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(17) どうしようもない…この想い

・・・


 二人の体は、ずぶ濡れだった。


 ドレスチェンジ・コマンドを使えば、乾いた服に着替えられるというのに、慈雨はアスタロトに寄り添って、ただ膝を抱えている。

 薄暗い部屋の中で、慈雨の視線がどこに向けられているのか、アスタロトには窺い知れなかった。そして、彼女が今、何を考えているのかも…。


 メジャー・アップデート以降、ずっと降り続く激しい雨。

 この雨の強さでは、持っていたとしても傘は役に立たないだろう。

 攻撃魔法ならぬ普通の豪雨には、防御魔法は効果がない。

 いや。普段なら魔法で雨をしのげるのかもしれないが、この雨はシステム的にプレイヤー同士の接触を極力妨げるための特別な雨だ。そのせいか、慈雨の使う転移魔法だけでは「はじまりの町」の外にまでは飛べなかった。


 今、二人がいるのは北地区の一画。未だ町の復興工事が完了していない壊れた家屋の一室だ。最初に転移した中央広場から、できるだけ人の少ない北地区へと走ってきた二人。

 雨のため通りには人影は皆無。そのお陰で、二人は誰にも見つからずにこの廃屋へと駆け込むことができた。


・・・


 完全に防音された町庁舎の会議室とは違って、遠くから【ザーーー】という灰色じみたノイズが、揺らぎも切れ目もなくずっと聞こえ続けていた。

 おそらく二人の居る部屋とは別の部屋の壁が壊れているのために、きっと外から雨音が入り込んで来ているのだろう。空気もどこか湿っていて、雨の臭いがした。


 夕べからの疲労と単調な雨音に、猛烈な眠気にも似た頭痛に襲われて、二、三度頭を左右に振るアスタロト。

 随分と色々な事が立て続けにあって、感覚的にはもうあれから何日も経ったように錯覚してしまいそうだが、全ては今日1日の出来事だ。


 慈雨は、何かを隠している。

 それは間違いない。と、アスタロトは確信している。


 濡れて冷えてしまった体を温め合おうとするように、アスタロトの肌にぴったりと体を寄せる慈雨。

 その肩を優しく抱いてやろうとして何度も腕を持ち上げるのだが、自分の腕であるはずの左腕は、先ほどから意気地なく震えるだけ。もう何度目だろうか、壊れた機械のように上げたり下げたりを繰り返していた。

 意気地の無い自分に苦笑して、アスタロトは諦めてその腕を床へと落とした。


 「…後悔…してる?」


 慈雨が小さな声で訊いてくる。


・・・


 後悔などしていない。そう答えようとして…しかし、アスタロトの喉の奥で、その言葉は上手く音声化されずにくすぶって…消えた。

 それでも、慈雨を悲しませないようにと、アスタロトは左腕に無理矢理力を込めて、彼女の左肩を掴み、自分の方へと引き寄せる。


 「あの日も…雨…振ってたね…」


 出会った日のことを言っているのだろう。

 慈雨は、アスタロトの左腕に抱き寄せられたまま、その両手で彼の褐色の右手を包む。

 油断してチャイルド・トラップに引っかかり、【餓鬼】に右腕を奪われ瀕死の重傷となったアスタロトは、あの日、慈雨の手厚い看護により救われたのだった。


 そして、その時、奇跡的に手に入れたのが、この褐色の右腕。

 本来ならば、もっとレベルが上がってから発動するハズの、潜在的資質格納ソケットに登録しておいた最終戦闘形態。その一部が、不完全ながらアスタロトの失った右腕を補うかのように、奇跡的に発現したものだ。


 「…もう、痛くは無いの?」


 優しくアスタロトの右手を撫でながら、慈雨は訊く。

 自分の腕ではない褐色のそれは、最初のうち強い違和感と痛みを伴っていたのだ。


 「うん…」


・・・


 やっと声を出すことに成功したものの、アスタロトは頷くことしかできなかった。


 「大丈夫よ…。大丈夫。…私は、慈雨。あの日、いったでしょ?…私は…アナタを慈しむ雨となる。…この雨も、アナタを虐めようとする悪い人たちから、アナタを隠してくれる恵みの雨だわ…」


 アスタロトは、不意に思い出す。

 そうだ。イシュタ・ルーやマボたちのペースに乗って、このところは慈雨も明るく活動的な賑やかさを身に纏っていることが多かったが、初めて会った頃、彼女はとても魅力的な…落ち着いた大人の女性だった。優しく穏やかなそのアルトヴォイスで、瀕死の重傷により意識が混濁していたアスタロトを励まし続けてくたのだ。

 まだ、あれから内部時間で1ヶ月も経っていない。

 今、自分の腕の中にいるのは、まさにあの日の慈雨だと思えた。


 そして、それを思い出したことにより、アスタロトは確信する。

 自分も間違いなく「アスタロト」であると。

 自分には、生まれてから今日に至るまでの記憶が、ちゃんと存在する。

 イシュタ・ルーとのチュートリアルも、マボとの闘いも…そして慈雨との出会いも。


 「…風邪をひいちゃうから…服を替えた方がいいよ…慈雨さん」


 自分を自分として確信できたことで、アスタロトはいつもの自分を取り戻す。

 どうして気づかなかったのか不思議なほどに、慈雨の体は小刻みに震えていた。


・・・


 「…残念ね。これが現実なら、アナタと肌を重ねて温め合うしか無いのに…」


 妙に積極的な慈雨の発言に、奥手なアスタロトはゴクリと唾を飲み込むしかない。

 情けない…と思いながらも、混乱した今の状況ではそれも仕方ないのだと、心の中で言い訳を考えている。


 「どうして、このシステムには、ドレスチェンジなんていう非現実的なコマンドが用意されているのかしら?…究極にリアルな【死】というテーマがあるなら、むしろ、こんな時には風邪を引く可能性を減少させるような便利なコマンドは…採用すべきでないのに」

 「…ははは。そうだね。今度、システム担当のジウと会ったら、そう提案してみたらどうかな?…採用されるかもよ?」

 「そうね。…でも…女性プレイヤーからは、きっと大ブーイングでしょうね。あのコマンドのおかげで、戦闘中や戦闘後に、男性プレイヤーからのセクハラ行為を受ける可能性がグッと少なくなってるんだから。…それに、女の子は、やっぱりファッションが好きだものね。その楽しみを奪ったりしたら…この世界はもっと殺伐としちゃう…」


 そんな、どうでも良いような会話をしながら、二人は共にドレスチェンジする。

 髪の毛だけは乾かないので、互いの服の裾でじゃれ合いながら拭き合った。

 慈雨の艶やかな黒髪は、光の加減によって少しだけ栗毛のようにも見える。その前髪の隙間から覗きみるような深いエメラルド・グリーンの瞳。時々、絡み合う視線。どぎまぎとして目を逸らすアスタロトを、慈しむように微笑み見る慈雨。

 話すべきこと。話さなければならないこと。

 それを意識しながらも、結局、二人はどちらもそれを口に出すことが出来なかった。


・・・


 慈雨はしきりにアスタロトに体を寄せてきたのだが、色々な意味でアスタロトは罪悪感を拭いきれずにいた。ここに居ない二人にも…そして、もう一人の自分にも。


 もちろん、17年間女性と付き合う機会がほとんど無かったアスタロトにとって、好意をハッキリと示してくれる魅力的な女性と2人きり…というこのシチュエーションは、またとない絶好のチャンスであり、体中を駆け巡る「抱きしめたい」という衝動と、アスタロトは必死で闘わなければならなかったのだが…。


 しかし、メジャー・アップデート後の明け方まで、半錯乱状態となったイシュタ・ルーの対応をして一睡もしておらず、それが収まった後も満足に休みを取っていない2人は、いつの間にか壁に持たれてウトウトとし始めていた。

 冷えた体を温めるために、慈雨が魔法で起こしてくれた焚き火が、あかあかと2人を照らしている。


 慈雨の目蓋も、もはや半分以上落ちている。

 ジウが最初に教えてくれた(個人情報の漏洩?)のだが、慈雨はリアルでも、このPCと同様に美しい女性だという。「天然物ですよ」…とか、言っていた。

 眠そうな顔の慈雨も…綺麗だな…などと思いながら、アスタロトは慈雨の横顔をボンヤリと見つめていた。

 その視線に気づいた慈雨と目が合う。

 一瞬、嬉しそうな表情を浮かべる慈雨だが、それで安心したのか、今度こそ目蓋を完全に落として、静かな寝息を立て始めた。

 自分の上着を脱いで、慈雨にかけてやりながら、アスタロトは1人思いに耽る。


・・・


 今頃…もう一人の自分は、どうしているだろうか?

 アレが「もう一人の自分」であることを疑う気持ちは、もはや無かった。

 自分の深層心理は、確かに今も3重起動されたままだ。

 そして、それにより3重展開された瞑想魔法が、未だ継続中であるという感覚もある。


 【円環サークル】や【一線ライン】のような自分の外部に対して作用する瞑想魔法には、持続時間というものがある。

 しかし、自分の内面に働きかける…つまり、文字通りの【瞑想】は、自動的に期限が切れて消滅するということがない。

 いや。正確に言えば、何らかの効果が生まれているなら、その効果に応じた何らかの代償が必要であるハズなのだが…。

 少なくとも、【集中力】や【元気】などのステータスには若干なりとも影響はでている自覚はある。

 しかし、その減少は非常に緩やかで、かつ、驚くべきことに3重の瞑想による効果の中に【集中力】や【元気】を高め…回復する効果が含まれているようなのだ。

 どうやら、空腹や不眠による全ステータスの低下や外傷によるダメージなどでも受け続けたりしなければ、この3重瞑想が自動的に終了することはないようだ。


 では…自分で、その瞑想魔法をキャンセルすれば?


 実は、それが一番簡単な解決方法だった。

 そうすれば、ジウの体の中にいるもう一人の自分は、その状態を維持できなくなるハズだからだ。その結果、もう一人の自分がどうなるのか…は、全く分からないが…。


・・・


 しかし、慈雨もマボも、きっとすぐに思い至ったであろうこの方法を、口にすることは無かった。そして、当事者であるアスタロト自身も、安易にそれを実行しようという気にはなれなかった。


 3重瞑想をキャンセルするのは…簡単だ。きっと。


 仮に、意図的なキャンセルが困難だったとしても、それこそ【円環】なり【一線】といった別の何らかの瞑想魔法を発動してみれば良い。さすがに4重瞑想などという技は、アスタロトでも使えないだろう。だから、それを実行した瞬間に、現在継続中の瞑想魔法は、それがどんなものであれ、処理能力に破綻をきたして強制的に終了することだろう。


 でも…

 それは、抵抗する術を持たない生まれたばかりの幼子を、問答無用でくびり殺す行為に等しい。道ばたに咲く、人に何の害も持たらさない可憐な花を、突然に踏みにじる行為と何の違いがあるだろうか。

 アスタロトには、そんなことはできない。


 もし、それができるようなら…自分が自分であるという「確信」を失う。

 甘いと言われることもあるが、それが自分だ。その甘さを抱えた上で、それでもアスタロトは必死に生き残ってきた。ここでも…そして、別のどのゲームでも。


 他人を蹴落とし…蹂躙し、その不幸を自らの生存の下地として生き残る。そういう選択肢も確かにある。だが、アスタロトはそうして得られた世界を楽しいとは思えない。


・・・


 どうして慈雨は、もう一人の自分ではなくて…この自分を選んだんだろう?


 そう。どうして?


 あの前後の記憶を辿ってみると、何か良く分からないが…とてもモヤモヤとしたスッキリしない気持ちになる。


 今回の件は、ジウの偽者を探すために、ジウの依頼を受けて調査に出かけたのがそもそもの始まりだ。

 自分が何をしたのか…実は、ハッキリ思い出せない。

 偽者の話していた「中の人」というキーワードに何かを閃いて、3重展開した深層意識による瞑想魔法で、適当に色々と試してみていたような気がする。

 でも、記憶は一旦、そこで途絶える。

 後で聞いたところによれば、自分は突然、意識を失い無反応となったのだそうだ。

 無表情なその顔は、まるでジウのようだった…らしい。

 その間の記憶は全くないが…少しだけ…夢を見たような気がする。

 夢の中で自分は、なぜか階段の踊り場にいて、慈雨をお姫様抱っこしていた。

 その後、イシュタ・ルーに引きずり回されたり、叩かれたりしたような全く脈絡がない変な夢だったような…そんな漠然とした夢の記憶。

 その変な夢を境に、意識がゆっくりと浮上していったように思う。


 完全に浮かび上がった時、イシュタ・ルーから「おかえり」と元気に言われた。

 「おはよう」では無いのか?…と不思議に思ったが、いつものコトかとスルーした。


・・・


 それからが、また滑稽?…だった。


 自分が意識を失っているうちに、何故か1階の大会議室で、何者か3人による乱闘騒ぎがあったらしく、会議室がメチャクチャに破壊されてしまったという。

 大会議室は、魔法大学への入学手続き待ちの滞在者が大勢いたのだが、幸い大きな怪我を負ったPCは出なかったようで、アスタロトはホッと胸を撫で下ろした。

 折角、復興工事により修復したばかりの町庁舎を壊されてしまったことに腹を立てたが、狼藉を働いた3人は既に去ったという。

 その3人に責任を取って修理してもらいたかったが、仕方ないのでNPCの町職員何人かに手伝ってもらい、アスタロトは瓦礫の片付けから手を付けることにした。


 そこに、突然、ジウが現れたのだ。


 挨拶もなく、ジウは「…アナタ………誰なんですか?」と、無表情のくせに困惑したような感じで訊いてきた。

 だから、思わず「へんなジウ」…と言ったら…突然、襲いかかってきて羽交い締めにされた。当然、抵抗して…それで…いわゆる組んず解れつの絡み合いになったのだが…

 そこへ、猛烈な勢いで不機嫌なイシュタ・ルーが現れた。

 助けを求めたのだが、なぜか妙な誤解?をされたらしく、ジウだけでなく、アスタロトの首根っこもムンズっと掴まれて…夢の中と同様に引きずられてしまった。

 2階へと上る階段でも、容赦なく引きずられるので、段差の角に頭やら腰やらを強かに打って泣きそうなぐらい痛かった。

 そして、会議室で拷問のような尋問を、マボやイシュタ・ルーから受けたのだ。


・・・


 まさか、あのジウが…ジウの姿をした………自分だったとは…。


 アッチの自分は、それを「システム側が用意した予備のPC」に瞑想魔法で思念を転送した状態だ…と説明したが、それはおそらく…嘘だ。

 何故なら、自分には、予備のPCに思念を転送しようとした記憶が全くないからだ。


 自分の記憶にあるのは、ジウの「中の人」として、自分が「入れる」かどうか…を色々と試していた…というところまでだ。


 …と、なると…ジウ自身の思念は、いったいどうなったんだろう?

 もう一人の自分は、ジウの体を乗っ取ってしまったのだろうか?

 それによって…ジウの思念を「上書き」してしまったりはしていないだろうか?


 そこまで考えて、アスタロトは少し恐くなった。


 もし「上書き」…ということが正解なら…ジウの思念は、もう一人の自分の思念により消滅してしまったかもしれないのだ。

 思念の消滅…それは【死】と同じ意味になるのではないだろうか?

 もし…もしも………もし…そうなら………?


 アスタロトは、突然、ガクガクと体が震え出し、止まらなくなってしまう。

 仮想世界でも、嫌な脂汗というものは出るのだと知った。

 ガチガチと上下の奥歯がぶつかり合い、脳の芯まで振動が響く。恐かった。とても。


・・・


 自分でどうしようもできないその震えを、誰かが背中から両手で抱きしめて止める。

 背中に伝わる温かいその体温。

 自分には無い、二つの柔らかな感触。

 肩口から首筋にかけても、柔らかな肌が触れている。

 慈雨が、その柔らかな頬を押しつけてくれているのだ。


 「大丈夫…大丈夫だよ…」


 魅力的で穏やかなアルトヴォイスで、何度も囁いてくれる慈雨。

 半乾きの髪が、首筋をくすぐる。慈雨の吐息が、アスタロトの肩口を温める。


 「…アナタが心配するようなことは…何も起きていないわ。だから…大丈夫よ…だから…ね…」


 まるで…アスタロトが何を考えているのか分かっているかのように、慈雨は優しい言葉でアスタロトを落ち着かせようとしてくれる。

 言葉を発する度に、慈雨の柔らかな唇の感触が、アスタロトの全神経を首筋に集中させようとする。

 その喩えようもないほどの心地良さが、アスタロトの心から恐怖を拭いさってくれた。


・・・


 「ねぇ…?…どうして、俺だったの?」


 一人で思い悩んでも答えは得られない。

 そう悟ったアスタロトは、先ほど心の奥に浮かんだ問いを、今度は言葉にして直接、慈雨に訊いてみる。


 背中から包み込むように抱きしめたままの慈雨。

 答えを探しているのだろうか、呼吸を吸い込んだまま返事は無い。

 しかし、やがて吐き出される息とともに紡がれた答えは…


 「アナタが、『アスタロト』だったから…」


 嬉しいけれど…真意をはかりかねるものだった。

 それでは…あのジウの見た目をした彼は?…自分が見破れないだけで、やっぱり偽物だったのだろうか?


 「この世界で生き残るために…彷徨さまよい歩いていた私は、私を守ってくれる…強い人が現れるのをずっと待っていたの…。フライ・ブブ・ベルゼは、確かに強いのだけれど…彼の強さは、私の求める強さでは無かったわ…」


 アスタロトは、自分の問いが曖昧であったことに気づいた。

 自分は、ジウの見た目をしたもう一人の自分ではなく、この自分を選んでくれた理由を訊いたつもりだったのだが…


・・・


 しかし、慈雨の答えは、そもそもの出会い…その理由だった。


 瀕死の重傷であったアスタロトに献身的に治療と保護をしてくれた。そして、彼をサポートするためにGOTOSとなってくれた…その理由を答えてくれたらしい。

 でも…それにしても「アスタロトだから」…という理由の意味は、どう受けとめて良いのだろうか。

 アスタロトの困惑は変わらない。

 だから、少し意地悪な質問をして、その真意を質してみようと彼は考えた。


 「…じゃぁ。俺がもし…強くなかったら?」

 「シュラくんは、強いわ。…誰よりも」

 「…いや。実際、TOP19には選ばれたけれど…俺、ランキング1位じゃないし」

 「そんなの…システムが勝手に決めただけの順位じゃないの。アナタが気にする必要なんてないわ…」

 「でもさ…。この先、俺よりランキング上位のプレイヤーと逢えたら…慈雨さんは、そいつのところへ行ってしまうんでしょ?」


 後半は、意地悪というより…なんだか情けない調子になってしまった。


     【ごっつん!!!】


 その情けなさに俯きかけたアスタロトの後頭部に、突然、激痛が襲う。

 その衝撃は、一撃で収まらず…二撃、三撃…いや惨劇になりかねないほど続く…。


・・・


 先ほどまで背中に感じていた柔らかな双丘の感触が消失し、代わりに後頭部に叩きつけられる握り拳。

 痛い。いたいいたいいたいたい…いや。本当に痛いって!!

 アスタロトは、堪らずに前へと転がり逃げる。

 とても慈雨の細腕によるものとは思えないほどの痛打。

 まるでその両拳に魔力でも込められているかの様だ。


 「…痛いよぉ!…じ、慈雨さん…な、何をするのさ?」


 左手で後頭部を押さえ、涙目になりながら、右目だけで慈雨を見上げる。

 左目は、痛みにより無意識に顰められている。

 そのアスタロトの右目に、飛び込んだ慈雨の両の握り拳は、明らかに強化系魔法のエフェクト・ライトと思われるものに包まれている。

 いや…本当に魔法が込められてるジャン!?…シャレにならないよ、ソレ…的な驚愕で、口をパクパクとさせるアスタロトを、顔を真っ赤にして睨みつける慈雨。

 両拳のエフェクト・ライトのその向こうで、アスタロトを見下ろす慈雨の目は涙目になっている。怒っている?…いや。むしろ悔しそうな顔…と言うべきか…。


 「私を…わ、わ、私を………そ、そんな女だと…そんな女だと…思ってたの?」


 声を震わせる慈雨。やはり…涙声だ。

 それでやっと、アスタロトは、自分が慈雨に向けて放った言葉の意味を理解する。

 口の中で反芻して、アスタロトは後悔で青ざめる。


・・・


 自分の先ほどの発言は、慈雨のことを「強い者に媚びて生きる嫌な女」だと、暗に決めつけたようなものだ。

 しかし、そんなハズは無い。それは、アスタロトが一番、理解している。

 だって、もしそうなら…放っておけば数秒も待たずして【死】による強制ログアウトを迎える…瀕死の重傷であったアスタロトを、必死で治癒したりするわけが無い。

 あの時、唇に感じた…同質の柔らかな感触。

 自力では回復薬すら飲むことができなくなっていたアスタロトに、彼女は口移しでそれを飲ませてくれたのだ。

 年頃の女性にとって、それは容易に出来る選択ではない。

 彼女の必死の決断を、今、自分は…深い考えもなくけがしてしまった…。


     【土下座】


 アスタロトは、ひたすら【土下座】した。

 それはもう…見事なほどの【土下座】だった。

 慈雨の足下に、額をゴリゴリと音がするほどに、擦りつける。


 「ゴメン。そんなつもりじゃ…無かった。だけど…無意識にでも、そういう意味のことを言うなんて…。ホントに…ゴメン。赦してください…なんて言えない。言わない。もう、一生愛想を尽かしてくれて良い。軽蔑してくれて良い。俺なんか…何処かのゴミ溜に捨ててくれちゃって良いよ。だけど…ゴメン。一生、言い続けるよ。ゴメン!」


 終わったな。こんな無様な詫び方…ドン引きだよな…と、アスタロトは情けなくなる。


・・・


 しかし…

 慈雨は、アスタロトを引き起こし、その襟首を掴む。

 悲しそうに眉を歪め。悔しそうに唇を噛む。


     【どんっ!】


 そして、襟首を掴んだまま…アスタロトの背を部屋の壁へと打ち付ける。

 そして、そのまま自分の額をアスタロトの肩口に押しつけてくる。

 アスタロトの肩口が、慈雨の涙で濡れていく。


 「………アナタは。シュラくんは…何にも分かって無い!…私が…私が…どうして、シュラくんを嫌ったりするの?…どうして、愛想を尽かしたり…軽蔑したり出来ると思うの?…私が…どうしてシュラくんをごみ溜に捨てたり出来るなんて思うの!?」


 アスタロトには、答える言葉が見つからない。

 グルグルと回る頭で必死に考えたが…何も語るべきでない…という結論に至り、黙る。

 慈雨は、掴んでいたアスタロトの襟首を放し、その代わりに彼の頭を両腕でかき抱いて…自分の胸に押しつけた。


 「私のことを…悪い女だと思うのは…構わない。…悔しいけど…構わない。だって、一時とはいえ、フライ・ブブ・ベルゼの元に身を寄せたのは…事実だもの…でもね…でも…私が…命を賭けても守ろうと思える…大切な…大切な人を…アナタを…そんな風に貶めて言うのは…たとえアナタ自身の口であろうと…許せない!」


・・・


 自分は…慈雨に、ここまで思われるようなコトを…何かしただろうか?


 困惑しながらも、それを訊けば、そのことが、また慈雨を激怒させるだろうと予想されるため、アスタロトは沈黙を続ける。


 「アナタは、自分の価値を…ちっとも分かっていないのね…」


 慈雨は、そう言って胸元に抱き寄せていたアスタロトの頭を話す。

 叱られている最中なのに、若い男の本能ゆえの悲しさ…アスタロトは、その突然に引き離された感触の名残を惜しんで、間抜けな顔をしてしまう。

 そんな間抜けなアスタロトの顔を、慈雨の両手で挟まれて、彼は顔を慈雨の顔の方へと強制的に向き直させられる。

 慈雨は、濡れた瞳でアスタロトの目を覗き込みながら…続ける。


 「…アナタのコトは、他のMMORPGの時から…知っていたわ…。私だけじゃない。アナタが気づいていないだけで…私以外にも多くのプレイヤーが、アナタのコトを知っているわ…」

 「あぅ…お、俺が?…」

 「そして…夢の様な自由度の…理想の仮想世界だと信じてやって来たこのデスシム世界で…でもそれが幻想に過ぎなくて…絶望と諦めの日々に変わった時。誰もが…願ったわ。誰もが…望んだわ…アナタがやって来るのを。待っていたのよ…ずっと」


 アスタロトは驚いた。そして、困惑した。自分が…そんな有名人のわけが無いと…


・・・


 「…信じられない?そういう顔ね。ふふふ。可愛い人。でも…無理も無いわね…」


 アスタロトの両頬から手を離し、その空いた手で、アスタロトの胸をトン…と押して壁の方へ押しつける慈雨。

 その反動で、彼女自身は壁から…アスタロトから離れる。後ろ足で、数歩分。

 そこで、くるっと体を反転させ、背中を向ける慈雨。

 体の回転について行けない彼女の美しい後ろ髪が、綺麗な弧を描いて流れる。


 「アナタは、最強じゃない。アナタは英雄じゃない。アナタはギルドの首領でもない。アナタはプレイヤー・イベントの主催者でもなかった。アナタはアイドルでもなく、そして正義の味方ですらなかった…」

 「う…うん。そうだよ…その通りだよ。…俺なんか…普通の…平凡な…1プレイヤーに過ぎなかったハズだよ…だから…どうして?」

 「…でも。アナタはいつも楽しんでいた。始め立てのゲームで…理不尽なPKに遭っても。何度も何度も…知恵を絞って、確実に勝利を重ねて。最後には、いつでもトップ・プレイヤーの一人として…輝いていた…」

 「…か、輝いて…だ…なんて…」

 「いいえ。輝いていたのよ?…アナタは…。そこに至るまでに、アナタは他人を踏み台にしない。アナタは弱者を騙したりしない。卑怯な手口で陥れたり、多勢に無勢のような数の暴力に訴えない…」

 「…そ、そんなの…み、ミンナ…ほとんどのプレイヤーがそうだと思うよ?」

 「えぇ。そうね。…でも、そんな善良なプレイヤーは、アナタのようにトップ・プレイヤーの一人に常に数えられる…なんて…そんなこと…普通は出来ないの」


・・・


 自分の諦めの悪さは自覚していた。

 やられても、やられても…その度に考えて考えて…自分を虐げようとする相手を研究しつくして…その繰り返しが難解なパズルゲームを解くような感じで…攻略に熱中しているうちに、気が付けばトップ・プレイヤーの仲間入りをしていた。

 「リフュージョン」や「炎の騎士国物語」を始め、幾つものMMORPGで…確かにアスタロトはそうやって戦い続けて来たのだった。

 その困難を、いつも「アスタロト」という名のPCで乗り越えてきた。だから…自分は、この「デスシム」でも、その愛着ある名「アスタロト」を名乗っている。


 ユリカゴス・チルドレンであるアスタロトは、いわゆる「親持ち子女」たちのように血族名も持っておらず、他のユリカゴス・チルドレンと自分を区別できるような、これといったアイデンティティを持っていなかった。しかし、複数のMMORPGで、幾つもの困難を…この「アスタロト」という名で…そして同一のポリシーを持って闘ってきたというその積み重ねが、慈雨に言われるまでもなく…確かに自分の誇りであるとアスタロト自身も認識していた。

 そして、思い出した。以前、マボと険悪なムードとなったあの時。

 確か、マボも言っていたではないか…自分のことを…あの有名な「誰よりも確実な勝利を追求する」アスタロト…だと。


 「もっと早い段階で絶望し、挫折し…ギルドの一兵卒で満足するか、ご機嫌を損ねないように気を付けながら…強者の庇護の元でささやかに冒険を楽しむか…。それとも、さっさと別のゲームへ移るか…。それが普通なのよ。悲しいけれど、今の時代のMMORPGではね。だから…わかるでしょ?…アナタがどれだけ稀少な存在か…」


・・・


 そうか。自分は…普通じゃなかったのか…。

 残念なような。誇らしいような。アスタロトは少しむず痒い気分になる。


 「…アナタ自身には、ちっとも目立とうという気がないから、どのゲームでも、決して一番の中心人物になることは無かったわよね。でも…、気が付くと…いつもアナタは、誰よりも強い存在感を放っていた。そして、アナタは理不尽なタウンの破壊者やPKを楽しむ一部のプレイヤーと常に闘っていた…」

 「…うん。でも、それは…自分のため…だったよ?…自分が普通に楽しめる仮想世界の方が…好きだから。それで、闘っていた…だけだよ?」

 「それで…いいのよ。それで…良かったのよ。だから…アナタは希望だったの…皆の…そして私の…」

 「…そっか」

 「そうなのよ?…本当に分かったの?…だから、私は、アナタが…シュラくんが…このデスシム世界にやって来てくれるのを…ずっと待っていたのに。アナタ…内部時間で5ヵ月経っても…全然、現れないんだもの。私が…フライ・ブブ・ベルゼなんかの元に身を寄せたのも………アナタのセイなのよ?…分かってるの?」

 「あぅ………ご、ゴメン」


 仮想対実時間レートは、当初30:1だったから、慈雨が待った内部時間の5ヵ月というのは、アスタが過ごしていたリアルの時間では、およそ5日間程度だ。

 いつも、少し様子見をしてから、他のプレイヤーに遅れて新しいゲームにログインする妙な癖のあるアスタロト。とは言っても、普通は1日か2日程度の様子見であることが多く、確かに今回は、予想以上に待たせてしまったことになるのだろう。


・・・


 アスタロトは、やっと理解した。

 慈雨だけでなく、イシュタ・ルーやマボ…そして、ひょっとしたらシステム側の担当者であるジウまでもが、何故、これほどまでにアスタロトに好意を寄せてくれているのか…その理由を。


 そして、それを理解した瞬間。

 アスタロトの心から、一切の揺らぎが消え失せた。


 「ありがとう…良く分かったよ。慈雨さん…」

 「…本当に?」

 「うん。俺は…アスタロトだって。アスタロト以外にはなれない…って」

 「…ふふふ。アナタらしい言い方だわね」


 機嫌を直した慈雨は、再びアスタロトの方に向き直る。

 アスタロトは胸いっぱいに息を吸い込んで、それから慈雨に宣言した。


 「よしっ!…帰ろう」

 「え?」

 「町庁舎へ。ルーやマボさん。そして、もう一人の自分が待つ…あの会議室へ」

 「…ど…どうして…そうなるの?」

 「だって…俺は………アスタロトだから」


 今度は、慈雨が困惑する番だ。首を傾げて「?」という表情をする。


・・・


 「分かってるの?…アナタ…戻ったら、ジウたちに消そうとされちゃうかもしれないのよ?…そんなの…私…絶対に嫌だわ」

 「あはは。心配いらないよ。俺は、俺だから。絶対に消せないから」

 「…確信が…あるのね?」

 「ある。…俺の体に宿る、俺の意識。それが、俺じゃなくて誰だって言うんだよ?…ほら、見てよ。俺の顔…まだ、ぎこちないけど…無表情じゃないでしょ?…言葉の抑揚だって…結構、普通に話せるようになってきてると…思うけど?…どう?」

 「………う。うん…少し…ね。表情は…まだ…微妙だけど…確かに、さっきから…言葉には感情が…ちゃんと込められているわね」

 「うん。慈雨に…あっと、ゴメン…慈雨さんに、ちゃんと気持ちを伝えたいからね…必死に感情を込めたんだよ」

 「はぅ………。今…慈雨………って呼んだ?」

 「ご、ゴメン。だから謝ったジャンか…」

 「ち、違うのよ。う…」

 「う?」

 「嬉しいの………馬鹿…」

 「慈雨…?」

 「ひゃん…」

 「分かった。これからは…そう呼ぶよ。年上だと思ったから…気をつけてたんだ」

 「うん。分かってる…でも…嬉しいの」


 ゆっくりとアスタロトに歩み寄り、再び彼の肩口に額をコツンと乗せる慈雨。

 アスタロトは、さっきまでとは逆に、優しく慈雨の頭を撫でてやる。


・・・


 「帰ろう。慈雨。俺は覚悟を決めたから…」

 「じゃぁ…もう一人のアナタを…消すの?」

 「…違うよ。慈雨がさっき教えてくれた『アスタロト』は…他人を踏み台にして、自分が生き残ったりするような奴じゃ無いでしょ?」

 「う…うん」

 「さっきは、突然のことに何も出来なかった…。自分のコトなのにろくな発言も出来なかった…けど…さ。今度は、ちゃんと話し合ってみるよ…ちゃんと」

 「そう…。何か…考えがあるのね?」


 その問いに、一瞬、アスタロトは硬直する。

 それに気づいた慈雨が不安そうな顔で、アスタロトの顔を見上げてくるので、アスタロトは…ずっと言いあぐねていたコトを遂に口にすることにした。


 「ある。………俺。さっきの慈雨と、システム担当のジウ…2人のやり取りの意味に気づいちゃったんだよ。多分、正解だと思う。………当事者である慈雨には、俺が何を言っているのか……………分かるよね?」

 「………な…何のコト?」

 「ふぅん。とぼけるんだ…。あぁ…秘密にしておかないと…マズイか…。確かに、ちょっと…。少なくとも、ルーやマボさんには…教えられないよねぇ…」

 「…い、意地悪なの?…シュラくんは…意地悪な人なの?」

 「うん。俺は、意地悪かもね。…戻ったら…もう言えないから…今の内に、お礼を言うよ。慈雨さ…あ…慈雨。俺を守ろうとしてくれて…あんな大がかりな芝居まで打ってくれて…ありがとう」


・・・


次回、「ジウと慈雨(仮題)」…へ続く。


(謎解き…そして協議会へと…続く予定?)

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