(15) で?…どうする?
・・・
外は激しい雨が降っていた。
そう。未だに…。
そして、「はじまりの町」の町庁舎2階の会議室には、十分な昼寝をしてスッキリしたにも関わらず、不潔なモノでも見るような不愉快な表情を浮かべたマボが、魅力的な足を見せつけるように組んで折りたたみ椅子に座っていた。
その前に…椅子に座ることも許されず、正座する汚物…もとい…男性PCが二人。
ブルブルと青い顔で恐怖に震えている二人は…いずれも無表情。
非常にシュールな画である。
彼らが座るその背後には、逃げ道となる扉を塞ぐように背をあずけて腕を組む可憐な少女イシュタ・ルー。普段の陽気な彼女とは見紛うばかりの氷の美貌を見せている。
慈雨は居ない。
付き合いきれないと思ったのか…嫌悪感からなのか…おそらくはその両方で…ここには来ずに黙々と事務を継続することにしたらしい。
「…で?…どういうことだ?…君たちは何をしたいのかな?」
「あんな大勢のお客さんがいる前でさ………ほんと信じらんないよぉ。この町の領主は…“そういう趣味”の人なんだ…って、みんなヒソヒソ噂してたんだよぅ!」
冷静…というより冷酷?に問い詰めるマボ。
憤慨…というよりフンガァーっ!…という感じに憤るイシュタ・ルー。
ジウは観念して---そして、マボの知性に一縷の望みを込めて、現在アスタロトに起きている異常な状態について相談することにした。
・・・
ただし、「ジウとアスタロトが一つの体を共有している」…などという部分については、本質の部分ではなく、伝えることで余計に問題が複雑化しそうなので…あくまでも、ジウの見た目をした「予備用のPC」…つまり「入れ物」を操って依頼をこなしていたアスタロトが戻れなくなり、困って相談している…という建前で押し通すことにした。
「ふむ…。君も…それから…そっちのジウの見た目をした君も…いずれも自分がアスタロトだと言って譲らないわけか?…それは困ったな」
「ルーちん…もう、全然、意味分かんなぁ~い!…マボちゃん!助けて」
「あぁ…。ルーくんは黙っていてくれたほうが私も助かる。任せておきたまえ」
「むむぅ…複雑な気分だけど…任せちゃうぅ!」
ジウの立てた推論については、差し支えの無い程度に抽象化してマボに伝えてある。
しかし、片や見た目が全く別人なPC、片や見た目はアスタロトそのもののPC。それが共に自分こそが本物であると主張すれば、当然、見た目が違う方が偽者だと判断したくなるのが人情というものだろう。実際、「動くアスタロトの体」の方は、ただ正座させられているだけだが、アスタロトを名乗るジウの方は後ろ手に縛られた状態で正座させられている。
それでも、直ちに結論を出さずに真剣に真偽を見極めようとしてくれるのがマボの素晴らしいところだろう。
なるほど「動くアスタロトの体」側にも不審な点は確かにあるのだ。
何と言っても不審なのは…その顔の無表情さ。まるで…ジウのように。
それだけではない。顔どころか、その喋り口調すら平板で“無表情”なのだ。
いっそ「どちらも偽者」と結論付けた方が楽なぐらいだ。…と、溜め息を付くマボ。
・・・
かなりの長時間、考え込んでいたマボ。
何かを思い付いた顔で、彼女はそっと立ち上がる。
その美しく艶やかな朱に染まる唇を、「動くアスタロトの体」の耳に寄せて、彼にだけ聞こえる小さな声で何かを囁く。
次の瞬間。これ以上無い…というほど顔を真っ赤にして…湯気がでそうなほど上気した顔つきで「動くアスタロトの体」はマボの耳に同じく囁きを返す。もはや…無表情とは表現し難いほどの真っ赤な顔。
マボは、答えを聞き取ると、やはり僅かに頬を朱に染めて小さく頷く。
続いてジウの見た目をした方へと移動し、「コホンっ」と小さく咳払いをしてから、やはり同様に耳元で何かを囁くマボ。
少しだけ間をおいて…しかし、やはり同様に顔を茹でダコのように真っ赤にした「ジウ顔のアスタロト?」がマボに囁き返す。
その答えに、マボは驚いた顔をして…それから頬どころか耳まで朱に染めて恥じらう。
胸の前でモジモジと手指を組み替えながら、マボはユックリとパイプ椅子の所までもどって座る。今度は足を組んだりせず、少女のような恥じらう姿勢で椅子に座る。
そして…しばらく目を閉じて瞑想するように思案し…ふぅ~っと大きく息を吐き出してから、判定を宣言する。
「…信じられないけれど…。二人とも…本物だわ…。間違いない」
心なしか口調がいつもより女性らしいのは気のせいか?
あり得ない答えに「え~!?」…とイシュタ・ルーがふくれっ面で抗議する。
・・・
「アスタロト…と私しか…絶対に知らないハズのことを………両方とも正確に答えてみせたんだから…仕方ないだろう?」
何を訊いたのかはハッキリと言わずに、マボはそれでも二人が間違いなく本物のアスタロトだと断言する。
「そっちのジウの見た目をした君の言う仮説が本当なら…何らかの事情で、表層意識を失ったような状態だった…こちらの無表情なアスタロト君の体の中に…元々の表層意識とは別の…新たな表層意識が芽生えてしまった………というコト…なのではないだろうか?…いや、自分でも何を言っているのか…良く分からなくなりそうだが…」
アスタロトの表層意識は、最初からアスタロトの本体の中にあるハズだ。それが、ジウの仮説だった。しかし、ジウの感覚センサーやステータスなどの全情報にコネクトする魔法を発動し続けた結果、その膨大な情報量を処理するのに専念するあまり、自分の体からの各種情報を無視し続けるという状態となってしまった。
ジウからの情報を手放し、元の自分からの情報を受け取るように回路を繋ぎ戻す…ということをすれば、アスタロトの思念は元通り自分の体を制御できる…即ち、自分の体に戻ることができるハズなのだが…。ぶっつけ本番の即興でこの状態を実現してしまったアスタロトは、その回路の繋ぎ戻しの感覚が分からない。
残された体側は、大人しく眠っていれば良かったのかもしれないが、どういう仕組みか慈雨の危機を救うために一度目覚めてしまった。
その結果、受け取り手となるべき表層意識が無いにも関わらず、アスタロトの体からは膨大な感覚センサー等の情報が意識ユニットに向かって流れ続けたのだろう。
・・・
「…溢れかえる感覚情報を処理する必要を感じた意識ユニット…簡単に言えばアスタロト君の深層意識は、ジウ型PCと接続されたままの表層意識部をそのままに、新たな表層意識を起動して…体感覚情報の制御を委ねたのではないだろうか?…オーバーフローした情報による感覚バランスの失調を防ぐために…」
イシュタ・ルーは…ちんぷんかんぷん…と言った顔で小首を傾げている。
「動くアスタロトの体」…いや、今の仮説が正しければ「新アスタロト」と呼ぶべきか?…は、口をポカンと開いて固まっている。
ジウとアスタロトは、実はマボとだけ共有すべき秘密の情報をジウに知られてしまったことを理由に、思念同士で揉めていたのだが…マボの仮説を聞き終わると…
「おぉ…なるほど…」
…と、思わず呻いてしまった。そして、その口調がどちらかというとジウっぽい…ということに自分でも気づき、「す、凄いね!」と、アスタロトっぽい口調で続けた。
どうやら…信じ難い結論ではあるものの…もう、それ以外には考えられず、その場の全員が、その仮説を真実であろう…と受け入れた。
「で?…どうしたらいいの?…コレ?」
イシュタ・ルーが問題の本質にズバリと切り込む。
そう。原因が分かっただけでは意味がないのだ。答えの出ぬまま時は過ぎていく。
外は雨。激しい雨は一向に止む様子が無く…まるでアスタロトの心のようだった。
・・・ ・・・ ・・・
・・・ ・・・ ・・・
.
「…君は………彼らの所に居なくて良いのかね?」
彼女の背後から、聞くだけで尊大さが伝わってくる男の声が掛けられた。
振り向くことも、答えることもなく…彼女は事務机の上に展開した複数のホログラフィック・ディスプレイの表面に次々と指を滑らせ、黙々と情報を閲覧している。
一番奥のディスプレイには、人型の3Dオブジェクトが表示され、その各部位の周りには複雑な記号と数値が目まぐるしく値を変えて表示されている。
その手前、左側のディスプレイには16桁の16進数が猛烈な勢いで下から上に向かってスクロールしている。
そして、その左側では目まぐるしく色調を変化させる模様が動き回っている。よく見ると、それは人の頭部に似たフレームの中に表示されているようだ。
「ふむ…答える間も惜しい………といった感じだな…」
尊大な口調の男は、静かに彼女の隣まで歩み寄り、彼女の肩に手を軽く乗せる。
「…しかし。困るな。これは本来なら社内の物理端末からしかアクセス出来ないはずの情報だが…君は、自分が何をしているのか、正しく理解しているかね?」
「…処罰するというなら…ご自由に。でも、問題が解決してからにして下さい」
「ふむ。…君らしくない…。いや。実に君らしい…のかな?ひょっとして」
・・・
肩に乗せられた尊大な男の手を振り払い、彼女はやっと男を振り返る。
「私の前に…姿を現すのは…マナー違反です」
「はははは。自分はルール違反を犯しておきながら…強気の態度だね。…何が君をそこまで駆り立てるのかな?」
「…だから、罰なら受けるといっているでしょう?…でも、今、私はここから出られない状態だから…物理端末は使えないし…他に方法が思い付かなかった…」
彼女の口調は弱々しくかすれ、後半は俯いてしまったために聴き取れないぐらいの小ささとなる。
「ふぅ。仕方ない。君には色々と苦労をさせているからね。今回だけは大目に見よう。ただし…アチラの派閥の連中に知られると、さすがの私でも庇いきれなくなってしまうから、不正アクセスはそのぐらいで止めておきたまえ…」
「ま…まって…も、もう少し…」
「駄目だ。仮にその方法で何かが分かったとしても、それこそ特定プレイヤーへの不当な干渉行為として看過できない。………君を、こんな所で失いたくない…」
「…………くっ…」
男の最後の言葉には、本気の威圧が含まれていた。彼女は体を硬直させる。
「まぁ…そう悲愴な顔をするな。代わりに少しだけヒントをやろう。もっとも…私にとってもアレは予想外の展開だから…どこまで効果があるか保証できないが…」
・・・ ・・・ ・・・
・・・ ・・・ ・・・
「…そうだったのか。俺は…本当なら…存在しないハズの人格なんだね」
無表情で声にも抑揚がない。
それなのに、誰もが新アスタロトの言葉から、深い苦悩の色を読み取っていた。
いや。僅かではあるが…表情が生まれつつあるのか?
「そ………そんなこと…わ、私は言っていないぞ。ど、どちらも本物だって、そう言っているじゃないか。君」
「…でも。俺は、アッチのジウの中の“俺”が長時間不在だったためにバランスを崩した精神を安定させようとして…新たに生み出された意識…ってことなんでしょ?」
「あ、あくまでも…か、仮説だよ。仮説。…き、君だって、私と闘った時の記憶をちゃんと持っているじゃないか。そ、そんな…顔…しないでくれ」
新アスタロトの顔には、間違いなく悲しい決意のようなものが浮かんでいた。
「お…おぃ。お前…じゃないな…えっと…俺!?…あぁっ…もう、ややこしいな。…ひょっとしてだけど…自分が消えよう…とか…言い出すつもりなのか?」
「…だって。お前…いや。俺?…うん。ややこしいね。…が、戻れなくなったのは、俺が生まれちゃった所為かもしれないんだろ?」
「せ、“セイ”…って………そんな。いや。そもそもその原因をつくったのは、俺が不用意にこのジウの体に乗り移っちゃったからで…だから…それを言うなら俺の所為だとも言えるワケで…」
・・・
.
「…その仮説。もしかしたら全くの逆かもしれませんよ?」
尋問部屋を気取って扉の付近しか照明をつけていなかった。
だから、薄暗い部屋の隅から忽然と現れた(ように見える)その男の顔はハッキリと確認できなかった。
その人を不快にさせる絶妙なタイミングでの会話への割り込み、そして抑揚の無い声、そして…ゆっくりと部屋の中程まで進んだことにより照らされた男の…無表情な顔。
その場の全員が様々な表情を浮かべて、その男…ジウを見る。
マボとイシュタ・ルーは、突然声をかけられたことに対する少々の驚きとその何倍もの嫌悪の表情。
新アスタロトは、その男とそっくりの無表情。
そして、アスタロトと思念をその身に共存させた、もう一人のジウは…顔こそ無表情であるものの…体全体から驚愕の心情をにじませていた。
「アスタロトさんのその無表情。私に少しだけ…思い当たる節があるんですよ」
いつもと同じ慇懃無礼なその口調。振る舞い。そして無表情。
しかし、そんなハズはない。
何故ならジウは、自分と今もこうして思念を共存させている。
・・・
『…に、偽物…』
アスタロトは思わず口走りそうになったその言葉を、すんでのところで飲み込んで、思念のみで呻く。
マボやイシュタ・ルーにとっては、今の自分は「ジウの姿をした予備PC」を操るアスタロトだ。だから、自分と同時に本物のジウが現れたところで、何の不思議もないのだ。もちろん…一瞬くらいは驚くだろうけど。
即座に偽者と断定すれば、その根拠を問われることになる。だが、この体の中にジウと二人で共存しているなどと説明すれば、余計にややこしくなってしまう。
そんなアスタロトの思念を読んだかのように、自称ジウは優雅な仕草でユックリとジウの方へ体を向ける。
「あぁ。そうだ…忘れていました。まずはアスタロトさんにお礼を言うべきでしたね。私の代わりに【私の偽物】探しの巡回をしていただいて…ありがとうございました」
【私の偽物】…という部分を不自然に強調して、自称ジウは言う。
そして、不気味な笑み…のような無表情を浮かべて、言葉を続ける。
「…さぞお疲れでしょうね。本当にありがとうございました。………で、【私の偽物】は…見つかりましたか?」
・・・
なんだ?…なんなのだ?…これは?
アスタロトの思念は混乱して激しく揺れる。このタイミングで…何故、ジウの偽者が…再び現れるのか?………いや。このタイミングだからこそか?
混乱して言葉の出ない両アスタロトに代わって、マボが自称ジウに問いかける。
「君は今、『逆』…と言ったな?…どういう意味だ?…それに…思い当たる節というのは…こっちのアスタロトが、無表情である理由について…ということかい?」
「逆は逆ですよ。先ほどの仮説を思い付かれたなら…分かるんじゃないですか?」
「…言葉遊びを楽しむ趣味は無いな。深刻な状態なんだ。御託はいいから、さっさとその先を話したまえ」
「そうですか…考える過程は、今後の苦難に立ち向かう際に、良い経験となると思うんですがね。…おっと、そう睨まないでください。分かりました。無駄口を叩くな…というんでしょう?」
「分かっているなら、早く話すんだ…君が嫌われる理由はそこだぞ?」
「でも不思議だとは思いませんか?」
「だから、何が!?」
「どうして、こちらのアスタロトさんは…無表情なんでしょうね?」
全員が新アスタロトに注目する。
キョトン…とした無表情で、しかし、キョロキョロを周りの皆を見回す。
気になっていなかったワケではない。それぞれが勝手な理由を思い浮かべて、納得した気になっていた…のだった。
・・・
「ゆ…夕べから…ね、寝てないから?」…と、マボ。
「起きたばっかりで、まだ寝ぼけてるんだよね?」…と、イシュタ・ルー。
女性陣二人は、似たような答えだ。
当事者の新アスタロトは…口をパクパクさせて答えを探している。
そして、やっと答えを見つけたのか、少しだけ嬉しそうな…無表情で、
「あ、あの…新しい表層意識として…まだ、生まれたばかりだから!?」
あ。なるほど!…とマボが左の手のひらの上に右拳を載せる。ぽん…というヤツだ。
イシュタ・ルーも「うんうん!それだよ、きっと!」と頷いている。しかし…
「どうして?…意識が生まれたばかりだと無表情や平板な口調になるんです?」
自称ジウが、そのいかにも正しそうな説の欠点を指摘する。
確かに、生まれたばかりの赤ん坊だって、こんな無表情だったりはしない。おぎゃー、おぎゃーと泣き叫ぶ声も…決して平板などではない。
「それに…“生まれたばかり”を理由にするなら、そもそも言葉をすらすら話したり、生まれるより前の記憶をしっかりもっていることと…矛盾しませんか?」
無表情で当然のように指摘する自称ジウ。常に疑問形なのが腹立たしい。
・・・
「もう!…さっきから疑問ばっかり論って、何が言いたいんだ、君は!…能書きは良いから、先に話を進めろと言っているだろう!」
冷静に見えて激しやすいマボ。シビレを切らして自称ジウを睨みつける。
しかし、その苛立ちを涼しい…無表情で受け流して、自称ジウは自分と同じ見た目をしたアスタロトへと語りかける。その目の奥を除き込むようにして。
「アナタは?…もう一人の当事者であるところのアナタのご意見は?」
目の前の自称ジウが、自称どころか絶対に偽者だと知っているアスタロト。
しかし、あまりにも自信に満ちあふれたその態度に、思わず答えを返してしまう。
「う…あ…。そ、それは…あ!…お、俺を、俺の思念を…このジウの体の中に生み出すための…瞑想魔法を持続するために………表情や声の抑揚を生み出すために…しょ、処理能力を裂くことが…できない…か…ら?」
【ぱちっ………ぱちっ…ぱちっぱちっ…パチパチパチパチパチパチ!】
無言で一人拍手をする自称ジウ。
大げさに何度も何度も頷きながら「素晴らしい…」などと呟いている。
「正解でしょ!?これ?…どうです?…もう、これ以上、この異常な状態を説明できるどんな説明があるって言うんです?…以上が、この異常の理由ですよ!…ぷぷっ」
・・・
「…お、お前は………」
「ま、マボちゃん…こ、この…つまらない駄ジャレ…ルー、最近、聞いたことあるよ!…な、なんか…もの凄いデジャヴな気分だよ!?」
女性陣二人の顔に強い警戒の色が浮かぶ。
しかし、おかまいなしに自称ジウは、なかなか明かさなかったマボ仮説の「逆」について解説を続ける。それまでと打って変わって、断定的な口調で…怒濤の如く。
「アスタロトさんの無表情は、そっちのジウの中身の彼を生み出すために処理能力の大半を費やしてしまい余裕が無いからです。言葉を喋ったり、モノを考えたりといった理性に基づく行為は、それを行うための方法も明確ですから少ない処理能力で可能ですが…逆に、普段、無意識で行っている表情のコントロールや声の抑揚などは、その無意識そのものである深層意識が別の処理にフル稼働している今…意識的には行えない」
・・・
自称ジウ…今や、その場の全員が、あの「偽者」の再来と認識しているが…は、無表情を装うことすら疎かにし、口元を歪めながら続ける。
「思い当たる節がありませんか?…いや。アナタ方のような観察力に優れた方々なら、気づき始めているハズだ。そちらの表情を失ったアスタロトさんが…少しずつではあるが、時折、表情のようなものを浮かべつつあるのを。その平板に思える口調にも、時々、心の裡から漏れ出る感情の色が滲むことが増えつつあることを。」
激しく捲し立てながら、自称ジウは新アスタロトへと近づき、その両肩をがっしりと掴んで体を強く揺すりながら訴えかける。
「優しいアスタロトさん…。誤った仮説を信じて自己犠牲を覚悟するなんて馬鹿な真似はお止めなさい。アナタは、今まで幾度も【死】を目前とした状態に至りながらも、奇跡のような【生への執着力】で死地から生地へと復活された。それが…どうしたと言うんです?…アナタらしくもない。…さあ…よく考えなさい。アナタが単に魔法で生み出した擬似的な意識体が、まるで自分の方が本体だとでも言うように恥ずかし気も無くアナタを慰めたりしていましたが…アナタの体の中のアナタの意識が偽者で、別の体の中の意識が本物などという…そんな馬鹿げたことが事実だと?…本当に思うのですか?」
シーン…という耳鳴りと錯覚しそうな静寂が訪れる。
激しく高ぶりながら力説した自称ジウが、疑問の形を最後に、ぴたっと言葉を切ったからだ。その“動”と“静”のコントラストにより、最後の問いの残響が全員の脳裏で何度も何度も繰り返し疑問を突きつける。
・・・
「…こ………この…に、偽者が…な、何を…い…う…」
それでも、やっとのことでマボが自称ジウに反論しようとする。
しかし、続きが出てこない。
「はん!…私を偽者と?…まぁ…別に何とでも呼べばいいでしょう。しかし、私の今の話に反論ができますか?…マボさん。アナタの仮説よりも、ずっと真実を言い現しているとは思いませんか?…素直に自己犠牲で消滅を選ぶような…そんなアスタロトさんをアナタは認めるのですか?」
「い、いや。だ、だから…あっさり自己犠牲を選ぼうとしたからこそ…仮の人格なんじゃないのかな?」
ジウの見た目をしたアスタロトが、自称ジウの力説の矛盾を指摘する。
困った顔で俯いていたマボやイシュタ・ルーが、顔を上げてパッと表情を明るくする。
そう。今、最後に「偽者」が言ったことこそが…マボの最初の仮説の方が真実であると裏付けることになるのではないか…と。…が、しかし…
「…俺。消滅…しても良いなんて…一度も言ってないケド?」
自称ジウに肩を揺らされるがままだった新アスタロトが、その手を振り払い、自称ジウをトン…と軽く押しやって…言う。
「自分がオリジナルの思念では無いのか?…という確認は、確かにしたけど…」
・・・
「だからと言って、そっちのジウの中の思念の為に、俺が消滅しようだなんて…一言もいっていない…と思うけど?…勝手に、ひとを消そうとしないでくれるかな?」
確かに、新…いや。もう「新」を付けて呼ぶべきなのか判断に迷うような状態だが、アスタロトの口からは、一言も自己の消滅について語られてはいない。悲壮感の漂うその姿と語られる内容から…皆が勝手にそういう雰囲気になっただけだ。
その目には奇しくも自称ジウが評したとおり、強い生への執着力、よりコンパクトに表現すれば【生存欲】とも言えるものが満ちあふれていた。
そして、自称ジウの言葉どおり、少しではあるが表情らしきものの片鱗が生まれ始めているように感じられる。それは、平板だった口調についても同様のことが言えた。
「…それでこそ…アスタロトさんです」
満足そうに自称ジウが頷く。しかし…
「っていうか…お前もうるせぇよ。黙って聞いていれば、ベラベラベラベラ。思いっきり、偽者だってモロバレしてるのに…よく平気でこの場に居られるなぁ?」
「…どうして、私が偽者だと思うんです?」
「その手には乗らねぇよ。お前が…俺に何を言わせたいのかは知らないけど、お前のその顔つきや口調が、もう、誰が見たって聞いたってジウとは似ても似つかないんだよ。何だよ、さっきの『異常は以上です』ってのはよ?」
「アスタロトさん…むしろ…アナタの方が…口調が豹変していませんか?…ひょっとして…アナタも偽者?」
・・・
今回の偽ジウはしぶとい。
誤魔化そうとしたり、すぐに逃げようとする様子もない。
「ねぇ…もう、誰が偽者で、誰が本物なのか…分からなくなっちゃうよぉ!」
話について行けなくなりつつあったイシュタ・ルーが、ついに悲鳴を上げる。
マボも、少し混乱したような表情で、必死に言葉を探している。
自称ジウは、懲りずに喋り続ける。
「誰も聞いてくれないから、自分から続きを言いますが…先ほど私は、無表情の理由に『思い当たる節がある』…って言いましたよね?…そっちの方は、気になりませんか?…その『思い当たる節』を聞いてみたくはありませんか?…ねぇ?…そっちの私と同じ顔をした方のアスタロトさん?」
そう突然に呼びかけられた「ジウの体の中のアスタロト」は、実は先ほどから極度の混乱状態にあった。
自分こそがオリジナルで、自分の体に宿っているのが後から発生したコピーの思念だと思っていたからこそ平然としていられたのだ。
しかし、「偽者」の新説だけならまだ笑い飛ばすこともできたが、それを受けてアスタロトの体の中の思念が、明らかに自我…いや【生存欲】と呼ぶべきモノを強く示した時、不意に自分がオリジナルであるという自信を喪失してしまったのだ。そして…
「思い当たる節」など…聞くまでもなく…元々、アスタロトの中にも在った。
・・・
元々、ジウは確かに無表情ではあるが、しかし、その口調は「慇懃無礼」。決して平板な口調では無い。
そして、一つの体を共有したからこそ間違いなく理解できたのだが、ジウの心は決して無表情の器に収まっているような平板なものではなく、自分たちと同じように喜怒哀楽併せ持つ…むしろとても人間臭いものだった。
それなのに、何故、ジウは、こんなにも無表情なのか?
いや。しかし、最近は、アスタロトたちが見慣れてきた為もあるかもしれないが、その無表情にも、僅かながら喜怒哀楽の微妙な違いが見て取れるようになってきた。
そのことは、まさに、今、自称ジウが熱を持って語った内容とピッタリと符号しているのではないだろうか。
つまり…自称ジウの言う『思い当たる節』…というのは…きっと…。
何よりも。何よりも、さっきから気配があるにも関わらず、ジウの思念は何もアスタロトに語ってはこない。完全に沈黙を保っている。
「…さて。偽者呼ばわりされては、さしもの私も居づらくなってしまいました。そろそろ退出させていただきますよ。…あ、そうそう。偽者だと思われてしまった私の言うことを信じていただけるか…ちょっと自信がありませんが、一応、お伝えしますね。例のTOP19による協議会の開催日時と場所ですが…3日後の午後1時から。場所は…中立大平原に設営された特設会場にて。中立大平原は、システム側で予約された誰の領土にもできない区域ですから…一応、公平性は確保できると思います。では…」
・・・
.
「…と、黙って貴男を去らせると思っているの?…」
自称ジウが去ろうとし、彼の周りの空間が揺らいだ…と見えた次の瞬間。
赤と青、それぞれの淡い光を纏った2つの三角形が自称ジウの左右から飛来する。
そして…
【六縛呪!】
鋭い短縮詠唱の声と共に、2つの三角形が逆向きに重なり合って1つの六角形を形成し、自称ジウを束縛する戒めと化す。
「マボさん。ルーちゃん。…何をやっているの?…シュラくんが一生懸命に探していたジウの偽者を目の前にして…易々と逃がしてしまうつもりなの?…シュラくんが混乱しているなら…私たちがしっかりしなくちゃ…駄目でしょ?」
そう二人の同性を叱責しながらも、鋭く、かつ、美しい光を放つ双眸は、完成しようとする【六縛呪】から逃れるため必死に対抗術式を編もうとしている自称ジウから離されることはない。
扉を開けて部屋へ入ったのは、得意とするはずの防御ではなく、鋭い攻撃的な姿勢をとった女性プレイヤー。アスタロトの2人目のGOTOS。慈雨だった。
・・・
次回…「心の居場所(仮題)」へ、続く。