアスタロト」に対して、「お前は、本物のアスタロトじゃない!」と言うに等しいことになると、彼女でも理解はしているのだ。


 理解はしているのだが、目の前の「ジウの見た…☆

 …えぇいっ!もう面倒くさい、こっちを<アスタロト>と表記しよう。

 あっちは当面アスタロト

 で、両方を総称したときには、普通にアスタロト。以下、同じ。よろしく!


 …ということで、目の前の<アスタロト>が黙ったまま、考え込んでしまっているので、イシュタ・ルーにとってはアスタロトというより、単なる無口なジウにしか見えないのだ。


・・・


 原因は分からないが、イシュタ・ルーの錯乱は、おそらく心の奥底に刻まれた深い傷によるものだ。どうして錯乱してしまうのか…いつ錯乱するのか…は、本来ならイシュタ・ルー本人にもどうにもならないものだ。

 彼女だって、錯乱したくてしているわけでなく、アスタロトの不在がトリガーとなって…意識が混濁し…次に気がつくのはアスタロトが背中や頭を優しく撫でてくれている最中である…ということしか分からない。


 そして、今の状況は、その心の根源的な部分で彼女の錯乱スイッチは既に起動されてしまっており、それを彼女の理性の部分が<アスタロト>の複雑な気持ちを思いやって、無理矢理に動きを押さえ込んでいる…という危ういものだった。


 いや。彼女を錯乱しないよう押しとどめているもの、それは、理性などではないかもしれない。そもそも、理性で止められるような錯乱なら、これまでだって錯乱したりはしないのだ。だから…今、彼女を錯乱しないよう押しとどめているのは、やはりイシュタ・ルーなりのアスタロトへの「愛」の力なのであろう。


 そういうわけで、現在、この会議室の中の雰囲気は最悪だった。


 <アスタロト>は、何かを考え込んだままピクリとも動かない。

 イシュタ・ルーは、その<アスタロト>を睨みつけた?まま…ぐるるるるる…と、獣が獲物を威嚇するかのような唸り声を上げている。おそらく本人は気づいていない。

 マボは、そのイシュタ・ルーを恐れるように距離をとり…<アスタロト>からも微妙な距離をおいて…やはり考え込んでいた。


・・・


 マボと<アスタロト>との微妙な距離。

 おそらくそれは、慈雨から指摘された事実による。

 アスタロトに好意を寄せる3人の女性。その中で、自分だけが彼のGOTOSではないということ。しかも、彼からはGOTOS契約の勧誘はされているのだ。回答期限はいつでも良いという太っ腹な条件で。…にもかかわらず、自分は未だにその返事をしていない。


 もちろん、それには彼女なりの理由がある。

 しかし、理由があるからといって、全ての理由が誰にでも簡単に打ち明けられるとは限らない。そして、彼女の事情も、軽々しく話題にできるようなものではなかった。少なくとも…彼女にとっては。


 そんな想いに耽りかけたマボの耳に、突然、大きな声が響く。


 「トイレ!」


 何かの限界を迎えたような表情で、イシュタ・ルーが突然、宣言して席を立つ。

 さっきも、同じように叫んで出て行ったばかりであるように思うが、女の子のそういうのをイチイチ記憶したり、カウントしたりしてはいけないノダ。


 荒々しく会議室の扉を開け、部屋から出て、そして扉を閉める。

 ほとんど完璧に近い防音性能を誇るこの会議室だから、そうするともう廊下やその延長にある「トイレ」の音は当然聞こえない。…ハズなのだが、建物が…あり得ないような振動に揺れ動き…しばらくしてまた嘘のように静かになる。


・・・


 そして、先ほどと同じように、また扉が開かれ、イシュタ・ルーが部屋に戻り、そして扉が閉められる。


 限界まで溜まっていた「何か」を、思いっきり放出し、わずかにスッキリした表情を見せるイシュタ・ルー。

 くどいようだが、女の子が「トイレ」に行って、「何を」放出してきたか…なんてことを気にしたり、色々と想像したりしてはいけないのである。


 …だが、「トイレ!」と叫んで、部屋から出入りするたびに、イシュタ・ルーの全身の擦り傷や衣服の綻びがどんどん増えていくのは何故だろう?

 き、気のせいかもしれないが、イシュタ・ルーの両の拳や額から…じゃ、若干、流血しているような…。よく見ると、肘や膝からも、うっすらと血が滲んでいる?


 そんなイシュタ・ルーを、恐々と観察したマボは、「しばらく2階のトイレは使用できないな…」と、ため息をついた。

 もっとも、<アスタロト>や(アスタロト)は、男性用を使うので、とりあえずイシュタ・ルーが「何か」を放出した惨状を目にすることは無いだろうことが、せめてもの救いだった。


 そんなわけで…イシュタ・ルーは頑張っていた。


 その姿は、健気けなげ…だと言って良い。

 マボは、そんな彼女と自分とを心の中で並べ…比べて、ひとり陰鬱としていた。


・・・


 (私は…アスタロトに…何もしてやれない…)


 マボにとっても、彼は特別だ。

 おそらく、もう二度と、あのような心トキメク闘いを共有できる相手は現れないだろう。数々の代償の上に習得した高度な魔法を、心行くまでぶつけることができる…そんな相手は、TOP19(トップナインティナー)の上位ランカーの中にも、数えるほどにしかいないに違い無い。

 そして、そのような闘いを「コロシアイ」ではなく「キソイアイ」として楽しめるプレイヤーは、その中でもアスタロト以外には存在しないだろう。


 それほどの強者でありながら、彼の夢は「この世界を、誰もが普通に楽しめる仮想世界にすること」…なのだと言う。


 (はっ………ははははは………笑っちゃうよね…)


 そんなこと、出来っこ無いのだ。

 マボには、分かっている。

 「誰もが」と「普通に」という2点において、アスタロトの夢は絶対に叶うワケがないのだ。

 残念ながら、過去から現在に至るまで、そして、現実世界でもシムタブ型MMORPGの舞台となる世界でも…人の価値観というのは悲しいぐらいに多種多様であり、時には相反し、共存不可能なほどに矛盾し合う。

 そして…「普通」。この「普通」であるということが、どれほど難しいことか。


・・・


 もちろん、何をもってして「普通」と言うのか?…という、その「普通」という言葉の定義の曖昧さを指摘し、批判するという異論の唱え方もあるだろう。

 だが、仮に「普通」という尺度の曖昧さを容認したとしても、人は「普通」という状態に、継続して満足し続けることはできないのだ。

 魂というシステムの中に組み込まれた、「より」とか「もっと」とか、上を目指し欲する「欲望」が、「普通」を直ぐに「普通」では無くしてしまう。


 (私は…それを…嫌と言うほど目にしてきた…)


 でも、だからこそ、マボはアスタロトを愛しく思ってしまうのだ。

 カリスマ…のような強い光とは違う。鼻につくような強い自己主張を持っているワケでもない。驚くような秀麗な容姿をしているワケでもなく、伝説になるような偉業を成し遂げたワケでもない。

 それでも…彼は違うのだ。マボの知る、他のどの男性とも全く違う。


 彼の噂は、以前から耳にしていた。

 噂は「眉唾だ」と思っていた。そんな奴はいるわけ無い。いたとしたら、逆に凄く嫌味な奴に違い無い…と。

 期待が裏切られた時のことを恐れて、初めから期待しないように噂を無意識に否定した。


 だが、噂は本当だった。自分が、直接、対決して確かめたのだから間違いない。

 彼は、本物だ。この世界を…いや、全てのMMORPG世界を…普通に楽しめる仮想世界にしようと…数え切れない挫折と敗北に挫けることなく、歩き続けている。


・・・


 いや。違う。


 それも、違うのだろう。

 アスタロト自身には、その行動や選択を、そのような大層な生き様として認識しているような気配はまるで無い。


 彼は、天然なのだ。


 他のプレイヤーが無理だと直ぐに諦めるような状況で、彼だけは諦めることができない。苦痛を苦痛と感じられない…ひょっとして…ドM?

 そうだ。そうに違い無い。彼は、変態なのだ。でも…邪気の無い変態。


 その邪気の無さが…自分たち女性の母性本能を…何故か、こう…どうにも擽るのだ。

 「愛しい」…と、思わずにいられなく…させられてしまうのだ。


 切ない想いを込めて見つめていたら…<アスタロト>と目が合った。

 慌てて目を逸らす…マボ。


 しかし、目を逸らしたことで<アスタロト>が傷つくのでは無いかと心配になり、直ぐに再び見つめ直す。

 しかし、<アスタロト>の見た目は…システム側の担当者、ジウのものだ。

 無表情に見つめ返してくる<アスタロト>に、申し訳ないと思いながらも胸がときめくことは無く、気まずい沈黙が2人の間に横たわるだけだ。


・・・


 「…私の幻影魔法で、とりあえず見た目だけでも…アスタロトに戻そうか?」


 元々、アスタロトは予備のPCの中に思念を移す必要などなかったのだ。

 アスタロトの体のまま、自分の幻影魔法によってジウの姿を身に纏えば、今頃、このような気まずい時間を過ごさずに済んだはずだ。

 そうすれば、アスタロトが、<アスタロト>と(アスタロト)に分かれることもなく、自分が幻影魔法の効果を解除しさえすれば、元のアスタロトの見た目に返ることができたのだから。

 しかし、<アスタロト>の反応は鈍い。


 「うん…。お願いするかもしれない…けど…。もう一人の俺が帰ってきてからにしてくれるかな?…ビックリするといけないから…」

 「そうか…優しいんだな。君は…。だが…しかし、ルー君のことも…少し、気にかけてやってくれないか?…彼女がトイレに行くたびに…その…ちょっと…な?」


 何なら、一時的にでもアスタロトの見た目に戻すのでも良いのだ。(アスタロト)が戻ってきたら、直ぐに幻影を解除して、今の状態へ戻れば…


 「う………あぅ…ごめん。…でも…」


 気づいていなかったワケではないのだろう。<アスタロト>は、しかし、言葉につまる。それで、マボは<アスタロト>の複雑な気持ちを読みとった。

 彼は怖いのだ。


・・・


 彼は、イシュタ・ルーが、アスタロトの不在時に起こす発作のような症状を発症してしまっていることに気づいている。

 しかし、今は「見た目がジウだから」…という理由で説明がつくその症状が…見た目をアスタロトに戻した後も止まなかったら…どうだろう?

 その時には、もう、見た目のことなど理由にはならない。

 本質的な部分で、<アスタロト>はアスタロトであることを否定されてしまう。


 いたたまれない気持ちで俯いてしまうマボ。

 だが、その背後から…彼女の大好きな…優しい声がかけられる。


 「大丈夫だよ…マボさん。この問題は、すぐに解決してみせる!」


 その返事は、口ごもったままの<アスタロト>からではなく、開け放たれた会議室の扉の外から聞こえてきた。


 「!………ロトくん!!………あ…」


 戻ってきた(アスタロト)に気づき、喜びの声を上げたイシュタ・ルー。

 しかし、次の瞬間には、その視線だけを<アスタロト>へと向け、「しまった…」という表情をして、微妙な表情へと変わる。

 イシュタ・ルーの表情は変化に富んでいて豊かだ。

 対照的に無表情なままの<アスタロト>…と(アスタロト)…?

 マボが二人のアスタロトを順番に見やると…僅かな違和感を覚えた。


・・・


 戻って来た(アスタロト)に………一切の「違和感を覚えない」…という違和感。

 その理由がすぐには分からず、マボは言葉を発せられずにいた。


 「いいんだよ。ルー。そっちの俺の体は、予備PCなんていう代物じゃなくって…正真正銘のジウの体なんだから。ルーが混乱するのは当たり前なんだよ」


 そう言って、イシュタ・ルーを安心させるように「にっこりと笑う」(アスタロト)。

 マボは気づいた。

 失っているハズの表情を、その顔にも声にも取り戻している?


 「ま…さか…偽者?…ということは…ないよな?…君?」

 「嫌だなぁ…マボさん。何なら、恥ずかしいけど…もう一度、あの質問をしてみる?」

 「そ………れじゃぁ…君は。で、でも…その顔…と…声は?」


 いつも通りのアスタロト。

 それと、全く違いの無いコトを理由に、偽者か?…と疑うのは確かにナンセンスだ。

 では、こっちの<アスタロト>が…やはり偽者だったのか?

 いや…でも、そうすると…あの質問に…正しく答えられるわけがないし………。

 マボは軽く混乱している。

 半開きだった扉を大きく開け放ち、背後に気まずそうな顔で隠れていた慈雨を部屋の中へと引っ張り入れ、(アスタロト)は自信に満ちあふれた顔で宣言した。


 「今から、謎解きを始めるよ!」


・・・・


 始めに断っておくが、(アスタロト)がいくら自信満々であっても、その全てが正解とは限らない。あくまでも、これは(アスタロト)が知りうる事実からのみ構成された、(アスタロト)の主観をかなり色濃く交えた推理の結果なのだから。

 でも、本人は、もう本当に自信満々だ。鼻息も荒い?


 「まず、一番肝心なことから発表するね。俺は、間違いなくアスタロトです!」


 その言葉を聞いて、女性陣3人は心配そうな顔をして<アスタロト>を見る。

 注目を浴びた<アスタロト>だが、特に動揺することもなく無表情と沈黙を守った。

 その<アスタロト>に向かって、一切の遠慮を見せずに(アスタロト)は断言する。


 「お前が俺なら…分かるよな?…お前は、その体の中にはいない」

 「………」

 「俺とお前…えっと…俺たちは、元々、同じアスタロトなんだから、きっと考えれば同じ答えに辿り着けると思うんだ…分かるよな?…お前が俺である以上、お前という思念を生み出している脳がどこにあるのか…」

 「脳…の場所って、それはリアルの体の中だろう?」


 黙っている<アスタロト>に代わって、取りあえずマボがツッコミ役を引き受ける。

 突然に帰ってきて、なぜか表情を取り戻している(アスタロト)の言うがママに、一方的に話しが展開していくのは、やはり危険だと感じたからだ。


 テーゼに対しアンチテーゼを唱える者は常に必要だとの信念を、マボは持っている。


・・・


 「…まぁ…そうなんだけどさ。でも、服用したデスシム用のシムタブがリアルの俺の脳に結びついて、その結果として俺のPCがここに生み出されているんだから…」

 「いや。しかし、この世界は、デスシムのユーザー全員で見る夢…だろう?…そうすると、夢の中では極端な話、『壁になって思考する自分』というシチュエーションだってあり得るし、実際、デスシムのチュートリアルではキャラクタータイプとして、生物だけでなく非生物…細菌にだってなれたハズだ」

 「あぅ………」


 勢いよく謎解きを始めたものの、いきなりマボに出鼻を挫かれた(アスタロト)。

 ぷしゅ~っ…という音でも聞こえて来そうな感じに消沈している。


 「まぁ…マボさん。彼の話を最後まで聴いてあげましょう」


 <アスタロト>…の口から、まるでジウのような口調で(アスタロト)を擁護する発言が出た。えっと…それって、まるでジウ…そのものジャン?


 「彼は我々を裏切らず…色々と考えた上でちゃんと帰ってきてくれたのですから」


 イシュタ・ルーとマボは顔を見合わせる。そして同じタイミングで首を傾げる。

 だって、さっきまでは<アスタロト>は、間違い無くアスタロトとしての雰囲気も纏っていたのに…。わけが分からなくなり、マボは仕方なく承諾する。


 「分かったよ。取りあえず、最後まで聴こう………君の秘密も含めて…な」


・・・


 挫かれた出鼻のダメージを左手の親指と人差し指で揉みほぐしながら、(アスタロト)は、気を取り直して推理の披露を再開した。


 「えっと、と、とにかく…俺は本物のアスタロトだから。ね?…ね?ね?…ふぅ…ぅ…まぁ…いいや。追々、分かることだから。そして、俺の記憶が一回途絶える直前のコトを思い出して気づいたんだけど………」


 そこで言葉を切って、(アスタロト)は<アスタロト>の体を指さす。


 「その体。予備のPC…なんかじゃなくて………言っちゃってもいいのかな?」

 「…続けて下さい」


 <アスタロト>は、完全にジウの口調となって頷いた。

 (アスタロト)は、頷き返して先を続ける。


 「その体、システム側の担当者…ジウの体…そのものだよね?」


 <アスタロト>は否定しない。

 マボとイシュタ・ルーは、驚いて良いのか…納得して良いのか…感情のコントロールに苦慮している。そして、慈雨は、静かに目を閉じ…溜め息をつく。

 (アスタロト)は、彼女たちの反応を見て、慌てて付け足す。


 「あ。でも、ジウの中に、もう一人の俺の思念がいるのは本当だよ!」


・・・


 今度こそ、驚いた…といった表情でジウ=<アスタロト>を見つめるマボ。

 イシュタ・ルーは目を白黒させている。彼女にとっては完全に理解の範疇を超えてしまったようだ。

 慈雨は黙って(アスタロト)の言葉の続きを待っている。


 「その証拠に、俺、無表情で…声に抑揚もなかったでしょ?」

 「そうだ。私が疑問なのは、それだ。アスタロト。君は、何故、今、表情も声音も普通な状態に戻っているんだ?」

 「あはは。マボさん。ちょっと待ってて。その謎解きはもう少しあとでね!…えっと、あの偽者のジウの言葉…覚えてるかな?…さっきまでの俺や、システム担当のジウの無表情の理由に…心当たりがある…ってやつ」

 「あぁ…。確か、そんなコトを言っていたが…君にもあるのか?心あたりが」


 無表情のままのジウ=<アスタロト>。

 慈雨は再び目を閉じる。

 イシュタ・ルーは、キョロキョロと全員を見回している。

 そして、マボはジウの偽者が言っていた言葉を思い出し…復唱してみる。


 「…確か、アイツは言っていたな。(アスタロト)の無表情は、もう一人の<アスタロト>の思念を生み出すために処理能力の大半を費やして、余裕が無いからだ…って。普段、無意識で行っている表情のコントロールや声の抑揚は、無意識そのものである深層意識が別の処理にフル稼働している場合には…意識的には行えない?…だったか?」

 「さすがマボさん!…良く覚えているね。で…実際のところどうなのかな?」


・・・


 (アスタロト)は、ジウと慈雨の二人を交互に見る。

 それに対し、ジウはいつもどおり無表情。

 そして、慈雨は目を閉じたままで、身じろぎもしない。


 「アスタロト。君は…ジウと慈雨が…その関係にある。…そう言いたいんだな?」

 「うん。そう考えると全てに説明が…。いや。そう考えないと、あのジウの偽者と、俺を連れて逃げてくれた慈雨の…慈雨さんの、あの一連のやり取りの説明が付かないんだよ。思い出してもらうと分かると思うんだけど…2人の主張は、そう考えないと矛盾しちゃうんだよ。途中からね」

 「偽者のジウと慈雨君の主張が…矛盾?…途中から?」


 マボは、あの突然の争いのことを思い出そうと宙を睨むような表情で考え込む。


・・・


 ジウの偽者が現れたのは、マボの仮説に基づいて、(アスタロト)が「自分が本当なら存在しないハズの人格だ」…と、動揺していた時だった。

 マボの仮説とは、「表層意識が不在となって、受け取り先を失った体からの溢れる情報が、アスタロトの身体のバランスを崩し、それを補正しようとする力で、空っぽだったアスタロトの体に、新しい表層意識アスタロトが生み出された」…というものだ。


 その仮説を否定し、(アスタロト)こそが本来のアスタロトであると主張したのが、いつものように忽然?と現れたジウ…の偽者?だった。

 そして、ジウの偽者?は、最初に現れたあのふざけた感じの偽者とは違い、(アスタロト)が消されてしまわないように、必死に(アスタロト)を擁護し、励ましていた。


 あの…必死の言葉。マボの心に、強い印象を残したジウの偽者?の言葉。

 マボは目を閉じて、脳裏にありありとその言葉を思い起こす。


 【優しいアスタロトさん…。誤った仮説を信じて自己犠牲を覚悟するなんて馬鹿な真似はお止めなさい。アナタは、今まで幾度も【死】を目前とした状態に至りながらも、奇跡のような『生への執着力』で死地から生地へと復活された。それが…どうしたと言うんです?…アナタらしくもない。…さあ…よく考えなさい。アナタが単に魔法で生み出した擬似的な意識体が、まるで自分の方が本体だとでも言うように恥ずかし気も無くアナタを慰めたりしていましたが…アナタの体の中のアナタの意識が偽者で、別の体の中の意識が本物などという…そんな馬鹿げたことが事実だと?…本当に思うのですか?】


 あれは…アスタロトへの、真実の好意が無ければ…出ない言葉だと思われた。


・・・


 だから、マボもイシュタ・ルーも、あの偽者を…「本当に偽者なのか?」と、慈雨の登場以降には迷うことになる。

 慈雨の偽者…などというものが、本当に現れた…とは思わないが、あの時、突然に現れた慈雨は、本当に不可解な言動をしていた。

 あの時の慈雨への疑念。

 それは、こんなにも優れた防音機能を持つこの会議室の外にいながら、何故か彼女が室内で行われていた会話について知っていたこと。

 そして、もし慈雨が本当に室内でなされたジウの偽者の発言の全てを聞くことが出来た…とするならば、彼女にも分かったハズなのだ。あのジウの偽者の言葉には、アスタロトへの深い愛情の念がこもっていたということに。

 マボだけでなく、イシュタ・ルーも感じとることが出来たその深い愛情ある言葉を、何らかの方法で聴き取ったハズの慈雨。その彼女が、何故、問答無用で【六縛呪りくばくじゅ】などという高度な魔法を用いてまで捕縛しようとしたのか。


 しかし、(アスタロト)の言う途中からの矛盾とは、この後のコトだろう。

 慈雨が現れる直前までは、帰ろうとしていたジウの偽者?は、【六縛呪】の戒めから解かれた後も「慈雨さんが、(アスタロト)を不当に取捨選択しないように」という…真意を計りかねる理由から、その場に留まった。

 この時も、まだ(アスタロト)の味方がジウの偽者?…で、強いて言えば<アスタロト>派と言えるのが慈雨だったハズだ。

 しかし、一瞬の隙を突いて慈雨を気絶させたジウの偽者?は、慈雨が目を覚ました後のコトなど考えもせずにあっさりと消え去り、直後に目覚めた慈雨は…何故か<アスタロト>ではなく…(アスタロト)を連れて逃げたのだ。


・・・


 何故だ?

 (アスタロト)が慈雨の保護したい対象だったとしたなら、慈雨はそもそもジウの偽者?と対立する必要など無かったではないか?

 <アスタロト>を連れて逃げろ…とは言わないが、とても不可解な行動だ。

 そして、慈雨を気絶させた後、あっさりと消えたジウの偽者。

 彼が、(アスタロト)の無事を願う気持ちは真実のものだったと思う。

 だが、で…あるならば、彼は、あの段階で(アスタロト)を置いて、その後の展開の心配一つせずに去るなどということが…どうして出来たのか?


・・・


 「あの時、ジウと慈雨さんは入れ替わったんだよね?」


 マボの思考の展開を読み取ったかのように、(アスタロト)が謎解きを再開する。


 「入れ替わった…?…どういう意味だ?…君」

 「今から言うのは、仮説だよ。あくまでも俺のね。でも、それで全ての説明が付くんだ。まず、慈雨さんとジウは…俺と………もう一人の俺の関係と同じか…極めて似たような関係にあると思うんだ」

 「!………ま、まさか!?…いや。確かに、二人の間には、それ以前から…何か不自然なところがあるとは…私も感じていたが。しかし、そんな…同じ読みの名なんていうあからさまな…えぇ!?」


 マボだけでなく、イシュタ・ルーも驚いた顔をしてジウと慈雨を見つめる。

 しかし、話題の当事者であるジウ=<アスタロト>も慈雨も、身動き一つせず、ただ黙って(アスタロト)とマボの会話を聞いている。肯定も否定もせずに…。


 「システム担当のジウが無表情なのは、慈雨さん…の思念?…を瞑想魔法か何かで生み出しているからだと思うんだ」

 「し、しかし…じ、慈雨君は…か、彼女は、じ、実に表情豊かだぞ?…き、君と楽しそうに話している時など…わ、私は…その…あの…し、嫉妬をしてしまうくらいだ」

 「うん。綺麗な笑顔を見せてくれてるよね。あ。マボさんの笑顔も綺麗だよ?…わっとっと…る、ルーのチャーミングな笑顔も好きだってば…って…それは置いといて、でも、慈雨さんは、システム担当のジウが来てる時には…いつも…ね?」


・・・


 「そうか…。確かに、彼女は、ジウが現れると急に静かになっていた…。背中を向けて黙り込んだり、別室へと消えたり…」

 「で、でも、ちょっと待て。ちょっと、待ってくれ、君。私は、少し混乱してしまっている。…いや。それが仮に正しいとして…それこそ、君が最初に言ったことと矛盾しているんじゃないのか?…だって、こっちの<アスタロト>の思念がいるのは…君はさっき、システム担当のジウの体だ…って、そう言ったじゃないか?」

 「うん」

 「………うん?…うん…じゃなくて!…そうしたら、彼女と入れ替わった…と君が主張するのは、いったい誰なんだ?…あの偽者は?…いったい誰だったんだ?」

 「だからね。システム担当のジウと、こっちの慈雨さんが入れ替わったんだよ」

 「いやいやいやいや…。そうだとすると、アレは偽者ではなくて、本物のジウだと言っていることになるぞ?…そうしたら、今、こっちの<アスタロト>の入っている体は?…君は、さっき、これは予備のPCなどではなく、本物のシステム担当のジウの体だと…そう言ったじゃないか?」

 「うん。俺も、それで凄く悩んだんだよ…でも、もう一人の俺が体を借りているのは、間違い無く本物のジウの体だよ…そうだよな?…そっちの俺」


 (アスタロト)から同意を求められた<アスタロト>=ジウの体は、数瞬の間、逡巡したように見えたが、その目に意思の光を宿すと、きっぱりと答えた。


 「うん。そうだよ。間違いない。俺は、システム担当のジウさんの体の中にいる」

 「ジウ…さん?」

 「そう。ジウさん。二人で体を共有している仲だからね。呼び捨てには出来ないよ」


・・・


 (アスタロト)が慈雨と二人だけの本音をぶつけ合い…好意を深め合ったように、ジウと<アスタロト>も体を共有する間にその関係を密なものにしたのだろう。


 しかし、マボが驚いたのはそのコトよりも、先ほどまで消失していたアスタロトの気配が、また<アスタロト>に戻っていることだった。口調も、普段のアスタロトのものに戻っている。

 イシュタ・ルーもそれに気づいたようで、少しだけ落ち着きを取り戻している。


 「じゃぁ…。君は…。君たちは…システム担当のジウには、体が複数存在する…と言っているわけなのか?」

 「うん。もう一人の俺が、ジウの体の中に入れた…ってことは、ジウが慈雨さんの体に入ることも、予備のPCに入って操ることも…自在だと思うんだ。なにせジウは、システム側のPCなんだから…俺たちの常識外のコトが出来ても不思議じゃない」


 (アスタロト)の言葉に、<アスタロト>も同意する。


 「俺も、そう思う。ジウさんは、システム担当としては駄目なのかもしれないけど…色々と俺に良くしてくれてる。体を共有している間にも…色々とあったし…。だから、システム担当としてのジウさんの思念は、俺の方を守ろうとしてくれてたんだと思う。…あの時…。慈雨さんが乱入してくる直前ぐらいから、この体の中で共存していたハズのジウさんの思念が感じ取れなくなってた。だから…」

 「…やっぱり!そうだよな…きっと、あの時、俺の方を守ろうとしてくれてたのが慈雨さん操るジウの予備PCで、慈雨さんのPCを操ってたのがジウなんだよ」


・・・


 それまで、黙っていたイシュタ・ルーが、何かに閃き、ぽつりとこぼす。


 「…あぁ。そっか。慈雨ちゃん…お姫様抱っこされて…助けてもらったから…こっちのロトくんを…自分のモノにしたかったんだね?」


 その言葉に、慈雨の体がビクッと反応する。イタズラを見つかり、怒られている子どものように…ギュッと目を閉じ、口を結んで、胸の前で両手を握り合わせて…身を固くしている。図星なのだろう。少なくとも、その気持ちの部分に関しては…


 「慈雨さんは、ジウの目や耳からここで行われていた会話とか…情報を入手することができたんじゃないかな?…多分だけど。それで、俺の方が、消されそうな会話の流れになった時に、必死で俺を庇ったり励ましたりしに来てくれたんじゃないのかな?」

 「…な、なるほど…と思わないこともないが…でも、それなら慈雨君として、堂々とこの場に現れ…堂々と(アスタロト)を擁護すれば良かったのではないのか?」

 「だって、それだと…システム担当でもない慈雨さんが、不自然に色々と詳しすぎる説明をしないといけなくなるから…」

 「…そうか。偽者にせよ、本物にせよ…ジウとして解説した方が、自然ではあるな」

 「でしょ?…取りあえず、俺たちに必要なヒントだけ与えて、逃げちゃえばいいんだから…例の偽者騒ぎがあったから、それで十分、誤魔化せる…って考えたんだね」

 「なるほど…ところが、逆に、こっちの<アスタロト>を守りたい、本来のシステム担当のジウが、今度は慌てる番だったということなんだな?」

 「うん。システム側の担当役は、慈雨さんに先に取られちゃってるからね。予備PCは何体も無いだろうし…もう一人の俺が共存している状態では行動が限られるから…」


・・・


 当事者であるジウと慈雨が何も答えないのを、肯定と受け取ったのか、(アスタロト)もマボも「謎は解けた!」というような顔つきで興奮を隠せない。


 「そうか…それで慈雨ちゃん、ロトくんを連れて逃げる時には…やっぱり本当の自分の姿で逃げたいから…慈雨ちゃんの見た目をしたジウを気絶させて…その隙に自分の体を奪い返して………逃げたんだね?」


 難しい話が苦手なハズのイシュタ・ルーだが、女心については鋭いのかもしれない。慈雨の心理を読み解いて、最後の謎の理由を解説してみせた。


 しかし。


 「ぷっ…」

 「うふふふふ…」

 「あははははははははは…」

 「そっか…そんな風に…考えたのね…くすっ」


 ジウ=<アスタロト>が、耐えかねたように吹き出し、そして笑う。

 慈雨が、頬を染めてはにかみながら笑う。


 体を共有している<アスタロト>に気を使って、話の後半は表に出ないようにしていたジウだが、今はお構いなしに表出して遠慮無く笑っている。

 時々、<アスタロト>と入替り「何だよ?笑うなよ?」と同じ口で言うのが滑稽だ。


・・・


 不満そうで、不審そうな(アスタロト)とマボは、笑い続けるジウと慈雨を睨む。

 だって、今の仮説以外には、ジウや慈雨の不可解で矛盾した行動を説明できるような仮説はないハズなのだ。

 その怒ったような二人からの視線を受けて、ジウ=<アスタロト>の口が、ジウとしての言葉を発する。


 「…いや。申し訳ありません。笑うのは…さすがに失礼でしたね。謝罪します。…それに、少ない情報を元に、良く考えられた仮説だと思います。さすがはアスタロトさん…だと改めて驚かされましたよ…。アナタの名誉の為に、少しだけ白状すれば、全てが見当違い…であるとは言いません」

 「くっ…何か…ムカツク。何処が違うんだよ?…俺と、そっちの俺の間では…間違いなく、僅かだけど情報のやり取りが出来るようになりつつあるんだぞ?…今の説明を裏付けるような確証は、他にもあるんだ…」

 「ふむ。なるほど。素晴らしい。もう、その域にまで達しているのですか………。そうですね、私と慈雨…そちらの慈雨さんに関しては、今はまだ詳細は言えませんが、確かに、無関係では無い…ということは認めましょう。ただ、アスタロトさん…たち二人の関係と全く同じ…かと聞かれれば、それは違います」

 「…どんなふうに?」

 「…申し訳ありません。これ以上の詮索は…お許し願えないでしょうか?…これからも、アナタがデスシムを…この世界を楽しんで行こうと思われるなら…知らなくても良いコト…知らない方が良い情報…というものが…少なからず存在するのです」

 「………そっか。…俺は、ジウたちの…触っちゃいけない部分に手を捻込んじゃってるかもしれないのか………だとしたら…無理強いは出来ないね」


・・・


 マボも、(アスタロト)と同様に、これ以上、詮索してはいけない一線というものがあるというコトは理解した。マボ自身にも、触れられたくない部分はあるからだ。


 「…その時が来たら…。お話しますよ。可能な限り…誠意を持って…。アナタも…それで、いいですね?…慈雨」

 「…ええ…。そうね。それで良いわ…」


 ジウが慈雨を呼び捨てにした。

 アスタロトたちは、そのコトに非常に居心地の悪さを感じ、二人の秘密に迫ってしまったことを、今更になって後悔した。


 「(アスタロト)さん。アナタの仮説は、なかなか良いところまでは行っています。でも、この世界の登場人物は、私たちだけとは限りませんし、アナタの知らないコトも色々とあるのです。…今は…、それよりも、私の中の<アスタロト>さんと、(アスタロト)さんを、どうやって、もとの一人の状態に戻すか…の方が大事でしょう?」

 「うぐ。そ…そうなんだよね…」

 「私も、色々と方法を考えましたが、最善の方法かどうか…ちょっと自信がありません。ですから、アナタの柔軟な発想に期待したいところなのです。私は…私と慈雨は、どちらのアスタロトさんも失いたくありませんから…。3日後には、TOP19による協議会が開催されてしまいますが…最悪、このままの状況であっても、アナタ達の二人ともが、協議会に参加することは可能です。…私が…進行役を務める予定ですから…」

 「…な、なるほど…」

 「招集を通知したものの…議題が決まっていないので…そちらも、頭が痛いです」


・・・


 無表情のまま、愚痴をこぼすジウ。

 そのジウの愚痴を「どうでも良い」とばかりに無視して、マボが声を上げる。


 「ちょっと待って…そう言えば…(アスタロト)の表情と声色が、普通の状態に戻っている理由を、話してくれるんじゃなかったけ?」


 マボはとにかく記憶力に優れている。複雑な詠唱魔法の呪文を使いこなすには、記憶力の良さが必要不可欠だからだ。なので、(アスタロト)が話し忘れたこの話題も、しっかりと記憶していたのだ。しかし、アスタロトは笑って、誤魔化す。


 「あはは。ジウたちにも秘密が残ったから…俺の方も、もう少し、秘密にしとこうかな?…今の状態を無事に解決できたら、その時に種明かしするよ」


 そう、ニッコリと微笑んで言われてしまうと、マボは黙るしかない。

 会話が途絶えると…慈雨は、(アスタロト)の背後にさり気なく近づいて囁いた。


 「…シュラくん。ルーちゃんが言った、私がアナタを連れて逃げた理由…気持。アレだけは正解よ。…だから…呼び名のコト…二人きりの時だけで良いから…忘れないでね」


 言いたいことを告げて満足気な慈雨。

 その慈雨と(アスタロト)の様子に、無意識に不機嫌そうな顔のイシュタ・ルー。

 謎解きが未消化のまま先送りされて、何となくスッキリしない表情のマボ。

 結局、それから2日間。検討は続いたが…このままの状況で協議会の日を迎えた…。


・・・

次回、「議題なき協議会(仮題)」…へ続く…

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